Special
阿部芙蓉美 『空に舞う』インタビュー
自分の感情に振り回されない。阿部芙蓉美が楽曲を創り、歌をうたっていく上での基本姿勢。それは映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」となった、岡林信康『私たちの望むものは』のカバーにおいても、最新マキシシングル『空に舞う』においても一貫されている。ならば、何故に彼女は歌い続けるのだろうか。何故に彼女の声は多くのCMに起用され、聴く人の心を揺らすのだろうか。そのメカニズムを覗き込んでみた。
簡単に言えば、音楽になりたい。
--アルバム『ブルーズ』以来、2年4ヶ月ぶりのインタビューになりますが、音楽の作り方や捉え方は変わりなく?
阿部芙蓉美:どう変わってきたとか、移り変わってきたっていうのは、なかなか説明できることではないんですけど、時間が経てば経っただけの変化があると思っています。作品は結構絞ってリリースするようにして、その間に月イチでライブをずっとやってきて、歌うことや音楽に対して毎回毎回いろいろ思うところが出てきますね。
--「どの曲も自分の意思を表現するというよりは、曲が一番良い形で仕上がってくれれば、それがベスト」という発想は?
阿部芙蓉美:それは変わらないです。やっぱり「素敵な曲になってね」っていう風にどの曲に対しても思い続けていますけどね。
--声はどう?
阿部芙蓉美:元々ライブがどっちかと言うと得意な方ではなくて。人前に立って何かをするのは嫌いじゃないけど「やりたい!やりたい!」「聴いて!聴いて!」っていうタイプではないので。それで『ブルーズ』リリース以降は「どういう風に歌えばいいのか?」ってすごく向き合ってきた。すごく考えて考えて、悩んだりとかして。私なりにもっと音をシンプルにして、歌声を生かす演奏の仕方がないか模索し始めたんです。で、つい最近になってようやく自分の歌が何なのか、声が何なのか、少しずつ見えてきた段階かもしれない。
--見えてきたものって具体的な言葉にするとどんなもの?
阿部芙蓉美:大袈裟なことがとにかく嫌で。それは使う機材だったりとか、環境だったりとか。細かく言えば曲の並びとか、大袈裟に飾り立てるようなことを極力したくない。というのが今の時点の想いで。これから先どうなっていくかは分かんないけど。大袈裟じゃなくて、でもちゃんと捉え所のあるものが欲しくて。
--それは確かに阿部芙蓉美の声に表われていると思います。花王アジエンス、キャベジンコーワS、小田急ロマンスカーなど、CMに起用されることが着実に増えてきたのも、その声の魅力があってこそだと思いますし。
阿部芙蓉美:CMに関しては「ありがたい」の一言に尽きるというか。小田急のCMも昔からずっと馴染みもあるし「来た!」って興奮しましたよ。
--変なこと聞きますけど、テレビやラジオから自分の歌声が流れてきて「良い声してるな~」って思ったりする?
阿部芙蓉美:(笑)。私、自分のCDを家で聴いても未だに不思議な感覚があるんですよ。「そう言えば、私が歌ったんだな」って毎回思うんです。テレビからふいに流れてきても「……そうか、私か」ってなる。嬉しいんだけど、驚きがまだあって、ビクッとする。
--自分はキャベジンコーワSのCMも小田急ロマンスカーのCMも初めて聴いたときに「誰だ?良い声だな」と反応してしまいました。これってシンガーとしての理想型だと思うんですが。
阿部芙蓉美:自分の声のことってどう説明したらいいか分からないんです。
--阿部芙蓉美にとっての理想的な声ってどんな声なの?
阿部芙蓉美:分かりやすくてパッと印象付ける歌声っていうよりは、その音楽の一部として存在していたいというか……、簡単に言えば、音楽になりたい。「こういう歌い手になってこういう歌をうたいたい」っていう感覚はあんまりよくわかんないんですよ。音楽に参加したい。前に「感情に縛られたくない」みたいなことをどこかで言ったことがあって、振り返って「変なこと言ってるな」って思ったんだけど(笑)。でも確かに、もうすでに生身の人間が歌っていることに変わりはないから、それに生々しさを足していくようなことはそんなに必要じゃないのかなって。だから「音楽の仲間に入れてほしいなぁ」っていうことしか考えない。
--そんな阿部芙蓉美が岡林信康の名曲『私たちの望むものは』をカバーする。というニュースには驚かされました。人間の中にあるあらゆる感情を全て吐き出した曲だと僕は感じているんですが、それを歌うというのはどんな感覚だったんでしょう?
阿部芙蓉美:その話は、映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」の監督さんが『私たちの望むものは』を歌うシンガーを探していてYouTubeで私のことを見つけて下さったんです。それでお話を頂いて歌うことになりました。私はそのときに初めて岡林信康さんのことを知ったんですね。だから物凄い楽曲だったけど、映画のエンディングテーマを歌うという役割があったので逆にシンプルに接することができたと思うんです。
--映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」の長くて重いストーリーがあっての阿部さんの『私たちの望むものは』は、後頭部を殴られるような衝撃がありました。自身ではどんな印象を?
阿部芙蓉美:映画に入り込んで観ている部分と、自分の仕事として身構えて観ている部分があったんですけど、何て言ったらいいのかなぁ? あの映画のストーリーってどんどん透明になっていくイメージがあって…上手く言えないけど、良かったんじゃないかな。
Interviewer:平賀哲雄
出来るだけ感情は取っ払いたい。
--あの曲を歌っているときも自身の想いや感情は使わず?
阿部芙蓉美:これは悪い意味じゃなくて、何も無いんですよね。普段から曲は曲として接するから、それを私はどうこうしようとか思わないのが通常です。あの曲は特に、私は歌っているけど、私の想いとか思考とかは一切省くべきというか。「省くべき」って頭でも思わないぐらい真っ白だったかな。
--なるほど。ただ、人間である以上、感情ってどうしても出てこようとするものじゃないですか。それを阿部芙蓉美はどうやって扱っているの?
阿部芙蓉美:……本当に何も考えてない。いや、考えてるんですよ、多分。考えてるし、感じるし、纏ってるし。避けようのない何かがあり過ぎて、それは恐怖でもあって。何も考えてないと言えば確かにそうなんだけど……出来るだけ感情は取っ払いたい。って何でそういう風に思うのか、自分でも分かんないんですけど。
--例えば、ライブとかで「今日も気持ちを込めて一生懸命歌います」みたいなことをいろんな人が言うじゃないですか。あの感覚は分かりますか?
阿部芙蓉美:「気持ちを込めて」っていうのは分かるんですけど「気持ちがあるからってどうなんだ?」みたいな問い掛けを自分にしたりもするんですね。気持ちがあったとして、その先には何があるのかな…。
--では、歌っていて泣きそうになったり、幸福を感じたり、怒りを感じたりみたいなこともないの?
阿部芙蓉美:そういうことがあまりない方が良いんじゃないかなって思う。ステージに上がっているときは、観ている人の気配だったりとか、情報量が物凄く多いし、敏感になってるから。
--感情はあるんだけど、露骨に出さない。ということではないんだ?
阿部芙蓉美:出す、出さない、とかじゃない。感情とか気持ちとか、すごくよく分かるんだけど、それが歌に出てくるのはちょっと違う。感覚として。だからって何も感じてないとか、そういう話じゃなくて。……何なんでしょうね?
--(笑)。ただ、その歌の在り方が、結果として曲に絶妙なバランスをもたらしているのは確かで。今回のシングル『空に舞う』もすべての音と言葉と声でもってひとつの物語を作り上げていく。主人公の人格や想いや表情、景色、温度を表現していく。そんな印象を受けました。
阿部芙蓉美:『空に舞う』は最初に着地点がもう決まっていたんですよね。なので、自ずと物語風になったというか。
--そもそも、その着地点はどこから出てきたの?
阿部芙蓉美:まぁ仕事上の。
--「こういうテーマでいこう」的な?
阿部芙蓉美:そうそう。でも着地点以外は自由だったので、こういうことが書けるタイミングとか環境に自分があったんだなって、今、私は思うんですけど。だからこの曲も何を意図したとかは上手く話せないかもしれない。「素敵な曲になってほしいな」という願いで書いてるから。
--僕は『空に舞う』の主人公に対して「なんて素敵な女性なんだろう」と思いました。『開け放つ窓』や『Birthday』の主人公もそうでしたけど、なんで阿部さんが描く女性でこんなにも健気で優しいの?
阿部芙蓉美:もっと違う女性も描きましょうかね(笑)。
--阿部芙蓉美がそういう女性ということではないんでしょうか?
阿部芙蓉美:自分では分かんないです。それは、じゃあ、接してみて頂いて。
--ちょっと飯食いに行ったりしながら(笑)?
阿部芙蓉美:そしたら何かが分かるかもしれないですけど。何ででしょうね? 好みなんですかね?『空に舞う』は曲自体から得られるものからして優しいし、そこを目指した部分が出てるとは思います。あと、いろんなシチュエーションで聴く機会もあれば、歌う機会もあるので、その度その度にいろんな姿で現れてくれて。そういう風に姿を変えたり、表情を変えたりして目の前に現れてくれるのが楽しみ。
--僕はこの『空に舞う』を聴いて、例えば「自分は間違っていなかった」とか「あのとき、彼女はこんな風に思っていたのかもしれない」という気付きに繋がって、一種の救いになる人も少なくないと思うんです。そこは望むところですか?
阿部芙蓉美:音楽ってさりげなく何かのスウィッチになったりとか、きっかけになったりするものだと思ってます。私自身も「このときにこの曲を聴いて、こういうことを思っていた」っていうことは経験としてあるし。何でもない言葉も並びによってはスウィッチに成り得ると思う。歌詞の中の一言が何かしらのきっかけになれたら、それは素敵なことだと思う。
--阿部さんは「得意なことがないんだったら好きなことを突き詰めてみようかな」と思って音楽を選んだ訳ですが、今は「これしかない」という想い以外に音楽を続けていく理由って増えてますか?
阿部芙蓉美:曲を聴いてくれた人がメッセージをくれたりとか、制作する過程でのスタッフとのやり取りとかもそうですけど、なかなか経験しようとして経験できることではないと感じています。それにはすごく感謝していて「まだ何かあるんじゃないか」って…簡単には諦めたくないことにもなってきてますね。
Interviewer:平賀哲雄
私がどういう人間かは全然お気になさらず。
--その“諦めたくない”っていうのは何に対して?
阿部芙蓉美:油断しているとどうなるか分からないこのご時世、隙を見せてはいけないし、手を抜くことも出来なくて。音楽すら聴きたくなくてぼんやりしてる日があったとしても、現実にグッと引き戻してくれるのはやっぱり音楽だったりするから、音楽に感謝する気持ちっていうのは増えてきている。だから音楽ともっと仲良くなりたい。
--それは詞や曲、歌に影響を与えていると思いますか?
阿部芙蓉美:与えていると思います。私「優しさって一体何なのか?」みたいなこともよく考えるんですけど。「優しさとはこういうものである」と具体的には言えなくて。シチュエーションでどんどん変わるし。優しいと思ってやったことが優しくなかったりする場合もたくさんあるから。でも人間だし、いろんな人と関わっていろんな出来事を経験しないよりはした方が絶対に曲のバリエーションは増えるんじゃないかなとは思う。けど「こういう出来事があったから、こういう曲を書こう」とか、そういう回路はあんまりないかもしれない。いろんなことを経験して消化してポロッと出てきたらいいかも、ぐらいで。
--自分が感じたことを露骨にメッセージ化しないところが阿部芙蓉美の面白いところで。あくまで「こんな世界やストーリーを音楽で描いてみたい」というのが大前提にあるというか。
阿部芙蓉美:あとは“何が出てくるか分からない”みたいな風にしておきたいのかもしれないし、あまのじゃくな部分もある。素直じゃないというか(笑)。
--ただ、阿部芙蓉美の声はそのストーリーをまるで私小説のように響かせられるんですよね。失恋の歌を書けば「この人はこういう恋愛をしてこういう想いで別れたんだ」って思わせることができる。自分ではどう思います?
阿部芙蓉美:曲書いて歌をうたってる私がどういう人間かは全然お気になさらず。っていうのが本音です。私はこれ以上前に出て行くつもりもないし。何かに任せて責任放棄するということではなくて、本当にただ流れを楽しみたいし、流れから学びたい。
--例えば『空に舞う』を歌っているときって、このストーリーの主人公を演じている感じなの? それとも音やメロディに任せるままに出てきた声が主人公になっていってる感じなんでしょうか?
阿部芙蓉美:絵本を読んで聞かせることに近いのかもしれないですよね。特にこの曲は頭からお尻まで流れがあって、どこを抽出しても不完全というか、すべてがあってひとつのものだから。より絵本というか、物語に接するときの感覚に近いですよね。
--では、詞のない『lullaby』を歌ったときは?
阿部芙蓉美:それこそ「どうやったら音楽と仲良くなれるかな」っていう感覚です。「仲間に入れてもらえませんかね?」ぐらいの。
--メロディと音と声だけで涙を誘う。想いがそこにあるとしたら、その旋律に導き出されるものだけ。その方が音楽としてはピュアだと思いますか?
阿部芙蓉美:ピュアだと思います。あまり大袈裟にしたくないとか、感情を取っ払いたいとかって、もしかしたらそういうピュアなものを自ずと目指していることになっているのかもしれないし。でも想いとしてあるのはやっぱり「音楽と仲良くなりたいな」っていうシンプルなものですね。それに対して気持ちや感情はどかしていいんじゃないかな。っていうのが今の段階の私の見解。
--で、できれば、そういう純然たる音楽としての力で人を高揚させたり、突き動かしたい。そんな想いがあったりするんでしょうか?
阿部芙蓉美:感情を置いておいたり遠ざけたりしても、やっぱり湧いてくるのが人間じゃないですか。で、そこを私はもしかしたらすごく期待していて、興味もあるし、関心もあるし。だから遠ざけるわりには「来い来い」みたいな部分もある。だからこそやっぱり遠ざけておくっていうのは、一番最初に私がしておかなきゃいけない行動なんじゃないかなって。そこから呼び起こされるものとか、湧いてくるものをエネルギーにして次に進んでいきたい。
--あと、今年の夏はフジロックへの出演を果たしましたが、自然に囲まれた空間で歌ってみていかがでしたか?
阿部芙蓉美:すべてが贈り物。そんなステージだった。立ち位置的には発する側として見られるけど、もらうものがすごく多かった。
--風もそうだし、大自然がね、阿部芙蓉美が生む音楽と見事に溶け込んでいましたよ。幻想的ですらあった。
阿部芙蓉美:すごく嬉しいです。
--阿部芙蓉美は自然に帰ろうとしてるんじゃないかなと思うぐらい。
阿部芙蓉美:(笑)。でも元々山は好きだし、小さい頃から森に遊びに行ったり、木に登ったりしていたんですよ。田舎育ちだから。なので、フジロックは気持ち良かったですね。
--ちなみに阿部さんが理想とするライブってどんなものだったりするんでしょう?
阿部芙蓉美:ステージがあって、演奏する人がいて、お客さんがいて。それがひとつの空間として包まれるようなものになってほしい。月イチでライブをするようになって、逆にお客さんに甘えることを憶えてきて。ガチガチになって「こうじゃなきゃいけない、ちゃんとやんなきゃいけない」みたいな姿勢は違うかなと思ったんです。ある程度甘えて委ねる部分があってもお客さんはちゃんと受け止めてくれるし、そういう風にしていくことでどんどん空気も柔らかくなっていくのを肌で感じたから。なので、会場の空気と戯れて、より柔らかい良い空間を創れる人になりたいですね。
--では、最後になるんですが、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
阿部芙蓉美:『空に舞う』は、サンドアーティストのクセニア・シモノヴァさんと共演しているミュージックビデオも含め、いろんな空気を含んだ作品になっていると思います。1人でも多くの人に楽しんで聴いてもらいたいです。
Interviewer:平賀哲雄
関連商品