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<インタビュー>ラテン界のスター カミーロが初来日、人生設計は意外にも“ノープラン”
Interview & Text: 村上ひさし
Photo: Yuma Totsuka
コロンビア出身のシンガーソングライター、カミーロが【SUMMER SONIC 2023】と【SONICMANIA 2023】出演のため初来日した。2019年のメジャーデビューからわずか数年で驚異的な成功を収めて、【ラテン・グラミー賞】を5度受賞、【グラミー賞】で3度ノミネートを獲得するなど輝かしい記録を打ち立てている。
これまでに発表した楽曲のトータル再生数は150億回、YouTubeの動画再生数は67億回を突破。シャキーラからショーン・メンデス、セレーナ・ゴメスまでと共演を果たし、2022年に発表された最新アルバム『De Adentro Pa Afuera』ではカミラ・カベロやアレハンドロ・サンスとデュエット。ラテン圏のみならず世界を巻き込んで愛されるカミーロのこれまでの道のり、自身の音楽に対する拘り、日本への特別な思いなどを語ってもらった。
――初めての日本は、いかがですか?
カミーロ:ずっと子どもの頃から夢見ていた国なので、やっと来ることができて、とても嬉しいです。初めての日本をすごく満喫させてもらっています。日本の文化や歴史、精神論などに、ずっと昔から魅了されてきました。幼い頃から興味をもっていました。日本人や日本という国のすべてに対して。もちろん日本の食文化やアニメ、音楽などに関しても興味をもっています。
――とても嬉しいですね、ありがとうございます。「あなたの母国コロンビアはどんな国?」と尋ねられると、どう答えられますか?
カミーロ:そうですね、コロンビアは動植物にとても恵まれている国です。とにかく種類が多くて、多種の動物、植物が生息しています。地域によって気候が大きく異なっているからです。砂漠もあれば雪山もあり、そしてカリブ海、太平洋、大西洋という3つの大洋に囲まれています。当然ながら文化も人種も、非常にバラエティ豊か。味覚も多彩なら、色彩もカラフル。多様性が特徴ですね。あと人間が本当に優しくてハグの国です。だから私はいつも挨拶の時にハグをするんです(笑)。
――コロンビア版の『Xファクター』というTVオーディション番組に出演されて優勝したのが2007年、13歳ぐらいの時でした。その頃から音楽の道に進もうと考えていたのですか?
カミーロ:いえいえ、とんでもありません。あの番組に出演したのは、子どもの頃で、いわば遊びの延長でした。まったく野心などありませんでした。最初のオーディションを受ける1週間前までは、自宅の中庭で普通にミニカーをいじったり、おもちゃの車やビー玉で遊んでいたりしていましたから(笑)。番組で優勝してからも、それをチャンスとはまったく受け止めていませんでした。実際には、あの番組のおかげでその後に音楽への道が開かれたわけですが。
――その後かなり時間が経ってから、2015年にアメリカのマイアミへと移住されました。その頃には、もうミュージシャンになろうと決心を?
カミーロ:いえ、その時も全然違うんです(笑)。マイアミに移住して私の人生が180度変わったのは確かですが、ミュージシャンになる夢を追って移住したのではなく、私の現在の妻エバルナ(ベネズエラ出身の歌手で女優のエバルナ・モンタネール)を追ってのことでした。彼女のことが大好きで、彼女を追いかけて、愛を追いかけて海を渡りました(笑)。ミュージシャンになることは、その時点ではほとんど考えていませんでしたね。でも結果的に、こうして私の夢が叶ったわけです……はい(笑)。
撮影中、ネイルトークで盛り上がった
――いいお話ですね。でもマイアミに移住されて、それほど間を置かずにソングライターとして成功されました。ベッキー・G&ナッティ・ナターシャの「Sin Pijama」、アニッタの「Veneno」、セバスチャン・ヤトラ&マウ・イ・リッキーの「Ya No Tiene Novio」など、多数のヒット曲をビッグ・アーティストに提供。その頃は自身がシンガーとしてデビューする前に、まずはソングライターとして地固めをしておきたかったのですか?
カミーロ:それも予想外でした。計算した行動ではまったくなかったんです。マイアミに着いてから、ある時「あるアーティストの曲作りをするライティング・セッションがあるから来ない?」と誘われたんです。そのセッションをきっかけに、他のアーティストの曲を書くことになって。その時はその曲作りという仕事を100%楽しんでいました。自分がアーティストになりたいとか、いつかアーティストになってツアーをやりたいとか、まったく考えていませんでした。そもそも計算して行動するタイプじゃないんです(笑)。でも、そうしていると、ある時「一緒に歌ってみないか?」と誘われたんです。チャンスを与えてもらいました。そしたら思いがけずに私のシンガーとしてのキャリアが始まっていたんです。
――特徴的な口髭をたくわえるようになったのも、その頃ですか?
カミーロ:そうですね、1か月ほどずっとスタジオに篭りっきりで仕事をしていたことがあったんです。その間ずっと髭を剃らなかったら、そのうちどんどん伸びて。でも、それを見た当時はまだ私のガールフレンドだったエルバナが「その髭、最高。すっごく気に入ってる。絶対に剃っちゃダメ」と言って以来、ずっとこの髭をたくわえています。今では自分の顔を鏡で見て、髭がなかったら、他人のようで落ち着かない気がしているほどです(笑)。
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――現在は自身の楽曲の作詞作曲からプロデュースまで関わられているわけですが、楽曲に関しては、どのような拘りがありますか?
カミーロ:楽曲のスタイルを、決めないことですね。私は自分の歌やアートに関して、あえて定義をしないように努めています。というのも、いったん定義をしてしまったら、その定義に囚われて、限定的になってしまう恐れがあるからです。壁を作ってしまうと、壁のこっち側が自分で、あっち側が自分以外、といったふうに考えがちですよね。私は日々変化しています。明日は違う私になっているだろうし、違う表現をしたいのではないかと思います。つまり定義を作らない、定義にあてはめない、というのが私の拘りですね。
――レゲトン、ラテンポップと紹介されることが多いカミーロのサウンドですが、3作目にあたる最新アルバム『De Adentro Pa Afuera』では、以前ほどレゲトン色が濃厚ではありません。その辺りの心境の変化というのは?
カミーロ:レゲトンは今でも大好きですし、いわゆるアーバン・ミュージックのおかげで私の現在があるのは間違いないです。ただ私としては、それは私の音楽言語のなかのひとつぐらいと捉えています。他の音楽言語の引き出しも私にはあって、他のツールで表現したい欲求もあるからです。最新アルバムには、レゲトン以外のアーバン・ミュージックの要素も含まれています。先ほどお話した私の定義に関する拘りと関係していると思います。私は正直な音楽を作りたいからです。透明性を重視しています。ギターを持てば、何をすべきかはギターが教えてくれます。メキシコのバンジョーを弾こうと思えば、自ずとジャンルが決まってきます。ボレロになるか、アフロビートになるか、私が決めるのではなく告げられるのです。私はそれに素直に従うだけ。もちろん前作までにやってきた音楽性は、今でも私のなかに確実に存在しています。けれども私はすごく変わりやすい人間で、多様性が備わっています。つまりさまざまな人間性があって、それを音楽で正直に表現したいのです。
――今度はどのような目標を掲げて、どのようなアーティストとしてキャリアを築きたいですか?
カミーロ:クリエイティブ面に関しては、できるだけ長期的な計画は立てないようにしています。計画するのは、すぐ目前のことだけ。今現在の私、今日の私というのを大切にしたいからです。正直に私を映し出す音楽を作りたい、表現したいと思います。誰もが日々変化しますよね。それなのに長期計画を立ててしまうと、変化している自分の状態とは無関係に、計画通りに遂行しなければと無理強いすることになってしまいます。例えば今回日本に来たことで、私のなかではきっと変化が生まれているし、生まれるべきだと思います。でも長期的な計画を立ててしまうと、その変化を取り入れることができないわけです。クリエイティブ面では常に柔軟な姿勢で、変わり続けるアーティストでありたいと思っています。もし私が今、計画を立てるとすれば、「今日の私をギターでどう表現するべきか?」ということですね。計画を忠実にこなすよりも、自身に正直であることを優先したいのです。
――最後に、初めての日本でのステージに対する意気込みを教えてください。
カミーロ:きっと観光客として普通に日本を訪れたとしても、豊かな文化を体験できて、すごく有意義で楽しい旅行になっていたと思います。でも、今回はギターをもって、私の歌をみんなに聴いてもらうためにやってきました。楽器や機材を準備して、日本でライブができるなんて最高に幸せです。恵まれすぎじゃないかと思うほど。ライブへの期待で胸がいっぱいです。どんなライブになるのか、とっても楽しみです。ライブというのは、毎回必ず違っています。場所が違えば、オーディエンスも違っている。観客の一人一人が違っています。その人々から受けるエネルギー、リアクションが違います。日本のオーディエンスと、どのような繋がりをもてるのか、とても楽しみです。