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<わたしたちと音楽 Vol. 59>Shiori Murayama しなやかで強く私らしく、ダンサーとして世界に挑み続ける

インタビューバナー

 ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。

 今回のゲストは、【スーパーボウル・ハーフタイムショー】や【コーチェラ・フェスティバル】など、世界最高峰のステージに立ってきたダンサー、Shiori Murayama。6歳でダンスを始め、アメリカでキャリアを築いてきた彼女に、海外で感じた文化の違い、女性ダンサーとしての挑戦、そしてこれからの夢について聞いた。(Interview:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING]Photo:Momoko Maruyama※トップ画、プロフィール画)

フラットに挑戦できるアメリカで、
世界で活躍するダンサーを夢見て


――6歳でダンスを始めて、高校卒業してから単身でアメリカへと舞台を移したんですね。日本から海外に出て、違いを感じたのはどういうところでしたか?

Shiori Murayama:みんながすごくフレンドリーで、フラットなのが印象的でした。まだ自分が英語もよくわからないままクラスを受け始めたのですが、レッスンが終わったあとに一緒にクラスを受けていた子たちが「君、めっちゃ良かったよ」と声をかけてくれたり、良かったと思うところをストレートに伝えてもらえるのは新鮮でしたね。

 普段のクラスの雰囲気だけでなく、リハーサルの雰囲気もすごくリラックスしてるけど、やるときはフルアウトでやる。もちろん日本が中途半端ということではないけれど、本番のパフォーマンスをより意識して、エナジー溢れるリハーサルをしているのが印象的でした。


――そのリアクションの違いは、ずっとダンスをやってきた人が海外に出ると感じるものなんですね。

Shiori Murayama:そうですね。アメリカでは上下関係も少なく感じました。自分は2023年の7月にアーティストビザで渡米したので、まだアメリカに拠点を移して2年も経ってないのですが、仕事を得てスタジオに行ったとき、それまでメディアを通してチェックしていた有名なダンサーもいたんです。でも、そういう方たちも上下関係を感じさせることなく、フレンドリーに接してくれるところが印象的でした。1週間〜1カ月ほどの短期間のプロジェクトも多いのですが、短い間でもチームワークが良くて、みんな優しく接してくれる現場が多く、温かいです。


世界の舞台で実感した、
多様性に溢れる現場


――【スーパーボウル】や【コーチェラ】など、エンタテインメントにおける夢のステージに立っていらっしゃいます。日本人としてそういったステージに立てるのはとても素晴らしいことだと思いますが、その実感はありますか?

Shiori Murayama:パフォーマンスが終わった直後はあまり実感がなかったのですが、みんなから温かいメッセージをもらったときや、自分でパフォーマンスをビデオで見返したときに「自分がやったんだ」という実感が湧きました。


――そういったステージにアジア人が立てるようになってきているという流れもあるんですか?

Shiori Murayama:アーティストにもよりますが、最近は文化的にも人種的、ジェンダー的にもミックスな現場が多いです。今、音楽業界でK-POPが流行っていることもあって、アジア人のダンサーも起用しようという意図があるのかもしれません。私が参加した現場では、人種やジェンダーによるバリアは感じなかったですね。もちろんアーティストによっては、「この曲は黒人だけ」とか「この曲は白人だけがいい」みたいなこともあるかもしれませんが、自分のようなアジアのダンサーが活躍できる幅が、渡米したときよりも広がっているのかなと感じています。

 それでもやはり、日本人とアメリカ人とでは体型や見た目の違いがあるのも事実。自分が選ばれなかったときに「ビジュアルでジャッジされたのかも」と勝手に考えたりすることもあります。でもジムでトレーニングをして体を大きくするのにも限界があるし、持って生まれた体格差はどうしようもないですよね。そういうところではない自分のチャームポイントを生かすようにしています。


女性としての表現力と
パワフルな個性を生かす


Photo:Jonathan Rabon


――世界でご活躍される中で、ご自身のアピールできるポイントはどんなところがあると思いますか?

Shiori Murayama:自分は元々すごく肌が白くて、良い意味で捉えているんですけど、ステージ上でわかりやすいという点があると思います。あとは、今は髪の毛がすごく長いので、髪の毛を褒めてもらうことが多いですね。それに、自分のダンスはすごくパワフルだと言われます。シェイプは細いほうですけど、そこから出るパワーに驚かれることが多くて、それも自分の強みかなと思っています。


――Shioriさん自身、女性であることはご自身にどんな影響を与えていると思いますか?

Shiori Murayama:やはり女性の体ならではの動きや表現力はあると思うんです。曲を聴いて踊っている自分自身をイメージしてみて、「ここをもっとしなやかにできるな」とか、「もっと女性らしく、魅力的でセクシーに見せられるな」と表現を研究しています。

 この前、コーチェラでLISAさんの「Elastigirl」という曲をパフォーマンスしたときも、女性のセクシーさと強さを表現するコレオグラフィーでした。ヒールを履いたり、リハーサルのときからボディラインを意識してタイトな服を着たり、首の角度を気にしたり、女性にしかできない見せ方と自分にしか出せない表現力、そしてステージパフォーマンスを心がけました。


――日本よりアメリカのスタイルが合っていると感じるのはどういうところですか?

Shiori Murayama:自分のパワフルさを生かせるところです。日本だと女性は特にしなやかなところを評価されることが多いのですが、自分のダンスはパワフルなので、女性の多面性を表現できる。パワフルさを生かしたり、スタイリッシュでフットワークが多いクールなスタイルを表現できる機会が多いのが、アメリカだと感じています。また、日本人はみんなと一緒であることを好みますが、アメリカは個性をたくさん活かせる機会が多いのも好きなところです。


タフな世界を生き抜くための、
「挑戦なしでは成功はない」精神


――長いダンス歴の中で、挫折したり壁にぶつかったりしたことはありますか?

Shiori Murayama:正直、大きな挫折というのは覚えていないのですが、つらかった経験はありました。大学でダンス専攻を修了した後、OPT(Optional Practical Training、インターンシップのようなビザ)で1年間アメリカで働けることになったんです。それまでは学生でお金を稼ぐことができなかったので、コレオグラファーとの繋がりはあっても仕事ができないという状況で。周りの子たちがどんどん仕事を得ていくのを見て、「私もああなりたい」と思っていました。

 アーティストビザに切り替えるのが理想だったので、参加したあるオーディションで最終審査まで進んだとき、「これで仕事ができたらビザも切り替えられるかも」と高揚していたんです。でも結局、親友の日本人ダンサーがその仕事を得て、私はダメだった。もちろん友達のことは嬉しかったけど、ショックでした。同じ日に頼まれていたワークショップのアシスタントの仕事も、「いつものアシスタントができるようになったから大丈夫」と言われてしまって。そういうことが重なったときは、かなりつらかったです。


――若いときは失敗することが怖かったり、「もっと上手になってから」と挑戦に躊躇する人もいると思いますが、そういう人たちの背中を押すとしたら何と言いますか?

Shiori Murayama:この前、母に「挑戦なしでは成功はない」と言われて、本当にそうだなと思いました。好きな気持ちがあるのであれば、何よりもまずは楽しんでやってほしいです。仕事にしたいならスキルアップのためのトレーニングももちろん必要ですが、ダンスは奥が深く、例えばヒップホップ1つとってもさまざまなスタイルがあります。いろんな人を見て、影響を受けて、どんどん挑戦してほしいと思います。

 怖いけど一歩踏み出したら意外と大丈夫だったということも多いので、やらないで後悔するよりは、やって後悔してほしいですね。


――Shioriさん自身がこれからチャレンジしたいことは何ですか?

Shiori Murayama:ずっと前から、世界で活躍するダンサーになりたいと思ってやってきました。ワールドツアーに参加して、日本でもパフォーマンスしたいです。それと、ダンスを始めたときから、いや、生まれたときからずっと家族がサポートしてくれているので、ステージを通して恩返しをしたいです。


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