Special
楽園おんがく Vol.15: KACHIMBA4 インタビュー
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。第15回は、沖縄のラテン・ミュージックを牽引してきた、KACHIMBAの中心人物TARO氏のインタビュー。
沖縄のラテン・ミュージックといえば、KACHIMBAの名前を外すわけにはいかないだろう。KACHIMBAは、1998年に結成され、今年で16年を迎える老舗グループだ。もともとは、KACHIMBA1551という12人編成でスタートしたが、KACHIMBA4(クアトロ)や、KACHIMBA DXといった別働隊を生み、4年ほど前にオープンした宜野湾市のカフェバー「Mil besos(ミルベッソ)」を拠点に、沖縄におけるラテン・シーンを背負って精力的に活動している。
4月にリリースされたばかりのアルバム『熱帯高気圧』は、彼らの8枚目となるオリジナル・アルバム。今回はKACHIMBA4(クアトロ)名義での作品で、シンプルなバンド編成によるものだ。様々なラテン・ビートをベースにしながらも、ヨーロッパや中東、そして沖縄音楽までも取り込んでチャンプルーした意欲的なサウンドを作り上げている。唯一無二の世界を突っ走るKACHIMBAらしい傑作だ。
このKACHIMBAの中心人物であり、バンドと沖縄のラテン文化を牽引してきたパーカション奏者のTARO氏に話を聞いてみた。
僕がサルサを好きな理由は踊りとかではなくて、
とにかくコンガの音が好きなんですよ
??音楽の話の前に、TAROさんのルーツ的なお話から聞かせてください。
TARO:出身は宜野湾なんですが、小さい頃から離島に行くことが多かったんです。西表島に両親の友人の家があるんですけど、ドイツ人と日本人の夫婦で、そこに夏休みの間1ヶ月半くらいお世話になるんです。で、そのお父さんがとても面白い人で、ベトナム戦争の経験があったり、ゲリラに参加していたりとか。彼は自分で登り窯造って陶芸やって自給自足みたいな生活をしていて、そこにいたことが僕の基盤になっている気がします。
??そこでは音楽を聴いていたんですか。
TARO:いや、音楽はまったくなかったですね。それと、僕は喘息持ちだったんで、中学の時には治療目的で水納島に一年間住んでいたこともあったんですけど、そこにも音楽はなかったです。海とか空とか風とか、そういうのを日々感じて。そして、水納島から戻ってきた時に、ブラスバンド部に入るんですよ。
??それはいくつの時ですか。
TARO:中学2年生。それが本格的に音楽をするきっかけになったんですけど。トランペットを始めたわけです。たまたまクラスの担任が顧問で、しかも“吹奏楽の神様”といわれるほどの人だったんです。その先生にお世話になって、ブラスバンドの推薦で福岡の高校に行かせてもらいました。で、高校3年間は全国でトップレベルの吹奏楽を部活でやって、音楽の基盤はそこで作らせてもらいました。
??その後はどういう進路を進んだんですか。
TARO:1年ほど東京行って料理の仕事したんですけど、挫折しまして(笑)。どうしても都会は合わないなと思って帰って来たんです。その後は、身体を動かす仕事がしたいって思ったのと、外国にも行きたいなあというのがあって、自衛隊に入りました。理由は、PKOで海外行けると思ったから。それで、その頃北海道の部隊がPKOに行っていたので、自分で希望してそこに配属になりました。
??また、音楽と離れましたね。
TARO:結局2年間自衛隊にいて、PKOに行く前に辞めたんですけどね。辞めるきっかけというのが、自衛隊のラッパ部隊にいた教官がディアマンテスのメンバーのお兄さんで、その紹介でサルサ・バンドを北海道で始めたんですよ。その後、キューバのバンドがツアーで来たんですね。それを生で見たら衝撃を受けて。自衛隊いる場合じゃないなと(笑)。そこからキューバ音楽にはまって、北海道にそのバンドを呼んだプロデューサーがライヴハウスを経営していたんで、そこで働かせてもらいながら音楽活動を続けました。キューバに行き始めたのもこの頃からです。
??その時もずっとトランペットを吹いていたんですか。
TARO:そうですね。でも、その頃からパーカッションも始めたんです。僕がサルサを好きな理由は踊りとかではなくて、とにかくコンガの音が好きなんですよ。このポンッっていう音が。北海道でサルサ・クラブに行った時にコンガの音色を聴いて、この楽器いいなあと思ったんです。それからは、トランペットやってるくせに、コンガを叩ける人から習い始めました。後に沖縄に帰った時も、パーカッションをやっている人が周りに誰もいなかったんで、ちょっと叩けそうな人に僕が教えてたんですけど、全然ノリが違うから、自分でやっちゃえということになって、本格的にパーカッションを始めました。
リリース情報
関連リンク
オリジナルを作ったのはいいけど、
ダサ過ぎてCDには入れられない
っていう曲がほとんどでした(笑)
??沖縄に戻ったのはいつ頃ですか。
TARO:北海道のライヴハウスで働き始めてしばらくしたら、今度はディアマンテスのリーダーから、「沖縄に帰って来てトランペット吹かんか」って誘われて、これもチャンスかなって思ったんですね。それで、結局2年間ほどサポートで吹いていました。
??戻られたのが1990年代後半だと思うんですが、その頃の沖縄にはラテンのシーンってあったんですか。
TARO:まったくなかったですね。僕が札幌から帰ってきた頃は、サルサを踊れたり教えているお店は一軒もなかった。だから、じゃあ僕がやるよってことで、ディアマンテスのライヴハウスを借りて、サルサ・パーティーを始めたんです。たぶん沖縄では初めてですね。でも米軍の基地の中ではサルサ・パーティーをやってたから、そこからDJを引っ張ったりしながら、パーティーを大きくしていきました。
??それはKACHIMBA結成前ですか。
TARO:前なんですけど、ほぼ同時くらいにバンドも始めました。ディアマンテスでマネージャーをやっていたアントニオという日系ペルー人と二人でパーティーをやってたんですけど、バンドでは彼にヴォーカルをしてもらい、僕のブラスバンドのツテでホーン・セクションを集めたりしてKACHIMBAを作ったんです。
??最初は何人編成で始まったんですか。
TARO:12名です。KACHIMBA1551というのが正式なバンド名。1551というのは足すと12になるんですが、これはフォーメーションみたいなもの。両サイドの1と1がヴォーカルで、ホーン・セクションとリズム・セクションが5人ずつという意味でKACHIMBA1551という名前なんです。
??結成後は、サルサ・パーティーでライヴをやってたんですか。
TARO:そうです。自分たちのサルサ・パーティーでライヴをしているうちに、「CD作らないか」っていう話があって、2001年に最初のアルバムを作りました。
??最初はカヴァー中心だったんですか。
TARO:そうですね。僕はキューバの音楽が好きなんですけど、サルサを踊る人たちってキューバの音楽はちょっと違うんですよ。だからKACHIMBAも最初は、「こんなのサルサじゃない!」なんていわれてましたから。「踊れない」っていわれて。でも少しずつ歩み寄って、みんなが知ってるサルサもパーティーではやるようになったんですけど。
??オリジナルを作り始めたのはいつくらいですか。
TARO:結成して1年くらいでオリジナルは出来ていたんですけど、最初のCDが出る頃には4,5曲程度です。オリジナルを作ったのはいいけど、ダサ過ぎてCDには入れられないっていう曲がほとんどでした(笑)。ビートの取り方がどうも最初はわからなくて。そういうのを繰り返しているうちにいいものが出来るようになってきた気がしますけれど。
??でも、日本語やウチナーグチをサルサに乗っけるというトライをし続けたわけですよね。
TARO:沖縄民謡をサルサに乗っけるのは昔からやってたんですけど、でも日本語は最近ですね。それもやりたくてやった訳じゃなくて、最初にキューバにツアーに行く時に、「沖縄の曲を一曲くらいやった方がいいんじゃないの」っていう意見があって。「安里屋ユンタ」を最初にやったんですけど、なんかこんな田舎くさいダサイのが受け入れられるのかなって思ったら、一番受けたんですよ。
??キューバに行くきっかけは。
TARO:北海道のライヴハウスのつながりで、ロス・ナランホスという古いキューバのソンのバンドを沖縄に呼んで対バンしたんです。そしたら、「今度はKACHIMBAもキューバにおいで」っていわれたので、現地で彼らのイベントに出させてもらったんです。それをきっかけにバンドでは5回行ってますね。
??結成して16年経ちますが、当初から変わっていったことってなんですか。
TARO:単純にメンバーが替わりましたね。結成当初からいるのは、僕ひとりだけです。あとは辞めて戻ってくるメンバーも多いし、独立して自分のバンドやってたり。沖縄でラテンやってるバンドは、ほとんどKACHIMBA卒業生だと思います。総勢40人くらいはいるんじゃないですか。
??KACHIMBAはいろんな別働隊があると思うんですけど、使い分けってあるんですか。
TARO:まあ、スケジュールとか予算とかいろいろ事情もあります(笑)。フル・メンバーのKACHIMBA DXとか、3人や5人の編成とかいろいろあるんですが、僕の中では好きなことをやるのが、このKACHIMBA4のメンバーですね。今目標として、2年に一枚はCDを出したいと思っていて、KACHIMBA DXとKACHIMBA4を交互にやっていければと思っています。
??曲作りはTAROさんが中心ですか。
TARO:基本的にはそうです。でも僕は弦楽器が出来ないので、リズムやメロディといった土台を作って、あとはメンバーにコードを付けてもらうというパターンが多いですね。
リリース情報
関連リンク
とにかく僕たちがやりたいことを
全部詰め込んで実験しているんです
??今回のニュー・アルバム『熱帯高気圧』の構想はどういうものだったんですか。
TARO:構想は毎回無いんです(笑)。でも、KACHIMBAが他のラテン・バンドと違うのは、世界中の音楽を取り入れるところ。ラテンのルーツにはアフリカからスペインやフランスといったヨーロッパの音楽があるし、さらにルーツを辿るとインドや中東、バルカンも入ってくる。そういったものをチャンプルーするのがとても好きで、それが常にコンセプトになっている感じです。だから、ワールドミュージックをサルサに取り入れるというのが、大きな特徴かもしれないですね。
??では、簡単に一曲ずつ解説をお願いします。まずは「Que Rico El Ritmo」。メレンゲみたいなビートですけど。
TARO:これは、アフロ・スカとでもいうんですかね。スカをベースに、サンバとちょっとアフロっぽいリズムを足しています。4人だけのシンプルなビートなんでけっこうあっさりしてますね。この曲はピアノを扱う企業のために作った曲。こんなリズムで笑顔になって、音楽をみんなのところに届けるよっていう歌詞。サルサのお客さんじゃないところでライヴをやる時は、スカみたいなビートがやっぱり踊りやすいんですよ。今までスカのオリジナルがなかったので、作ってみたっていうのもあります。
??2曲目の「島豆腐」は、面白い歌ですね。これもちょっとレゲエっぽい感じで。
TARO:いわゆるウチナー・レゲエですね。これも豆腐屋さんとのコラボレーション(笑)。パーティーでのライヴを依頼されるじゃないですか。そしたら簡単に「じゃあ曲作る?」って酔っぱらった勢いでいっちゃうんですよね。いつも怒られるんですけど(笑)。沖縄の人ってとっても豆腐が大好きだから、できれば県民みんなに歌って欲しいなっていう想いで作りました。
??3曲目の「!Bueno!」も面白いですね。フラメンコ・ギターみたいな音が入ってて。
TARO:これもチキンのお店のパーティー用(笑)。ラテンってテンポで雰囲気も変わるじゃないですか。サルサより早いのがいいなって考えて、フラメンコ風で作ってみました。チキン屋さんを舞台にプロモーション・ビデオも作ったんです。ゴキゲンな感じになりましたね。
??4曲目の「月ぬ光」は不思議な雰囲気ですね。いい意味で違和感のある曲です。
TARO:僕らもやりながら不思議な感じでした。スペイン、中東、沖縄、日本の雰囲気をミックスさせました。途中でレゲエみたいなのを入れたりとか。このアルバム全体がそうなんですけど、とにかく僕たちがやりたいことを全部詰め込んで実験しているんです。この曲は何度もコードを直したりして苦労しました。
??5曲目の「花ぬ風車(はなぬかじまやー)」は民謡ですね。トレス(キューバ発祥の複弦3コースのギター)の音色も印象的です。
TARO:僕らは1枚目から沖縄の民謡や童謡をカヴァーしてるんですけど、この曲もみんなちっちゃい頃から歌ってる童謡で、誰でも歌える曲なんですよ。前半は原曲のままですが、後半のコーラスとカンタになったところからはKACHIMBAのオリジナル。風車(かじまやー)に関する説明をみんなで歌ってたりとか。こういうスタイルは、KACHIMBAの王道ですね。トレスが入っているので、キューバの風を感じてもらえればと思います。
??6曲目の「Una Nueva Puerta」は、日本人好みのラテン歌謡という雰囲気です。
TARO:今回、普通のソンとかサルサっぽい曲がないってことで、ギリギリになって作った曲。ベースのShuが頑張って作りました。でも、このアルバムには一番合ってないから、いろんな人から「入れん方がよかったんじゃない」とか言われるんですけど(笑)。でもライヴでは、こういう曲で踊ってくれるので重宝してますよ。
??7曲目の「大風(うふかじ)」は、ウチナーグチの高速メレンゲですね。
TARO:僕らはずっとスペイン語の曲を歌ってきたんですけど、ペラペラとスペイン語をしゃべれるわけでもないし、いくら頑張ってもキューバ人になれる訳でもない。もっと自分たちの言葉を使って、どこまでラテンで勝負できるかチャレンジしたいなあって、去年キューバに行った後に感じて。それで、勢いのある曲を全編沖縄の言葉だけでやろうと思ったんです。これまでは、スペイン語も標準語も方言もおいしいとこ取りだったんですけどね。「大風(うふかじ)」というのは台風の意味なんですが、その時の沖縄での過ごし方を歌にしました。海を見に行ったら危ないし、いろんなもの飛んでくるから、早く家に帰ってお酒を飲んでみんなで楽しもう、というような曲です。最近は災害も多いし、ただ喜んでいるように思われたくはないんですけど。
??8曲目の「シエスタOKINAWA」は、打って変わって海辺でのんびり聴きたい感じですね。
TARO:これはギターのYuuiが作ってきた曲です。今回、各メンバーに一曲ずつ作るように指示を出したんです。彼は昨年初めてキューバに行ったので、そのイメージでメロディを作ったようです。途中からチャチャチャっぽくなって少しだけコーラスが入るんですが、初めてインストでボレロを作りました。KACHIMBAにしては新しい感じの曲ですね。
リリース情報
関連リンク
さすがにハードロックには手を出さないだろう
と思ってたんですけどね(笑)
??9曲目の「Cana De Azucar」は、クンビアですね。
TARO:数年前、伊江島にラム工場が出来たんですよ。すごく美味しいラムで。別に依頼されたわけではないんですけど、キューバに行く時に沖縄のラム酒もアピールしようよってことで、曲と一緒にプロモーション・ビデオも作りました。今回、こういったコラボが多いです。僕は、人との関わりで「一緒にこんなことしようよ」っていいながら曲を作るのが好きなんです。これは、クンビアに三線を入れて沖縄らしさをミックスしました。
??10曲目の「風(Fali)」は、かなり異色作ですね。
TARO:これは台湾のスミンというアミ族のシンガーにアミ語で歌ってもらっています。彼は、沖縄ツアーに来た時に、僕らの店にも来てくれたんですよ。彼もラテンが好きらしくて。そして、ぜひともKACHIMAとやりたいって言ってくれて、一緒にライヴもやったんです。それがお互い楽しくて、彼の楽曲を僕らのサルサ・アレンジで入れさせてもらいました。今年の夏は、台湾と沖縄両方で彼と共演ライヴもやるんです。
??最後の「Tequilaジョ~goo」は、とにかくイメージを超越したすごさです(笑)。
TARO:さすがにハードロックには手を出さないだろうと思ってたんですけどね(笑)。僕らはファンの集いを毎週月曜にやってて、テキーラ飲みながら演奏するっていうのを10年以上続けているんです。でも、普通にテキーラの曲を歌ってもテンション上がらないなって思って作りました。ドラム、ギター、ベースという編成でやると、必然的にロックになって。でも、最初はロックで作ったわけじゃなくて、ラップみたいにビートの効いた感じだったんですけど、いつの間にかハードロック調になってしまったんですよ(笑)。とにかくみんなの日頃のストレスを、テキーラで乾杯しながら盛り上がる曲です。
??意外にこういうタテノリも合いますね。アルバム自体もタテノリ感を感じます。
TARO:今まではずっとヨコノリばかりだったからかもしれないですね。ヨコノリに飽きた訳じゃないんですけど、今になってタテノリでバンドのバランスを取ろうとしてるんですかね。今当面の目標が、フラメンコがレゲエになってパンクになってクンビアになってとか、一曲でいろんなリズムが入っているような曲をたくさん作りたいなと思ってるんです。だから、このアルバムはそうなるための実験なんですよ。
??今回のこのアルバムを振り返ってみると、そういう実験を試みたのは大きな要素ですか。
TARO:そうですね。曲を作るきっかけは人との出会いが多いんですけど、実際作る際には自分たちらしい実験をやってみたという感じです。
??ちなみにこの『熱帯高気圧』というタイトルの意味は。
TARO:これまでは全部スペイン語だったんですよ。でも今回はあまりピンと来なくて。だったら日本語でいいんじゃないのと思ったんです。最初は“高気圧”にしようと思ったんですが、高血圧みたいだし(笑)。そしたら“熱帯”つければいいかって。それで『熱帯高気圧』に落ち着きました。
??KACHIMBAの音楽を物語っているようなタイトルですよね。
TARO:そうですね。深い意味はないんですけど、単純に自分たちらしいイメージかもしれないです。
??ジャケットも素敵ですね。
TARO:いつもみんなで県内外のアーティストを探すんです。今回は、虹亀商店さんっていう紅型の染めをやっている方で、話をしに行ったら快くOKをもらいました。実際にライヴに来てもらって、KACHIMBAのイメージで描いていただいたんです。
??今後の目標や野望みたいなものってありますか。
TARO:来年はスペインに行こうかなって思っているんですよ。向こうでプロデューサーを探して、こんなチャンプルーしてるワールドミュージックがあるよってことをアピールして、あっちで拠点を作ってとか。スペインやフランスとかワールドミュージックの強い国でチャレンジしてみたいなあっていうのが、この先5年くらいの大きな目標です。でも一番やりたいのは、僕らと気持ちが通じ合う世界中のアーティストを沖縄に呼んで、ワールドミュージック・フェスティバルをやるっていうのが夢ですね。日本にもケニアのニャティティという楽器を弾いているアニャンゴさんや、親指ピアノのサカキマンゴーさんなど素敵なミュージシャンはいっぱいいるし。踊れて気持ちいい音楽でフェスティバルがしたいという夢はあります。今はKACHIMBAが忙しいからなかなかできないですけど、想像していればいつかはチャンスがあると思っています。
【KACHIMBAのライヴを楽しむならここに行こう!】
ミルベッソ Mil besos
住所: 沖縄県宜野湾市普天間2-33-16
電話: 098-943-0881
ウェブサイト
栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベント、ビルボードライブのブッキング・コーディネーターなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
リリース情報
関連リンク
関連商品