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<コラム>JP Saxe パンデミック下の世界を癒やした新世代のシンガーソングライター

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 コロナ禍の中で世界中の人々に愛された「 If the World Was Ending」で知られるJPサックスが緊急来日! 才能に溢れたトロント発の新鋭の貴重なステージをお見逃しなく。 (Text:Hidesumi Yoshimoto)

祖父はグラミー受賞経験のある名チェリスト

 1993年にカナダのトロントで生まれたJPサックスの祖父は、世界的なチェロ奏者であり、日本のクラシック・ファンの間でもよく知られたヤーノシュ・シュタルケル。恵まれた音楽環境の中でピアノ、ギター、チェロなどの楽器を習得し、14歳で作曲を始めて才能を開花させました。高校卒業後に米国のロサンゼルスに移住し、2017年ごろから楽曲リリースを開始。それがきっかけでソニー・ミュージックとの契約を獲得し、シンガーのショーン・メンデスから薦められて彼の曲を聴いて気に入ったことから親交を深めたジュリア・マイケルズと2019年にセッションを行って生まれたのが、のちに彼の運命を変えることになる「If the World Was Ending」でした。


全世界で再生回数13億回以上となった名曲

 「If the World Was Ending」は2019年にL.A.で起こった地震での経験をモチーフに書かれた楽曲でしたが、同年10月に発表した後に起こった世界的なコロナ禍の中で多くの人の心を捕えて全世界で再生回数が13億を超える大ヒットを記録。2020年4月には“国境なき医師団”のチャリティ・ソングとして用いられ、本人とジュリアはもちろん、サム・スミス、ジェイソン・デルーロ、H.E.R.などが携帯電話を使ったリモート撮影による動画で参加したMVも大きな反響を呼び、翌年の第63回グラミー賞では『ソング・オブ・ザ・イヤー(最優秀楽曲賞)』にもノミネートされました。この名曲によって、JPサックスは世界的な名声を不動のものとしたのです。


ともに高め合ったミューズとの出会いと別れ

 「If the World Was Ending」を共作したジュリア・マイケルズは、自身名義でソロ・デビューする前からジャスティン・ビーバーやセレーナ・ゴメスといった大物への楽曲提供で活躍。JPサックスとは作曲セッションを通して恋愛関係に発展し、楽曲がヒットした後もお互いのInstagramで愛を伝え合うなど、公認のカップルとして知られてきました。ジュリアが2021年に発表したアルバム『Not In Chronological Order』でも共作し、お互いの才能をリスペクトし合う順調な関係を示していましたが、その後に破局。運命的な出会いと別れを乗り越え、JPサックスが新たな境地を示したのが昨年リリースされた2作目のアルバム『A Grey Area』でした。


多彩なアーティストたちとの華麗なコラボ歴

 ジュリアとの関係が多くの彼の楽曲に影響しているのは言うまでもないことですが、他にも多彩なアーティストとのコラボ歴を持っています。初のアルバムとなった『Dangerous Levels Of Introspection』(2021年)には、ビリー・アイリッシュの兄で彼女の大半の楽曲を手がけるフィニアス・オコネルがプロデューサーとして関わり、敬愛するギタリストであるジョン・メイヤーも参加。2ndアルバム『A Grey Area』では、現行ラテン・ポップ界のスーパースターであるカミーロを客演に迎え、ドレイクらを輩出してきた多国籍都市トロント出身らしい側面もみせるなど、まだまだ拡がりをみせそうな彼の今後の動きにも期待が高まります。






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