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吉田誠と小菅優が音で描く、ブラームスのクラリネット・ソナタにまつわる“回帰”の物語 ~生誕200年 クララ・シューマンのサロン・コンサートを巡って



インタビュー

 日本とヨーロッパを股に掛けて活躍する新進のクラリネット奏者、吉田誠が、コンサート・プロジェクト「五つの記憶」シリーズの第4回目を、2月21日に王子ホールで開催する。今回のコンセプトは“回帰”。そして、「1894年、リヒテンタールのクララ・シューマン邸にて」というタイトルがついている。ブラームスのクラリネット・ソナタを中心としながら、歌曲を含めた異色のプログラミングとなっている。共演者にはヨーロッパを中心に世界各地で活動し、芸術選奨文部科学大臣賞新人賞、サントリー音楽賞など多くの受賞歴があるピアニスト、小菅優を迎えた。このプログラムに込めた思い、そして新たなチャレンジや聴きどころなどを、吉田誠と小菅優の両者から、じっくりと話を聞いた。

ブラームスのクラリネット・ソナタが初演された“ある日”に回帰するコンサート

−−吉田さんが、自主企画リサイタルシリーズ「五つの記憶」を始められたきっかけを教えてください。

吉田誠:日本は世界でもトップレベルのクラシックのコンサートが毎日開催されていますよね。東京は特にそうだと思うんですが。そんな中で、僕のコンサートに来て頂くときには、音楽はもちろんのこと、コンサートそのものをもっと楽しんで頂けるようにしたい、ワクワクするようなものにできないかなと考えていました。

そんな時、アートディレクターの田村吾郎さんとコラボレーションするかたちで、全5回のシリーズを始めることにしたんです。コンサートには1つ1つ、違うコンセプトでタイトルを付けました。最初から、だいたいの曲目と構想は決めていたので、その曲目にふさわしい雰囲気にしていただきました。

特に、こだわったのはチラシです。チラシというのはとても大事な要素だと思っているんです。皆さん、チラシを見てコンサートを見に来るという機会がとても多いですよね。コンサートの雰囲気が分かる、匂いが漂ってくるような、そんなチラシにしたいと思って、チラシにそれぞれのコンセプトを持たせたアートディレクションをしてもらいました。僕のコンサート・シリーズなので、僕の姿がメインにはなってしまうんですけど。

−−今回は第4回目のシリーズということで、テーマは“回帰”となっています。ブラームス(1833生-1897没)をメインに据えたプログラムですね。

吉田:ブラームスのクラリネット・ソナタは、ブラームスが最晩年に書いた素晴らしい作品です。実はこの曲にまつわるドラマが沢山あるんですけれど、このドラマを、“回帰”というコンセプトを、プログラムとして表現したいなと思ったんです。

この曲は、創作意欲を失っていた晩年のブラームスに多大な影響を与えたクラリネットの名手、ミュールフェルトの為に作曲されて、公的な初演はミュールフェルトとブラームス自身のピアノによって1895年に行われました。実はその前に、ロベルト・シューマンの妻であり、ピアニストであったクララ・シューマンのサロンで行われた、私的な初演が1894年に行われているんです。

今回のプログラムは、この時のサロン・コンサートへのトリビュートとして、その時のプログラムを、そのままの順番で演奏します。“回帰”というコンセプトには、回想するとか、いろんな意味を含めているんですが、このコンサートに来て頂いたお客様には、この1894年の、ある1日に起こった素晴らしい出来事を、映画の回想シーンのように、味わって欲しいという気持ちもあります。

この日はクララ・シューマンの小さなサロンに、この時代の重要な演奏家、指揮者、音楽教師、作曲家などの、現在でも名を残す音楽家たちが、このクラリネット・ソナタを味わうために集まっていたわけです! すごいですよね。そういう雰囲気も感じて頂きたいですね。

クラリネット奏者の僕にとって、この作品というのは、一生を通して研究し続けなければならない、最も大切な作品のひとつです。個人的にも、僕自身がクラリネットに没頭していくきっかけになった曲でもあるので、今回の“回帰”というテーマで是非取り上げたいと思っていました。

吉田誠がブラームスのクラリネット・ソナタに出会った時へ“回帰”する旅でもある

−−吉田さんがクラリネットを始めたのは15歳の時だったとか。

吉田:僕はもともと、中学までサッカー部だったんです(笑)。でもあんまりうまくなれなくて、レギュラーもなかなか取れなかったんですね。それで、サッカー部を辞めようと思った時に、吹奏楽部の友達がたまたまいて「吹奏楽部に入らない?」って誘われたんです。

僕の両親はともに音楽をやっていますので、家に帰って父親に「吹奏楽部に入ろうと思うけど、何の楽器がいいと思う?」と聞いてみたら、クラリネットを勧められました。というのも、クラリネットは吹奏楽の場合、オーケストラでいうヴァイオリンの役割なんですね。旋律部分が多いので、楽しめるんじゃないか、ということだったんです。それでクラリネットを始めることになりました。

ちょうどその年頃って、将来の夢とか、仕事とかを意識するようになる年だと思うんですけど、僕は自然と“手に職”というか、職人になりたいと思っていて。クラリネットを始めたときにふと、「あ、これだ」と思ったんですね。そこで、吹奏楽はもちろん楽しかったんですが、もっと本格的にやるために、すぐ専門的な教育を受ける方向に進みました。

−−ブラームスのクラリネット・ソナタとの出会いはどんなものだったんでしょう。

吉田:クラリネットを始めるにあたって、当時、クラリネットの音源を片っ端から聴いてみたんですけど、圧倒的にブラームスのクラリネット・ソナタが多いんですよ。もちろん、どのクラリネット奏者もやりたい曲ですしね。

その時はまだ中学生でしたから、ただ曲の持つパワーに、漠然とですけど、圧倒されたのを覚えています。この曲が持つドラマ性とか、黄昏感みたいなもの…。音楽から自然と色が立ちのぼって見えるときってあると思うんですね、その色に浸るというか…。色の中を泳いでいるような。そういう感覚を得たのを覚えています。でも曲の魅力とか魔力みたいな、深いところを知るには時間が必要でした。

−−キャリアを重ねられて、特に最近は小菅さんと演奏されることで、曲に対する印象もずいぶん変わってこられたのでは?

吉田:もちろんです、新しい発見と新しいアイディア、考え方というものを教えて頂いています。クラリネット・ソナタは言葉の無い音楽ですから、もっと深いところで、逆に、言葉を見つけていかなければならないということに気づかされたり。

色々なアーティストから、生涯学び続けることができる――そういう意味でも、この曲は、やってもやっても尽きない、すごい曲だなと思いますね。僕がおじいさんになっても、きっと若い人から新しいことを発見させられるような、魅力の尽きない曲だと思います。



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ピアノとクラリネットは、最も楽器同士の対話を楽しめる組み合わせのひとつ

−−小菅さんはソリストとしての活動が活発なイメージがありますが、室内楽についてはどのように取り組んでらっしゃるのでしょうか。

小菅優:室内楽は昔から好きなので、自分から企画したり、友達の室内楽フェスティバルに呼んで頂いたりして、日本だけでなく、ヨーロッパ、北米などでも演奏しています。

ピアノは一人で弾いていても、それだけでオーケストラのような音楽を奏でられる楽器ですけれど、そこに違う楽器が加わることによって、音色の違いを意識して演奏することができてとても楽しいですね。ピアノソロだと自分だけで演奏することになりますから、自分にとって期待したものがそのまま実現できますが、意外性は無いんですよね。他の奏者がいることで「こうくるだろう」と思っていたところに、全然違うものが返ってくる(笑)。そこにまた返していくことによって全然違う音楽が生まれるところが面白いですよね。

誠くんの演奏を聴いたときには、是非一緒にやりたいと思って、自分のコンサート・シリーズである「ベートーヴェン詣」の企画にお誘いしました。楽器の中でも、特にクラリネットは、ブラームスが「すごくピアノに合う」と言っていたくらい、楽器同士の対話が楽しめるんです。

ブラームスはすごく文学にも詳しくて、歌曲も代表的なものを沢山書き残しています。ちょうど今、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が爆発的な人気ですけど、歌詞や言葉の裏には、隠された、パーソナルな意味があるものだと思うんですね。その点ブラームスも同じで、ドイツ語という言葉のリズムや意味を熟知していて、特に後期は、どんどん内面的に深いメッセージを持った作品になっていると思います。

楽器で、楽曲をどう「語る」のか。言葉に隠された意味を読み解き表現する面白さ

−−お二人とも器楽奏者ですが、作品に対峙する中で言葉のアクセントや意味合いを感じてらっしゃるのですね。

吉田:それは最も大切な要素のひとつだと思います。楽器を「吹く」のではなくて……「奏でる」というよりも、どう「語る」のか。特にこのブラームスのソナタの場合は、そこにすごく神経を使いますね。

−−今回のプログラム冒頭には器楽曲ではなく、歌曲を5つ選ばれていますね。

吉田:1894年のサロン・コンサートの冒頭でも、女性歌手がブラームスの伴奏で、ブラームスの晩年の歌曲を演奏した事が明らかになっています。そこで今回はブラームス後期の歌曲集105~107番の中から、調性や詩の中身を厳選して、本当に素晴らしいなと思う5曲を選びました。

今回取り上げる5曲のうち「調べのように私を通り抜ける(Wie melodien zieht es mir)」は、チェロとピアノ版をSimrockがブラームスの存命中に出版したものがあり、チェロの人が弾いているのをよく聴くことができます。更に、ヴァイオリン・ソナタの2番の第二主題には、この歌曲の最初に出てくるモチーフにそっくりなものが出てきます。

この2つの作品は1886年の夏にスイスのトゥーンで書かれていますので、ブラームスがヴァイオリン・ソナタを書いた時には、グロートの書いた「調べのように私を通り抜ける」の詩が、頭の中に浮かんでいたのではないでしょうか。このようなこともあって、ブラームスの歌曲については、楽器で演奏することもごく自然なことじゃないかなと思っています。

歌詞のアクセントを考えて、楽器をどうやって「話させるか」「歌わせるか」というのは、僕にとってとてもチャレンジングであり、勉強にもなります。

−−歌曲の演奏の時は、お二人とも歌詞があるものを見て演奏されているんですか?

小菅:はい、もちろん。歌詞の意味をそのまま音楽に出そうと思っています。

吉田:僕はフランス生活が長かったのでドイツ語は、まだ勉強中なんです。ですからドイツ語に隠された「こういう意味もあるんだよ」というのを、小菅さんからはすごく教えて頂いて、勉強になりました。

例えば、シューマンの曲では「ツァート(zart)」という指示の言葉が書いてあって。だいたい普通は「柔らかに」「静かに」というような意味で取るのですが、それだけじゃなくて…。

小菅:「優しい」、「か弱い」という意味もあるよ、とか、そういう話をしましたね。でも、同じドイツ語の中でも、ブラームスの歌曲の歌詞はいろんな説があって、とても複雑なんです。

例えば「調べのように私を通り抜ける」は詩だけ読むと、詩を書く時の状況描写になっていて、「華やかな情景が目の前に浮かんでくるけれど、それを言葉で書き留めようとすると難しい」というような意味なんですね。ところが、ブラームスが曲を付けると、まるで愛を語っているかのようにも聞こえてくる。元の詩からいろんなシフトの変化が起こっているんです。

だからたとえドイツ語ができたとしても、詩の意味を解いていくのはすごく難しいことです。ドイツ語ができるかできないか、ということだけではないんですね。ですから、歌詞を見たときに、「この言葉にはどういう意味があるんだろう」「こういう考えだったんじゃないか」と、一つの意味に固執せずに話し合うのが、ドイツ歌曲をやる上で面白いところだと思います。

時々、歌手とドイツ歌曲をやることがあるんです。ピアノでは曲の世界をあらわすというか、舞台を作らないといけないというところがあるので、そこがソロとは違って面白いところです。

誠くんは本当にいろんな音色が出せて、音色に表情がある人なので、ある意味では「言葉」という直接的な表現手段以上に、色とか匂いとか、そういう形のないものがより明確になっていくように感じることがありますね。

吉田:今回、コンサート当日の配布プログラムには、歌曲の歌詞対訳を僕が作って掲載する予定で、これも大きなチャレンジの一つです。先ほど小菅さんがおっしゃってくださったように、歌詞にはいろいろな意味が含まれているんですね。だから今回は自分の言葉で訳してみようと思っています。でも、僕が書いた対訳に捕らわれずに聴いて頂きたいような気もします(笑)。



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希代のクラリネット名手、ミュールフェルトがつないだ、ブラームスとクララの暖かい交流

−−今回、プログラムの最後にはシューマンの「幻想小曲集」(Op.73)が配置されています。これもクララ・シューマンのサロン・コンサートで披露された時のプログラムなんですね。

吉田:この最後の曲は、1894年のコンサートでは、クララ・シューマンとミュールフェルトによって演奏されたと、クララの孫フェルディナントの手記に残されています。本番当日の朝にこの曲のリハーサルをしたクララは、孫に「亡き夫がミュールフェルトのクラリネットを聴いていたら、非常に感銘を受けただろう」と言ったそうで、その演奏に大変感動したことが伝わってきます。

シューマンはこの曲を弦楽器で演奏しても良いと書いているんですが、ここではクラリネットとピアノで演奏する意義や、クララがミュールフェルトから受けた刺激を、曲順も含めて、今回のコンサートで感じて欲しいと思っています。

小菅:ブラームスとクララは人生の長い間ずっと信頼関係を築いてきましたが、一時は関係が悪くなってしまっていた時期があったようです。その後、ブラームスも晩年にさしかかったときに、また手紙を書いて仲直りをして、クララ・シューマンが亡くなる直前の、この1894年に、このサロン・コンサートが行われました。このコンサートの2年後にクララ・シューマンは亡くなり、ブラームスもその翌年には亡くなってしまいます。ミュールフェルトという存在のおかげで、あたたかい交流が実現したのではないかな、と思います。

クララ・シューマンもブラームスも、私たちにとっては伝説的存在ですよね。でも、こういう話を聞くと、なんとなく身近に感じるんです。私たちがいま、こうやって一緒に演奏するのと同じように、彼らも私的なサロンに集まって、公式に初演する前に聴きあったり、演奏しあったりしてたんだなぁ、と思います。

−−最後に、このインタビューを読んでいる方々にメッセージをお願いします。

吉田:ヨーロッパだと、クラシックコンサートに行くことは映画館に行くのと同じくらい生活の中に普通にあることなので、気負わずに、楽しみに来て頂ければと思ってこのコンサートを企画しています。

特に今回は、小菅優さんという素晴らしいピアニストをお迎えして、またクラリネットの為に書かれたマスターピースと言える素晴らしい作品を演奏しますので、是非、聴きに来ていただければという思いです。

小菅:私たち二人で、これまでにフランス、スイス、ドイツ、オーストリアとツアーをしてきて、何回も練ってきたこのプログラムを、ようやく日本の皆さんに披露できる機会なので、本当に皆さんに是非聴いて頂きたいです。当時の素晴らしい音楽家達が集ったサロンの雰囲気というのをそのまま味わって頂ければ嬉しいなと思います。



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