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2018/08/04

ジョン・アダムスの『ドクター・アトミック』 アメリカの生んだ、黙示録的神話(Album Review)

 日本人にとって忘れてはいけない日付に、1945年8月6日と8月9日がある。言わずと知れた広島と長崎の原爆忌である。核爆弾がもたらした惨禍と、灰燼と帰した2つの都市への鎮魂を主題とした作品は、音楽でも既に数多く存在する。最近では、広島出身の作曲家、細川俊夫による『ヒロシマ・レクイエム』が記憶に新しい。

 しかし、2005年に初演され、このディスクで自作自演に接することがかなったジョン・アダムスのオペラ、『ドクター・アトミック』(原爆博士)は、そうした作品とは趣きが異なる。『中国のニクソン』(1987)や『クリングホーファーの死』(1991)といった、実在人物を中心に据えた作品以来、長年タッグを組むピーター・セラーズが脚本を担当したこの作品で中心に据えられたのは、「原爆の父」と呼ばれた物理学者、ロバート・オッペンハイマーである。


 舞台も、原爆投下を描いたものではない。第1幕の舞台は1945年6月。原爆開発と製造を目指し、オッペンハイマーを化学部門の長に戴いた「マンハッタン計画」が、遂に核実験を準備する段階に入った、ニューメキシコ州のロス・アラモス研究所であり、その数週間を描いている。第2幕は7月16日のトリニティ実験で、原爆の閃光を人類が初めて眼にした「その日」を描いている。

 オッペンハイマー以外の登場人物には、マンハッタン計画を指揮し日本への原爆投下を主導したレスリー・グローヴス将軍、トリニティ実験における原爆の破壊力の小ささに失望、核兵器開発を更に加速させ、「水爆の父」と呼ばれることになる物理学者、エドワード・テラーなどがいる。

 この作品は、古典的な意味で、非常に「オペラ的」な作品である。登場人物たちの会話、ないしは引用文がもたらす緊迫感が現出させる劇的なリアリズムがそうだし、第2幕における、トリニティ実験のカウントダウンというクライマックスへ向けてテンションを上げてゆくベクトルの描き方、という意味でもそうだ。

 ただし脚本は創作によるものではなく、かなり凝った引用の織物だ。元になったのは、登場人物たちの手記や手紙、その他資料からの抜粋であり、重要な登場人物となるオッペンハイマーの妻・キティなどの女性の存在を光らせながら、そこに筋金入りの文学青年でもあったオッペンハイマーの横顔をしのばせる、さまざまな詩人による詩の引用を埋め込んでいるのが特徴だ。

 アダムスがここで目指したのは、「アメリカのファウスト」、新大陸アメリカの「神話」としての核の物語だという。もちろんメタな視点からの判断は一切なされないし、後年になって、それぞれの登場人物たちが原爆投下をどのように総括し評価したか、そういった視点は一切が捨象され、あくまでもトリニティ実験に至る数週間に登場人物たちが感じたであろうことを想像力で再構築した作品、それがこの『ドクター・アトミック』だ。

 全体として聴けば、アダムス=セラーズが創造した登場人物たちはやや多面性に欠けてのっぺらぼうな弱点があり、黙示録的な雰囲気を崩さない音楽の一本調子さとも相俟って、長大な作品をやや平板なものにしているきらいもないではない。しかし原爆製造のドラマを再構成する「ある視点」を提示しつつ描き堕した、という意味で、十分充実した作品と言えるだろう。

 日本人女性の、「水をください…」、という哀切な声ーーしかし感情を不自然なほどに抑制した、いわば棒読みの朗読だがーーで閉じられるこの作品は、原子爆弾の開発・製造・投下という一連の歴史的な出来事を、オペラを通じて改めて振り返り、思索を深める契機とするには十二分な内実を備えた作品である。Text:川田朔也

◎リリース情報
ジョン・アダムス『ドクター・アトミック』
3,013円(tax in.)
出演:ジェラルド・フィンリー(ロバート・オッペンハイマー)
ブリンドレイ・シェラット(エドワード・テラー)
アンドリュー・ステープルズ(ロバート・ウィルソン)
ジュリア・ブーロック(キティー・オッペンハイマー)
ジェニファー・ジョンストン(パスクァリータ)
オーブリー・アリコック(グローブス将軍)
マーカス・ファーンズワース(フランク・ハバード)、他
ジョン・アダムス(指揮)
BBC交響楽団
BBCシンガーズ

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