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初の全米1位を記録したあの名曲から50年…伝説のガールズ・グループ=シュープリームスが当時を語る
1961年に<モータウン>からデビューしたダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードによる世紀のガールズ・グループ=シュープリームス。デビューから8枚のシングルをリリースするものの、トップ20にチャートインすることはなく、1964年にリリースした「Where Did Our Love Go (邦題:愛はどこへ行ったの)」で遂に大ブレイク、発売から6週間目の1964年8月22日に米ビルボード・シングル・チャートにて1位を記録。その後10か月間で計4枚のシングルを発表し、5作品連続すべて1位に輝くというアメリカ人アーティストとしては初の偉業を成し遂げる。その後もヒット曲を連発し、これまでに12作のシングルを全米1位に送り込み、アメリカを代表するガールズ・グループとなった。そんな彼女たちにとって転機となった「Where Did Our Love Go (邦題:愛はどこへ行ったの)」のリリース50周年を記念して、オリジナル・メンバーで御年70歳のメアリー・ウィルソンに当時のことや曲への思い入れを訊いた。
何故リリースした曲がヒットしなかったのか、
私たちにもわからなかった
??1961年に<モータウン>が、シュープリームスのデビュー・シングル「I Want a Guy」をリリースしましたが、出世したなと感じたのは?
メアリー・ウィルソン:私たちは、1960年からモータウンに所属していて、1961年には初の契約を交わした。16歳半にもならないのに、<モータウン>とレコーディングできるなんて最高の気分だった。レコーディングすること―それが私たちが唯一やりたいことだったから。ダンス・パーティーなどでは歌っていたけれど、自分たちがレコーディングした曲を歌うことができるようになったのは、大きな転機だったわ。既に<Lupine>レーベルの為にレコーディングをしていたけれど、デトロイトで最大のレコード・レーベルと契約することが出来たし、(創設者の)ベリー・ゴーディーも私たちのことを気に入ってくれた。
??「I Want a Guy」がヒットしなかったのは残念だと思いましたか?それとも、気にせず次のシングルに取り掛かりましたか?
メアリー:まったく残念だとは思わなかったわ。デトロイトのCKLWを含む地元のラジオ局は曲をかけてくれたし、私たち自身も嬉しくて、これから成功するんだと感じていたから。
??その後も、<モータウン>から何枚かのシングルがリリースされましたが、それらも大ヒットはしませんでした。そんな中、くじけそうになったり、もう辞めてしまおうと話し合ったことはありましたか?
メアリー:諦めようと思ったことは一度もないわ。自分たちのことを素晴らしいグループだと思っていたけれど、陰であざ笑うものもいた。そこで私が、「ノー・ヒット・シュープリームス」というフレーズを思いついたの。何故リリースした曲がヒットしなかったのか、私たちにもわからなかった。ステージ上ではいいパフォーマンスができたけれど、それを越えることが難しかったのね。1つ役立ったのは、ベリーがリード・シンガーを一人にすることを決断したこと。そうすることで、路線が変わり、自分たちのサウンドを確立することができた。そうなったことでフローと私が嫉妬していたと言われることもあったけれど、それは嘘よ。私たちはハッピーだったわ。
▲ 「「When the Lovelight Starts Shining Through His Eyes」
??<モータウン>には、他にもマーヴェレッツやマーサ&ザ・ヴァンデラスなどのガールズ・グループが所属していて、シュープリームスより先にヒットを放ちましたが、それに対してはどう感じましたか?
メアリー:とても興奮したわ。フローレンスはエタ・ジェイムスのように、スタジオでグラディス・ホートンが「プリーズ・ミスター・ポストマン」を歌う手助けをしたのよ。「彼女たちにはヒット曲があるけれど、私たちのヒット曲はいつ生まれるのかしら?」とは思ったけれど、妬んだりはしていないわ。
??スモーキー・ロビンソン、クラレンス・ポールなどの<モータウン>プロデューサーや作曲家と仕事をした後に、ベリー・ゴーディーの勧めでエディ・ホランド・ジュニア、ラモント・ドジャー、ブライアン・ホランドと組むことになりましたね。彼らが手掛けた「When the Lovelight Starts Shining Through His Eyes」は、グループにとってビルボード・シングル・チャートで初のトップ30位圏内にランクインした曲となりましたが、同じくホランド=ドジャー=ホランドが手掛けた次のシングル「Run, Run, Run」は93位という結果になりました。その後、彼らが作った「Where Did Our Love Go (邦題:愛はどこへ行ったの)」を聴いた際にはどう思いましたか?
メアリー:ちょっとムッとしたわ。だってマーサ&ザ・ヴァンデラスの為に書いたような曲じゃなかったから。ホランド=ドジャー=ホランドには、ヒット曲を書いてと懇願した。もしヒット曲にならなかったら、私たちの親は大学に行かせるつもりだった。エディーの元へ行って、「今すぐヒット曲を作らなきゃダメなの!」って泣きながら伝えたのを憶えてる。彼には「心配しなくて大丈夫。この曲はスマッシュ・ヒットになるから。僕たちのことを信じて。」って言われた。1つ気に入らなかったのは、私とフローは「ベイビー、ベイビー」しか歌わなかったこと。これまでは複雑なハーモニーを歌っていたのに、この曲では何もしなくてよかった。
??その当時<モータウン>にさからうことは出来なかったので、レコーデイングしたと思うのですが、曲をラジオで初めて聴いた時のことを憶えていますか?
メアリー:「Where Did Our Love Go」は、近隣から外に音楽が流れてくる夏にリリースされた。CKLWをはじめ、すべてのラジオ局を聴いたわ。曲が気に入らなかったけれど、初めてラジオでかかった時は、記念すべき出来事だった。キャッチーで中毒性が高かった。
リリース情報
シュープリームス・ア・ゴーゴー
- ダイアナ・ロス&シュープリームス
- 2013/10/16 RELEASE
- ユニバーサルミュージック インターナショナル
- [UICY-75779 定価:¥1,028(tax in.)]
- 詳細・購入はこちらから>>
Photo: Redferns
自分がやりたいことをやっている
今年70歳になったけれど、まだまだ現役で頑張りたいわ
??その夏起った出来事について、【Caravan of Stars】ツアーを主催していたディック・クラークがよく話していましたよね。
メアリー:ディックは、当時「Every Little Bit Hurts」というヒットを放ったブレンダ・ハロウェイにツアーに参加してほしくて、<モータウン>に連絡をしてきたの。すでにジーン・ピットニー、ザ・ドリフターズ、ディキシー・カップス、ルー・クリスティーがツアーに参加することが決まっていた。<モータウン>は、ディックにシュープリームスも同行させるのであれば、ブレンダを参加させてもいいと答えた。彼に「シュープリームスなんて聞いたことない。」と言われると、<モータウン>が次のシングルについて話し、絶対ヒットすると力説したけれど、「シュープリームスはいらない。全アクト、ヘッドライナー級なんだ。」と断られた。でも私たち抜きでブレンダをブッキングすることはできなかったから、“and others”のビリングで出演することになった。
ディックは、初めて私たちを観た瞬間に恋に落ちた。最初は、拍手の数も少なかったけれど、ツアーが進むにつれ、だんだん増えていった。ある日突然観客がクレイジーになった時は、ジーン・ピットニーが、袖から顔を出したのかなとさえ思ったわ。「Where Did Our Love Go」は、私たちがツアー中にヒットしたのだけれど、バスでの移動ばかりで、ラジオを聴くことが出来なかったから、まったく知らなかった。ツアーが終わったら、自宅へ帰る為に飛行機に乗せてくれたけど、到着して<モータウン>にギャラを貰いに行ったら、「何のギャラ?ギャラ無しでブッキングしたんだ。」と言われたわ。
??「Where Did Our Love Go」が全米1位になってどのような変化がありましたか?
メアリー:当時、黒人が1位になるなんて不可能な夢のようなもので、何かを成し遂げたという気持ちになったわ。パーソナルな功績であったとともに、他の人々にとっても功績だった。世界中をツアーするようになり、各国で“<モータウン>のシュープリームス”と紹介されることで、レーベルの名を上げる手助けもしたわ。
??その数週間後に、「Baby Love」が再び全米1位になりましたが、2曲目のNo.1を手にした気分は?
メアリー:「Baby Love」は、イギリスでも1位になったのよ。2大陸で1位になれるなんて、素晴らしい気持ちだったわ。イギリスでの成功はヨーロッパにも飛び火していき、メジャーなTV番組にはすべて出演した。イギリスで1位になったことは、本当に大きな出来事だった。ロイヤル・ファミリーやローリング・ストーンズと写真を撮ったり、ハングアウトすることが出来たんだから。
??そして2014年になっても、「Where Did Our Love Go」はレストラン、ショッピング・モール、スーパーなどのラジオでかかっていますよね。普段ショッピングをしていて、曲を聴くとどう思いますか?
メアリー:意外とよく起こることなの、アメリカにいる時以外にも。どんなに素晴らしい事か説明するのが難しいけれど、音楽で世界中の人々の心に触れることができた。ショッピング・モールやエレヴェーターで自分の曲を聴くと、「これは私よ!私よ!」と言いたくなっちゃう。そんな気持ちになったのは、それまでなかったことだから。
??リリースから50年経った現在、曲に対してどのような想いを持っていますか?ライブでは今でも歌っているのですか?
メアリー:他の曲に比べて、演奏をあまりしてない曲ではあるわね。キュートな曲で、それなりのことを成し遂げたけれど、飛び上がり、ダンスさせるような曲ではないから。私は、最近ライブで演奏し始めたばかりよ。曲と恋に落ちるまでに50年の月日がかかった。私とって新鮮味があって、フレッシュな曲ね。「Baby Love」はよく演奏しているわ。「Where Did Our Love Go」が1位になってから50周年経ったことを皆に伝える過程で、好きになったという感じね。
??この50年間をどう表現しますか?そして現在の生活はどのようなものですか?
メアリー:50年間続けて来れたこと、その間続けることを可能にしたヒット曲に感謝したい。メアリー・ウィルソンとして、自分の“声”を見つけることが出来たと思うの。私はグループの中でバラードを担当してきたけれど、今は歌姫っぽい曲を歌っているわ。【Mary Wilson Live and Up Close】というショーを企画し、ジャズ・クラブから沢山のオファーをもらっている。エディー&ブライアン・ホランドとともに「Life’s Been Good to Me」という新曲もレコーディングしている。自分がやりたいことをやっている。今年70歳になったけれど、まだまだ現役で頑張りたいわ。
Q&A by Fred Bronson / 2014年8月20日 Billboard.com掲載
リリース情報
シュープリームス・ア・ゴーゴー
- ダイアナ・ロス&シュープリームス
- 2013/10/16 RELEASE
- ユニバーサルミュージック インターナショナル
- [UICY-75779 定価:¥1,028(tax in.)]
- 詳細・購入はこちらから>>
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