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<コラム>佐橋佳幸が語るピーター・ゴールウェイの魅力と新作『EN』――「高校生の自分に教えてあげたい」夢のような出来事

Text: Kyoko Sano( Do The Monkey)
ピーター・ゴールウェイとの出会い
僕がピーター・ゴールウェイと初めて会ったのは1987年。バイド・パイパー・ハウスの長門芳郎さんが主宰したジョン・セバスチャンのコンサートに日本のウェルカム・バンドとしてオファーされたときでした。ところが、ジョンの来日が急病で叶わなくなり、代役にピーターが来ることになった。そのとき僕らは山根麻衣、栄子、暁の三姉弟をボーカルに迎えフォーク・ロックのカバーをPARADEという名義で演奏して、アンコールでピーターと一緒にラヴィン・スプーンフルの「魔法を信じるかい?」を歌ったりしました。
ピーターとの距離がぐっと近くなったのはその2年後、1989年にマレイ・ウェインストックと共に来日したとき。長門さんの呼びかけで、ピーターと僕ら日本人ミュージシャンがTOKYO FMでスタジオ・ライブを収録することになったんです。フィフス・アヴェニュー・バンドから大ファンの僕はピーターの名曲をプレイするのが楽しくてね。長らく“幻のセッション”と呼ばれていたその音源は、のちに『ピーター・ゴールウェイ・トーキョー・セッションズ 1989』としてリリースされました。僕がレコーディングでニューヨークに行ったときもピーターに会って、「来週、ライブがあるんだけど、ギター弾かないか? 僕の曲なら弾けるだろ?」といきなり誘われたこともありました。そのライブはリッチー・ヘヴンスとの2マンだったので、ウッドストック・フェスティバルで有名なリッチーのナンバー「Freedom」を共演したり、むちゃぶりではあったけど貴重な経験をさせてもらったんです。
ピーター・ゴールウェイ & 佐橋佳幸としての新作『EN』
そんなこともあったからか、2023年にピーターがイアン・マシューズと来日したときも「ライブを観に来るんだったら、ギターを弾いてくれ」という流れになり、またしても急遽共演。そこでピーターから、君とは何度も共演しているので、リモートで一緒に音楽を作らないかという話をされたんです。最初はリップサービスかな? と思わなくもなかったんですが、ほどなくしてピーターから曲が送られてきた。それが今回のアルバム『EN』に繋がっていったんです。
アルバムのレコーディングを日本ですることになったのは、ピーターの希望でもありました。さらに、1978年の初来日で出会い、感銘を受けた細野晴臣さんと大貫妙子さんにぜひ参加してほしいというハードルの高いリクエストがあり僕が直電でお願いして(笑)、去年の11月に東京でレコーディング。細野さんが参加した「Coltrane’s Blue World」は同録なんですが、細野さんは人に呼ばれてベース弾くのはかなり久しぶりだったらしく、「ダメだったら、代わりに孫に弾いてもらおうかな」なんて仰ってましたが(笑)、さすがでしたね。
ちょうどツアーで日本に帰国していた矢野顕子さんとバンドのメンバーでもある小原礼さんと林立夫さん、屋敷豪太さん、Dr. kyOnさん、山本拓夫さんという僕が全幅の信頼を寄せるミュージシャンの方々が喜んでアルバムに参加してくれたのは本当に幸運でした。ピーターが日本からインスパイアされた曲は、矢野さんも「歌詞がすごく面白い」と感心していましたね。ピーターの「君の奥さんも歌うんだろ?」という一言でコーラスに参加した松たか子さんは、大貫さんの声とのブレンドが予想以上だったし、僕もいつか発表したかった自作曲「Nobody Can Save You」でリード・ヴォーカルを務めるなど、ピーター・ゴールウェイ & 佐橋佳幸が阿吽の呼吸でコラボレーションした内容になったと思います。
グリニッジ・ヴィレッジで育まれた音楽の魅力
そもそも僕がピーター・ゴールウェイの存在を知ったのは、彼が在籍していたフィフス・アヴェニュー・バンドがシュガー・ベイブに影響を与えているらしいと聞いた70年代半ば。入手困難だった彼らの1969年の唯一のアルバムをようやく手に入れたのは1977年のロック名盤復活シリーズが日本で発売されたときでした。その頃から当時、青山にあったレコード店のパイド・パイパー・ハウスに通うようになった僕は、そこで店主の長門さんからオハイオ・ノックスやピーターのソロ・アルバムも教えてもらったんです。それらのアルバムはアメリカでのセールスは振るわなかったんだけど、日本ではシュガー・ベイブやティン・パン・アレー周辺で注目されたことや、シティポップ再評価の近年に至るまで長らく愛聴されてきた。
その魅力がどこからくるのかといえば、ピーターが育ったニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの音楽的な背景が大きい。ローラ・ニーロやラヴィン・スプーンフルなどが近くにいる環境で、フォーク、ブルース、ジャズ、モータウンなどいろいろな音楽を吸収して、コード進行やメロディーが洗練された音楽をクリエイトしていったピーターの諸作は、それまでウエストコースト・ロック好きだった僕もノックアウトされました。アルバムを聴き込むうちに僕も諸先輩たちが受けた影響が分かるようになり、それは確実に日本の音楽に引き継がれているんです。
ピーターの2nd『オン・ザ・バンドスタンド』は、日本の熱心なファンがピーターに手紙を書いたことがきっかけで1978年にリリースされることになり、初の来日公演が実現。以降、ピーターも日本にひとかたならぬ“縁”を感じていて、アルバム・タイトルの『EN』の由来にもなりましたが、ピーターと僕らの関係がサークルのように繋がっている“円”という意味でもある。そのENを今度は、ライブでリスナーの皆さんにも感じてほしいと思います。
バンド編成でのビルボードライブ・ツアー
6月のPeter Gallway & 佐橋佳幸として開催されるビルボードライブ公演は、【“EN” Japan Tour 2025 with 屋敷豪太, 小原礼, Dr.kyOn】とあるように、アルバムに参加したミュージシャンがライブでもプレイする、ピーターにとっては日本で初めてのバンド編成でのリリース・ツアーでもあります。新作『EN』を中心に、本人からすでに希望曲のリストも届いていて、みんなが大好きなフィフィス・アヴェニュー・バンドやオハイオ・ノックスの曲も期待できると思いますよ。ライブではいまだに色褪せない名曲を散りばめながら、60年代のグリニッジ・ヴィレッジから歌い続けてきたピーター・ゴールウェイのシンガー・ソングライターならではの味わい深い魅力を伝えるステージにしたいと考えています。シークレット・ゲストのうわさもありますが、それは当日までのお楽しみということで。
十代から大ファンだった人と一緒にアルバムをつくり、ツアーをするなんて、まさしく「高校生の自分に教えてあげたい」夢のような出来事ですが、そのステージを僕らと一緒にぜひ楽しんでほしいですね。
この記事は、2025年5月発行のフリーペーパー『bbl MAGAZINE vol.207』内の特集を転載しております。記事はHH cross LIBRARYからご覧ください。
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Message From Peter Gallway 〜ENにまつわる物語
私が初めて日本を訪れたのは1978年。メイン州に住んでいたとき、フィフス・アヴェニュー・バンドからの私のファンだという日本の青年から届いたエアメールがきっかけだった。その年、日本でアルバム『オン・ザ・バンドスタンド』をリリースし、東京、京都、長崎、札幌でツアーを行った。私にとっては初めての日本への旅だったが、私はすぐに日本に繋がりを感じ、多くの友人を作ることになる。
佐橋佳幸とは、バイド・パイパー・ハウスの長門芳郎氏の紹介で1980年代後半に知り合った。ツアー中にTOKYO FMで共に演奏し、私が日本でブレッド&バターをプロデュースしていたときや、佐橋が仕事でニューヨークに来たときなど何年にもわたり、機会があれば会うような友人になった。
2023年、イアン・マシューズとの日本ツアーをオファーされたときの私は新型コロナから回復していた最中で、渡航に確信が持てなかったのだが、運命に導かれるように日本に飛んだ。渋谷のタワーレコードで行われたインストア・イベントに佐橋がやってきたので、私は翌日の新宿でのコンサートで佐橋にギターを弾いてくれないかと誘い、彼は多忙にも関わらず、徹夜でコンサートの準備をして参加してくれた。そのコンサートの楽屋で私たちは初めてアルバムのコラボレーションの話をしたんだ。
帰国後、私は曲を書き始めた。フィフス・アヴェニュー・バンドや以前のアルバムのポップなフィーリングを思い出しながら、どんなスタイルの音楽にしようかと考え、日本との長年にわたる繋がりについても思いを馳せた。私が行ったことのある場所、出会った人々、日本の芸術的な感性、東京の雰囲気、他の都市、海辺、新幹線に乗って通り過ぎる田園風景。これらはすべてアルバムに反映されている。
1年間、曲作りを重ね、曲のファイルを交換した後、私たちはレコーディングのアイデアについて話し合い始めた。当初はウッドストックとニューヨークで録音する予定もあったが、東京でレコーディングした方が合理的であることが判明したので、佐橋は私が1978年に知り合った細野晴臣、大貫妙子、矢野顕子、佐橋の妻である松たか子という特別ゲストをはじめ、世界的なエンジニアの飯尾芳史など素晴らしいミュージシャンのチームを集めてくれた。私たちはONKIO HAUSに集まり、レコーディングはまるで魔法のようだった。これ以上の感激と感謝はない。
アルバムの名前を考える中で、いくつかの案が検討され、『EN』というタイトルに行き着いた。「EN」とは、サークル(円)、人と人との繋がり、人生のさまざまな側面における絆や関係を意味するという。 もちろん、佐橋ならさらに詳しく語ることができるだろう。「EN」にまつわる物語を。

Message From 長門芳郎 Yoshio Nagato [Pied Piper House]
僕の音楽人生において、ラヴィン・スプーンフル、フィフス・アヴェニュー・バンド、はっぴいえんど、シュガー・ベイブというバンドが如何に重要な存在だったか。シュガー・ベイブ結成時、バンド名の候補の中に影響を受けたFABに敬意を表した「下赤塚五丁目バンド」があったこと。
ピーター・ゴールウェイが初来日した1978年、ピーターに細野晴臣さんや大貫妙子さんを紹介したこともあった。1989年、パイド・パイパー・ハウスのさよならパーティに出演してくれたピーター。そのバックでギターを弾いた佐橋佳幸くん。その夜、一度だけ再編ライヴを行なったシュガー・ベイブには佐橋くんと矢野アッコちゃんが参加する場面も。
あれから幾年月。長い間、友情を育んできたピーター・ゴールウェイと佐橋佳幸くんのコラボ・アルバム “EN” が満を持して登場する。ふたりの“縁”を繋いだお節介な身(キューピッド)としてコレほど嬉しく感慨深いことはない。ピーター、佐橋くん、素敵な音楽をありがとう。
この記事は、2025年5月発行のフリーペーパー『bbl MAGAZINE vol.207』内の特集を転載しております。記事はHH cross LIBRARYからご覧ください。
EN
2025/04/23 RELEASE
VSCD-3245 ¥ 4,000(税込)
Disc01
- 01.English Football At The Prince Hotel
- 02.Shinjuku Neon
- 03.Tokyo To Me
- 04.And Now I Know What Nothing Is (For Patti Smith)
- 05.French Is Spoken Far From Here
- 06.Kyoto
- 07.Coltrane’s Blue World
- 08.Nobody Can Save You
- 09.Meiji Shrine
- 10.Decidedly Kabuki-cho
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