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小袋成彬(おぶくろなりあき)『分離派の夏』インタビュー
「個人化してほしい。評論するのは良くないと思う。」
4月25日に宇多田ヒカルプロデュースの1stアルバム『分離派の夏』をリリース、ソニー・ミュージックレーベルズ EPICレコードジャパンよりメジャーデビューが決定している小袋成彬(おぶくろなりあき)。久しく“芸術家”と堂々と銘打たれてデビューするアーティストに出逢っていなかったが、彼の音楽は「極めて個人的で内省的なものでしかない」まさに芸術作品であり、エンターテインメント性やタレント性が重視される昨今の音楽シーンにおいては異質な作品とも言える。そして小袋成彬自身もまた、いまだかつてないインタビュー記事をここに残させるほどの、音楽シーンにおける概念や常識に一切捉われることのない、文字通りアーティストだった。音楽に関わるすべての人々にご覧頂きたい。
夢を持っちゃうといろんな可能性を排除しちゃうんで。目標は良いと思うんですよ。コストがかかるから。
--小袋さんのメジャーデビューが発表された日、業界向けのコンベンションが開催されましたよね。そこで小袋さんのことが“芸術家”と紹介されていて、音楽家や表現者はそう呼ばれて当然と言えば当然なのですが、久しく“芸術家”と堂々と銘打たれてデビューする人に出逢っていなかったので、とても印象深かったです。
小袋成彬:僕はまずコンベンションというモノが何なのか分かっていないと……いや、分かってはいるんですけど、僕とは関係ないというか。僕は僕のステージを仕上げるだけなので、あの日は僕の出来る精一杯をやったという感じですね。そのライブの前に流した映像で“芸術家”と表現していたのも僕の友人であって、僕自身は「芸術家たるや」と語るつもりは全くないし、そこは各々が感じて頂ければいい話かなと思います。--ただ、その“芸術家”という表現に見合うライブを小袋さんは繰り広げていたと思うのですが、小袋さん自身は自分の音楽をどう捉えているんでしょう?
小袋成彬:こういう風にインタビューを受けていく過程でだんだん気付いていったんですけど、常に僕の中にインスピレーションがあって、例えば「海を見て音楽が浮かんだ」みたいなタイプではないですし、「今の自分を昔の僕が見たらどう思うんだろう?」といったノスタルジーも全くないですし、あくまで自分が消化し切れなかった出来事とか、極めて個人的で内省的なものでしかない、という感じですかね。制作中は全くそんなことを思って作っていないですけど、改めて蓋開けてみたら「あ、そうなんだろうな」って最近気付きましたね。僕の音楽はそういうものだと思う。--少しルーツも辿りたいのですが、そもそも小袋さんはどういった経緯で自身の音楽を発信していきたいと思ったんですか?
小袋成彬:家に親父が弾いていたギターがあったり、何故かピアノが置いてあった時期もあったり、結構簡単に音楽に触れられる環境で、両親はサラリーマンと教員なんで音楽一家では全然ないんですけど、みんな音楽が好きで歌も好きなんで身近にあったんですよね。で、本当にいつの間にか音楽をやっていた感じなんで、「あのライブを観て音楽に目覚めた」みたいなエピソードは全くないんですけど……今回のアルバム『分離派の夏』を作り終えたときにやっと「あ、音楽してんな」と思ったぐらいですね。それまではゼロイチのデジタルの世界で勝負していたという感じですかね。ITみたいな感じでした。--作品をつくっている感覚ではなかった?
小袋成彬:全くなかったです。業種的には編曲仕事が多かったんで、僕の中でちゃんと「音楽をしてるな」と感じたのは今作を作り終えたときぐらいですかね。--2016年に宇多田ヒカルのアルバム『Fantome』の収録曲「ともだち with 小袋成彬」にゲストボーカルとして参加し、それがきっかけでアルバム『分離派の夏』でのメジャーデビューも決まったと思うのですが、それまでは表舞台に立つつもりはなかったんですか?
小袋成彬:そうですね。実はコーラスとかで他の人のライブに参加していたりするんですけど、表舞台とか裏舞台とか全く意識したことがなくって。自分でレーベル(Tokyo Recordings)を立ち上げたのも「法人じゃないと口座作れない」とか「信用されない」とかぐらいの理由で、「社長になりたい」とか全くなかったし。本当に必要に駆られてやらなきゃいけないことをただただこなしていった、それだけなんですよね。好奇心がすごく良い方向に働いてくれて今があるんですけど。--Tokyo Recordingsはどんな大義名分で立ち上げたものだったんでしょう?
小袋成彬:就活が終わって、N.O.R.K.というユニットをやっていて、それは名刺代わりになると思って立ち上げたんです。音楽で仕事したいけど、何から始めればいいか分かんないから、自分で作品を作るしかなくって。作ったらそれなりに反応があって、編曲仕事が来るようになり、でもN.O.R.K.は他のレーベルに原盤を預けていたので「レーベルって何するんだろう?」という興味から自分でレーベルを立て、そしたら流通がどんな仕組みかとかよく分かってきて……っていう、本当にすべてが流れですね。こなしていった感じです。--なるほど。
小袋成彬:でも当時は、立てたからにはインセンティブみたいなモノがないとイヤで、レーベルって何だかよく分かんないけど、とにかく大きくしたいなと漠然と思ってはいました。でもおんなじ分量で「大きくして何になんの?」という想いは常に抱えていましたね。お金を稼いでいろんなアーティストを抱えたりして、それが一体僕にとって何になるんだろうって。そういう常に相反する思想が戦いながら動いていた感じですね。--音楽をやっていくことも会社をやっていくことも、大概の人はある程度のヴィジョンがあって、そこに辿り着けるかどうか分からないけれども、浮き沈みもある中でそこに向かって頑張っていく訳じゃないですか。でも小袋さんにそういう感覚はなかった訳ですよね?
小袋成彬:ないですね。その頃どころか、小さい頃からずっとない。夢を持ったことはないですね。夢を持っちゃうといろんな可能性を排除しちゃうんで。目標は良いと思うんですよ。コストがかかるから。コストを払って、そこに対して達成していくのはすごく好きなんですけど、夢ってなんか……「必要?」って感じですね。ずっとそういう感じでした。- 僕にとって意味はありますけど、「社会にとってどういう意味が」とか全く考えたこともない
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僕にとって意味はありますけど、「社会にとってどういう意味が」とか全く考えたこともない
--でも「音楽をやっていきたい」という想いはあった訳ですよね?
小袋成彬:音楽じゃなきゃいけない理由は全くなかったんですけど、ふと大学が終わって学生生活……まぁ今までの過去を振り返ったときに、自分の得意なことで勝負した経験があんまりなくて、中高時代にやっていた野球も得意かと言ったら得意じゃなかったし、でも「ここまでやってきたし、今更辞める訳にはいかないだろう」ぐらいのノリで続けていたので。で、大学はプーでしたから。せっかくだったら自分が他の人よりなんとなく抜きんに出てそうな音楽で「自分だけの力でやってみたいな」とは思ってましたね。--そこから人生が大きく変わったのは、やはり宇多田ヒカルの作品に参加したことが大きかったんですか?
小袋成彬:もちろん大きかったです。でも今までの人生を振り返ってみると、衝撃的に何かが突然変わったということは……ないですね。すべてが緩やかな流れの中でだんだんですね。なんかね、「あの曲を聴いて僕の人生が変わりました」とかあればいいんですけど、正直に言うとないんです。--宇多田ヒカル『Fantome』(※)への参加はどういった経緯で決まったんでしょう?
※正式にはサーカムレックス付「o」
--それは小袋さんの中でどんな経験になりました?
小袋成彬:いろいろですね。まず「仕事でロンドン行くってすげぇな」とか。それはもちろん思いましたし、ロンドンの街並みもそうですし……あと、作詞作曲編曲までやる人って日本に限らずあんまり居ないので、そういう人が身近に居たという衝撃と、その作品へのプロセスとか情熱の向け方もそうだし、すべてが勉強になりました。--それまでの小袋さんの中での宇多田ヒカルのイメージは?
小袋成彬:存在しているかどうかも分からない人。--彼女のやっている音楽に対してはどうでした?
小袋成彬:正直あんまり通ってなくて。ただ、曲聴いちゃえば口ずさめる、どこかで何かが棲みついているその普遍性みたいなモノにはビックリしましたね。友達に「今度参加することになったんだ」と言ったら「曲は知ってるのか?」と聞かれて、それで「「First Love」は知ってる」とか言ってたら友達が何か歌い始めて、それを僕も普通に歌えちゃうみたいな。「これは凄いな」と思いましたね。--そんな宇多田ヒカルプロデュースで小袋成彬名義のアルバム『分離派の夏』をリリースすることになって、いわゆるメジャーデビューという形で世に出て行く訳ですけど、この状況に対してはどんなことを感じていたりするんでしょうか?
小袋成彬:……いや、特に。でも、うーん……本当に素晴らしいプロデューサーに出逢えて、良い環境でやらせてもらって、有り難いなとは思いますね。ただ、現状何かが変わったって訳でもないんで。強いて言えば、友達が増えたことぐらいですかね。--アルバム『分離派の夏』はどういう意味合いを持って作っていったんですか?
小袋成彬:何か意図して作ったモノはひとつもなくって。「こうしたい、ああしたい」はないんで。ただ、振り返ってみると、自己の中で消化し切れなかったものを消化した意味合いがすごく強かった。だから便秘が治ったような、スッキリした気分ですけど。なので、あの作品を作った意味みたいなものはゼロで。僕にとって意味はありますけど、「社会にとってどういう意味が」とか全く考えたこともないですし。でも自分にとっては、音楽でなければ消化できなかったものをしっかり音楽で表現できたということに恍惚がありますね。--それがリリースされるというのは、どういった感覚なんでしょう?
小袋成彬:それはね、また別の感覚なんですよね。生み出した時点で音楽家の仕事は終わったと思っていて。本当に作品が離れていくというか、コンベンションのときも歌っててカバーしている感覚で。僕の作品なんですけど、他人の曲を歌っているような感覚。だからこれからリリースされることについて何か……まぁでも知らない世界が広がるのはちょっとワクワクしますね。好奇心もありますし、恐怖もありますし。--世に発信してしまえば、自分の意図しないところでストーリーが生まれてしまったり、イメージが付いてしまったりする訳じゃないですか。小袋さんの意図しないところで物事が動き出していく。
小袋成彬:そういうこともありそうですね。--そこに対してはどう思っているんですか?
小袋成彬:どうでもいいって感じです。ちゃんとマネージメントしなきゃいけない部分はあったりするんですけど、でもそんなものにエネルギーは割きたくないんで。そこに関しては危惧もしてないし。評論するのは良くないと思う。自分の物語として個人化できれば、それは楽しんだことになるような気がします。
--大概の場合、メジャーデビューする人というのは「この作品をこんな風に楽しんでほしい」みたいなことを言って、その先に「こんな場所でライブできるようになりたい」という話があって、最終的には「こういう夢を叶えられたらいいな」みたいなヴィジョンが出てくる訳ですけれども……
never young beach - 明るい未来(official video)
--ということは、やっぱり関係ないんでしょうね。
小袋成彬:だから音楽家としての仕事はアルバムを作った時点で終わったと思っていて。ただ、ライブとかは、コンベンションやるまで分からなかったんですけど、どういう表現が自分の中で成されるか。そのときに出たもの勝負なんで、すべて予想外なんですよ。作品をつくったのが弔いみたいな意味合いがなんだかんだで強かったんで、その解釈がまだ終わってないんだろうなとすごく思いましたね。あのとき僕はLRの芸術の中で完結させてしまったけど、改めてそれを取り込んで、再解釈して出すということは「芸術の仕事として大事だな」とすごく思いました。そこはしっかりやりたい。そういう機会が有り難いことにあって、それを表現する場所があるんで。あとは、僕の作品を良いと思って契約してくれて、プロの人がしっかり売り込んでくれる状況があるんで、そこに感謝と畏怖を持ってしっかりこなしていきたいと思っています。--ちなみに、小袋さんにとって芸術の定義ってどんなものだったりしますか?
小袋成彬:作るまでは、自分が芸術家である前は、いちリスナーであるときは、芸術って「見方を変えるもの」だと思っていたんですよ。ジョン・レノンが「イマジン」出して世界が平和になったかと言ったらなっていないけど、間接的に「見方を変えることで世界が変わる」という……それは本質ではなく事象として「芸術ってそうだろうなぁ」と思っていたんですけど、いざ作ってみると、やっぱり作る側としての「芸術とは?」というものが出てきて、それはまだ答えが出てないです。「見えない高みを目指していこう」みたいなものも僕は芸術だと思うし、だから一概に何かとは言えない。--では、最後に、ここまでの話の流れ的には「ノーコメント」になるかもしれないんですけど、小袋成彬さんの作品を聴いてくれるであろう皆さんへメッセージをお願いします。
小袋成彬:難しいですね。でも音楽で伝える以上のものを言葉にする必要は全くないんで、聴いてくださいとしか……聴いてください?--「聴いてください」にも「?」が付くってことですよね(笑)。
小袋成彬:でも僕だけじゃ出来なかった作品なんで、そういう意味では絶対に聴いてほしいし、お金を払ってほしいです。それは本当にそうですね。サブスクでもいいけど、お金払ってください。一同:(笑)
小袋成彬:でも本当に極めて個人的で内省的なモノなので、「誰かに聴いてほしい」という作り方をしていない以上、それを言ったら嘘になっちゃうんですよね。ただ、本当に作品は僕だけの力じゃ出来なかったんで、絶対にお金を払って聴いてほしいし……あと、個人化してほしい。評論するのは良くないと思う。自分の物語として個人化できれば、それは楽しんだことになるような気がします。関連商品