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片平里菜 『始まりに』インタビュー
片平里菜、人生初のロングインタビュー。対話を不得意とする女の子が懸命に自らを語る様は、繊細だけれども“どうにか届けよう”とする彼女の音楽にとても似ている。緊張感あるはじまりと、そこから徐々に漏れていくエモーション、笑顔。そして最後には……。ASIAN KUNG-FU GENERATIONやthe HIATUSのバックアップを受け、やがてはYUI、miwaなど先輩シンガーソングライターと肩を並べ、福島県を代表するアーティストになるであろう大型新人の“ありのまま”を記録する。
片平里菜とは?「えー、そんなに掘り下げるんですか」
--こうした取材はもう慣れました?
片平里菜:あんまり……うーん、どうだろう? 頑張ります。
--元々人と話すのは苦手?
片平里菜:苦手でしたね。これでも喋るようになった方だと思います。
--なんで苦手だったんだろう?
片平里菜:わかんないです。人見知り?
--では、今日はそんな片平里菜が一体どんな人なのか。頑張って掘り下げたいと思うんですけど、まず自分では自分をどんな人だと思いますか?
片平里菜:え? どんな人なんだろう。周りの友達とかには、「独りでどっかに行っちゃう。いつの間にか消える」みたいな……マイペースかな。女の子ってどこに行くにも集団で移動するじゃないですか。私、結構、単独行動が多かったりして、いつの間にか居なくなっている。ちょっと掴み所がないかもしれないです。
--どんな音楽をやってるアーティスト/ミュージシャンだと思いますか?
片平里菜:なんですかね? 今まではほとんど弾き語りでやってきたので、ジャンルには分けづらいとは思うんですけど……うーん、どうだろう。とりあえず一本筋を通しながらも、いろんなジャンルに挑戦したいと思ってます。
--片平里菜の“一本筋”を言葉で表現するならどんなもの?
片平里菜:……わかんない。でも、なんか、生き方的なことじゃないですかね。ここはこうしたくない、譲れない、とか。そこはちゃんと守りつつ、ブレないようにして、自分が今やりたいジャンルをやりたい。……説明できてないですよね?
--大丈夫です。どんどん掘り下げるんで。
片平里菜:(笑)
--譲れないものって何ですか?
片平里菜:譲れないもの。えー、そんなに掘り下げるんですか(笑)?
--掘り下げます。
片平里菜:もうちょっとライトな……
--じゃあ、あとでライトなコーナーも。
片平里菜:(笑)。譲れないものですよね? それ、なんだろう。自分でもよく分かんないんですけど……。
--では、質問の角度を変えて、ルーツを辿ってみましょう。生まれた街はどんなところだったんですか?
片平里菜:住宅地だったんですけど、角に私の家はあって。目の前が竹林で、その隣が公園だったりして。結構遊べるような場所でした。山も近くにあって、登ったり、探検したり(笑)。
--家族はそれぞれどんな人?
片平里菜:お母さんは世話焼きで、お節介で、人情味のある人。お父さんも強いんですけど、比較的「ほっとけ」みたいな感じ。放任主義だったかもしれない。それで結構釣り合っている感じがする。どっちも頑固は頑固なんですけど。……今、お父さんのこと、あんまり良く言ってなかったですよね?
--悪くも言ってなかったですけどね(笑)。
片平里菜:優しい人です。
--そんな家庭の中で里菜さんはどんな風に育てられたんだろう?
片平里菜:どうだろうなぁ~。愛されてきたと思いますけど、あんまり言葉で教わったことはないかもしれないです。あぁするんだよ、こうするんだよ、こうしちゃいけないと言われるよりは、背中を見て育った感じはあるかな? お兄ちゃんにずっと遊んでもらっていたこともあって。
--両親の背中に何を教わったの?
片平里菜:強さ、格好良さ。
--お兄ちゃんはどんな存在だったんですか?
片平里菜:ずっと遊んでくれて、面倒見てくれていたし……私はずっと真似してましたね。お兄ちゃんがスポーツを始めれば、私もバスケを始めたり、お兄ちゃんがギターを始めれば、私もギターに興味を持ち始めたり、そんな関係。お兄ちゃんがやっていることは格好良いと思ってたんですよ。
--里菜さんは、その頃から人見知りだったの?
片平里菜:人見知りでしたけど、活発でした。おてんばだったとは思いますね。ずっと一人で何かしていたみたいです。
--例えば?
片平里菜:一人で物を作ったり……創作してました。絵を画いたりとか、物語を書いたりとか、なんか、そういう気持ち悪いことをしてましたね。外でも遊んでいたんですけど、よく自分の世界に入って抜け出せなくなるときが。
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Interviewer:平賀哲雄
天才少女の初恋~ノーマークの閃光ライオット~3.11
--どんな物語を書いていたんでしょう?
片平里菜:外国人の話とか(笑)。
--(笑)。なんで?
片平里菜:わかんないです……。ちょっと憧れがあったんですかね?
--どんな話なんですか?
(片平里菜、突然笑いが止まらなくなる)
--(笑)
片平里菜:結構、SFなんですよ!
--まさかのSF。天才の頭角、現れていたんですね。外国人主役のSF小説はね、幼い頃に普通書かない。
片平里菜:アハハハ!
--そんな天才少女・片平里菜の初恋はいつだったんでしょう?
片平里菜:初恋は……恋はなぁ、よくわかんない。初恋の人って断言できる人はいない。もう大好きで仕方ない!みたいな人は、記憶にない。
--ということは、先日成人を迎えたにも関わらず、まだ初恋してないかもしれないと?
片平里菜:そうなのかなぁ? 子供ですね。ピュアですね。
--二十歳まで初恋を取っておいてあるって凄いですよ。
片平里菜:うん、そういうことにしておきます(笑)。
--で、音楽への目覚めはいつだったんでしょう?
片平里菜:中学校ですかね。それまでも普通に歌謡曲的なものや、お父さんが好きなビートルズとかクイーンは聴いていたんですけど、お兄ちゃんがエレキギターを始めて、バンドとか組むようになってからはそういう音楽を聴かされていたんですよ。邦ロック。弾いてるところも見せられたりして、私はそれが好きで。そこから音楽に興味を持ち始めるんですけど、私が音楽にハマるキッカケになったのは、多分、アヴリル(・ラヴィーン)とか、そこらへん。そこを掘り下げていったら、アラニス(・モリセット)を知ったりして。
--では、自らギターを持って歌い出したきっかけは?
片平里菜:ギターを持つのは結構遅くて、高校3年ぐらいだったんですよ。それまでは普通に歌手になりたいと思っていて、ボイトレに通ったりとかしていました。歌手になりたいと思ったきっかけ? それも兄の影響ですかね。
--歌手を目指すこと自体には、家族は肯定的だったんですか?
片平里菜:いや……私、勝手にやってたんです。勝手にバイトして、そのお給料で音楽やってたんで、「勝手にやってんな」って思っていたみたいですね~。頑固だから言うことを聞かないのは親も分かっていたんで。
--ギターを持ってからはどんなストーリーだったんですか?
片平里菜:ライブがしたくてギターを持って、曲も作ったりしたんですけど、そこから……どんな流れだったかな? 高校3年生のとき、ライブ活動を頻繁にやるようになって、そこから半年後に【閃光ライオット2011】に応募して……トントントンです。
--自分で「トントントン」って言う人、初めて見ました。
片平里菜:(笑)
--その「トントントン」のきっかけになった【閃光ライオット】に参加しようと思ったのは?
片平里菜:10代最後の腕試し的な。でも最後まで残れるなんて思ってなかったです(※彼女は、審査員特別賞を受賞した)。全部予想外でしたね。なんで選ばれたんだろう?
--そんな感覚だったんですね。
片平里菜:前日まで一次審査通過の合格通知が届いてなかったこともあって、【閃光ライオット】のことは全然頭になくって。普通に落ちてると思って。でも二次審査前日に担当の人から連絡が来て「明日よろしくね!」って言われて、「何ですか?」って聞いたら「【閃光ライオット】二次審査だよ」って言われたんです。それで急遽行くことになって。そしたら【閃光ライオット】の審査員の方々もあんまり注目してなくて「こんな娘、いたの?」みたいな感じだったらしいんですよ。ノーマーク。
--でも格好良いじゃないですか。それで審査員特別賞をかっさらうって。
片平里菜:嬉しかったです。今話したような状況だったので、特に覚悟を決めて出た訳でなかったこともあり、ビックリしました。
--そんな片平里菜にとって大きな転機となった2011年には、東日本大震災がありました。あの出来事にはどんなことを感じましたか?
片平里菜:1か月ぐらいは全然音楽はしませんでした。でも周りの人が自分以上に頑張ってたんですよ。地元のアーティストさんでも、普通の仕事をしている方でも。だから私も流れるように自然と音楽には復帰していったんですけど……うん。震災のこと、3.11に対してもすごく衝撃は受けましたけど、それ以上に人との繋がりを強く感じましたね。震災以前、私はそこが乏しかったんで。【閃光ライオット】の審査員特別賞をもらったことで、いろんなライブハウスに行くようになったんですけど、例えばいわき市に行くと、震災後、本気で復興と向き合っている人がいっぱいいて。アーティストの方でも。そこに感じるものはたくさんありました。
--福島テレビ『きみこそみらい』の片平里菜特集を観させてもらったんですが、七夕の短冊に「歌で皆を元気に出来ますように…!」って書いてましたよね。そのシンプルな想いが自分を歌に導いてる感覚は強くありますか?
片平里菜:そうですね。自分が楽しんでいるところをみんなにも楽しんでもらえたらいいなって思います。
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Interviewer:平賀哲雄
戦わなきゃいけないと思うし、売れないと意味がない
--そもそも表に出て歌いたいと思ったのも、そうした理由?
片平里菜:最初は捌け口だったり、中学時代は人見知りな性格もあって独りでいることも多かったので、拠り所として音楽があった。要するに自己満足だったんですけど、でもやっぱり聴いてくれる人がいて、「良い」って言ってくれる人が増えてくると、そこは変わってきて。自分の為でもあり、相手の為でもある。
--今、リスナーやファンはどんな存在になってるの?
片平里菜:支えですよね。根拠のない自信とかは持っているんですけど、落ち込んだり、ダメだなって思うときもあって。そういうときに応援してくれるリスナーの方の存在を思い出すと、頑張りたいなって思える。
--そうした想いは、里菜さんをとんでもないステージに引き上げます。【NANO-MUGEN FES.2012】参戦。まだデビューもしてないのに17000人の前で歌うという、大舞台を経験しました。いかがでした?
片平里菜:……よかったですね。贅沢でした。あの会場内にいるだけですごくワクワクして。
--しかもASIAN KUNG-FU GENERATIONの面々を従えてのライブ。
片平里菜:いやぁー、凄いですよね。今、改めて思い返すと。なかなかないことですからね。アジカンさんですもんね。一緒にいる空気感、それだけで贅沢だったし、アーティストとして正しい方向に導いてくれる感じもあって。安心できるんですよね。
--開演前には「戦うつもりで頑張りたい」と仰っていましたが、その戦いには勝てた感じ?
片平里菜:あの日は頑張りました。
--我ながらよく頑張ったと思う?
片平里菜:うん、頑張ったと思います。バンドでライブをやるのも初めてだったし、ウワンウワン音が響くじゃないですか。それで頭パニックになっちゃいそうだなと思ったので、あんまりここが横浜アリーナということを考えないでやろうと。それでちょっとシャットアウトして。笑いながら(笑)。
--里菜さんにとって理想のライブ、100点のライブってどんなもの?
片平里菜:100点はまだないんですけど、自分にとってステージ上が居心地の良い、自分らしく素で居られる場所になって、聴いている人もひとりひとり個になって、泣いたり笑ったりはしゃいだりできるような場所になったらいいなと、すごく思います。そこに辿り着くまでの道程はまだまだ遠いんですけど。
--先日、各地のライブで歌い続けてきた「始まりに」が配信リリースされました。ようやく音源を発表できたこと自体には、どんな感慨を持たれていますか?
片平里菜:単純に嬉しいですね。いろんな人に聴いてもらえるのが。「始まりに」は、自分ひとりで作った曲じゃない実感があったんですよ。スタッフさんにいろいろアドバイスをもらったりとか、それこそアジカンさん……山田さん、喜多さんに音を作ってもらったりしたので、この曲が良い曲だとは思っていて。だから堂々と「聴いてもらいたいな」と思えたし、そういう曲をリリースできて嬉しいです。
--そもそもどんな想いやキッカケから生まれた曲なんでしょう?
片平里菜:この曲は2011年~2012年になる年末年始に生まれたんですけど、震災があった年でもあったから「前向きな曲にしたい」という想いは自然と根っこにはあって。で、ギターでコード作りながらメロディが出来ていく訳ですけど、それも自然と浮かんできて。
--「まだ選べないからここにいるの」というフレーズは、どんな状況や心境から生まれたものなんですか?
片平里菜:この曲は「恋」とか「家族」とかテーマを決めていた訳ではないので、自分のそのときの気持ちに合ったようなフレーズを選んでいったんですけど、「まだ選べないからここにいるの」とかは揺らいでいるような気持ち。ちょっと後ろを気にしているような。で、そこから「それでも前に進もう」みたいな流れにしたかったんです。
--そこから「洗い流して 笑いとばして 今 上を向くの」等のフレーズに辿り着くと。この曲は片平里菜自身を奮い立たせる為の曲でもあったんですかね?
片平里菜:自然とそういう感じになっていった。意としてそういう風に作った訳ではないんですけど、エモいですよね。自分が弱っているときでも「始まりに」を歌うと、自然と前向きになったりします。だから聴いてくれる人にとっても、そういう曲であってもらいたいなと思います。
--さて、その「始まりに」から始まる片平里菜のストーリーですが、デビューするからには目指したい場所とか夢とかってあったりしますか?
片平里菜:いや、特にないです。
--特にないんだ(笑)?
片平里菜:いや、細かいことを言えばあると思うんですけど、別に「あのステージに立ちたい」みたいな夢はなくて。とりあえず自分の一本筋……ってまた言っちゃいましたけど、それを通して、そのときやりたいことをやっていたら、それで良いんじゃないかなって思います。
--福島テレビ『きみこそみらい』の最後では、「自分が成長したり活躍することで福島を元気づけられたらなって思います」と仰ってましたが、そういう気持ちは今でもある?
片平里菜:それはあります。ライブとかで遠くに行ったり、こうやって東京に出てきたりすると、寂しくなるときとかあるじゃないですか。「福島、帰りたいな」みたいな。そういう中でも自分が頑張っていると応援してくれるんですよ。地元の人たちが。私が帰れる場所も作ってくれるし。ライブハウスでも家族でも。だから私も音楽で勇気付けられたら、と思います。
--今、徐々に大きな舞台やメディアでの露出が増えてきていますけど、それは単純に嬉しいこと?
片平里菜:嬉しいですけど、私はライブハウスでずっと活動していたので、どちらかと言うとアングラっぽい思考になっていったりするじゃないですか。「テレビなんて」と思ったり。でも本当に表現したいこと、届けたいものがあるなら、戦わなきゃいけないと思うし、売れなきゃいけないというか、売れないと意味がない……気がする。売れる売れないって言い方はやらしいですね(笑)。
--いや、曲を聴いてもらえないと意味がないとイコールだからね。要するにたくさんの人に聴いてもらいたいと。
片平里菜:分かってもらえる人だけに分かってもらっても……意味がない。それはアーティストによって違うと思いますけど、私はそう。そうでありたいです。
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Interviewer:平賀哲雄
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