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<コラム>名匠ラーシュ・ヤンソン率いるピアノトリオ&圧倒的なテクニックで不動の名声を誇るウルフ・ワケーニウス・グループに酔いしれるスウェーデン・ジャズの夜
Text: 落合真理
いまやジャズ発祥の地・アメリカと比べてもひけをとらないほど豊かな実りをみせている北欧のジャズシーン。スウェーデン、デンマーク、ノルウェーのスカンジナビア半島に、フィンランドとアイスランドも加わった北欧ジャズには温かさと透明感が共存し、北欧独特の哀愁を帯びた民謡や教会音楽と結びつきながら、常に進化を続けてきた。その中心のスウェーデンを拠点とする2人の名手、ラーシュ・ヤンソン(現在72歳)率いるトリオとウルフ・ワケーニウス(現在65歳)率いるグループが初めてビルボードライブ横浜に登場する。長いキャリアと圧倒的な技術、幅広い音楽性と天性のセンスを持つ2人の稀有なミュージシャンによる来日公演を、ぜひとも至近距離で体感し、スウェーデン・ジャズならではの長い夜に酔いしれてもらいたい。
スウェーデン・ジャズを盛り上げてきた2人の名手
5月に行われる本公演は、それぞれのトリオ/グループによるライブであるが(5月20日:ウルフ・ワケーニウス・グループ、22日:ラーシュ・ヤンソン・トリオ)、実は若いころから幾度となく活動を共にしてきた良き友であり、音楽的な信頼関係の深いラーシュ・ヤンソン(Pf)とウルフ・ワケーニウス(Gr)。2人とも現代ヨーロッパを代表するジャズミュージシャンであり、お互いにスウェーデン・ジャズを盛り上げてきた同志でもある。(※ラーシュ・ヤンソンは90年代にウルフ・ワケーニウス・グループのレギュラーメンバーだったことも。)
ラーシュ・ヤンソンのピアニズムは物語性のあるメロディーと抒情的なプレイで名高いが、ただ端麗なだけではなく、時には激しい演奏も飛び出すという緩急自在な一面も持ち合わせている。一筋縄ではいかない魅力は、北欧随一の名ピアニストと評価されるに然るべき才能の持ち主だ。
一方のウルフ・ワケーニウスは、ジャズピアノの巨匠オスカー・ピーターソンのカルテットに10年余り所属し、彼が最も信頼するギタリストとして大きな寵愛を受けた。ジャズの巨人をも圧倒する超絶テクニックと、鮮やかな歌心で不動の名声を誇るギタリストである。
国際的な活躍を続ける2人であるが、まずは北欧最高峰と謳われることも多いピアニスト、作編曲家、プロデューサーのラーシュ・ヤンソンの出自から見てみよう。
1951年にスウェーデン中部・オーレブロに生まれたヤンソンは、7歳からピアノを始め、イェーテボリ大学音楽学部に入学。夜になると連日ナイトクラブなどで演奏していたそうで、その際にオーベ・ヨハンソン(Sax)やヤン・フォーシュルンド(Bs/Fl/Cl)、コニー・フォークヴィスト(Dr)、ギルバート・ハルムストロム(Sax)、グンナー・リンドグレン(Sax)と演奏を共にしている。ハービー・ハンコックやマッコイ・ターナー、ポール・ブレイ、ビル・エヴァンス、レニー・トリスターノ、キース・ジャレット、チック・コリアなどを知ったのもこの時だ。大学卒業後はノルウェーのアリルド・アンデルセン・グループを皮切りに、数々の北欧のトップグループに参加。90年にはスウェーデン・ジャズ界で権威のあるヤン・ヨハンソン音楽賞を受賞し、94年にはスウェーデン在住のベース奏者で盟友の森泰人と初来日を果たす。(※森とは99年の【森泰人スカンジナビアン・コネクション】ツアーにも参加。)熱心な教育者としても知られ、98年にはデンマーク政府からの要請により、デンマークで初めてジャズの教授としてオールヒュス国立音楽大学の教授に就任。今回の来日公演に帯同するデンマーク人ベーシスト、トーマス・フォネスベックもその頃、開かれたジャズワークショップでヤンソンから指導を受け、同国で数多くの優秀なミュージシャンを育成した。2001年にはデンマークのグラミー賞を受賞、2022年はスウェーデンのミュージック・アカデミー(※出典①、2001年創立。スウェーデンのジャズにとって非常に重要な芸術性を持つ音楽家に与えられる。)をスウェーデン国王より表彰され、彼にまたひとつ大きな栄誉が加わった。
1994年の初来日以来、ヤンソンは毎年のように日本を訪れ、スウェーデンのみならず、ノルウェー、デンマークなどの俊英ミュージシャンたちをプロデュースし、日本に紹介してきた。北欧ジャズ人気の立役者のひとりでもある彼は、2011年の東日本大震災後も、その犠牲者と被災者に捧げる鎮魂のアルバム『KOAN』(※仏教用語の「公案」から取られている)を発表し、日本各地でライブ演奏を行った。2016年には自身のセルフ・カバー集『モア・ヒューマン』をリリースし、大ヒット。同作はヤンソン自らお気に入りの楽曲を選曲・新録音し、現時点の自身を反映させたもので、新作3曲を含む。近親者への愛情を表現した作品でもあり、ジャケットデザインは孫娘のヒルダが描いている。愛する孫に優しく語りかけるような心温まるバラード「ヒルダ・スマイルズ」や「ヒルダ・プレイズ」が収録され、彼女に捧げられた作品ともいえよう。裏ジャケットには作画中の愛らしいヒルダの姿が写っており、幼い彼女が現在のヤンソンの重要なインスピレーションになっていることがわかる。全体的に優しさに満ちた心ほぐれる作品で、ラーシュ・ヤンソン入門編としてもぴったりの1枚だ。
2018年には禅の心「ビギナーズ・マインド “初心”」の見地から生まれた『ジャスト・ディス』を発表。こちらは3年ぶりの書き下ろしで、全13曲のオリジナル曲で構成されている。レコーディングの直前に愛妻のクリスティーナに重篤な病気が発見され、精神的な苦悩から生まれた作品だという。彼の達観にも近い人生観がリリシズムあふれる優美なメロディーに表れ、終始、穏やかな雰囲気に包まれている。ヤンソンは、「人生の全てを受け入れるということは簡単なことではない。しかし現在を見つめ完全に自分を没頭させること、Just This。」と語っている。
仏教、特に禅に深く傾倒し、東洋の神秘に触れた作品も多いラーシュ・ヤンソン。ベジタリアンでワインコレクターとして有名な一面を持ち、彼の人間味あふれるパーソナリティーも魅力的だ。6年前の来日時に初めて面会した際、筆者が彼の出身地オーレブロに2年間住んでいたことを伝えると「それは奇遇だね! 素敵な街でしょう、お城にはいった?」と優しく微笑んでくれた。その温かい人柄と穏やかな笑顔に触れたのが昨日のことのよう。この時のメンバーも、ヤンソンが全幅の信頼を寄せるトーマス・フォネスベック(Ba)と愛息のポール・スヴァンベリー(Dr)であったが、その後、2人とも北欧を代表するプレイヤーに育ち、彼の魅力を一層引き立てることのできる存在として、大きな成長を遂げている。パンデミック後、初めての来日となる5月のラーシュ・ヤンソン・トリオへの期待はふくらむばかりだ。
公演情報
Ulf Wakenius Group
featuring Bjorn Arko(Ts),Hans Backenroth(Ba), Calle Rasmusson(Dr)
2023年5月20日(土) 神奈川・ビルボードライブ横浜
1st:Open 15:00 Start 16:00
2nd:Open 18:00 Start 19:00
Lars Jansson Trio
featuring Thomas Fonnesbaek(Ba), Paul Svanberg(Dr)
2023年5月22日(月) 神奈川・ビルボードライブ横浜
1st:Open 15:30 Start 16:30
2nd:Open 18:30 Start 19:30
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ヤンソンの盟友、ウルフ・ワケーニウス
ラーシュ・ヤンソンの盟友として、昔から親交のあるギタリストのウルフ・ワケーニウス。かつてヤンソンがウルフ・ワケーニウス・グループに所属していたこともあり、お互いに切磋琢磨し合い、北欧ジャズシーンに多大な貢献をしてきた。ヤンソンが国際的な認知度を高める一方で、ワケーニウスは97年にオスカー・ピーターソン・カルテットのギタリストとしてジョー・パスの後任に抜擢されるまで、なかなか日本で知られる機会が少なかったのも事実だ。しかし、オスカー・ピーターソンと最期まで演奏を共にした後の活躍は、実に目を見張るものがある。
アコースティックギター、クラシックギター、エレクトリックギターを自由に操り、歌心たっぷりのワケーニウスのギターはまさに変幻自在。熟練ギタリストならではの「余裕と節度」に彩られたプレイと、その直後に繰り広げられるダイナミクスあふれるパワフル&激しい鳴音は素晴らしく壮快で気持ちがいい。パット・メセニーやマーティン・テイラーもお気に入りのギタリストとしてあげるなど、現在のジャズシーンで最も重要なギタリストのひとりといっても過言はないだろう。
ワケーニウスの生い立ちについても少し触れてみよう。1958年にハルムスタッドで生まれ、11歳から独学でギターを始めた彼は、当初はブルースに傾倒するが、後にジャズに開眼。80年代前半にはピーター・アルムクヴィスト(Gr)と「ギターズ・アンリミテッド」を結成して世界ツアーを敢行、リオデジャネイロで出会った名アコーディオン奏者シヴーカとアルバムを3作品制作するなど、ブラジルに一時期滞在した。その傍らデンマーク出身のスヴェンド・アスムッセン(Vn)のバンドに参加しながら、同国が生んだ世界的ベーシストのニールス・ペデルセンのグループにも所属し、2005年にペデルセンが亡くなるまでメンバーとして演奏を続けた。92年には自身初の「ウルフ・ワケーニウス・グループ」名義の『ファースト・ステップ』を前述のラーシュ・ヤンソン(P/Syn/Org)、オーベ・イングマールソン(Sax、今回の来日公演にも帯同)、ラーシュ・ダニエルソン(Ba)、レイモンド・カールソン(Dr)と収録し、ブルース、ロックなど彼が影響を受けた音楽的要素を大いに含んだ表現スタイルは現代ヨーロッパ・ジャズ界に新風を巻き起こした。この頃になるとアート・ファーマーやハービー・ハンコック、ジョー・ヘンダーソン、クラーク・テリーなどとの共演も果たしている。
時同じくして、自身のソロ作品『ヴェンチャー』も発表、ジャック・デジョネット(Dr)、ビル・エヴァンス(Sax)とボブ・バーグ(Sax)、ランディ・ブレッカー(Tp)、ニールス・ラン・ドーキー(Pf)、その兄弟のクリス・ミン・ドーキー(Ba)、ラーシュ・ダニエルソン(Ba)という強力なメンバーを脇に従え、傑出した才能とリーダーシップを発揮した。同時期にマイケル・ブレッカー(Sax)とレイ・ブラウン(Ba)擁する「ステラー・クインテット」のリーダーも務め、97年になるとジャズの巨人オスカー・ピーターソン(Pf)のカルテットに抜擢、ワケーニウスの才能は世界に知れ渡ることに。
一方、アコースティックギターのソロに挑んだ2003年発表の『トウキョウ・ブルー』は彼にとって初の日本国内盤デビュー作であり、彼の日本での知名度を一気に高めるヒット作品となった。2006年以降はドイツの名門ACTレーベルよりアルバムを精力的にリリース、2020年のポール・マッカートニー集『テイスト・オブ・ハニー』はポールの楽曲が持つ繊細で洗練された感性はそのままに、北欧ジャズらしい透明感と瑞々しい感性に彩られた珠玉の作品集として好評を得た。
ラーシュ・ヤンソンやウルフ・ワケーニウスという希代のアーティストがスウェーデン・ジャズから輩出された背景には、伝統的な4ビートジャズからビッグバンド、フリージャズからアシッドなクラブジャズまで幅広い音楽が日頃から、生活の一部となっていることが要因のひとつとしてあげられよう。元来は北欧ならではの民謡や教会音楽と結びついて進化してきたスウェーデン・ジャズであるが、近年では全人口の2割(※出典②)を超える移民との文化的・音楽的融合も進み、スウェーデン・ジャズの形も多様化の一路を辿っている。
スウェーデンの教育システムのひとつとして、音楽教育に関する面白いデータが出ているので紹介してみたい。スウェーデンは教育行政において、これまでリカレント教育制度(※リカレント教育とは義務教育を終えた後、社会人になってからも必要に応じて自発的に学ぶことを指す)による生涯学習の充実や義務教育から大学院までの授業料無償化など、先進的な教育制度を打ち出してきた。スウェーデンの教育を特長づけるものとして、成人教育システムの充実があげられ、そのひとつとしてスタディーサークル(studiecirklar)がある。
スタディーサークルは、スウェーデン政府によって認可を受け、国庫補助を受給している10団体の学習協会(studieförBund)によって運営されている。3人のメンバーがいれば立ち上げることができ、自分たちで学びたいものを定めて学ぶ場合もあれば、語学、美術、音楽、社会科学、自然科学、歴史、文学、陶芸など既に開講している様々な講座を受講することもできる。学習協会に登録すれば、その施設を借りることができ、経費への補助金に申請をすることも可能だ。国民の5人に1人が何らかのスタディーサークルに参加し、音楽に関する講座が最も人気が高いというデータもでている。スタディーサークルには100年以上の歴史があり、1903年に初めて立ち上げられ、おおもとの学習協会は1894年に創立された。学習協会は当初より「教育の機会の提供・人々をエンパワーメントすること・民主主義の知識を広めること」を目的として活動してきた。スタディーサークルが生まれた背景としては当時、公的な学校へ行くことができる人が非常に少なかったことがあげられ、そんな中、スタディーサークルは様々な運動から派生してきた。歴史的には禁酒運動、労働組合の運動、最近では環境保護の団体により立ち上げられたものもある。スウェーデン人にとってスタディーサークルは、スウェーデンの民主主義の発展に欠かせないものなのである。(※出典③、出典④)
スウェーデンはジャズ以外もABBAをはじめとするポップミュージシャンが有名であり、そういったアーティストのグループも、かつてはスタディーサークルに参加していて、そこから成功を掴んでいったケースも多いのだとか。このようにスウェーデン人の音楽学習に対する関心は、日本と比べて非常に高いといえそうだ。
公演情報
Ulf Wakenius Group
featuring Bjorn Arko(Ts),Hans Backenroth(Ba), Calle Rasmusson(Dr)
2023年5月20日(土) 神奈川・ビルボードライブ横浜
1st:Open 15:00 Start 16:00
2nd:Open 18:00 Start 19:00
Lars Jansson Trio
featuring Thomas Fonnesbaek(Ba), Paul Svanberg(Dr)
2023年5月22日(月) 神奈川・ビルボードライブ横浜
1st:Open 15:30 Start 16:30
2nd:Open 18:30 Start 19:30
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スウェーデンの音楽業界を取り巻く環境
ところが、世界をコロナウィルスが襲った2020年の冬、状況は一変する。スウェーデン政府は500人を超える人が集まる集会の開催を法律で禁止、フェスティバルやイベントは完全にキャンセルすることを余儀なくされた。(※出典⑤)その後、スウェーデン政府は音楽イベント(視覚・聴覚イベント)にさらなる規制を課し、コンサートの聴衆は50人を超えてはならないことが決定事項となり、音楽業界は大きな打撃を受けた。そんな状況に関して、ウルフ・ワケーニウスは以下のように発言している。
「レストラン、ビーチ、ショッピングセンターには、はるかに多くの人々が集まるにもかかわらず、コンサートの実施が禁止されるのは、文化の死を意味する。スペイン公演では500人以上のコンサートを行うことができて、席は間引かれ、あらゆるところにアルコール消毒液も設置されて、非常にスムーズに運営されていた。ドイツでも大規模なコンサートは開かれているのに、なぜスウェーデンで同じことができないのか。スウェーデン人ミュージシャンの全員が海外公演を行える状況にあるわけではないので、政府による早急な対応が必要だ」(※出典⑥)
スウェーデンの音楽業界を取り巻く環境について、悲痛な叫びをあげていたワケーニウス。この2年後の2022年2月9日にコロナウィルスに対する対策の段階的縮小が始まり、スウェーデンでも公共の集まりやイベントの実施がついに解禁となったが(※出典⑦)、試練の時期を越えて今、この日本で彼らのライブを見ることができるのは、まさに奇跡といえるのではないだろうか。
円熟の粋に達するピアニストのラーシュ・ヤンソンと熱い情熱を心に秘めたギタリストのウルフ・ワケーニウス。2人の対照的で類まれなアーティストによるパンデミック以来、初めてとなる来日公演を、この機会にぜひビルボードライブ横浜で体験してほしいと思う。(※スウェーデン大使館とスパイス・オブ・ライフ主催の「スウェーデン・ジャズ・ウィーク」も別途5月16日から23日にかけて実施されるので、こちらも要注目だ。)
6年ぶりに再会するラーシュ・ヤンソン、実は筆者は今回が初めての対面となるウルフ・ワケーニウス、2人のスウェーデン最高峰の音楽家に出逢える時が今から楽しみでならない。
公演情報
Ulf Wakenius Group
featuring Bjorn Arko(Ts),Hans Backenroth(Ba), Calle Rasmusson(Dr)
2023年5月20日(土) 神奈川・ビルボードライブ横浜
1st:Open 15:00 Start 16:00
2nd:Open 18:00 Start 19:00
Lars Jansson Trio
featuring Thomas Fonnesbaek(Ba), Paul Svanberg(Dr)
2023年5月22日(月) 神奈川・ビルボードライブ横浜
1st:Open 15:30 Start 16:30
2nd:Open 18:30 Start 19:30
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