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ACIDMAN『INNOCENCE』大木伸夫単独インタビュー
今も「世界は変わる」と信じて音楽をやっている──
結成25周年イヤー突入直前に4年ぶりとなるニューアルバム『INNOCENCE』をリリースするACIDMAN。その中心人物である大木伸夫(vo,g)に4年ぶりとなる単独インタビューを敢行した。
コロナ禍に見舞われた今の世界は彼の目にどんな風に映っているのか。そんな未曾有の事態下で如何にして今回のアルバムは完成に至ったのか。1986年にハレー彗星を覗いた場所で撮影した表題曲のMVにはどんな想いが込められているのか。結成25周年イヤー突入ワンマンライブ【This is ACIDMAN】はどんな内容になるのか。そして、2021年以降のACIDMANはどうなっていくのか。そのすべてを語ってもらった。
ACIDMAN≒大木伸夫の音楽観、人生観、世界観のすべてにフォーカスを当て、彼の中にあるイノセンスが浮き彫りとなった貴重なテキスト。ぜひご覧頂きたい。
「生きるって何なの? 死ぬって何なの? 教えてくれ!」という追求
--4年ぶりのアルバム『INNOCENCE』リリースタイミングということで、インタビューも4年ぶりになるのですが、まずはこの質問をさせて下さい。大木さんから見た世界は今どんな風に映っていますか?
大木伸夫:コロナ禍になった今の世界に対して思うことは、やっぱり人間というのはどんな現象に対しても影響を受けて、それで思考が停止してしまうこともある生き物なんだなということ。僕もコロナに対して最初はパニックになったし、なんとなく想像はしていたけれども「とうとうこういう日が来ちゃったんだ。これで人類が終わっちゃうのかな」と思うぐらい怖かった。だんだんコロナの実態が分かってきてからは「こうすれば大丈夫だろう」と冷静に考えられるようになったんですけど、でも一度感じてしまった恐怖から抜け出せない人はいっぱいいて、何に対しても「それはダメ」と言い続ける人がいたり、逆にマスクはしなきゃダメなのに外してしまう人もいたり、とにかくいろんな人がいる中で「人類は影響を受けやすい生き物なんだな」と思いましたね。--情報が交錯する中で振り回されている人もたくさんいましたよね。過剰にヒステリックになったり、ルールから外れたことをしてしまったり。
大木伸夫:世界は大きい漠然とと思っていたけれど、やはり個と個で成り立っていて。僕自身がこれまで培ってきたアイデンティティも何かに扇動されているモノかもしれないし、どこかの誰かがふと漏らしたことを実は何よりも気にしちゃっているのかもしれないし、世界は大きいようですごく小さくてシンプルなんだなと思いました。--2011年の東日本大震災直後にもインタビューさせて頂きましたが、こうした有事がある度に人間の脆さや儚さを実感しますよね。
大木伸夫:3.11のときもそうでしたけど、究極的には「人は必ず死ぬんだ」と思い知る。みんな普段はそれを漠然としか想像できていなくて、覚悟もできていなくて。でも、僕は子供の頃からずっと死に対しての恐怖感が人一倍強くて、だから今回のアルバム『INNOCENCE』もそうですけど、いつも「世界が終わる」ということに対して怯えながら、でも覚悟しながら生きていく──といった作品が多いんだと思うんです。こんな僕でも、いざというときは驚いて「うわぁ!」ってパニックになるんですけど、でもすぐに「いやいや、落ち着け。怖いけど、このままの状態を続けたらもっと怖いことになるから。それは危険だから冷静になろう」といった意識になる。--ACIDMANの音楽は「死を意識しているからこそ」生まれていると仰いましたが、そもそも死を意識して学ぶようになった理由として死への恐怖を和らげたい想いもあったんですかね?
大木伸夫:漠然とした死への恐怖から始まったと思うんですけど、とにかく「知りたい」という気持ちが少年時代から強いんですよ。「生きるって何なの? 死ぬって何なの? 教えてくれ!」という追求がずっと続いている。で、死への恐怖を和らげたくて生まれた発想としては「死後の世界はある」とか「この世界は仮想現実かもしれない」とか「もっと高次元の地球外知的生命体がいて、僕らのことを覗いているかもしれない」とか。そういうオカルティックな世界に憧れるのは、死からちょっと遠ざかれるからだとは思いますね。--例えば、4年前のインタビューで「数十年後におそらく「死後の世界はある」という可能性が出てくる」と語られていましたけど、それは今も変わらず信じている?
大木伸夫:今も変わらず信じていますし、むしろ4年前よりクリアーになってきている。死後の世界だけじゃなくて、今回のアルバム『INNOCENCE』のテーマでもある「地球外知的生命体がどのように介入して人間を作ってきたのか」という仮説みたいなモノは、本当にオカルトのヤバい人らの中ではどんどんリアルになってきています。嘘じゃなくて「やっぱりそうだ」と思わせる事例が増えてきているんですよね。--例えば?
大木伸夫:これはニュースにもなったんですけど、オウムアムアという物凄くデカい天体が急加速で地球に近付いてから戻っていったんです。それを偉い科学者も含めて研究者たちが「これが宇宙人である可能性は半々だ」と言ったんです。そんなこと科学者は今まで誰も言わなかったし、それこそオカルト好きのサブカル界隈の人が宇宙人の話をする度にみんなでバカにしていたのに「どうやら半々らしい」と。その直後に苦し紛れの否定論は出ていましたけど、どう考えても辻褄が合わないんですよね。--地球外知的生命体の存在確率が50%まで引き上がったんですね。
大木伸夫:あとは、素粒子というモノが0と1で出来ている。僕たちを構成する物質が「0と1を繰り返して出来ている」ということが分かった。「これはまさにバーチャルの世界と一緒じゃないか」っていう。映画やアニメでよく描かれる、バーチャルの世界に住んでいた生命体が自分たちのエネルギーについて調べたら「俺たち0と1で出来ているぜ」と気付くような事態が現実世界にも起きているんです。僕ら人間の感覚を「夢じゃない」と立証できる人はどこにもいないし。そういうことを100%信じて生きていくのはリスキーだなと思うので、半分疑って半分信じるようにはしているんですけど、でも何か悪いことしちゃったときは空を見上げて手を合わせたりしています(笑)。きっとソレが神様を信仰する文化の始まりだったりするんでしょうね。--ACIDMANの宇宙や生命を題材にした作品たちが、宇宙や生命の謎が解き明かされていく流れの中でリアリティを帯びていく。今の話を聞いていてそんな印象を受けました。この時代にACIDMANが存在していることを運命的に感じるというか。
大木伸夫:そうですね。僕が音楽を選んだのもそういう流れがあったからかもしれないし、もしかしたら先程話したような思考があったらからそうなっているだけなのかもしれないし、一瞬の現象に過ぎないのかもしれないけど、こういう状況下で宇宙や生命を題材に音楽がやれていることに対して「最高だ」と思って生きていきたいなと思います。これから先もずっと。--そんなACIDMANの4年ぶりのニューアルバム『INNOCENCE』がリリースされる訳ですが、本作の着想はいつ頃だったんですか?
大木伸夫:着想は前作『Λ(ラムダ)』が録り終わったぐらいなので、5年ぐらい前ですね。いつもアルバムを録り終える頃には、次の旅が始まっているんです。で、それ以前から作っていた曲とかも聴きながら「今、俺はどんな気持ちなんだろう」と。それでギターを弾きながらまたゼロから作ることもあるし、いろんなモノを混ざり合わせて半分ぐらいイメージが見えたときに「次はどんなアルバムになるんだろう」と客観視して分析していく。ただ、今回はコロナ禍があったので、本来であれば3年ぶりのアルバムになるところから更に1年延びたんですけど、それは非常にラッキーだったと思っていて。この1年間でアルバムの説得力を増す作業と向き合うことができたんですよね。--その1年間は具体的にどのように作品に反映されていったんでしょう?
大木伸夫:例えば「夜のために」という楽曲は、コロナ禍がなければ作り得なかった。それはコロナ禍の影響というよりは、今年の5月に当時の収録予定曲を初披露する配信ライブを行ったんですが、そこでアルバムを客観視したときに「こういう曲を増やしたいな」と思ったんです。本来であれば違う曲を入れる予定でしたが、それを外して「夜のために」を新しく作って入れることにしました。レコーディングもほとんど終わっていた楽曲たちをリリース前にお客さんに聴いてもらって、反応も受け取れて、その配信ライブの映像を自分でも観れたので、今回は「あ、こうしておけばよかった」と思った部分をもう一回煮詰められた。普段はそれが出来ずにリリースされてしまうんですけど、そこまでじっくりアルバムと向かい合うことが出来たのはコロナ禍のおかげなんですよね。だから『INNOCENCE』はいつにも増して満足度が高いです。--「夜のために」は完全に今放つ必要性のある楽曲ですもんね。
大木伸夫:そうなんですよ。完全に必要なピースだった。- 僕が1986年にハレー彗星を覗いた場所なんです
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リリース情報
関連リンク
Interviewer:平賀哲雄
僕が1986年にハレー彗星を覗いた場所なんです
--「輝いて 夜のために」と強烈に鼓舞していく楽曲ですが、どんなイメージから作り上げていったのでしょう?
大木伸夫:5月の配信ライブを自分で客観視した後に「あの曲じゃないかも。この曲かも!」とギターを持ってパズルのピースをはめ込んでいくようなイメージで作っていきました。「サビはどんな感じだろう」と思った瞬間に自然と「夜のために~」って歌っていたんです。「輝いて 夜のために」って良いワードだけど、タイトルが難しいなと思って。それで「Shiningなんとか」とか「Nightなんとか」とかいろいろ考えたんですけど、「ちょっと待って。そのままで良くない?「夜のために」って小説っぽくていいじゃん」と思ってこのタイトルに決めましたね。 だからすべて降りてきたまま作り上げた1曲なんです。--あの凄まじい熱量のエモコア然とした楽曲を2021年のACIDMANが打ち出すこと自体もドラマティックだなと感じました。
大木伸夫:ある意味の原点回帰。それを新鮮な気持ちで表現することが出来たし、すごく気持ち良く作り上げられた1曲ですね。--その「夜のために」が加わって完成したニューアルバムなんですが、今回『INNOCENCE』というタイトル/コンセプトを打ち出そうと思った経緯を教えてもらえますか?
大木伸夫:アルバムが半分ぐらい出来た段階で「真っ白な、純真無垢なワードに惹かれて書いている歌詞が多いな」と気付いて。その「真っ白で純真無垢であること」はずっと僕のテーマではあるんだけど、今回はいつも以上にそれを意識していたんです。そんなアルバムに対して『INNOCENCE』という言葉が僕の中で妙にハマったというか、沁みたんですよね。すべてイノセンスに向かって作っていっている感覚になって、それと同時に「innocence」という表題曲も出来ていったんです。--その表題曲「innocence」の「時は過ぎてゆく 僕らはここで 震えながら生きてきたんだ たとえ世界が終わると知っても 気づかないふりで」というフレーズが目から鱗で。「気づかないふり」という本来ネガティヴな印象の言葉がここまで尊く感じられる文章と歌に初めて出逢いました。
大木伸夫:その儚さと純真さを「innocence」で描きたかったんです。それと、郷愁感のようなモノ。少年だった頃の、あの純朴な想い。今でも僕は夕陽を見て感動はするんだけれども、子供の頃のあの切ない感動はもうないんですよ。大人になった今の自分からは失われてしまった。そこに儚さも感じるし、歳を重ねていくと「終わっていく」ということがどんどんリアルになっていって、でもそれに抗っているわけじゃなくて、ちゃんと受け入れて抱きしめていく覚悟がこの曲には表れていると僕は思っていて。生きるってそういうことじゃないですか。--その「innocence」のMVも拝見させて頂いたのですが、ACIDMANの様々な過去作品のイメージも散りばめられていて、バンドの集大成を感じさせる映像で。いわゆる最後の作品で使われるタイプの演出だったから「え、これで解散?」と一瞬思ったんですけど、「いや、待てよ。ACIDMANのアルバムはいつだって最終回みたいだったじゃないか」と……
--だから解散はないなと安心しました。
大木伸夫:それはないんで、安心して下さい(笑)。あのMVは僕のアイデアを採用してもらったんですけど、地球の文明が発展すればするほど夜空の星って見づらくなる。夜が明るくなればなるほど空が見えなくなっていく。その光害が無くなれば、実は今でも満点の星空は広がっていて、僕らは毎晩のように星空に感動して震えていると思うんですけど、人間の文明から生み出された光によってどんどん見えなくなっていってしまった。でも、例えば「今日だけは世界中の灯を消しましょう。そして、宇宙に想いを馳せましょう」と年に1回のライトダウンデーみたいな日が作れたとして、そしたら夜空に無数の星たちや、天の川が輝く。そんなイメージを監督に伝えました。物理的に難しそうでしたが、結果的に素晴らしい作品に仕上げてくれました。--実際、そのストーリー通りのドラマティックでロマンティックな映像作品に仕上がっていますよね。
大木伸夫:あと、監督のアイデアなんですけど、僕が望遠鏡を覗いているシーンもあって。あの場所は僕が生まれた故郷・川越のこどもの城にある天体観測室なんです。僕が1986年にハレー彗星を覗いた場所なんですよ。--ハレー彗星! 当時、大きな話題になりましたよね。
大木伸夫:僕らが子供の頃に「70年に1回のチャンスだ!」って流行ったじゃないですか。当時、母親にその川越の天体観測室に連れてってもらって、そこでひとり数秒ずつハレー彗星を見れたんです。その場所が今も変わらずあって、あのシーンはそこで撮ったんです。僕が80歳か90歳くらいになったときに再びハレー彗星が地球の近くへやってくるんですけど、もしそこでまた見ることができたら僕はきっと号泣してしまうと思います。悠久の宇宙の歴史に少年時代の僕が感動して、それから宇宙の旅を続けているんですけど、死を迎える直前におんなじ星をまた見るんですよ。たったひとつの、ただのほうき星なんだけど、そういうロマンと人間の切なさみたいなモノが「innocence」には溢れていると思います。……こうやって話してみると、たしかに最後の作品みたいだな(笑)。--大木さんの人生をすべて詰め込んでますもんね(笑)。あと、これは今回のアルバム『INNOCENCE』全体に対する感想なんですけど、終わりの美しさを痛いほどに感じました。終焉に向かっていくということは、限りなく純粋や透明に戻っていく物語なんですよね。そして、それを描き続けていくことこそがACIDMANの音楽の本質なんだろうなって。
大木伸夫:仰るとおりだと思います。僕も人間の究極の本質は美しいと思っていて。人間だけじゃなくて生命は美しいと信じているんですけど、そういう究極の状態のときに表出する輝きに僕らは感動してしまうんだと思います。それを表現し続けたいというのは、僕の中のいちばん強い欲求かもしれないです。みんなが知っている、言葉にならないあの感覚を何とか形に出来ないか、音楽として表現できないかとずっと思いながら活動を続けている。--ただ、その生命の究極の状態、純粋で美しいモノを表現し続けていくことってヘヴィではありますよね。
大木伸夫:そうですね。でも、もちろん純粋を目指してはいるんですけど、汚れていることもちゃんと認めて受け入れているんですよ。今の質問で思い出したんですけど、僕が高校生のときに友達と「生きるってなんだろう?」と話していて、「人間は子供のように生まれて、子供のように死んでいくんだね」という真理に行き着いたんです。--それはいくつのときですか?
大木伸夫:16歳。--16歳でそこに行き着いたんですね(笑)。
大木伸夫:高2のときかな。当時のバンドのボーカルとよくそういう話をしていて、今でも仲が良いんですけど、死生観とか哲学がすごく似ていて。今回の『INNOCENCE』もその16歳のときの会話がヒントになっているんです。純朴に無垢なまま生まれ、そこから僕らは傷つきながら汚れながら生きていくんですけど、おそらく最後はその汚れがどんどん剥がれて、もしくはその汚れを受け止めて、外見的なものじゃない、内面的な無垢に戻っていく。それが生命の流れなんだろうなって。今、僕は44歳なんですけど、今までは純真無垢な過去に憧れていて、でもこれからは死に向かっていって、神様に召されるときの美しさに憧れていくんだと思うんです。「死に憧れている」と言うと三島由紀夫さんみたいになっちゃうんだけど、そういう意味ではなく、人間の美しさを信じていくというか、そこに想い焦がれていくと思うんですよね。そのちょうど真ん中の分岐点にいるから、無自覚に今回『INNOCENCE』のようなアルバムを作ったんだろうなって。--ここからは終わりの純粋さに向かっていくと。
大木伸夫:その為には、おそらくあらゆるモノを肯定しなきゃいけないと思っていて。だから僕は自分の卑怯な部分とか汚い部分とかいろんな人に話すんですよ。そういうところも全部抱きしめて昇華しながら如何に無垢な人間になっていくか。そこがこれからはいちばん大事なのかなと思っています。リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄
今も「世界は変わる」と信じて音楽をやっている
--そんな大きなターニングポイントを迎えたACIDMANの今後についても伺っていきたいのですが、コロナ禍になってからACIDMANの日本武道館のライブ映像をよく観ているんですけど、あの満員のオーディエンスがもみくちゃになって凄まじい熱量を生み出している光景を「再び見れる日はやってくるのか? やってきてほしい」としみじみ思うんですよね。
大木伸夫:それは僕も思います。例えば、もっと昔のロックフェスの映像とかを観るとぶっ飛んでるじゃないですか(笑)。「こんなことが禁止されていなかったんだ? 死人が出てもおかしくないじゃないか」と驚かされる。それと同じで、今の僕らの時代にやってきたフェスですら10年後、20年後「あんなに人が密集していたんだ? 今は有り得ない」と驚かれる可能性もあると思うんです。でも、コロナ禍の期間が「空白の2年」で終わる可能性もあると思うんですよね。結局、元の状態にすぐ戻るかもしれない。それにいちばん期待はするけれども、もしそうじゃなかったとしても、密集したライブが出来なかったとしても、目の前にいる人たちに直接歌って音楽を届けられる奇跡の有り難さは変わらないから、どっちに転んでも僕らは大丈夫だし、楽しめる。なので、気になるとしたら収益ぐらいです(笑)。--2021年以降のACIDMANはどうなっていくと思いますか?
大木伸夫:目標は「良い曲を作る」ということだから、そこは変わらず。とは言え、どんどん僕は表現がポップになっていっている気がしていて、次は物凄くディープな曲も作りたいとも思うし、その一方で物凄くライトにしたい想いもある。そこが上手くまとまらないから、また時間はかかると思います。その頃には完全にエンターテインメントとかビジネスとか意識しない、壷を作り続ける陶芸家のような感覚になっているでしょうね。ずっとおんなじ轆轤(ろくろ)で同じことをやっているんですけど、なかなか完成しないっていう(笑)。--宇宙を創造する感覚で壷を作るんでしょうね(笑)。
大木伸夫:でも、まだまだ何も達成できていないから……例えば、友達のバーで僕らの日本武道館のライブ映像をたまに流してくれるんですけど、それを観ていると感動するんですよ。自分がそこに立っていたときの感動ではなくて、ひとりのリスナーとして「良いな!」って思うんです。何なら「いつか俺もあの景色を観たいな」と思う。自分がそのライブを経験していない感覚で観ちゃうんで。だから「いつかACIDMANみたいになりたい」って本気で思うんですよ(笑)。--ACIDMANなのに「ACIDMANみたいになりたい」と思うんですね(笑)。
大木伸夫:ACIDMANみたいなライブがしたいし、あんな曲をいつか歌いたいと思うんですよね。結局、自分が追いかけていた背中は自分だったっていう。--すごい次元の話ですね。客観視したときに「俺がやりたいバンドはこれだ」と思っていると。
大木伸夫:毎回「良いなぁ」って羨ましがっています。「日本武道館ってどんな感じなんだろう。一度ぐらい経験してみたい」って思うんですよ。--僕も友人たちによくACIDMANのライブ映像を見せては、みんなで「すげぇ!」って興奮しているんですけど、大木さんも僕らと同じようにACIDMANのライブ映像に感動しているわけですね。
大木伸夫:「すげぇ!」ってなります。まさか自分がやっているとは思えないんですよ。「格好良いなぁ」と思いながら観ていて、ふとトイレの鏡を見たときにやっと……それでも似てる人ぐらいの感覚かな(笑)。信じられないんですよね、自分があのライブを創っているなんて。それぐらいイレギュラーなんでしょうね、ああいう場所でライブをするということは。普通の感覚ではやれないんだと思います。--先程「まだまだ何も達成できていないから……」と仰っていましたけど、達成したい目標はどこにあるんでしょうね?
大木伸夫:やっぱり納得いく楽曲じゃないですかね。過去の作品にも納得しているけど、それこそ自分たちのライブ映像を観て「ああいうライブがしたい」と求めちゃうのと一緒で、禅問答みたいなもんなんですよね。永遠に納得いく楽曲やライブを求めてしまう。その中で「もっとたくさんの人から賞賛されたらラクになるのかな?」みたいなことも考えるし。--それはどのレベルの賞賛ですか?
大木伸夫:そこはキリがないんですよね。ジョン・レノンでも「もっと賞賛されなければ戦争は終わらない」と思っていただろうし。でも「イマジン」がなかったらもっと戦争は起きていたと僕は思うんです。戦争は終わらなかったけど、あの曲によって「想像力が大事だ」ということを人類が知って、少しだけ世界は良くなっていったと思うんです。実際、戦争はどんどん減っていっている現実があるし、もう何百年かしたら戦争はなくなるんじゃないかという予測もあったりして。それは人類の発展の素晴らしいところだと思うんですけど、それでもジョン・レノンは絶対に納得していないと思うんですよ。「僕が戦争をゼロにしなきゃいけなかった」って。--それに近い感覚を大木さんも持っている?
大木伸夫:ジョン・レノンと比べるのはおこがましいんですけど、1曲作ったときに、その曲を鳴らしたときに、世界が生まれ変わっていることが僕の目標なんですよ。そんなことはマンガじゃないんだから有り得ない。でも、マンガみたいなことをいつも考えていて、それでライブをやって、ツイッターとか見て、世界が変わっていないことに毎回落ち込むんです。今も「世界は変わる」と信じて音楽をやっているので。だからこそ「世界を変えられなかった。何の為に音楽をやっているんだろう」と絶望してしまう。「世界はこれで変わる。美しくなる。やった! みんな、泣かないで済む!」と思うときもあれば、それが一瞬でゼロになって「絶望だ」と思うときもある。--希望と絶望の質量に違いはあれど、誰しもがその狭間で生きているのかもしれないですよね。「世界を変える」とまで思えなかったとしても、期待して頑張っては裏切られ、また立ち上がっては転んで、それを繰り返しながら生きている。
大木伸夫:そうですね。それを受け入れて抱きしめていくことが美しいと僕は思うんです。そういう人間の生き様を美しいと思うし、僕もそうありたいと思っています。--そろそろタイムリミットなので、最後に、10月29日にZepp Tokyoで開催される結成25周年イヤー突入ワンマンライブ【This is ACIDMAN】への意気込みを伺わせて下さい。
大木伸夫:このライブは本来であればデビュー日にやりたかったんです。毎年10月30日に【This is ACIDMAN】というタイトルでやっていこうと思っていたんですけど、コロナ禍でいったんままならなくなってしまったので、今回の【This is ACIDMAN】にはまた違うモノが乗っかっていると思います。そして、さらにもうひとつ乗っかっているのが「Zepp Tokyoでの最後のライブ」。という訳で、僕らと歴史を共にした場所での最後のライブであり、コロナ禍でのライブでもあり、結成25周年イヤーの始まりのライブでもある。だから収拾がついていなくて「どうすればいいんだろう?」って今、呆然としているところなんです(笑)。--今、10月上旬ですよ(笑)?
大木伸夫:そうなんです、今月開催なんですよ(笑)。あと、こんなに特別なライブなのにお客さんを半分しか入れられなくて、本当に数秒でチケットが売り切れてしまったことに対して申し訳なさもあるし……これが数千人入るところで準備万端であれば、あとはもう挑むだけなんですけど、そういういろんなことが重なり過ぎちゃって考えがまとまらないんですよね。--星の数ほどライブをしてきたACIDMANですが、初めての状況下でのライブへの挑戦になるんですね。
大木伸夫:初挑戦。しかも今回は乗っかっているモノがデカいから。お客さんもほぼアフターコロナみたいな感覚で挑んでくれると思うし……まぁでもそういうこともすべて忘れて「音楽っていいな、ACIDMANを好きでよかったな」と思えるようなライブにしたいです。こってりしたところは超こってりに攻めるだろうし、ライトなところは超ライトにやるだろうし、ポップなところは超ポップにやるだろうし、そういう意味ではすごく分かりやすいライブにしたいな。と、今、話していて思いました!--インタビュー中にまとまった(笑)。
大木伸夫:まとまりました! 危なかったぁー(笑)!リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄
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