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<1万字インタビュー>亀田誠治×井上芳雄が語る、今年の【日比谷音楽祭】振り返りと次回開催へのメッセージ「音楽はきっとみなさんの人生を豊かにしてくれる」
Interview & Text:岡本貴之
Photo:(c)日比谷音楽祭実行委員会
東京・日比谷公園を舞台とした、フリーイベント【日比谷音楽祭2025】が、今年も5月31日、6月1日の2日間にわたって開催された。初日はimase、PUNPEEのライブに始まり、このイベントで生まれた日比谷ブロードウェイ(井上芳雄、島田歌穂、中川晃教、田代万里生、遥海)のオリジナル曲「雨が止んだら」、「レ・ミゼラブル」メドレー 、さらに小沢健二によるこの日だけの特別なライブを見せて雨模様を吹き飛ばす大盛り上がりに。晴天となった2日目にはiri 、氷川きよし+KIINA. 、甲本ヒロトら世代もジャンルも越えたアーティストたちが熱演を見せて大団円となった。
10月以降に改修工事が始まるため、現在の3代目野音としては最後の開催となった今年の【日比谷音楽祭】について、亀田誠治と井上芳雄に開催翌日の野音にて話を訊いた。特別な想いがあったであろう今年のステージの振り返りと、早くも開催が決定した【日比谷音楽祭2026】の展望、そして今後も無料開催を継続していく理由と、そのためのクラウドファンディングについて。その熱い想いがこのインタビューから伝わってくるはずである。
対等に音楽を作っていける感じを特に今年は感じました
――2日間、お疲れ様でした! 亀田さんは実行委員長として、2日間を振り返ってどんなお気持ちですか?
亀田:365日間準備してきたことが2日間で終わってしまうのは、なんて寂しいんだという感じですね(笑)。でも2日間やりきって、すごく充実感がみなぎっています。 特に今年は初日があいにくの天気だったのですが、それでも音楽が鳴ると、たくさんの人が集まってきてくれました。楽器体験や企業の協賛ブースに挨拶に行くと、みんな笑顔で楽しそうなんですよ。だから、逆に僕の方が元気をもらうような感じでした。
2日目は打って変わって良いお天気になって、朝から日傘をさしてたくさんのお客さんが集まってくれて。そこで思ったんですけど、この東京の真ん中にある野外でお祭りをやるというのは、雨の日あり晴れの日あり風の日あり、こういうことなんだなと。そして、音楽やアーティストや表現してくれているみなさんの思いがある場所には、これだけ人が集まるんだなと思いました。それこそ古代の収穫祭や祈願祭みたいなものがあるように、【日比谷音楽祭】がこうやって音楽を通じて人々が集うシンボルに少しずつなれてきているんじゃないかなと感じました。


――井上さんは日比谷ブロードウェイとして初日の「Hibiya Dream Session1」にご出演されましたが、いかがでしたか?
井上:日比谷ブロードウェイとしては、2年前にこの音楽祭で巡りあった「雨が止んだら」という曲を亀田さんと一緒に形にさせてもらって、今回はレコーディングしたメンバーも何人か来てくれて、前回とは違う「雨が止んだら」になりました。実は、僕らは5回目の出演にして初めての雨だったんです。今までは僕たちが出るときは大体晴れていたから、あんまり雨の印象がなかったんですけど、初めて雨に当たって、みなさん寒さとか大丈夫かなという心配もありつつ、でも逆に「これが日比谷野音でやるということなんだ」なんて思いました。雨が上がらないかなって心配しながらやるっていうことも全部ひっくるめて、日比谷野音でやる音楽の価値というか、重みみたいなものを、改修前の最後に経験できてよかったなと思うぐらい、印象に残る年でしたね。
――ただ、日比谷ブロードウェイのみなさんが出てきて、「雨が止んだら」を歌うタイミングで、ほぼ雨も止みましたよね。
井上:そうなんですよ。まあ、みんなが「俺が晴れさせた」って自分の手柄みたいに言ってましたけど(笑)。でもMCでも言ったんですけど、「雨が止んだら」はどういうシチュエーションでもいける曲なんですよね。晴れていても降っていても 止んでも当てはまる曲なので、そこは何の心配もしてなかったです。
――その後、「レ・ミゼラブル」(以下・レミゼ)のメドレーを披露されて、お客さんは大喝采でした。
井上:日比谷音楽祭のバンドのみなさんとともに、この日のためのアレンジで「レミゼ」をやるのは、すごく新鮮で幸せでした。決してミュージカル好きな方ばかりの客席ではないと思うんですけど、みなさん「ワー!」って喜んでくださって。あと、リハのときにちょっとふざけて、客席に向かって「みなさんもご一緒に!」ってやってたんですよ。それを本番でやってみたら歌ってくださった方もいて。野外でみんなで「レミゼ」の曲を一緒に歌うということ、しかも革命の歌ですから。劇場では一緒に歌うということはなかなかできないので、ライブならではのミュージカルの楽しみ方ができて、自分たちにとっても感動的でした。
亀田:リハで「みなさん、ご一緒に!」ってやってるのを見たときに、「さすが井上芳雄!千両役者!」って思いました。「井上さんだったらこれが許されるんだ」って(笑)。でも、リハでやった場所ではそれをやらなかったんですよ。だから、「今日はまっすぐ二枚目で来たな」と思ったら、そのもう1つ後のサビ前で言ったので。あれは良かったなあ。
井上:最初のサビでやろうと思っていたんですけど間がなかったから、「あれ? できなかった。次のサビ前に間奏があったかも」って、もう気もそぞろでした(笑)。それで「みなさん、ご一緒に!」って声を掛けたんですけど、野音のお客さんだけじゃなくて配信をご覧になっていた方からも、「家で一緒に歌ってました」という声があって。「レミゼ」という作品がみなさんに知っていただけているというのはあると思うんですけど、今までにない喜びでしたね。
亀田:日比谷ブロードウェイが今回歌った「レミゼ」メドレーは、井上さんのアイデアがあったり、島田歌穂さんのアイデアがあったり、このキャストならではの色を出そうということを、日比谷ブロードウェイのメンバー全員が提案してくれたんです。
井上:そうですね。これまでは3人とかで出演していたので、三等分は難しいことじゃないんですけど、今回は5人だったので、それぞれに歌う場所があるというのはなかなか難しいんですよね。

亀田:僕は毎回、日比谷音楽祭のセッションの中に日比谷ブロードウェイを入れているんですけど、今回はさらに細分化したセットリストですごく充実していたというか。通常の「レミゼ」のメドレーっていうと、もっとみんなが知っている曲を並べて、「これでどうだ!」って結構満腹になる感じがあると思うんですよ。でも今回出てくださった島田歌穂さん、井上芳雄さん、中川晃教さん、田代万里生さん、遥海さん、全員の歌を発揮して包み込むことができたなあって。だって、まさか「対決」とかを自分が演奏をするなんて思わないですよ。
井上:なかなか、こういうところではやらないですよね。
亀田:本当にすごく良い「レミゼ」メドレーができました。しかも、全員が(野音の近隣にある)帝国劇場を愛してくださっていて。帝劇は建て替えで今年2月に閉館になって、野音は今年の秋以降から閉館するっていう、いろんなご縁を感じました。日比谷ブロードウェイと【日比谷音楽祭】で、両方日比谷っていう名前が付いていて、本当にエンターテイメントというか、人々の生活を豊かにする種がこの街から生まれているんだなって思いましたね。
――ステージでは、ベースプレイヤーとしても刺激的でしたか?
亀田:もちろんです。The Music Park Orchestraも含めて全員、日比谷ブロードウェイのセクションがめちゃくちゃくちゃチャレンジングというか。
井上:テンポとかも違いますもんね?
亀田:そう。通常の僕らはテンポが一定に管理されている中でやっているのが、歌穂さんが(両手を広げて)「ここに入る時はもうちょっとゆっくりなのよ!」って、譜面に書いてない部分の幅を表現しているっていうのが、僕らも楽しくて。そうやって日比谷ブロードウェイのキャストのみなさんがあったかくて、不器用な僕らに対しても心を開いてくださって、対等に音楽を作っていける感じを特に今年は感じました。
井上:譜面に書き記せない独特の緩みとかたっぷり感がいろいろ入っていて、それはなんとなく受け継いでいくものだと思うんです。今回のメンバーは僕も含めて「レミゼ」に出たことがない人もいるんですけど、歌穂さんと共に全身で、みんなで最後まで行くみたいなところは、ミュージカルの大ナンバーならではの高揚感がありました。
亀田:僕は本当にミュージカルが好きなんです。何年もかけて同じ場所で、キャストさんは成長していくのにもかかわらず、トライをしていくというプロフェッショナリズムや、時間をかけて表現にさらに磨きをかけて、ファンの方々もそれについていく、長く愛されていくっていうミュージカルの文脈を、もっともっとJ-POPやJ-ROCKの分野に作ることができないのかなって、すごくうらやましく思うんですよ。井上さんは、お客さんの層を広げていくのは難しいって言うけれど、すごく興味津々です。
井上:ありがとうございます。僕は、初日の小沢健二さんのライブをずっと袖で観ていたんですけど、数々のヒットナンバーはもちろん、大事なアルバムを1曲にしてやるっていう、ご自分の中の再現をすごく大事にされていて。さらに今何を感じてるかということもしっかり丁寧に伝えていってらっしゃって、すごいなと思いました。
亀田:オザケンさんは、32年前にご自身が野音でフリーライブをされていて。僕と対談したときに、僕が日比谷公園でフリーの音楽祭をやってるっていう話をしたときに、オザケンさんの方からすごく興味を持ってくださったんです。

井上:ああ、そうなんですね!
亀田:オザケンさんが32年前に自分の音楽を表現するために、ソロデビュー間もない頃、野音でフリーライブをやっていて、僕らは同じ思いかもしれないっていうので、意気投合して今回ご出演いただいたんです。だから、さっき井上さんが言っていた、自分のアルバムを丸々1曲にまとめたり、『LIFE』っていう2ndアルバムに入っている曲をメドレーでやったりとか、今の変わっていく野音への思いを全力で、しかもポジティブな形だったよね?
井上:本当そうでした。すごくポップでしたし、MCもラジオ風にしたり面白かったですね。
亀田:僕もオザケンさんもそうなんですけど、思いついたことを形にしたくなっちゃうんだよね。
井上:それができるからすごいですよね。アーティストの方は、より個人的な思いをステージに反映しやすくて素敵だなと思います。
――サウンドチェックを見せながらメンバーを紹介していくというのもユニークでしたね。
亀田:あれも素晴らしいですね。今オザケンさんはハープやクラシックパーカッションだったり、なかなかみんなが馴染みのない楽器でライブのサウンドづくりをやってるから、それをお客さんにも知ってもらいたかったんです。本当はもっと長尺のコーナーにしていて、笑いあり涙ありで、それぞれがちょっとおとぼけ演奏をしたりする感じだったんですよ。でもそれだと終演時間が守れないっていう、悲劇が起こってしまうので(笑)。整理してあの形になったんです。
――衣装のポンチョもインパクトがありましたね。
亀田:あれは「小沢さん、縁起でもないっ!」て言ったんですよ!(笑)。
井上:あの天候だから急遽ポンチョにしたんじゃないんですか?
亀田:最初からポンチョですよ。電話をかけてきて、「亀田さん、衣装を考えたんだけど、野音といえば雨でしょう」って。そのわりには、前日に「明日は楽しみましょう。雨よ、去れ!」とか送られてきて。どっちなんだって(笑)。それで僕が提案したのは、「あのポンチョがてるてる坊主になりますように」って。
井上:ははは(笑)。それで翌日は雨が上がったんですね。

みなさんの協力があっての音楽祭


――亀田さんと井上さんは、当日はバックステージでも言葉を交わす時間はあったんですか?
亀田:当日はなかなか話せなかったですけど、「雨が止んだら」があったりとか、ここ数年は普段から話す機会が多いですね。今回は、一度みなさんと【日比谷音楽祭】で共演した上で、「雨が止んだら」のレコーディングでもご一緒しているので、ミュージカル俳優さんたちとのコミュニケーションは本当に取りやすかったです。
井上:僕たちは、普段ミュージシャンの方たちと接することはそんなに多くないので、最初はちょっと緊張していたんですけど、亀田さんは本当に誰とでも分け隔てなく接してくださって。みんなリラックスしてやらせてもらったと思います。
――みなさんお忙しい方々だと思いますが、レコーディングは何日かに分けて、行われたんですか?
井上:それがもう、たった一日で。奇跡のスケジュールでした。
亀田:2024年12月30日っていう、年の瀬に一日でやりました。結構楽しくトークしながら進めて行って、終わったのは深夜1時ぐらい、大晦日になってました。
日比谷ブロードウェイ「雨が止んだら」オフィシャル・ティザーPV
――スケジュールといえば、井上さんは【日比谷音楽祭】の当日に主演舞台を終えてから野音に来たんですよね。
井上:明治座で主演舞台『二都物語』の千秋楽があったので15時ぐらいに終わって16時には野音のリハで。一緒に舞台をやっていた周りのキャストたちが「どんなスケジュールでやってんだ」って引いてました(笑)。でも【日比谷音楽祭】には参加したいし、それに勝る喜びはないので。
それに、みなさんそれぞれお忙しいですし、もう亀田さんに至っては、音楽祭当日は誰よりも忙しくしていらっしゃいますよね。本当にずっと走ってるんです。だから2日間終えて、翌日のお昼からこんなに元気に朗らかにお話しされているのが信じられないぐらいです。寝込んでもおかしくないぐらいの仕事量と責任を持ってやっていてすごいなって。だから年々感化されて、僕もちょっとそっち側に寄ってます(笑)。
亀田:はははは(笑)。井上さんだったらウェルカムです。
――実際、亀田さんは日比谷公園中のあちこちに足を運んでいらっしゃったわけですよね。
亀田:そうですね。【日比谷音楽祭】は、さまざまな人やチームが関わっていて、しかも野音以外にもいっぱいステージがあるので。できるだけお声掛けできるようにしようと思ってやっているんです。そうするとやっぱり走り回ることになりますね。
あとは今、配信が【日比谷音楽祭】の中で重要な位置づけになっていて、配信のコーナーでMCステーションといって、山崎怜奈さん、ニッポン放送の吉田尚記アナ、たなしん(グッドモーニングアメリカ)、6月1日にはSUPER EIGHTの丸山隆平さんが加わってくれて、配信の中で生中継のコーナーに出演者さんが飛び入りで出たりもしていました。それをやっているテントに行ってみると機材がバーッと並んでいて、配信1つにしてもいろんな人の思いやプロとしての手がかかっているんだなっていうことがわかるし、やっぱり動いてるのってすごく大事なことだなって。
井上:実行委員長の亀田さんが直接来てくれるって嬉しいですよね。僕は初年度がそうだったんですよ。お会いしたことはそれまで一回ぐらいしかなかったと思うんですけど、わざわざ楽屋に来てくれて、「今日はありがとうございます。頑張ってね」って言ってくれたことをすごく覚えてるから、本当に大事なことだと思います。
――いろんな人にそれぞれの思い入れがあると思うんですけれど、お2人は日比谷公園、日比谷野外音楽堂にどんな思いを持っていらっしゃいますか?
亀田:日比谷公園は日本初の洋風公園っていうこともありますし、日本と西洋が交わった場所なんです。隣に皇居があったり、官庁街や国会議事堂があったり、日比谷の街の劇場があったり、和と洋が交わっているパワースポットだと思っているんです。ここに野音っていう野外のコンサートホール、野外劇場ができるっていうのは、もしかしたら必然だったんだなって思うんですよ。それが100年前にできて、初代、2代目、3代目と役目を終えて4代目がどんな野音になるのかが楽しみなので、研鑽を積んで【日比谷音楽祭】はその4代目野音に帰ってきたいと思ってます。
でも考えてみれば、初代の野音を作るときに「ここに音楽堂を作ろう!」という想いを持って作った人がいるはずで、僕たちは先人たちが切り開いた獣道の上を、すごくチャレンジングだけど安心して歩ける幸せな世代だと思っていて。逆に言うと、僕たちも幸せを未来に残していくことができるんじゃないのかなっていう風にも思っています。僕もたくさんこのステージに立ったし、お客さんでも見に来たので、今年で改修工事に入っていくのはもちろん寂しいし、(3代目野音は)ある意味ほとんど僕のプロキャリアと重なるんですよ。そこの場所が一役目を終えて新しくなることは、自分もまだまだ新しくなっていくんじゃないか、もしくは新しくなるためのお手伝いが、自分が35年間この仕事をしながら掴んできた経験や仲間たちと一緒に次世代に届けていける、自分の役目なんじゃないのかなって感じています。
井上:僕はこれまで野音に来たことがなくて、“野音=【日比谷音楽祭】”なんです。普段僕たちは屋根のある会場でしかやっていないですし、こんなに開放的なところで、自然と一緒になって歌う気持ちよさは、ここに出させてもらったミュージカル俳優、お客さんも含めて実感したと思います。だからもちろん寂しいし、もっと出たかったですね。ただ、僕たちは帝劇ともお別れしたので、そのときもやっぱり寂しかったけど、ちゃんとお別れすると次に行けるんだなっていうことも経験したんですよ。 なので、野音とも次の再会を待ちたいですね。
【日比谷音楽祭】は、客席に家族連れや小さい子がいたり、訪れる人、聴く人を制限しない、野外だからこそすごく開かれているところが素晴らしいですよね。会場の近くを歩いていたら音が聴こえてくるっていう、みんなに向けて存在している場所なんだなって。それは新しくなっても変わらずにいてくれたら嬉しいし、自分たちもその気持ちを持って、音楽活動や表現をしていきたいなと学んだ場所でした。
――【日比谷音楽祭2026】が行われることが発表されました。亀田さんから詳しく教えていただけますか?
亀田:野音がこの秋から改修工事に入って来年は確実に使えないという中で、実は数年前から代替会場を視野に入れて、検証・検討を重ねてきました。日比谷公園が持っているパワーを大事にしたくて、ここをホームグラウンドにしながら、野音の持っている規模感、エネルギー、そういったものをしっかり表現できる場所はどこだろうかと。そして、東京国際フォーラム ホールAを使うことになりました。
国際フォーラムにした理由の1つとして、キャパシティの問題があったんです。今の野音のキャパは3,000人なんですけど、Dream Sessionの応募倍率が、30倍になることもあったりして、“開かれた音楽祭”と言ってる割には、お客さんを収容しきれない状況にもなっている。そこで考えたのは、規模を拡張して、新しいチャレンジをしたいということで、5,000人が入ることができる国際フォーラム ホールAを選んだんです。
――国際フォーラム ホールAは、野音とは違って屋内の会場ですよね。
亀田:インドアの会場を選んだということにも、理由があります。天候に左右されないということもあるんですけど、僕が屋内の会場を選んだ一番の理由は、昨今アーティストの表現方法が変わってきているということです。それこそパソコンの中で音楽を作ったり、顔は出せないけれども、ダンスや歌で最高な表現をする。【日比谷音楽祭】は、“ボーダーレスな音楽祭”と謳っておきながら、「生音最高、ライブ最高!」って、新しい世代の新しい表現に対して自分はどこか閉じているんじゃないかっていう反省点があったんです。
今回国際フォーラムAを使うことで、様々な表現方法に対応できるのではないかと思います。それによって、これまで何回も我慢して諦めてきた、例えばオーケストラとの共演みたいなことにもトライしていけるんじゃないかとも考えています。
井上:野音が使えないっていうこと自体は、【日比谷音楽祭】にとっては、ある種ピンチとも言えると思うんですけど、でもそれをチャンスに変える決断をされてるんだなって、今お聞きしていて思ったので、それがまた楽しみですね。
――無料イベントとして行われることは、今後も変わらないですか?
亀田:はい、もちろんです。【日比谷音楽祭】で、最高の音楽を、とにかく開かれた状態で垣根なく届けたいという考えは揺らぐことがないです。これはいつも言っているんですけど、ロンドンで行われている【ウエスト・エンド・ライブ】、ニューヨークのセントラルパークで行われている【サマー・ステージ】などのフリーライブが海外でできているのに、日本でこの仕組みができないはずがないと思っていて。とにかく音楽に触れるためにボーダーレスでバリアフリーの垣根のない環境をつくっていきたいので、【日比谷音楽祭】は無料開催にこだわっていきたいです。
――来年の【日比谷音楽祭2026】無料開催を実現するために、クラウドファンディングが6月25日まで実施されています。今回観にきた方、この記事で【日比谷音楽祭】を知った方に向けて、それぞれメッセージをお願いします。
井上:僕たちの「雨が止んだら」のCDの売り上げの一部はそちらに回させていただきたいと思うんですけど、同時に、もう5年目になってやっていることはスケールアップしてるけど、みなさんの意識としては「ああ、今年もやってるのね」とか、「まあ続いてるんだったらやれてるんだね」って思われちゃっていないかなって、個人的に思うんですよ。
実際は毎年ゼロからやっていて、みなさんの参加が必要なので、是非もう一回、「毎年やってるな」だけじゃなくて、来年のためにも、もしよかったらクラウドファンディングに参加してほしいと思っています。みなさんの協力があっての音楽祭だと思うので、お気持ちを形にしていただけたらと思います。よろしくお願いします。
亀田:【日比谷音楽祭】は企業からのスポンサー協賛金、文化事業として行政から助成金をいただきつつ、このクラウドファンディングをすごく大事にしていて。毎年ちょっとずつ目標額も上がってきているんですけど、それでも毎年ご支援してくださる方には本当に感謝の気持ちしかないです。そもそも、【日比谷音楽祭】を始めた2019年の頃は、クラウドファンディングっていうものは全然浸透していなくて、運営資金としては未確定すぎるから、「これを予算に計上するのはやめてほしい」みたいな意見も出たりしていたんです。そのときに比べて、今はコロナ禍や世界の戦争とか、さまざまな悲しみを経ることによって、困っている人に対して手を差し伸べたり、頑張っている人たちに対して応援するということに対して、すごく透明性が広まってきていると思うんですよ。
【日比谷音楽祭】は、そういう時代のうねりの中を走り抜けていて、クラウドファンディングを毎年やっていることは周知していただけるところまで来ていますけれども、やっぱりそれこそさきほど井上さんがおっしゃっていたみたいに、「毎年できてるからいいね」とか、「亀田誠治がトップアーティストを集めて余裕でやってるんでしょう?」みたいに思われてしまいがちなんです。でも本当に無料開催に向けて、毎年ゼロから予算を組み立てていて、新規のスポンサーさんを獲得したりとか、もっと助成金をいただける形はないだろうか、みたいな様々な工夫をしているんです。
例えば、クラウドファンディングで支援をすることでコミュニティを作っていくとか、返礼品を魅力的にしたりとか、【日比谷音楽祭】を応援することが、こんなに夢があって楽しくていろんな人の幸せを作っていく、幸せな社会を作っていくんだよっていうことを伝えていくために、本当にさまざまな手段を使っています。今回のこの取材もそうなんですけれども、1人でも多くの人に、クラウドファンディングから集まったお金で、僕たちの運営の大きな部分は成り立っていくっていうことをお伝えしたいです。
――イベント終了後の時点で、クラウドファンディングの状況はいかがですか?
亀田:今年の目標金額は3,000万円で、去年よりちょっと上げたんですけど、なかなか今年は支援の進み方がスローモーションになっています。それは物価高もあったり様々な理由もあると思うんですけど、例年に比べてかなり厳しい状況です。僕らも外食するときに「うわ、高いなあ」と思って今日はデリで買って済ませようとか思ったりしますし、毎日の生活のことなので仕方ないとは思うんです。でもそういう中で、音楽はきっとみなさんの人生を豊かにしてくれると思うし、【日比谷音楽祭】を応援することによって、次世代の才能を応援したり、子どもたちが楽器を覚えたり習ったりすることで心が豊かになったり、さまざまな人生経験というものを音楽を通じて体験することができると思っているんです。
それと僕が一番大事にしたいのは、一人でも多くの人がトップミュージシャンやアーティストの、作品やパフォーマンスに触れて感動することです。感動体験をすることで想像力が磨かれ、相手の気持ちを思いやることが出来て、結果、人間は優しくなれると思うんです。その優しさは誰もが生きやすい社会を創ると思うんです。そして、何かに向けて頑張ってる人を見ると、素直に応援したい気持ちになりませんか? なんだかんだ言っても、恵まれた環境で音楽を表現している自分の傲慢さを反省します。でも、毎日仕事を頑張ったり、一日一日、今日もなんとか乗り切って、週末の余暇や趣味であったりコンサートを楽しみにしてる人がいる。誰もに開かれた音楽祭を目指していると、そういうことへの気付きがたくさんあります。なので、【日比谷音楽祭】が無料で間口を広げて開催され続けていくための応援団の1人という気持ちになっていただいて、是非クラウドファンディングで支援してほしいと思います。
――ちなみに、クラウドファンディングのリターン返礼品にはどんなものがありますか?
亀田:アーティストさんが自ら考えてくれた返礼品もあって、例えば半﨑美子さんは能登の復興にもつながるようなワインを出してくださったりとか、日比谷ブロードウェイのみなさんも、メンバー全員がマイクにサインをしてオークション形式でクラウドファンディングに参加してくださったり。オザケンさんは、アメリカ旅行のときに買ったアコースティックギターを出してくださって、オザケンさんがそれをやるんだったら、じゃあ僕はオザケンさんのステージで弾いたベースを出したりとか、アーティスト協力型でやっています。
海外ではいろんな仕組みでオークションをしてお金を集めて、未来のアーティスト、もしくは困っている人たちに渡していくシステムがあるんですけど、【日比谷音楽祭】も一歩一歩そういうことにも踏み込んでいきたいと思っています。今年も最終的には目標金額に達成すると信じているんですけど、毎年達成していくことが次の【日比谷音楽祭】無料開催に向けての大きな一歩になるような気がしているので、是非ともクラウドファンディングでご支援いただけると嬉しいです。よろしくお願いします!

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