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錦織健インタビュー 様々な切り口で発信することで、よりクラシック市場が大きくなれば
1986年にオペラ『メリー・ウィドウ』でデビューし、数多くのオペラに出演したりソリストとして活躍したりする他、NHK紅白歌合戦やNHL-FMでパーソナリティを務めるなど幅広く活躍するテノール歌手の錦織健。2001年以来、定期的に共演を続けている錦織健とスロヴァキア室内オーケストラが、このたび2018年2月14日に「四季」とフィギアスケートで使われた名曲集をテーマにしたコンサートを開催する。長きにわたって親交を続けるスロヴァキア室内オーケストラの魅力や、今回のプログラム、そしてクラシック業界のこれからについて話を聞いた。
スロヴァキア室内オーケストラは、まるでジャズバンドのように柔軟
――スロヴァキア室内オーケストラとは2001年に初共演されて、今年で17年目になります。
錦織健:先ほど2001年の時の公演チラシを見ていたのですが、チラシに掲載されていた芸術監督は今のエヴァルト・ダネルさんではなく、ボフダン・ヴァルハルさんでした。ただ、僕はボフダン・ヴァルハルさんと共演した記憶がないので確認してみたら、チラシが作られた時はヴァルハルさんの予定だったのですが、来日直前に亡くなられて。そして急遽 芸術監督に就任されて来日されたのが現芸術監督のダネルさんなのです。なので、僕はダネルさんが就任された直後からお付き合いをさせていただいていることになりますね。彼らとのステージは今回が6回目に なりますが、室内オーケストラの得意な分野を軸にしつつ、オペラのアリアにも挑戦するなど、毎回 構成やプログラムを変えながら上演しています。
――スロヴァキア室内オーケストラの魅力はなんでしょうか。
錦織:彼らは、クラシックのオーケストラでありながら、ジャズ的な感覚を持ち合わせている面白いオーケストラなのです。
――と言いますと?
錦織:いつも、コンサートでは私が歌う曲は自分で選んで、スロヴァキアに楽譜を送っているのです。私が送っている楽譜はオーケストラで演奏するために編曲したり、パート譜にしたものではなく、ピアノ譜なのです が、来日してリハーサルをすると、彼らが見ている楽譜は僕が送ったピアノ譜のままなのです。「お前は上のパートを弾けよ」とか、「お前はバッチリ支えろよ」というやり取りをしているのか…。一体、どうなっているのか分からないのですが、演奏を聴くときちんと1つの楽曲に仕上がっていて。舞台の上でも、まるでジャズバンドのように柔軟ですし、何が起こっても阿吽の呼吸のようにぴったりと合うので、とても歌いやすいですね。
――とても柔軟なオーケストラなんですね。
錦織:プログラムに関しても、過去にモーツァルトのオペラのアリアを選んだことがあるのですが、彼らの編成にはない楽器が数多く登場するので、断られるかもしれないなと思っていました。ところが快く引き受けてくれて、金管楽器や木管楽器のパートも編曲して、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
――スロヴァキア室内オーケストラは1960年に創立しましたが、芸術監督は今のダネル氏が2人目で、長きにわたって1人の芸術監督が就任しているというのが魅力の1つでもあります。そういった歴史のおかげで、阿吽の呼吸が生まれるのかもしれません。
錦織:そうですね。メンバーも、長い間ずっと固定したメンバーが演奏しています。最近になって若い方が少し増えましたが、メンバーを入れ替える時には、じっくりと練習をしながら慎重に進めています。そういう意味でも、一貫した音楽性が保たれているのでしょうね。
――その信頼関係があるからこそ、柔軟さも生まれるのでしょうね。芸術監督のダネル氏は、どんな方ですか。
錦織:彼は、一言で言うとエンタテイナーですね。僕でもハグができないくらい体格が大きくて、見た目は少し怖いのですが、とても茶目っ気があります。舞台において茶目っ気というのは非常に重要です。それは彼が弾き振りをしている様子からも、伝わってきます。そういう意味でも、彼らの演奏はとても歌いやすいなと感じています。いつも、来日するとツアー中に食事に一緒に行くのです。カラオケにも行ったことがあるのですが、僕がビートルズを歌うと一緒に口ずさんでくれるのですよ。食事の量がすごいので、いつも再会すると、「マエストロ、太った?」って聞くのが恒例です(笑)。
公演情報
スロヴァキア室内オーケストラ & 錦織健『「四季」とフィギュアスケートで使われた名曲集』
東京オペラシティ コンサートホール:2018年2月14日(水) 開演19:00
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Text:高嶋直子 l Photo:Yuma Totsuka
様々な切り口で発信することで、よりクラシック市場が大きくなれば
――今回の公演は、フィギアスケートで使われた曲をピックアップしたプログラムになっています。
錦織:彼らに、「日本ではフィギアスケートで使われているクラシック音楽がCDになるなど、とても人気があるのだ」ということを説明し、今回のプログラムを決めました。フィギアスケートと声楽って、とても似ていると思いませんか?
――どういったところでしょうか?
錦織:フィギアスケートは、スポーツと芸術と融合です。声楽も全身を使って歌いますし、姿勢もとても重要で、スポーツの要素が非常に強い芸術です。それに、フィギアスケートは1つの作品の中に四回転ジャンプなど難易度の高い技術が入ってきますが、声楽も同じです。とても美しいアリアの中に、超絶技巧の要素が含まれているなど、声楽家として成長するためにチャレンジしなくてはいけない作品がたくさんあります。
――たしかに、共通点が多いですね。
錦織:また、練習を積んだとしても成功することもあれば、失敗することもあるという点も似ているなと感じます。フィギアスケートは、長いキャリアを積んだ選手でも転倒することがあります。声楽家も、長年演奏していてもコンディションが悪かったら、声がひっくり返ったり割れてしまったりします。そういう意味で、とてもシンパシーを感じるのでフィギアスケートは面白いなと思いますね。
――フィギアも声楽も、どれだけ鍛錬を積んだとしても失敗してしまう繊細な芸術なんですね。
錦織:あと、フィギアスケートの選手は転倒した後の姿がとても美しいと感じます。転倒した時には、きっとショックで心はズタズタなはずなのに、何事もなかったかのように、すくっと立ち上がって演技を続け、最後に美しいお辞儀をして氷上を去る。その姿は見ていて本当に素敵だなと思いますし、私もステージでは常にそうありたいなと思います。なので、以前からいつかフィギアスケートで使用されている曲を集めたコンサートをやってみたいなと思っていました。
――今回のプログラムは、様々な選手の演目から取り上げられています。一番新しい楽曲ですと、羽生選手が2016年-2017シーズンに使用した「ノッテ・ステラータ」もありますね。
錦織:この曲は、サン=サーンス「白鳥」にイタリア語の歌詞を付けたものです。去年、羽生選手がエキシビジョンで使用しているのを見て歌ってみたいなと思い、テレビで放映された翌日に、まず原曲となる「白鳥の湖」のヴァイオリンの譜面と、羽生選手が使っていたIl VoloのCDを取り寄せてみました。でも歌うには、どちらもキーが合わなくて。なので、コンサートで歌うために楽譜を作りなおして、歌詞を書き起こしました。あとはプッチーニのオペラ『トゥーランドット』より「誰も寝てはならぬ」は、荒川静香選手がトリノオリンピックで金メダルを獲った、とても印象的な曲です。この2曲を軸に、全体のバランスを考えながら曲目を考えました。
――錦織さんは、よくフィギアスケートはご覧になりますか?
錦織:テレビではよく見ますが、生で見たことはありません。生で見ると、氷を削る音が聞こえて、とても迫力があって鳥肌が立つと聞いています。いつか、是非見てみたいですね。
――好きな選手は、どなたですか?
錦織:どちらかというと、技術面で素晴らしい選手より芸術的な表現が素晴らしい選手が好きです。あと今年は、フィギア女子はロシア勢が素晴らしいですね。やはり、バレエやジャズダンスなどの下地があるからでしょうか。それに、インタビューで答える姿も垢抜けていてキュートですし、見ていて非の打ちどころがないなと思います。
――錦織さんは、今回の公演以外にもオペラのプロデュースなど、クラシックファンの裾野が広がるような企画を数多く手掛けておられます。そのような企画に携わるようになったきっかけは、あったのでしょうか。
錦織:僕は、小さい頃からクラシック音楽の専門的な勉強をしていたわけではなく、音楽大学を受験することを決めるまでは、ロックやフォークや、コーラスグループが好きでした。オペラにも数多く出演していますが、オペラを好きになったきっかけは、綺麗なドレスを着て、シャンデリアや豪華な大道具が飾られている中をハイヒールで登場するって格好良いなと思ったからです。クラシックファンの中には、僕のようなきっかけで、クラシック音楽を好きになった人も、たくさんいると思います。なので、私は音楽大学に進学してからも、クラシックを好きになる切り口をどうやって広げられるかについて常に考えていました。日本では、クラシックのファンはあまり多くはありません。例えば、世界の一流アーティストを集めたようなオペラやコンサートを開催しても、3日連続での開催が限度ではないでしょうか。一方、ミュージカルは1つの演目を4,000回上演することだってあります。オペラや海外から招聘したオーケストラの公演は、チケット代が非常に高いという理由もありますが、やはりコアなファン以外だけではなく、ライトなファン層を増やしていくことが、今のクラシック業界に必要なことなのではないかと思っています。
――日本には、クラシック音楽を専門とした音楽大学がたくさんあり、毎年たくさんの卒業生がいますが、それでもクラシックのリスナーがなかなか増えないのが実情なんですね。
錦織:私は、音楽大学である程度勉強した人よりも、音符を読めないけれどオペラを観に行ってみたいと思う人が増えることの方が重要だと思います。なので、色んな魅力を発信していかないといけないなと思っています。それに、ファンを増やすには1度聴いてもらうだけではなく、継続してクラシック音楽を聴いてもらったり、コンサートに来場したりしてもらうことが重要です。そのためには、エキセントリックな演出を見せるよりも、古典的な作品をスタンダードに見せることが重要なのではと思っています。落語も同じですよね。クラシックの本来あるべき姿を見てファンになってくれた人は、ずっとファンでいてくださると思います。ミュージカルの市場はオペラの市場より大きいですが、同じ演出を4,000回も上演できるということは、ミュージカルのファンも、常に新しさを求めているわけではないということでしょうから。
――クラシック作品には、何百年もの間愛され続けるという力がありますもんね。
錦織:ええ。なので、コアなファンの方にも喜んでいただけるような新しい演出にも挑戦しつつ、新たなファンを開拓するためにスタンダードで上質な作品を上演し続けなくてはいけないと思いますし、そのバランスが非常に重要だと思っています。私のプログラムを見ていただくと音楽性という面で一貫していないと思われる方もいるかもしれません。ですが、そこが私の個性だと思っています。様々な切り口でクラシック音楽を発信することで、よりクラシック市場が大きくなってほしいと思いますし、ファンの方が増えることで、様々な意見が増えれば、よりマーケットも活性化すると思っています。
――ちなみに錦織さんが初めてクラシックコンサートを聴かれたのは、どの作品だったのですか?
錦織:シューベルト「冬の旅」ですね。高校生の時に、地元の島根県松江市で聴きました。この作品は、24曲からなる連作歌曲なので、本来1曲ずつ拍手をする作品ではないのですが、素晴らしいバリトン歌手の方で、1曲目の「おやすみ」は学校の教科書に載っていたため、感動して思わず拍手をしたのです。そうしたら、前の席の方が振り返って「ここは、拍手をするところじゃない」って怒ったのです。その時は、「もうクラシック音楽なんて絶対に聴きたくない」って思いましたね(笑)。スロヴァキア室内オーケストラは、今回コンサートの前半でヴィヴァルディ「四季」を演奏しますが、これも1曲ずつ拍手をする作品ではありません。ですが、以前彼らとのツアーで「四季」を演奏した時には、何人か拍手をした方がいました。彼らは「拍手をもらって嬉しくないわけ、ないじゃないか」と言っていましたね。彼らは日本のことを発展した国だとリスペクトしてくれていますし、その上で日本で演奏することはとても楽しいと言ってくれています。なのでクラシックのマナーにこだわらず、肩の力を抜いて楽しんでもらいたいという気持ちは、僕もスロヴァキア室内オーケストラも同じです。
――今回も、フィギアをきっかけに初めてクラシック音楽に触れる方もたくさんいるでしょうね。
錦織:ええ、なので気軽に聴きにきていただきたいですね。僕は携帯電話が鳴っても、気にしませんから。リサイタル中に携帯電話が鳴ると、いつもその方に手を振っています。だって、鳴った本人はただでさえ、ショックで死にそうなのに僕が睨んだらショックで倒れてしまうかもしれません(笑)。なので安心して聴きにきてください。私は30年以上もの間、色んなことに挑戦し続けてきました。充分、色んなことを経験させてもらったので、我儘かもしれませんがこれからは自分が好きな曲だけを歌い続けていきたいと思います。なので、今回のコンサートは素晴らしいスロヴァキア室内オーケストラと一緒に、大好きな曲を歌える宝石のようなひと時です。ぜひ、皆さんにも楽しんでいただきたいと思っています。
公演情報
スロヴァキア室内オーケストラ & 錦織健『「四季」とフィギュアスケートで使われた名曲集』
東京オペラシティ コンサートホール:2018年2月14日(水)開演19:00
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Text:高嶋直子 l Photo:Yuma Totsuka
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