Special
<インタビュー>Base Ball Bear小出祐介、思考の輪郭【WITH BOOKS】

Interview & Text: 黒田隆憲
書籍や文筆と縁深いアーティスト、また音楽と縁深い作家へ、自身の書籍や音楽とのかかわりについて訊くインタビュー企画【WITH BOOKS】。今回登場するのは、今年結成25周年、メジャーデビュー20周年を迎えるBase Ball Bearの小出祐介。
推理小説に夢中になった少年時代から、詩やヒップホップの言葉に触れながら歌詞観を更新していった20代、そしてSNS時代における「わからないものと向き合う時間」の価値をあらためて見つめ直している現在まで、その読書遍歴をたどっていくと、最新作『Lyrical Tattoo』にも通じる思考の輪郭が見えてくる。
本を読むことは、自分の外側にある世界と出会い、同時に自分自身を知っていくことでもある。そんな実感のこもった言葉を聞いた。
ミステリーから詩へ——言葉の背後に社会を意識するきっかけになった2冊の本
――普段はどんなジャンルの本をよく読みますか?
小出祐介:あまりジャンルは気にしていなくて、いろいろ読みますね。興味のあるものがあれば読む、という感じです。小説でいうと、もともとはミステリーが好きでした。小説を読み始めたきっかけも、推理小説や本格ミステリーだったと思います。そこからだんだん興味の裾野が広がっていきました。
あと、実家に海外文学の全集があり、子どもの頃から読んでみようとはするんですけど、難しくて全然わからなくて。それでもハーマン・メルヴィルの『白鯨』は挿絵の迫力が印象的でずっと読んでみたいと思ってたんですね。高校生になってやっと読み切った時には達成感があったし、昔からあった本がこんなにすごい作品だったのかと驚きました。
世代的に、小学生の頃に『金田一少年の事件簿』があったので、その影響も大きいです。金田一耕助の映画も何本か観ていたんですが、横溝正史さんの原作は読んだことがなくて。「金田一少年」が好きなら原作も好きなんじゃないかと思って読んでみたら、思いのほか暗くて怖かったんです。
――かなりドロドロしていますよね。
小出:時代設定もシチュエーションも全部怖いですよね。初期の『金田一少年の事件簿』にはオカルティックなムードもありつつ、現代的な本格ミステリーネタも多かったので、中学生からは本格を中心に読むようになっていきました。
――これまで読んできた本の中で、特に印象に残っている一冊を挙げるとしたら?
小出:今の話の流れで言うと、やっぱり推理小説ですね。綾辻行人さんや、島田荘司さん、我孫子武丸さんなど、国内の本格を中心に読んでいたんですけど、だんだん自分は“トリックそのもの”にはそこまで興味がないんだな、ということがわかってきたんです。
事件がどういうトリックで成り立っているのか以上に、それを含めて作品全体がどういう構造になっているのか、というところに興味があった。ミステリーのなかでも、小説という形式そのものを使って構造的にひっくり返してくる作品が好きだったんですよ。
――例えば?
小出:歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』は、読み進めていくと、最初から読者がミスリードされていたことがわかる、大きな仕掛けのある小説ですけど、ああいうふうに“小説そのもの”で読者をひっくり返すことができるんだ、という面白さに惹かれていました。
そういうものを求めていろいろ読んでいた時期に、たぶん初めて東野圭吾さんを読むんです。東野さんって、初期は本格ミステリーの作品を書いていて、トリックそのものを軸にしたものが多いですよね。でも、だんだん人間ドラマの比重が大きくなっていく。初期の本格ものから『白夜行』のような、ミステリーであると同時に重厚な人間ドラマでもある作品へと移っていくわけです。
その流れの中でも、ガリレオシリーズはトリック寄りの作品として続いていて、一方で『白夜行』以降は『手紙』や『殺人の門』のような重厚な人間ドラマも増えていった。その両方を、遡るように読んでいたんです。
――なるほど。
小出:それで、たしか大学に入ったくらいの頃、ちょうど新作連載として『容疑者X』が始まったんです。後に『容疑者Xの献身』として出版される作品ですね。それが、これまで遡って読んできた東野圭吾作品に、ようやくリアルタイムで追いついた瞬間だったんです。あの作品って、それまで東野さんがやってきた本格ミステリーの流れと、人間ドラマの流れが有機的に結びついた、ひとつの到達点だったと思うんです。
それをリアルタイムで読めたことが、とても大きかった。音楽で言えば、一人のアーティストをディスコグラフィーでずっと追っていって、その先で新作の集大成に立ち会うような感覚に近いですよね。ここまで積み重ねてきたものが、こういう形でつながって、大きな作品になるんだ、というのを目の当たりにした感じがあって。
――新刊が出るのを楽しみに待つ、みたいな感覚ですよね。
小出:そうなんです。だから『容疑者Xの献身』は作品そのものの面白さはもちろんですけど、それまでの流れを踏まえたうえで、リアルタイムに追いかける面白さを初めて実感した読書体験として印象に残っていますね。
――小出さんの考え方の軸をつくった本というと、何か思い浮かびますか?
小出:都築響一さんの『夜露死苦現代詩』と『ヒップホップの詩人たち』は大好きですね。『夜露死苦現代詩』は、いわゆる詩人が書く“詩”だけを扱う本ではないんです。たとえば歌番組で、歌手が歌う前に司会者が口上を述べることがあるじゃないですか。往年の音楽番組で司会をされていた玉置宏さんの口上はすべて自作だったそうなんですけど、曲への導入でもありながら、これがすでに詩のようで素晴らしいんです。他にも1996年にあった池袋母子餓死事件の母親の日記や、暴走族の特攻服に刺繍されている言葉など、何を詩として見出すかという“視座”の本なんですよね。そこがすごく面白かった。
一方の『ヒップホップの詩人たち』は、ラッパーへのインタビューを通して、その人たちがどういうバックボーンのもとでリリックを書いているのかを掘り下げていく本なんです。たとえば田我流さんのような人が、どういう背景からああいう言葉を書いているのかが見えてくる。その二冊を読んで、詩というものの見方をかなり学んだ気がします。
――それは、どんなふうに?
小出:それまでは、曲の世界観に合っていればいい、メロディーに対して面白い言葉が乗っていればいい、という感覚が強かったんです。どちらかというと、言葉遊びに近い書き方だったと思います。でも、自分が好きで聴いてきたラッパーたちの言葉の背後には、その人自身の背景があって、さらにその背景には社会がある、ということを感じたんですよね。そう考えると、自分の歌詞が、言葉遊びや、自分の想像や妄想だけで完結していていいのか、という感覚が出てきた。
もちろん、どんな楽曲も時代や社会の中で生まれているわけだから、結果的にはそこに接続しているんだと思います。でも、無自覚にそうなっているだけではなくて、もう少し自分の側から社会や世界と接続していく意識を持ったほうがいいんじゃないか。そういうことを、この二冊を通して考えるようになりました。
Base Ball Bear - 「それって、for 誰?」part.1
――そうした変化は、アルバムで言うとどのあたりから表れていましたか?
小出:はっきり出ているのは、アルバムでいうと『C2』(2015年)あたりだと思います。当時、自分も20代後半に差しかかっていて、社会と意識的に接続していないことが、自分の言葉をどこか薄っぺらくしているんじゃないか、という感覚が出てきていたんだと思います。
もちろん、自分はラッパーではないので、ラッパーのように自分のバックボーンをそのまま歌うのとは違うんですけど、そういうものを踏まえた言葉を書けたらいいな、ということは、その頃かなり考えていましたね。
- 「わからないものと向き合う時間」——SNSの時代に、本を読む
- Next>
「わからないものと向き合う時間」——SNSの時代に、本を読む
――本に励まされたり、救われたり、あるいはショックを受けたりした体験はありますか。
小出:何を挙げるか迷うんですけど、コーマック・マッカーシーはすごく好きで、おそらくすべて読んでいるかなと。3年前に亡くなってしまいましたが、遺作の『通り過ぎゆく者』『ステラ・マリス』も素晴らしかったです。
――特に好きな作品は?
古賀::『ノーカントリー』の原作『血と暴力の国』ももちろん面白いですし『ザ・ロード』はディストピアの傑作ですが、いま改めて読みたい作品ですね。特にショックだったのは『悪の法則』です。リドリー・スコットが映画化していますけど、もともとはコーマック・マッカーシーが書き下ろした脚本で、原作小説があって映画化されたわけではなく、まず脚本そのものがあって、それをリドリー・スコットが撮った。
映画自体もコーマック・マッカーシー特有のムードを体現している作品だと思います。何かがあからさまに描かれているわけではないのに、ずっと嫌な感じが漂い続けている。自分ではどうにもできないレベルの“悪いこと”が、すでにどこかで始まっていて、それを止める術がない。そういう感覚が延々と続く映画なんですよね。
――あの、なんともいえない不穏なムードは他にないですよね。
小出:主人公の弁護士も、ずっと嫌な予感はしているけれど、自分の目の前で決定的なことが起きているわけではないから、事態の深刻さを掴めていない。でも、気づいたときにはもう遅いんです。
終盤で、彼が権力を持つ“有力者”に電話で助けを求める場面があるんですけど、そこで返ってくる言葉が本当にすごい。映画では省かれている台詞もあるんですが、脚本を読むと、アントニオ・マチャードというスペインの詩人の話が出てくるんです。彼は、亡くしてしまった美しい妻にもう一度会えるなら、自分の詩をすべて失ってもいいと思っていた。けれど、そういう交換は成立しない。「悲しみはどんな価値をも超越する。それを心から取り除くためなら国を売り渡す人間もいるに違いない。にも拘らず悲しみでは何も買えないんだ」。
さらにそこで「世界が闇に沈んでいくとき世界というのは結局自分自身だということに納得せざるを得ない」とも語られる。藁にもすがる思いの主人公に、世界の正体を冷徹に突きつける。その感じがとても怖いけれど、哲学的で詩的ですごく引き込まれる台詞です。
――最新作『Lyrical Tattoo』には、SNS的な世界への違和感や、「インターネットにいない存在」であることへの思考も感じました。そうした感覚は、本を読むことと、ネット上の短くキャッチーな言葉との違いにもつながっていますか?
小出:つながっていると思います。「わからないものと向き合う時間」ということなんじゃないですかね。昔はそこまで意識していなかったですけど、今は相対的にその価値を強く感じています。
SNSって構造上、どうしてもアテンションを引く言葉が上位にくる世界じゃないですか。そういうルールの中で動いている。一方で、本はまったく対極にあるものだと思うんです。時間をかけて向き合うことが前提になっている。だからこそ、今はその豊かさをより強く感じるようになったし、自分でも大事にしたいと思っています。
Base Ball Bear – Lyrical Tattoo
――本は、受け手も時間をかけて読むものですし、書き手側も推敲を重ねて世に出すものですよね。ぱっと投稿される言葉とは、やはり別の表現だと思います。
小出:おっしゃる通りです。作者はもちろん、編集者の仕事もあるし、校正もある。そういういろんな工程を経て世に出てきた言葉なわけですからね。そういう本の豊かさに、あらためて気づいて楽しみ直している人も多い気がします。
一方で、SNSは時間つぶしとしてとても便利でもある。放っておくとYouTubeをいろいろ見てしまうことは全然あるんですけど、ああいう時間って、自分の思考が止まっている感じがするんですよね。YouTubeを見ながら深く考える時間ってあまりないじゃないですか。暇がつぶれているだけ、という感覚に近い。
――わかります(笑)。
小出:手軽に時間をつぶせるツールがあると、どうしても身体はそっちに行きたがるんですけど、そこを少し踏ん張って本を読む、ということなのかなと思います。読書って能動的な行為ですよね。読書のほうがしんどいし、高カロリーではある。読み始めればちゃんと読めるんですけど、やっぱり作品世界に入るまでには少しカロリーが要る。どう考えてもYouTubeを開くよりは大変ですよね。でも、そのハードルを越えてでも読むべきものだな、とはいつも思っています。
――中でも特に「これはわからなかった」という本を挙げるとすると?
小出:恥ずかしながら、そういう作品はたくさんあるんですよ。最近でも、信頼している人たちが絶賛していたので読んでみたら、独特の文体で全然話が頭に入ってこなくて(笑)。豊永浩平さんの『はくしむるち』なんですけどね。
――沖縄を舞台に、戦争の記憶や暴力の中にいる若者たちを描いた作品ですね。
小出:そうです。現代パートと戦時下の沖縄のパートが交互に出てくるんです。現代パートのほうは、とにかくカルチャーの固有名詞がものすごい量で出てくる。ガンダムとか仮面ライダー、ウルトラマンもそうだし、音楽や映画の話もどんどん出てくる。そこは自分が通ってきたものが多いので引用元のセンスに共感もしつつ楽しく読めるんですけど。
でも、過去のパートになると、今度は沖縄の言葉が濃く書かれているので、音としては入ってくるんだけど、どうも意味が入ってこない。自分はそこに苦戦してしまいました。
――それも意図なんでしょうね。
小出:絶対そうだと思います。
――現代パートの固有名詞も、逆にわからない人はたくさんいそうですしね。
小出:引用の意図がわからないと置いていかれるかもしれないですね。
でも、大変でしたけど、頑張って読んでよかったとは思うんですよ。一度読んで終わりじゃなくて、また時間を置いてもう一回読んでみたいと思ってます。
本を読んでいると、自分の中にない世界に出会える
――前作『天使だったじゃないか』では、街の風景が再開発やジェントリフィケーションによって変わっていく感覚が描かれていました。そうした変化と重ねて、書店が減っていくことについてはどう感じていますか?
小出:やはり寂しいですよね。僕は基本的に、本を買うときは書店に行く派なんです。好きな作家の新刊情報くらいならSNSでも入ってきますけど、本ってやっぱり現物を見ないとわからないことが多いんですよね。ネットじゃ表紙くらいしかわからないけど、実際にはどんな厚さなのか、どんな装丁なのか、そういう手に持った感覚も大事じゃないですか。自分もCDの良さは「手で持てる」ところにあると思っているんですけど、本は最たるものですよね。フィジカルとして存在していることが大切で、それを店頭で確認しているようなところもあると思います。
Base Ball Bear – ランドリー
――お気に入りの書店はありますか?
小出:減ってしまったので限られるんですけど、アクセスのよさでいうと新宿の紀伊國屋書店にはよく行きますね。ちょうど昨日も行っていました。映画を観に行くのも新宿が多いですし、ピカデリーとかテアトルとか、あのあたりに固まっているので、その流れで立ち寄りやすいんです。表参道の青山ブックセンター本店もよく行きます。あそこの入口近辺で紹介されている本が自分のよく読んでいる本です(笑)。
もうなくなってしまいましたけど、渋谷の東急本店の最上階にあったMARUZEN&ジュンク堂書店は大好きでした。ああいう、圧倒的な物量の中に入っていく感じが好きなんです。大きい書店に行って、棚を端から端までひと通り見て回るのが好きなんですよ。もちろん、レコメンドの強い書店にも魅力はあるし、そういうところにも行きますけど、どちらかというと、自分が何も知らない状態で入って、自力で見つけるほうが好きかもしれないですね。
――ビルボードジャパンの書籍チャートはご覧になっていかがですか?
小出:今は朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』が強いんですね。文芸だと『イン・ザ・メガチャーチ』、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、『方舟』あたりか。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は映画も観ました。よくあの分量をあの尺にまとめたなと思いましたけど、やっぱり原作がめちゃくちゃ面白いから、映画化にあたって省かれている部分も多いですよね。
特に、異星人との交流のなかで言語を解読していくパートが、原作ではものすごく濃いんです。映画だと比較的すっと進んでいくけど、小説のほうはその過程の情感がしっかり描かれている。宇宙に行くまでの流れも含めて、原作の厚みがすごい。映画を観て面白かった人は、ぜひ原作も読むといいと思います。
――『イン・ザ・メガチャーチ』もお読みになったんですか?
小出:読みました。あれは朝井さんの筆力というか、一章ごとのパンチが強いですよね。塩田武士さんの『踊りつかれて』も、僕の中では少し近い感触がありました。これも直木賞候補作でしたけど、描かれている世界のリアリティがすごかったんです。中心にいるのは平成に音楽プロデューサーをしていた人物なんですけど、そのなかで描かれる音楽業界やテレビ業界、芸能界のディテールがとても細かくて、しかも“業界もの”として浮いていない。音楽プロデュースの感覚も含めて、よくここまでリアルに書けているなと思いました。
それで『イン・ザ・メガチャーチ』を読むと、今度は音楽を作る側やレーベル側の話、いわゆる“推し活”をしている人たちの会話にもリアリティがある。そういう意味では、この二作には少し通じるところがある気がしましたね。
――なるほど。
小出:でも、こうしてチャートを見ると、やっぱり映画化されると原作もまた話題になるんだなと思います。『汝、星のごとく』もそうですし、『バックダンサー!』とか『響け!ユーフォニアム』のあたりもそうですけど、映画化の影響はやっぱり大きいんですね。文芸でも。
――では最後に、読者の方、特にBase Ball Bearのファンの方に向けて、本を読むことの面白さをどうおすすめしますか。
小出:さっきの「わからない」という話ともつながりますけど、本を読んでいると、単純に知識として知らないものに触れるだけじゃなくて、自分の中にない世界に出会えるんですよね。その体験を通じて、逆に自分のことを知っていく、ということもあると思うんです。
たとえば同じ本を読んでも、人によって引っかかる部分は絶対に違うし、感想も違う。文字だけで書かれているからこそ、それをどう映像として思い浮かべるかも人それぞれだし、何を深く考えるかも違う。読み方も捉え方も、本当に人によってまったく変わるわけですよね。
――おっしゃる通りです。
小出:僕も今日いろいろ紹介しましたけど、ここで話したことだって、その作品のひとつの側面でしかない。実際に読んでみたら、「小出が言っていたことは全然しっくりこなかったな」ということも、きっとある。でも、そういうところこそ文化や芸術のいちばん面白い部分なんじゃないかなと思います。
特に本は、文字だけで伝えるメディアだからこそ、読み手の想像力が関わるし、ある意味では読解力も問われる。だからこそ、いろんな本に挑戦してみるのがいいんじゃないかなと思います。まずはチャートに入っているような作品から入ってみるのもいいし、そういう経験を重ねた先で、もっと専門的な本や、それこそ本屋に偶然の出会いを求めに行ってもいい。そうやって、それぞれの読書経験値みたいなものを少しずつ広げていってもらえたらいいですよね。
関連商品


























