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黒木理也(MAISON KITSUNÉ)インタビュー
MAISON KITSUNÉは2002年、フランス人のジルダ・ロアエックと日本人の黒木理也によって設立されたフランス パリ発のライフスタイルブランド。モダンでありながらもタイムレスなスタイルを提案し続けている 「MAISON KITSUNÉ」を始め、世界中の最先端な楽曲を、様々なプラットフォームで送り出しているミュージックレーベル 「KITSUNÉ MUSIQUE」や、コスモポリタンな空間で、普遍的な美味しさを提供するカフェ 「CAFÉ KITSUNÉ」など、多種多様なカルチャーを発信している。
今年6月8日には、大阪南堀江に関西初の路面店となるMAISON KITSUNÉ OSAKAをオープン。その斬新な空間には、サンタバーバラに拠点を置く音響ブランド「SONOS (ソノス)」のスピーカーシステムを導入したという。音楽に対して並々ならぬこだわりを持つKITSUNÉが、昨年日本に上陸したばかりである新進気鋭のブランドを抜擢したのには、一体どのような理由があったのだろうか。
「音楽の価値を日本に取り戻したい」と語る黒木に、その波乱万丈な半生や音楽への思いを聞いた。
自分たちの好きなものをシェアしたい
――東京生まれの黒木さんは、12歳の頃にフランスへ渡ったそうですね。
黒木理也:絵描きの母親が、パリへ移住をするのに付いて行く形で渡仏しました。パリの19区という、移民用の団地が立ち並ぶ郊外に近いゾーンで暮らしていました。住んでいた団地や近隣にはアフリカ系、アラブ系、ユダヤ系……アジア系は中国人とベトナム人が多かったかな。もちろん、差別も色々受けましたし、あまりハッピーではない「ダークな思春期」を過ごしましたね(笑)。
そんな中で、自分を助けてくれたのが音楽でした。15歳くらいになるとレコード屋に入り浸り、ジャズ、ソウル、ファンク、ヒップホップ、R&B……と、主にアメリカの音楽を好んで聴いていました。音楽がなかったら今はないと思っています。
――ニューヨークでも、5年くらい暮らしていたことがあるとか。
黒木:18歳のときに憧れていたニューヨークへ旅立ちました。メッセンジャーやレストランの厨房など、いろんな仕事を転々としていましたね。ほとんどが日雇いで、その日もらったお金を握りしめてレコード屋に通う毎日。ひたすらニューヨークのストリート・カルチャーを満喫していました。当時はスケーターで、周りには才能あふれる仲間が多く、それぞれが夢を形にしている人たちで、「人生の答えは全てストリートにある」と信じていましたね。
そのうち自分は建築に興味を持ち始め、それらのオリジナルのあるパリに戻り建築士の資格を7年かけて取得し、建築事務所で働き始めました。ただ、給料は安いし毎日深夜まで残業で、それでも家賃が払えないから古着屋でもバイトしていたんですよ。そういう生活を2年くらいして、「これじゃないな」と思って当時ダフト・パンクのマネージャーをしていたジルダ(・ロアエック)と、「何か一緒に面白いことやろうか」という話になって。「ライフスタイル」をコンセプトに立ち上げたのが「KITSUNÉ」だったんです。
――「ライフスタイル」をコンセプトにするとは?
黒木:「自分たちの好きなものをシェアしたい」という非常にナイーブな発想ですね。例えば「音楽」は、僕とジルダにとって欠かせないファクターです。しかも、服も好きだしコーヒーも好き。だったらその「好き」をカタチにしようと。もちろん最初は投資家もいないし、銀行はお金なんて貸してくれない。「KITSUNÉはライフスタイルのブランドです」なんて17年前に言っても通じないんですよね。「どういうこと? ファッションなの音楽なの? どんなことやってるの?」と訝しげに見られるだけでした(笑)。アイデアはあるけどビジネスプランはない。そんな状態でしたが、DJをしながら世界中を旅して、訪れた先々でKITSUNÉの話をして。そのうち興味を持ってくれる人が徐々に増えてきたんです。僕たちはゼロから会社を立ち上げ、作りながら様々なことを学んでオーガニックに育ったブランドなんです。
SONOSの出す音は、すごく優しくてあったかい
――2016年には、ストライプインターナショナルとの資本提携を果たしました。
黒木:ビジネスパートナーが出来たのは初めてのことです。昨年は新クリエイティブディレクターに、セリーヌ出身のユニ・アンを起用しました。デザイナーの外部起用も初の試みです。日本に戻ってくることになり、やっとアジアも回れるようになってきました。今は中国にも会社を設立したし、韓国にはいいパートナーがいて順調に展開しています。日本では大阪堀江に路面店がオープンし、来年は京都にも路面店を、渋谷には新しいカフェを出す予定です。年内には、CAFÉ KITSUNÉのコーヒー豆を焙煎するロースターを、岡山で立ち上げることにもなっています。自分たちの環境や、人間としての成長に合わせて事業を進化させていく。そういう意味でも「オーガニックな会社」なんです。
――KITSUNÉは音楽レーベルも運営しています。ミュージシャンからデモが送られてくることなどもありますか?
黒木:ありますよ。今の子の方が積極的かもしれない。みんな自分のSNSを持っているので、音源を載せているページのURLをメールで送ってきます。なるべく聴くようにしていますし、「これは」と思ったらすぐ会いに行きます。彼らがどこでどんな生活をしているのか、どんな価値観を持っているのかを見極めるためにも。そして、このバンドはしっかり投資すべきだと思えば、我々のレコーディングスタジオに招くこともありますね。
うちと契約してからメジャーに飛び立っていったバンドはいくつもあります。Two Door Cinema ClubやYears & Yearsもそうですし、最近だとParcelsもブレイクまで時間の問題だと思いますね。ただ、日本人のアーティストとはまだあまりサインしたことがないんですよ。実は、カタログの第一号はテイ・トウワさんの「FUNKIN’ FOR JAMAICA」(トム・ブラウンのカヴァー)なんですけどね。それ以降はない。韓国人、中国人のアーティストは結構いるんですけどね。なかなか日本人アーティストにはまだ出会えなくて。
――さて、今年の6月に大阪堀江でオープンした新しい路面店には、SONOSのスピーカーを導入しているそうですね。
黒木:2年前のパリのショールームで提供してもらった時に、すごくいい音だったんです。それで興味を持って調べてみたところ、弊社と同じ2002年設立の会社だってことがわかって。ユーザーのライフスタイルを大切にした商品づくりや、ビジネスプランニングにもシンパシーを感じたので、今後KITSUNÉが展開していくショップやカフェなどで、何かご一緒出来ないかをご相談させていただいたところ、とても喜んでいただき、まずは大阪店で展開する運びとなりました。
僕は音について専門的なことは分かりませんが、SONOSの出す音って、横に広がって包まれるような、暖かさや優しさを感じるんです。最近のスピーカーは、アグレッシヴなサウンドや、オールドトラディショナルなサウンドが多い印象なのですが、SONOSはそのいずれとも違う。聴いていてとても落ち着きます。
――大阪店での反応はいかがですか?
黒木:とてもいいです。お店の中の、どこに立っていても音量も音質も変わらず、音に広がりがあるというか。一方通行のスピーカーは多いですが、SONOSのスピーカーは広い地平線を思わせるサウンドなんです。もちろん、デザインも今っぽくて好きです。存在感はあるけど、環境にブレンドしやすいシンプルさもあって、お店の雰囲気にすごくマッチしています。
――MAISON KITSUNÉ OSAKAは、川沿いにあるガラス張りのアーバンな外観が特徴ですよね。
黒木:若いお客様たちが、店内に入ると「クラブにいるみたい」と喜んでくださるような、そんな斬新な空間なんです(笑)。「内装」にこだわったというよりは、その建物の中に流れる「空気」を意識しデザインを仕上げました。お店の中に入った瞬間の驚きを、目だけでなく耳でも感じて欲しいという思いがあるので、そこに流れる音楽はとても重要なんです。何より、僕らのレーベルのアーティストの音を流した時にかっこいいのが嬉しいですよね(笑)。
音楽に対して価値を見出すということを忘れてしまっている気がする
――レーベルを運営されているだけあって、お店のBGMにも並々ならぬこだわりを感じます。
黒木:KITSUNÉではもちろんカフェとショップ、それぞれのプレイリストを用意していて、それらを2週間ごとにアップデートしています。とても好評で、お店でShazamされているお客様をよく見かけますね。また、KITSUNÉには様々なプラットフォームでオフィシャルのアカウント(KITSUNÉ MUSIQUE)があって、常にストリーミングで音楽を流しています。
――BGMが、そんなに頻繁にアップデートされているお店もなかなかないと思います。
黒木:5年間ずっと同じ有線チャンネルを付けっぱなし、なんてお店がほとんどですよね(笑)。そういうところから変えていきたいという気持ちはありますし、そうしたこだわりに応えてくれたのがSONOSのスピーカーなのかもしれません。
――黒木さんご自身にとっては、音楽とはどのような存在でしょうか。
黒木:家でも朝から晩まで音楽が流れています。海外のラジオ局をはじめ、最近気になるDJが出演している番組などいくつかあって、それらを常に流していますね。過去のカタログから最新の音楽まで、とにかく何でも聴く。よく取材などで「好きな曲リストをください」と言われるのですが、毎月のように入れ替わります(笑)。その時の自分の気分によってもそうだし、生活スタイルの変化によっても聴く音楽は変わってきますから。もちろん、永遠に好きな日本人アーティストもいますよ。例えば山下達郎さんや竹内まりやさん、坂本龍一さん、小田和正さん……。尾崎豊さんも子供の頃からずっと憧れですね。
私自身、音楽がないと生きていけない人間ですから、音楽がどれほど生活の中で大切な存在なのかを、日本人に思い出して欲しいという気持ちは、常に持っています。日本には「音を楽しむ」と書いて「音楽」という、とても素晴らしい言葉があるのに、音楽に対して価値を見出すということを忘れてしまっている気がします。それは海外で長く暮らし、日本へ戻ってきたことでより強く感じますね。