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<インタビュー>熊木杏里が最新アルバム『なにが心にあればいい?』を通して問いかける“あなたの大切なもの”
シンガー・ソングライターの熊木杏里による通算12枚目のアルバム『なにが心にあればいい?』がリリースされた。
本作には、新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間中に書かれた楽曲が並んでいる。前作『人と時』が持っていた静謐でパーソナルな響きからは一転、ライブ・アレンジを中心に構成された内容には、思うように外にも出られず、不安や焦燥を感じてしまいがちな世の中になってしまったからこそ、ライブの開放感やダイナミズムを届けようという熊木の強い意志が込められている。馴染みのサポート・メンバーを率いて歌う彼女の声には、優しさや儚さの中にも凛とした強さが内包されているのだ。
一人の時間が増え、自分自身と向き合いながら紡ぎ出したという彼女の歌詞には、代わり映えのない日常に宿る「変化」に気づき、心の中に「幸せ」を見出すためのヒントがたくさん詰まっている。そんな宝石のような楽曲たちを紐解きながら、熊木杏里の「今」を尋ねた。
「明るい未来がきっとある」と信じながら
――今作は、コロナ禍にあえて「ライブ」を意識しながら作ったとお聞きしました。
もともとアルバムを今年中に出すつもりではいて、そのための曲作りを始めようと思っていた矢先にこういう事態になってしまったんです。なので、家に篭りっきりになること自体はさほど苦痛ではなくて。「とにかく曲を書くことに専念しよう」と気持ちを切り替えていました。ただ、コロナによって春に予定していたライブが中止になってしまったのは辛かったですね。バンド・メンバーにも、ファンのみんなにも会えなくなってしまうわけですから。おそらく私は、SNSを使った配信ライブなどはやらないだろうと思っていたので、これはもしかしたら長期戦になるかもしれないなと。だったら、これから作る作品の中で「ライブ感」を味わってもらえるようにしたらどうか、そうすれば一石二鳥になるんじゃないかなと思ったんですよね。
――なるほど。「SNSを使った配信ライブなどはやらないだろう」と思ったのは?
まず、そういう機材関係が自宅になかったし、気軽にSNSを活用できる人間でもないので……(笑)。言葉を発信するだけでも色々考えてしまうから、ライブを発信するとなったらもっと腰が重くなる。それで無理に配信するよりは、届けられる状況になった時に届けられればいいんじゃないかなと思っていたんです。
――曲作りは自粛期間中に行ったわけですよね。作業に専念できるとはいえ、気持ち的に落ち込むことなどはなかったですか?
最初のうちは「一体、どこまでいくのだろう」と思っていました。でも、今言ったように「これは長引きそうだな」と思った時点で覚悟はしましたね。それに、スタッフの方から「アルバムを作りましょう」と言ってもらえたことが、とても救いになりました。自発的に曲作りは行っていたけど、誰かがそれを聴いてくれるという明白な目標ができた時点でエンジンのかかり方が全然違いましたね。そこからは、とにかくアルバムを通して「生きているよ」とみんなに伝えたかったし、作品を聴いたときに辛い気持ちにならないようなものにしなきゃと思いました。私自身、ともすると暗い方向に気持ちが行きがちなので、そこはギアを一段階上げて盛り上げていこうと。「明るい未来がきっとある」と信じながら曲を作っていたので、そういう前向きな言葉が詰まったアルバムにはなったかなと思っています。
――コロナ禍で、新たにチャレンジしたことなどありましたか?
これまで忙しくてできなかった、音楽のちょっとした勉強というか。クラシックやジャズについての基礎的なことを、密かに学んでみようと思いましたね。私は今までずっと独学で育ってきてしまったので、そういう分野の書籍を読んだり、CDを聴いてみたりするのも新鮮でした。そんなに長くは続かなかったですけど(笑)。例えばちょっとしたコード使いなど、本作にもフィードバックされている部分はあるかもしれないです。あとは、Amazonプライムに登録して、ものすごくたくさん映画を観ましたね。寝る前にちょっとリラックスしたかったり、別の世界に気持ちを持って行きたかったりするときに、とてもいい効果がありました。いっときは子供とお菓子作りやパン作りにもハマったんですけど、小麦粉やベーキングパウダーが全然買えない時期があって困りました(笑)。
――お子さんがいらっしゃると、コロナに対してもよりセンシティブになったのでは?
それもありますし、保育園が終わって小学校への入学のタイミングだったのに、入学式もできなかった。きっと本人も、「今日から自分は小学生なんだ」というふうにはうまく切り替えられなかったんじゃないかなと思っていて。保育園が終わってしまった寂しさがあるうえに、新しい出来事が始まらず、お友達にも会えない状態は気の毒でしたね。だから、家の中でどうにか気持ちを盛り上げてあげなきゃと。粘土で何かを作ったり、ピアノを一緒に弾いてみたり。
――お菓子作りもその一環だったのですね。
はい。でも今は、マスク着用しながら楽しそうに通ってるので、一つ乗り越えたかなと思っていますね。
今作は“想い”が重要なテーマ
――今回のアルバム『なにが心にあればいい?』は、そういったコロナ禍で感じたことが歌詞にも大きく反映されていると思います。例えば「ことあるごとに」という曲は、緊急事態宣言の頃に荒れていたSNSに対し、熊木さんが感じたことをモチーフにしているそうですね。
例えば、身近な人の中にもSNSに疲弊してしまっている人がけっこういて。ネット上でのやり取りに拘泥していくあまり、自分自身や身の回りの人への優しさを忘れてしまっているというか。そういう人たちに対し、「世界はそこにはないよ?」という気持ちを歌詞に込めました。だって、そんなところでへこたれていても仕方がないし、これからまたこういうことがあったときに一体どうするんだろうとも思うんです。私はどちらかというと、逞しく生きられるタイプだと思っているので(笑)、少しでもみんなのことを率いていくような歌詞が書けたら、自分にとってもいいことかも知れないとも考えていましたね。
――“ことあるごとに”というフレーズは、どこから思いついたのですか?
なんかね、ふと出てきたんですよ。「ことあるごとに私たちはさ、強く生きていかなきゃいけないんだよな」って本当に思ったことがあって。「そうか、“ことあるごとに”っていい枕詞になりそうだな」と思ったら、そこから言葉がバーっと出てきました。
――たしかに、震災をはじめ私たちは“ことあるごとに”様々な災害を乗り越えて生きてきたわけですからね。もちろん今も苦しんでいる人、乗り越えられずにいる人もたくさんいますが。
そうですね。何かあったときの自分自身の振る舞いも少しずつ変わってくるだろうし。そういう意味では、これまでの体験も“ことあるごとに”ということだったわけです。
熊木杏里「ことあるごとに」Music Video
――熊木さんの歌詞は、誰かを批判したり突き放したりするものはほとんどなくて、常に包み込むような優しさが感じられます。
誰かの話を聞いたときに、昔からすごく同調してしまうんですよ。この年代になってくると、例えば子どもを授かっても駄目だった友人の話などを聞くことも増えてきて。とても他人事に思えなくなってしまう。もちろん、よく知らない人の話にはなかなか同調しにくいですけど、ごく身近にいる大事な人たちにおいては、とにかく“自分ごと”として考えてしまうところがあるから、そういう気持ちがそのまま歌詞になっているのかも知れないです。それに、何か困ったり苦しんだりしている人に対しては、相談してほしいと思っちゃうんです。実際、「こういうこと、杏里なら聞いてくれるんじゃないかと思って」みたいな感じで、打ち明け話をしてもらうことが多くて。長女だからなのか分からないですけど(笑)、私に対してなら何を言っても大丈夫だと思われてしまい、傷つくこともあるから“良し悪し”なんですが。
――そうですよね。
それでも、自分のそういう部分は大事な要素だとも思っています。今作は“想い”というのが重要なテーマなのですが、誰かが言っている“ネガティブかも知れない言葉”に対し、同じようにネガティブで返してはいけないと思っていて。少なくとも相手が自分に気持ちを打ち明けてくれたことを喜びたいし、そう思うことで、自分が返す言葉も「打ち明けてよかった」と相手が思えるものであってほしい。そんなふうに、ちょっとずつポジティブな連鎖が起きていけば、人々の“想い”がギスギスしたものにはならないんじゃないかな。「SNSで不特定多数の人たちに承認を求めるんじゃなくて、そばにいる人に打ち明けたら?」って思いますし(笑)。
――きっと、誰かの“想い”が熊木さんを介して“曲”として昇華されることもあるでしょうし。
うん、本当にそう思います。
――「ノスタルジア」もコロナ禍で故郷を思いながら書いた曲ですよね。
そうです。今は帰省できないし、しちゃいけないし。そういう中で、親への“想い”も増していきました。会えない日々の中で、どんどん年老いていくのかなとか。そういう意味では“生死”についても、これまでになく色々と考える期間でしたね。
――この曲の“言葉が似てきたよ 父が言ってた 好きなことを見つけて 生きなさいと”というラインがとても印象的です。
父もずっとバンドをやっていて、音楽が大好きだったからこそ私の活動を後押ししてくれたところもあって。そういう家庭で育つと、私自身が子供に言う言葉も似てくるんだなあと思いました。「好きなこと見つけて生きなさいよ?」と、気づいたら言っている自分に驚きましたし、「好きなことを見つけて生きる」のは、これからの時代はより大切なことだと思っていますね。
あなたの“大切なもの”は何?
――「青葉吹く」は、高校生の時の友人とリモート飲みをしたことがきっかけで生まれた曲だとか。
ふふふ、そうなんですよ。
――以前のインタビューで熊木さんは「クラスにうまく馴染めなくて、無理やり合わせるのもしんどくなっていった」とおっしゃっていました。その時の疎外感や孤独感が、熊木さんの創作のモチベーションになったとは思うのですが、時を経てその時のクラスメートとリモートで再会するというのも不思議ですよね。
なかなか感慨深いものがありましたね(笑)。最初、ちょっとドキドキしながら参加したんですけど、子供たちがキャッキャはしゃいでいたり、部屋の様子がとても家庭っぽかったりするのをモニター越しで眺めていたら、当時のわだかまりなんて一切なくなりました。
――その気持ちが“継ぎはぎした笑顔 そんな日もあったわ きっと誰かのために 生きる喜びを知ったの”というラインに込められているのですね。
そうなんです。そこにいた全員が“自分以外の大事なもの”のために生きているから、すごく優しいし、“愛”を感じました。「そうか、人ってこんなふうに変われるものなんだなあ」って。きっと私もそう映っていたんだろうなとも思いましたしね。
熊木杏里「青葉吹く」
――そういう意味では、本作は“幸せとは何か?”というのも大きなテーマになっているような気がします。
それに尽きるのかなって。たとえどんな状況にあったとしても、人は“大切なもの”があれば自分を幸せにできる。じゃあ、その“大切なもの”って何なのかなって。きっとそれは人によっても違いますし、それぞれが見つけてくれたら嬉しいなと思ったんです。だからこそ『なにが心にあればいい?』というタイトルを付けたんですよね。
――僕がこのアルバムを聴いていて思ったのは、“想い”を自分だけに向けていると、なかなか幸せにはなれないのかなということです。家族や恋人、友人でもペットでもなんでもいいと思うのですが、“想い”を外側に向けることが人を幸せにするのかなと。
なるほど、たしかにそうかも知れないですね。逆に言えば、一人きりだと悩むこともないのかもしれない。何か“想い”を向ける対象があるからこそ、人は悩んだり苦しんだりするわけで。その悩みや苦しみを受け入れるというか、決して悪いことじゃないんだと思えれば、人は幸せに向かっていける気がします。
――熊木さんご自身にとっては、やはり結婚、出産を経験したことが、そのことに気づく大きなきっかけでしたか?
たしかにそれもあるのですが、コロナ禍になっていろんな人に会えなくなった段階で、自分自身と向き合う時間がたくさんあり、そこで気づいたこともかなり大きかったですね。日々の暮らしの中で、特に大きな出来事がなくても、子供が元気に起きて、ご飯を食べて笑ってくれて。それがとっても尊いことだと改めて思えましたから。震災のときもそうでしたが、“代わり映えのない日々”がどれだけ大切かということを痛感しましたし。
――そして、その“代わり映えのない日々”の中にも、ちょっとした変化があったり、そこに幸せが隠れていたりすることを、熊木さんの楽曲は教えてくれます。
ありがとうございます。本当に些細なことでいいんですよね。植物を眺めていても、毎日ちょっとずつ変化していくし、子供だって毎日成長していくわけですから。そこに視点を置くと、“代わり映えのない日々”がとてもドラマティックに感じられる。「幸せの塗り方 」の“いつも通りの日にだって ほら よく見れば変化だってある”や、“今日の日を何色に 塗り変えるかは あなた次第”という歌詞は、まさにそのことについて書いています。
――“なにが心にあればいい”のか分からない人、見つけられない人はどうしたらいいと熊木さんは思いますか?
そうだな……、もしかしたらですが、例えば生きている中でいくつかの選択肢があったときに、“それを選んだ時の自分”と“選ばなかった時の自分”を想像してみる。それで、どちらの自分になりたいかを考えてみるのはどうでしょうか。「こういう生き方をした時の自分って、けっこう好きだな」とか、あるいは「これを諦めた自分も悪くないな」と思えるかどうか。諦めるのって勇気がいるし、そんな自分は嫌だと思っていた時期もあるけど、諦めた自分の姿を想像してみたら、「意外と嫌いじゃないかも」って思えたときがあって。そうやって道を選びながら進んだときに、ちょっとずつ自分は変わっていけた気がしますね。
――最初にも話してくださったように、今作はライブを意識しながら制作したとのことですが、改めて熊木さんにとって「ライブ」とはどのようなものでしょうか。
正直言って、ここまでライブが自分にとって大切なものだったとは思っていなかったです。決して蔑ろにしていたわけじゃないんですけど、今まではステージに立つときにいつも緊張していたり、ライブが終わった後も「あそこはもう少し、何とかなったんじゃないか?」みたいなことを考えてしまったり、常に雑念があった気がして。でも、そういうことじゃないんですよね。先日、久しぶりにみんなの前で歌う機会があったんですけど、「ライブって今だけなんだよ?」と思ったら、全然緊張しなくて。「もっと楽しんでやろう」という気持ちになれたし、その場に聴いてくれる人がいることの有り難さを思い知りました。
――やっぱりライブは“コミュニケーション”ですよね。“想い”を交換する行為というか。
本当にそうですね。配信ライブはやっぱり寂しい。リモート飲みも楽しかったですけど、直接会って話すことが一番だよなって。こうやって人と話すこともそうじゃないですか。顔を見ているだけで伝わるものもある。相手の気持ちもちゃんと伝わってきますしね。
――以前のようなライブを行うのはまだ厳しい状況ですが、そんな中で熊木さんはどんな活動をしていきたいですか?
コロナが完全に終息することは難しいだろうし、それ以前の世界に戻ることはないと思います。でも、この状況を経た自分は、大切なことにたくさん気づいた状態にあると思っているんです。そういう自分を失わないようにしながら書いた曲は、これまでとはやっぱり違うと思うし、核心に向かっているはず。それをみんなに届けていきたいし、「生きていて良かったな」と思ってもらえる曲を、1曲でも多く書いていくことがこれからの目標です。
熊木杏里『なにが心にあればいい?』全曲試聴トレーラー動画
Photo by Yuma Totsuka
なにが心にあればいい?
2020/11/11 RELEASE
YCCW-10377 ¥ 3,000(税込)
Disc01
- 01.life
- 02.幸せの塗り方
- 03.ことあるごとに
- 04.星天の約束
- 05.光のループ
- 06.一輪
- 07.見ていたいよ
- 08.ノスタルジア
- 09.青葉吹く
- 10.雪~二人の道~
- 11.秤
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