Special
<インタビュー>新生UGUISSとして活動を再開した80年代“伝説のバンド”がビルボードライブ公演に向けて意気込みを語る
Interview & Text:Kyoko Sano (Do The Monkey)
Photo : Shun Itaba
アルバム一枚を残し、わずかな活動期間で解散してしまった伝説のバンド、UGUISSがデビュー40周年に再始動! 今春は、1st『UGUISS』と、解散により発売が見送られた幻の2ndアルバムをアナログ2枚組にした『UGUISS (1983-1984) ~40th Anniversary Vinyl Edition~』をリリース。オリジナル・メンバーの、佐橋佳幸(Gt)、柴田俊文(Key)、松本淳(Dr)にDr.kyOn(Ba,Key)、冨田麗香(Vo)を加えた編成で、東名阪のツアーを敢行し、新生UGUISSとして活動を続けることを宣言。9月5日には【UGUISS 40th Anniversary Tour Revisited Tokyo】をビルボードライブ東京で開催する。
日本の音楽シーンに欠かせないミュージシャンとして現在も第一線で活躍中の佐橋、柴田、松本と、今回、ヴォーカルに抜擢された冨田麗香の4人にUGUISS再結成の経緯やUGUISSがいた時代、さらに新曲やライブの抱負などをたっぷり語ってもらった。
東名阪のツアーから渋谷クアトロ、そして原宿クロコダイル
――今年の4月にデビュー40周年記念にアナログ2枚組『UGUISS (1983-1984) ~40th Anniversary Vinyl Edition~』がリリースされ、5月には東名阪のツアーを実施しました。手応えはいかがでしたか?
佐橋佳幸:おかげさまで、どこもすごく盛り上がりました。
松本淳:そう。1曲目から総立ちでね。
冨田麗香:私はドキドキでした。最初はUGUISSのお客さんが私を受け入れてくれるのかどうか不安だったんですが、1曲目の「Sweet Revenge」から総立ちでホッとしました。
佐橋:1983年の1stアルバム『UGUISS』の「How Are You Doing?」は当時、ライブの出囃子として作った曲なんだけど、それが流れるとワーッと歓声が上がったんだよね。
柴田俊文:ライブのために今回のメンバー5人でニュー・ヴァージョンを録音したんですよ。
松本:「How Are You Doing? 2024 New Version」として配信リリースしました。
佐橋:UGUISSとしてのライブは30周年の2013年以来で、前回は渡辺美里さんをヴォーカルに迎えた、UGUISS feat. MISATO名義でのツアーだったからやや変則的なステージではあった。
柴田:UGUISSだけのライブは 1992年にデビュー・アルバムがCDで再発された時以来だから実に30年ぶりになるんですよ。
佐橋:あの時はオリジナル・メンバーでヴォーカルの(山根)栄子もいて、原宿クロコダイルでライブをしたんだ。ただ、30年も経つと、どんなお客さんが来てくれるのかさすがに見当がつかなくて。
松本:蓋を開けてみたら、往年のファンから麗香ちゃんのファンまで幅広く集まってくれて嬉しかった。
――ツアーはヴォーカルに冨田麗香さんを迎えてのステージでしたが、そもそも冨田さんが参加することになったのは?
佐橋:(松本)淳が数年前に麗香ちゃんと知り合ったことがきっかけだね。
冨田:数年前にあるセッションで初めて淳さんにお会いしたんですが、その時、私はUGUISSの存在はほとんど知らなくて。
佐橋:そりゃそうだよね。1983年にデビューして、1年で解散しちゃったバンドだから。
冨田:でも、私が大阪でバンド活動していた頃、お世話になっていたライブハウスの方に「麗香ってUGUISSっぽいね」と言われたことがあったんです。
松本:その人は神戸のライブハウス チキンジョージの人なんですけど、UGUISSはチキンジョージにもよく出ていたんですよ。
冨田:それ以来、淳さんには私のソロのライブでもサポートしてもらったりしていて、「淳さんがドラムなら、UGUISSの曲をカヴァーしてほしい」というファンのリクエストで「Cause Of Life(夢を抱きしめて)」を歌ったんです。
松本:僕は麗香ちゃんと初めて出会って、リンダ・ロンシュタットの曲を一緒に演奏した瞬間、「あっ! これUGUISSじゃん?」って思った。それでUGUISSのCDを麗香ちゃんに渡したんだけど、聴いてくれなかったらしい(笑)。もし、UGUISSがまた動き出すことがあれば相談させてほしいという話もしたんだけど…。
冨田:その時はまさか自分がUGUISSに入って歌うことになるなんて想像できなくて。CDを聴いてその気になって「やっぱり違う」ってなったら哀しいじゃないですか。
佐橋:まっ、調子の良いことばっかり言う音楽業界人は多いからね(笑)。
冨田:でも、リハーサルの時に淳さんが「栄子を思い出して泣けてくる」って言っていたのはよく覚えていて、その言葉を信じたい自分もいて、今回の40周年のライブですべてが回収されたんです。
――冨田さんはUGUISSの3人とは一回り以上歳が離れていますが、音楽的に共有する部分はあったのでしょうか?
冨田:私が70年代の洋楽を聴くようになったのは周りの年上の人たちの影響が大きくて、リンダ・ロンシュタットやスプリームスをカヴァーして歌う機会もあったのでUGUISSの音楽性には馴染みがあったんです。
柴田:麗香ちゃんが生まれた頃、もう俺たちはUGUISSを始めていたかも。
佐橋:そう。高校時代からの音楽仲間で女性ロック・ヴォーカルを擁したバンドをやりたいねって言ってた。でも、麗香ちゃんの世代だともうJ-POPの時代でしょ?
冨田:そうですね。入口はプリンセスプリンセス、JITTERIN’ JINN、THE BLUE HEARTSなどの邦楽ロックでしたね。それでバンドに憧れて歌うようになったんですが、オジサマ達がクラシック・ロックを色々教えてくれたおかげで(笑)、今があるというか。
JITTERIN'JINN「SINKY YORK」covered by 冨田麗香
佐橋:UGUISSが標榜していたアメリカン・ロック、ウエストコースト・ロックは当時、関西圏でも人気があったから、その影響を麗香ちゃんは継承しているのかもしれない。
松本:それは言える。あの頃はライブも東京より大阪公演の方が盛り上がるって言われていたよね。
柴田:外タレのライブ盤も大阪で録音する場合が多かったし、そういうカルチャーが根付いている。
佐橋:UGUISSでも大阪 バーボンハウスでの2デイズが満員になったし、デビュー直前には大阪南港で開催されていた夏フェス【JAM JAM SUPER ROCK FESTIVAL】にも出演したね。
柴田:こうして40年前のことがリアルに思い出せるのも、UGUISSが今もあるからなんですよね。
- 「(エピックの)丸さんの言葉はさすがにグッときました」
- Next>
リリース情報
公演情報
【UGUISS 40th Anniversary Tour Revisited Tokyo】
2024年9月5日(木) 東京・ビルボードライブ東京
1st stage open 16:30 start 17:30 / 2nd stage open 19:30 start 20:30
公演詳細
関連リンク
「(UGUISSの活動)をやめるのやめる」宣言
――ツアー・ファイナルの6月13日、原宿クロコダイルのステージで佐橋さんから「(UGUISSの活動)をやめるのやめる」宣言がありました。麗香さん、Dr.kyOnさんを含めた5人体制で新生UGUISSを継続していくと。
佐橋:そうなんです。2012年に山根栄子が亡くなってから、渡辺美里さんや2014年の【佐橋佳幸(祝)芸能生活30周年記念公演 東京城南音楽祭 (三茶編)】のUGUISSステージでは鈴木桃子さんやEPOさんにも歌ってもらったんですけど、新しいメンバーで本格的にやっていこうと思ったのは40周年にアナログを出しましょうと声をかけてもらったことが始まりでした。
松本:解散が決まってお蔵入りになった幻の2ndアルバム『Presentation』が、アナログでリリースされるのはやっぱり嬉しかったね。
柴田:1984年はまだアナログ時代だったから、40年ぶりに本来の形でリリースされたわけです。
佐橋:せっかくメンバー3人が現役なんだから「この機会にツアーもぜひ」と言われ、3人で集まったときに淳が麗香ちゃんと推してきた。じゃあ一回やってみようと街の小さいスタジオで音を出してみたんですよ。
柴田: 課題曲の「Sweet Revenge」を演奏した瞬間、「(麗香ちゃんに)キマリだな」と。もうその日のうちに「じゃあベースどうする?」って話になった。
佐橋:シンセベースならキーボードでいけるキョンさん(Dr.kyOn)だろうと。まぁ、UGUISSと同じエピック・レコード・ジャパン(以下、エピック)の後輩でもあるBO GUMBOSのメンバーでもあるし。
▲傑作1stと幻の2ndをカップリングしたデビュー40周年記念アナログ
佐橋:UGUISSが標榜していたアメリカン・ロック、ウエストコースト・ロックは当時、関西圏でも人気があったから、その影響を麗香ちゃんは継承しているのかもしれない。
松本:それは言える。あの頃はライブも東京より大阪公演の方が盛り上がるって言われていたよね。
柴田:外タレのライブ盤も大阪で録音する場合が多かったし、そういうカルチャーが根付いている。
佐橋:UGUISSでも大阪 バーボンハウスでの2デイズが満員になったし、デビュー直前には大阪南港で開催されていた夏フェス【JAM JAM SUPER ROCK FESTIVAL】にも出演したね。
柴田:こうして40年前のことがリアルに思い出せるのも、UGUISSが今もあるからなんですよね。
――Dr.kyOnさんと佐橋さんは、佐野元春&THE HOBO KING BANDや数々のライブやセッション、ユニットDarjeelingでの活動でも知られていますね。
佐橋:そう。ミュージシャンとして全幅の信頼を寄せているし、とにかく音楽に詳しい。キョンさんも大阪育ちで京都大学出身。
柴田:京都はまたシーンが違いますよね。80年代のUGUISSは京都のライブは動員がイマイチだった気がする。
冨田:なんとなくですけど、私もUGUISSは京都じゃなくて大阪、神戸系だと思いますね。
――80年代の京都はニュー・ウェイヴが強かったイメージがあります。
柴田:ですよね。村八分の時代から京都は違いましたよね。
佐橋:だって、UGUISS と同じ時代に京都はEP-4だもん。そういうちょっとした差異は東京でもあって、僕ら城南地区組と山下達郎さんや難波弘之さんが出身の城北地区は全然違うんですよ。
松本:そうそう。城南から城北へ行くことはなかった。僕らの活動範囲は渋谷・下北沢・自由が丘・吉祥寺あたりだった。
佐橋:僕らがデビューした頃はもうパンク〜ニュー・ウェイヴの波が来ていた時期だからUGUISSはちょっと浮いていたと思うんですよ。そこで試行錯誤しながら何とか2ndアルバムまで作ったんだけど。
柴田:僕らの翌年、1984年に同じエピックからデビューしたのが、TM NETWORKですからね。華やかなニュー・ロマンチックスや第二次ブリティッシュ・インベイションの時代にぶち当たってしまった。
松本:U2やポリスは僕らも好きでしたけど、バンドの見せ方も含めて、方向性が見えにくくなってきたんだよね。
佐橋:「僕らも髪切らなくちゃいけないのかな?」って思ったよね(笑)。UGUISSがいた80年代半ばのシーンはエピックも混沌としていたんですよ。
――あらためてUGUISSが残した80年代の2枚のアルバムを聴いて、今のライブを拝見すると、ロックとポップの巧みなバランスやプレイアビリティがバンドの実力の高さを物語っていますね。
佐橋:難しいんですよ、UGUISSの曲(笑)。僕らは巧くないとプロになれなかった時代に育っているというのはあるかもしれない。僕らより上の世代はもっとそうだし、センスさえ良ければ技術は要らないという考え方には違和感があるんですよ。
柴田:そうだね。音楽で食べてゆくには先ずは腕が必要だった。
佐橋:僕ら3人は解散後、渡辺美里さんのサポートでMISATO & THE LOVER SOULですぐにまた一緒になるんだけど、「UGUISSはちょっと早すぎたのかな?」と、思わなくもなかったり。
松本:美里さんも同じエピックだったしね。ただ、当事者は気がつかないもんなんだよね。
佐橋:でも、こうして、麗香ちゃんとキョンさんという関西人が加入して、新生UGUISSとして現役感のある音が出せるのも僕らが音楽を続けて来られたからというのは大きいと思う。
――お三方はUGUISS解散後、名だたるアーティストのレコーディングやライブで活躍。その出自となったUGUISSとはどんなバンドなのか? という関心が今のリスナーにもあるのではないかと?
佐橋:そうですね。渋谷クアトロのライブ後に、エピック・レコード・ジャパンの創立者である丸山茂雄さんからメールがあって「これからも絶対に続けた方がいい」って。40年前に解散が決まって2ndアルバムをお蔵入りに決めた人がそう言ったんですよ!(笑)。
松本:丸さんの言葉はさすがにグッときましたね。
佐橋:栄子が亡くなってからはもうUGUISSで活動することはないだろうと思っていたんだけど、エピックの有志たちが周年になると声をかけてくれて、30周年のときはデモ音源や未発表シングルを含むベスト盤『UGUISS 30th Anniversary Edition』をリリースしてくれたし。
柴田:集まるきっかけを後押ししてくれた。エピックにはバンドのDMをコピーしに社員のように通っていたから、バンドは売れなかったけど目をかけてくれた人たちが多かった。それが有り難いことにいまだに続いている。
佐橋:そして、今回、西からの風が吹いたんです(笑)。キョンさんが入って5人でリハーサルをして「いける!」と確信して東京・大阪・名古屋のツアーを組みました。
柴田:数少ないリハーサルで、初めてUGUISSの曲を歌う、演奏する二人は大変だったと思いますけどね。
佐橋:初心にかえって、僕と淳と柴田の3人は名古屋、大阪へは楽器車で移動しましたよ(笑)。
柴田:原点を忘れちゃダメだろうと、搬入、搬出も自分たちでやって。僕は楽器車の効率的な機材の積み方を忘れちゃってた(笑)。
佐橋: この3人で楽器車に乗り込んだ長距離移動は40年前以来。柴田が高速のSAにあった“ドン・キホーテ”で背中に当てるクッションを買ってきたのは笑ったな。
松本:そういうことがまた楽しかったりするんですよ。
柴田:ただ、年齢的にしょっちゅうはできないと思い知りました(笑)。
佐橋:ツアーの評判も上々で、追加公演の原宿クロコダイルの時は、「この5人でやっていきたい」という思いになっていましたね。
松本:僕らと入れ違いにエピックに入ったBARBEE BOYSのイマサ君(いまみち ともたか)とかミュージシャン仲間や当時の関係者も来てくれて盛り上がってくれて、やる気に火が点いた。
- 今のUGUISSを観てもらいたい
- Next>
リリース情報
公演情報
【UGUISS 40th Anniversary Tour Revisited Tokyo】
2024年9月5日(木) 東京・ビルボードライブ東京
1st stage open 16:30 start 17:30 / 2nd stage open 19:30 start 20:30
公演詳細
関連リンク
今のUGUISSを観てもらいたい
――新生UGUISSとして活動を始めて、感触はいかがですか?
佐橋:ノリが西っぽくなったかもしれない?(笑)。キョンさんのシンセベースやグルーヴが特に違う。彼が快諾してくれたことは大きかった。
柴田:もちろん、メンバーが違うから音が変わるのは当然なんですが、僕ら3人も1983年にデビューした頃に比べたらキャリアを重ねてきているし。
佐橋:で、新生UGUISSで新しい曲を作りたくなって、8月21日に40年ぶりの新曲を配信リリースすることになりました。
松本:これがUGUISS以外の何ものでもないという曲なんですよ。
佐橋:タイトルは「きみは夜の月」。歌詞は注目の詩人のマーサ・ナカムラさん。マーサさんは中原中也賞や萩原朔太郎賞を受賞している詩人で、僕と一緒に 渋谷のラジオ の『さはしひろし 今夜すべてのブックバーで』でパーソナリティを務めている延江浩さんの紹介で知り合ったんです。
松本:渋谷クアトロのライブ映像を僕の友人が撮ってくれたので、それを使ったMVもつくったんですよ。かつて作ったPVは幻に終わったんだけど。
佐橋:40年かけての逆襲?(笑)。いや、この5人になってUGUISSの新しい曲を作りたくなったということが重要で。
柴田:この5人になってから、何事もスピーディーに動くようになったし、それは今までなかったことですね。
――9月5日のビルボードライブ東京でのステージが楽しみですね。
佐橋:UGUISSでは10年以上ぶりのライブだったけど、ツアー初日の名古屋で一気に戻れたんですよ。人前でプレイすると感覚が甦るし、アップデートが実感できるのもライブなんですよ。
松本:バンドはライブでアップデートされるからね。
佐橋:そう。僕ら3人は人と成りと関係性がまったく変わってないけど、そこにスルッと入っていける麗香ちゃんとキョンさんも凄いっちゃすごいよね。
冨田:私が気持ちよく歌うことができるのは、皆さんの発するハッピーな空気のおかげです。イキっても不思議じゃない立派なミュージシャンなのにエラそうぶらないし、フレンドリーで。初めてリハーサルした後の喫茶店で感じました。
柴田:カフェじゃなくて昭和から続いているような喫茶店でね(笑)。
冨田:そう(笑)。そんな仲良しのバンドの一員に入れてもらえたのはホントに嬉しいし、光栄です。
佐橋:ビルボードライブ東京は新生UGUISSで活動していくと宣言してから初のライブになるし、そこで40年ぶりの新曲も初披露しますから楽しみにしてほしいですね。僕はビルボードライブには山弦など様々なステージに出演しているのでホーム感があるし、今のUGUISSを観てもらうにはふさわしいハコじゃないかと。
柴田:配信でリリースされる新曲を聴いていただいて足を運んでくれたらうれしいですね。
冨田:私はビルボードライブで歌うのが初めてなので楽しみでしかないです。素敵な空間で盛り上がってほしいですね。
佐橋:この勢いでニュー・アルバムも作りたいし、40年ぶりに動き出したUGUISSをお楽しみに。
リリース情報
公演情報
【UGUISS 40th Anniversary Tour Revisited Tokyo】
2024年9月5日(木) 東京・ビルボードライブ東京
1st stage open 16:30 start 17:30 / 2nd stage open 19:30 start 20:30
公演詳細
関連リンク
関連商品