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須藤晃(音楽プロデューサー)特別寄稿
ビルボードが【Billboard JAPAN 2017年間チャート】を発表(集計期間:2016年11月28日~2017年11月26日)。今年の総合ソング・チャート【Billboard JAPAN HOT100】は、星野源「恋」がラジオ、ダウンロード、ルックアップ、Twitter、動画再生数の5指標で1位という他を寄せ付けない強さで総合首位を獲得した。尾崎豊、玉置浩二ら時代を代表するミュージシャンをプロデュースした須藤晃氏が、チャートが示す“音楽が表現する現代”を語る。
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ないものねだり
ホームドラマがテレビで全盛期だった時代がある。作りすぎて作り手も視聴者も飽きてしまってブームは必ず終焉するから自然と廃れた。ホームドラマとは取り立てた事件もなく庶民の日常や街の風景を淡々と描き、そこには笑いや涙がちりばめられていた。そして次にトレンディドラマというものが流行った。時代の一歩先をいったオシャレでいかした男女の恋物語が中心で、胸キュンと言われるセンチメンタリズムに溢れていた。まるで余ったお金の使い道に困っていらないものに手を出すような風潮がはびこった。そしてそれにも飽きた後には、もっと刺激が欲しいということになり、人が殺されたり爆発現場が描写されたり、悪が主人公になりがちなクライムサスペンスのようなものに受け継がれる。約束事で縛られた虚構の世界ではダメで、リアリティが求められた。日本の映画もテレビドラマの後を追いかけるようになり、今は単純な恋ではなく、複雑な設定の中で深刻な愛と命の儚さを強調した文芸的な内容が多い。しかもスター至上主義のような作り方に大衆は辟易してしまったし、演じているという嘘が全てをチープにし、結局ヒット映画の大半はアニメになった。『君の名は。』には誰一人スターは出ていない。
音楽の世界に目を向けると、もともとは歌謡曲と呼ばれるプロがこしらえた歌手が歌う曲が主流だった。そのうちにシンガーソングライターと呼ばれるアマチュアリズムに根ざした自作自演の歌手が生まれ、その人たちはアーティストと呼ばれて才能の塊のように称された。自分の人生観や価値観を幼稚な形で主張したので、それは純朴であるがゆえにまるで斬新な哲学のようにさえ聞こえた。その流れが進化しながら、新しい音楽を作り上げようと目論んだ時代が続いたが、それほどの成果は挙げられていないかもしれない。またそれと並行していつの時代もアイドルが子供達の夢を飾りつけた。そして今はそのアイドルが中心の誰でも手を伸ばせば届きそうな世界がメインで、その集団的なチーム感が音楽シーンを作り上げているような気がする。憧れの人は手の届かないところにいたはずなのに、電車の隣の席に座っていそうな気配である。
さて今年のチャートを見たときに感じたことを書きたい。星野源とエド・シーランが特筆すべき現象ではないかと思う。なぜこの二人が注目されたのか?並み居るアイドルグループを差し置いて、チャートの上位にいるのか?
「人がみな 同じ方角に向いていく。それを横より見てゐる心。」啄木の『悲しき玩具』の中にある小さな歌である。僕はこれが時代を斬る表現者の共通項だと信じてきた。世の中がバブル景気で惚けていた時代に、「街の明りの下では誰もが目を閉じ闇さまよってる あくせく流す汗と音楽だけは止むことがなかった」と歌ったのは尾崎豊である。時代の空気の中で冷静に大衆の心の中に芽生えている種(たね)を的確に刺す。
星野源とエド・シーランの歌の中には、目に見える世相や現象の奥にある深層心理を的確に表現している言葉がある。星野源の「恋」を聴いたときに、恋する男と女の感情を通り越して、人としての存在の希薄さや孤独感を感じてしまうのは僕だけだろうか?流れに竿をさす歌が人々の絶大な支持を受けるのはいつの時代も真理なのだが、特に歌の意味合いが薄まったこの時代に彼らの言葉の重みは貴重である。二人とも、音楽的要素は様々なルーツを持つ音楽のミクスチャーである。新しさを感じるポップスである。それでもやっぱり基本的に自作自演だ。エドは共作が多いとか、星野源は人気ドラマの主題歌だったとか役者での貢献度も大きいとかダンスが目を引いたとか色々と言われる。されど、彼らは僕に言わせれば、一昔前には音楽のフィールドを群れをなして闊歩していたのに最近影を潜めていたシンガーソングライターなのである。
どこにでもある平凡な感性とはちょっと違った感触の作品を、独自のセンスで表現する古き良きシンガーソングライターなのである。「恋」の歌詞で、夫婦を超えてゆけ、二人を超えてゆけ、一人を超えてゆけ、この言葉が衝撃的だ。またエドの「Shape of you」の言葉の中で、「Your love was handmade for somebody like me」という一行、つまり君の愛は僕のような男のための手作りの愛なんだという言葉がキーワードじゃないかと思う。既製品ではないhandmadeのゴツゴツした質感を洗練されたサウンドで包み込まれたもの、それが星野源であり、エド・シーランではないか。
何が欲しいのかもわからないでいる大衆に、横から時代を見ている男たちの奇抜なようでオーソドックスなセンスが受け入れられているのではないだろうか。そして彼らはラジオやテレビというメディア情報だけではなくYouTubeやインスタやツイッターなどの新しいSNSからの発信で一瞬のうちに世間を席巻したのである。
歌とは時代のないものねだりなのであろう。
頑張れ、孤独なシンガーソングライターたちよ。
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