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安全地帯 『安全地帯 HITS』インタビュー
6月某日都内にて。スタッフに通された部屋で私が待っていると、外から軽快なリズムが響き出す。何事かと思って立ち上がると、なんとマイケル・ジャクソンの恰好をした玉置浩二が現れ、自分と笑顔で熱く握手を交わしてくれた。また、60分に及ぶインタビューが終わると「また逢えるよね!」とハグ、更には俺の名前を聞くなり「てっちゃん、玉ちゃんだ」なんていう有難いお言葉まで頂いてしまった。
安全地帯がレジェンドでありながら今キャリアハイを迎えられた理由は、この全力で誰かを楽しませよう、感動させようとする姿勢。また「俺たちがやるしかない」という並々ならない意思にある。まるで映画『THIS IS IT』でのマイケルに対する印象そのものだが、2010年代の彼らは正しくその領域に踏み入れていくつもりだ。誰に何を言われようが、最高の音楽で最高の未来を切り開こうとする玉置浩二の生き様、ぜひこのテキストを通して感じてもらいたい。
マラドーナが走ってる!試合に出ちゃった!みたいな感じ
--まず最初に今回『安全地帯 HITS』なるヒットソングスアルバムを発表することになった理由や経緯を教えてもらえますか?
玉置浩二:理由はね、全然ない!
--(笑)。
玉置浩二:プロデューサーが「浩二さん、今の声でもう一回昔の曲を歌いませんか?」って言ってきて。で、アレンジなんて全然変える必要ないなと思ったんだけど、俺が歌い直すんなら「俺も叩きたいな」「俺も弾きたいな」ってみんな言い出して。それでリードギターは昔のままだったり、コーラスが26才の俺だったりするんだけど、いろんなところを入れ替えちゃった。最初は『ワインレッドの心』と『恋の予感』だけだったんだけど、それをやったら「なんか、面白いね」ってなって、ヒットした恋の歌を全部録り直すことにしたんだよね。
--なるほど。
玉置浩二:ただ、同時に『安全地帯 XI ☆Starts☆「またね…。」』っていうニューアルバムを作っていたのも大きくて。『安全地帯 HITS』だけやってたら煮詰まってたね。「なんでこんなことをやってんだ?」って思うかもしれないけど、新しい曲も作っていたので、むしろ昔の曲を録り直すのが潤滑油として機能して。それでやってみたら「まさに今歌うべき曲なんじゃないか」って思うぐらい、すごく今の声と合ってて。24,5歳のときに歌っていた曲たちなんだけど、当時の自分には大人びてた。でも50歳になって歌ってみるとピッタリ合ってる。それはメンバーもみんな思ったみたいで、やってて凄く気持ち良いんだよね。だからアレンジは昔のまんまなんだけどニューアルバム。っていう表現が一番かな。
--個人的な感想なんですが、いわゆるベストアルバムというモノを聴いてここまで新鮮なエモーションを感じさせてもらえたのは初めての経験でした。思い出がフラッシュバックして終わるんじゃなくて、初めてその曲を聴いたとき、もしくはそれ以上の興奮を与えてくれる。
玉置浩二:すごく良いよね。すごく新しいものになった。例えばね、山手線があるじゃない。変わりようがないよね。それが僕らのヒット曲たちだとする。そこに大江戸線とかのメトロも走るようになって。「なんでこれが必要なんだろう?」って思われるかもしれないんだけど、使ってみたら非常に便利で「なるほど」ってなる。必要なものだった。このアルバムはそんな感じがするかな。
--ライブでは数え切れないほど歌ってきた楽曲たちですが、改めてそれをレコーディングで歌い直すというのはどんな気分でしたか?
玉置浩二:すごく新鮮だった。まるで初めて歌うような。昔のままのキーで、アレンジも昔の良いものが残っていて、テンポも昔のままだし、基本的には変えてないところに新しい音を入れているので、物凄く新鮮。「こんな感じでこんな風にやっていたのか」って驚いたし、歌としては「50になってやっと背伸びせず歌えるようになった」と自分では思っているので「よし行くぞ!本気出すぞ!」みたいな。今、アルゼンチン戦で「マラドーナが走ってる!試合に出ちゃった!」みたいな感じだと思う(笑)。
--僕は1人でも多くの人に今作を聴いてもらいたくて。特に安全地帯をもしかしたら知らない世代の若者に聴いてもらって、昔の自分みたいに衝撃を受けてもらいたいんですが、そうした想いって玉置さんの中にもありますか?
玉置浩二:そうなると良いよね。聴いてさえもらえれば、いけるんじゃないかな。こういう音楽が今はないから。あと、10代、20代って人生の90%が恋じゃない? 仕事もあるけど、好きな人とどうなるかってことしか考えてないし、それで良いんだからさ。で、安全地帯はずっと恋を歌っている訳だから、必ず詞的にも通じるし、サウンドとか歌は秀逸というか、余計なことをしてないから伝わり易い。「マクドナルドのセットはこれ!」「これ以上いりませーん!」そんな感じだから(笑)きっと届くと思うんだけどね。若い人にも聴いてほしい。
--なので、安全地帯がどんな歴史と想いを持ったバンドなのか、玉置さんの言葉を通じて若い人にも伝えられたらいいなと思っているんですが、まず自分では安全地帯ってどんなバンドであると感じていますか?
玉置浩二:安全地帯はね、本当に素直なバンド。この前ね、俳優の竹中直人ちゃんが会いに来てくれたんだけど、物凄い派手な真っ赤な服を着てて、そこに“八王子”“素朴”って書いてある訳。そんな感じ(笑)。見た目は派手にしてるんだけど、みんな素朴で。要するにみんな北海道の田舎っぺなんだよ。昔から何にも変わってないし、音楽の話しかしないし、それで50過ぎまで来たから、ずっとこのままで行くんだと思う。だから裏切りとかないんだよね。変な話なんだけど、人間関係とかで繋がってる訳じゃないので。音楽で繋がってるので、嘘がない。人間が悩むのって誰かに対する疑心でしょ。そういうのは一番辛いし、やっぱり信じ合えるのが一番良い訳だから。それを「俺たち、信じ合おうぜ」って言うんじゃなくて、音楽をやることで感じ合う。そこが嬉しいよね。
--あと、今作に収録されている楽曲のオリジナルはすべて80年代に発表したシングルになる訳ですが、安全地帯にとっての80年代って今振り返るとどんな時代だったなと思いますか?
玉置浩二:いやぁ~、世界的に凄かったよ。最強の時代じゃないかな。マイケル・ジャクソンが『スリラー』で最高のビデオを作って、あとダリル・ホール&ジョン・オーツが凄かったでしょ。マイケルが圧倒的に凄いことやってんのに、1位はほとんどホール&オーツだったりして。あと、フィル・コリンズも売れてたしさ、もちろんマドンナもいるし。今、伝説になっている奴がみんないたよね。で、今はさ、売れてるって言われるアーティストの曲を聴いても、その良さが分かんない。Ne-Yoはあの時代の流れを汲んでいるのか、分かりやすくて良いんだけど、あとはビヨンセにしても何にしてもほとんど分かんないね、曲が。タイトじゃないというか、歌がフェイクばっかりしてる。マイケルはそれも出来るんだけどやらないよね。作ったメロディをそのまま歌う。だから“KING OF POP”って言われるんだろうし。
Interviewer:平賀哲雄
41周年は安全地帯が陽水さんのバックバンドやります
--そうですね。
玉置浩二:で、あの時代はそれに対してホール&オーツとか、黒人に憧れている白人たちがいてさ。そんな感じだよね。ポップの殿堂というか、世界中の素晴らしいポップやロックが全部集まっていた気がする。で、90年代になると、例えばラップが主流になってきて、いろんな世界が広がっていくんだけど、80年代は「これが一番気持ち良いんじゃないか」っていうのをみんなが出していたんだよ。ジャーニーがいたりさ。
--誰もが最強のメロディを作ってやろう、みたいな。
玉置浩二:そうそう!
--安全地帯もそうですよね。
玉置浩二:そうだね。アメリカのサウンド大好きなんだけど、それを真似しても勝てる訳ないしなぁと思って。例えばスティーヴィー・ワンダーと同じことやっても仕方ないわけよ。だからやっぱり日本で良い歌謡曲を作っている人たちとちゃんと戦いたかった。俺らが出てきたときは、沢田研二さんなんかバリバリだしさ。ちゃんと作詞家と作曲家の先生がいてガチっとやっている人たちがいたわけ。そこに「ならず者が出てきた!」みたいな感じでさ、安全地帯が出ていくんだけど「ならず者のわりにはしっかりしたバンドだな」みたいな。
--当時、安全地帯みたいなバンドって他にいなかったんですよね。誰もがカラオケで歌いたくなるキャッチーさはありながら、サウンド的には結構難しいこともやっていて。
玉置浩二:ロックがやりたかったからね。でも「髪切れ」「スーツ着ろ」「何が安全地帯だ?名前変えろ。横文字にしろ」って言われて。ただ「安全地帯っていう名前を変えるぐらいだったら、僕はふるさとに帰ります!」って言って(笑)。そこだけ譲らずに髪切ってスーツ着てじっとして歌って。でもロックが好きだったからサウンドはしっかりしてるんだよね。で、歌はね、実は「今に見てろ」とその24歳のときには思ってたの。「俺が50になったとき見てろよ。誰にも何も言わせねぇぞ!」って。だからそれまでに変な癖を付けてワケ分かんないような年寄りになるんじゃなくて、10代の頃のようにストレートに、でも50代だからこそ得られる物凄いものを身に付けて「これが歌だ!」っていう歌を響かせる。そう決めていたから。ギターとかドラムは巧い奴は10代のときから巧いんだよ。でも歌はね、歳を取らないと巧くならない。どうしても声が若いし、いくら恋の歌をうたってもちょっと甘いんだな。でも今は歌が追いついた。だから昔は悔しかったよ。自分で曲作ってて、リーダーもやってるのに歌が追いついてないんだもん。他のメンバーの方が格好良いしさ、音も全然良いしさ。
--ずっとその悔しさを感じながら音楽をやっていたんですか?
玉置浩二:そうそう。「いつか見てろよ」「頑張って歌い続けていれば、いつか追いつく」って。そういう意味では今、バンドのバランスは最高だと思うけどね。やっと最高になった!
--安全地帯ってそもそもどんな音楽やアーティストに影響を受けた人の集まりなんでしょう?
玉置浩二:安全地帯を作った武沢侑昂(g)と俺はね、CSNY(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)。GAROがCSNYを好きって知って「え?ウッドストックのトリをやった人たちなんだ?」なんて驚きながら聴いてみたんだけど、眠っちゃうのよ。「面白くないなぁ、ポップじゃないなぁ」と思って。でも格好良いのは分かんの。何が格好良いかは分かんないんだけど。で、六土開正(b,key)と田中裕二(dr)と矢萩渉(g)は3人でジェフ・ベック・グループとかZZトップとかのコピーバンドやってたんだけど、格好良いんだよ。で、あるときに俺が勇気出して「一緒にバンド組まない?」「最強のロックバンドをやろう」って言って。それで5人でまずハマり込んだのがドゥービー・ブラザーズ。「ヘイ!ベイビー!」みたいな感じがあって、軽やかにスカっとしているところが、北海道に合ったのよ。空が広くて「ロサンゼルスだなぁ!」みたいな。そういう音楽をやりたいと思ってた。
--そんなロック然としたバンドが日本の土壌でポピュラーに成り得る音楽を創れた要因って何だったんでしょう?
玉置浩二:俺が生まれたときからばあちゃんが民謡の先生だったのよ。あと、小さいときから歌謡曲が大好きで。で、ロックが好きで、ビートルズも好きで。だから日本と海外の音楽、どっちが上とか下とか無いと思ってた。良いものは良いんだっていう。だから俺がいなかったら安全地帯は地味なブルースバンドになっていたと思う(笑)。でも俺がいて「みんなが聴いてくれるものから外れちゃいけない」って思うから。外れるのは簡単なんだよね。外れないでいるのが大変なんだから、そこを頑張る。
--しかもそこを好きで頑張れるのは強いですよね。
玉置浩二:そうだね。だって、コンビニ行ってさ、たまごサンドがないと寂しいもんね。だからそれはやりたいなって思ってたの。何をやっても、どう転んでも、そこだけは絶対変わらない。その結果、最長最強のロックバンドになったと思うんだよ。他のバンドはみんなメンバーチェンジしてるから。安全地帯の次がU2だよ。ストーンズはメンバー変わってるからね。サザンオールスターズも。
--あと、安全地帯が井上陽水さんのサポートミュージシャンをしていたのは有名な話ですが、そこでの経験もこのバンドがポップフィールドのど真ん中で活躍できたことに大きな影響を与えているんでしょうか?
玉置浩二:陽水さんに会えたのは本当にね、運命だと思うんだよ。こんな言い方をすると変だけれども、あの人が井上陽水じゃなかったら、その後の安全地帯はなかった。それは陽水さんの音楽っていうよりも人間性そのものの影響かな。先日、久しぶりに2時間ぐらい話する機会があって「俺は人生の中で本当に心配な奴がひとりだけいて、それがおまえなんだ」って言われて(笑)。「おまえが世の中にちゃんといて、社会的地位も認められて、ちゃんと音楽をやっていけるか、ずっと気にかけてんだよ」って。でも俺は「陽水さん、そんなことより新しいことやりませんか」って言ったのよ。陽水さん、40周年が終わったばかりだから「41周年は安全地帯が陽水さんのバックバンドやります」「俺が新曲作って持っていきますから、待っててください」って伝えて。マイケルの『ビリー・ジーン』みたいな曲を若いダンサーをバックに2人で歌えたらいいなと思ってるんだけどね。
--それが実現したらビッグニュースになると思うんですが、安全地帯の『安全地帯 XI ☆Starts☆「またね…。」』がオリコン週間ランキングでTOP3入りを果たしたのも、とても印象的なニュースでした。
玉置浩二:あれは正にユニバーサルが頑張ってくれたおかげだと思っています。俺たちは何十年にわたって同じ事をやってきているだけだから。プロデューサーをはじめ、ユニバーサルのみんなと会って、その人たちが「よしやるぞ!」って熱意をもってやってくれた。その力だと思う。情熱かな。パッションだな。で、そのパッションを会社中に伝染させてくれたのがプロデューサーで。安全地帯がキティに在籍していた頃に宣伝をしてくれていた奴なんだけど。そういう信頼できる人が今いろんなところで凄く力を持ってて、だから俺も遠慮しないで思い切ったことが言える。この前『ミュージックフェア』のスタッフやってる深瀬とも「エロが最高」っていう話をして。
Interviewer:平賀哲雄
エロにカッコイイはいらない。エロ。
--(笑)。
玉置浩二:「難しい歌なんていくらだって出来るじゃないですか。でもエロくて最高な歌はなかなか出来ないんですよ」って。で、ウチのプロデューサーも「浩二さん、エロっぽく行きましょう。みんな待ってますから」って言ってたんだよね。それで「俺、もう50過ぎてんだぞ」って言ったら「大丈夫です。でも10キロ痩せてください」って(笑)。結局その為に14キロ痩せてね。だから今度、倖田來未ちゃんに会ったら抱き締めてあげようと思ってて。「これが本当のエロだぜ」って。「エロにカッコイイはいらない。エロ。エロっぽく歌え」と教えてあげたい。あのね。エロっぽく歌うってなかなかできないから。実力がないと無理。俺からすると“エロかっこいい”っていうのは逃げなんだ。エロは本当のエロじゃなきゃダメよ。世界的にもそれをやれているのはマドンナとか、限られてるんだけどね。
--今日のインタビューを通してもビシバシ感じますし、先ほども「今作のエモーションは凄い」と言わせて頂きましたが、何故に今の安全地帯が放つ歌声や鳴らす音、発信する言葉はこんなにも熱いんでしょうか?
玉置浩二:いやぁ~、俺も不思議なんだけどね。実は俺「明日死ぬかもしれない」っていうぐらい本当のどん底まで行ったのよ。でもまだやることが残っていたんだね。生き残って戻ってきたときに「安全地帯」って浮かんだんだよ。で、どん底にいたときは難しい曲ばかり作ろうとしていたんだけど、みんなと話し合ったときに気が物凄くラクになって。「そうだよな。人生って面白くて楽しくないところに居れないよね」って思うようになったんだよね。俺、ときどき坊さんのところに行って座禅組むんだけど、20分、30分って続くと「このクソ坊主!説教なんか5分で終われよ!」ってなるんだよ(笑)。やっぱり“面白い”“楽しい”っていう瞬間が5分ないのは厳しい。でも音楽はそれを5分の中にいくらでも詰め込める。そういう意味では最強のエンターテインメントだと思う。で、俺はそれをまた安全地帯でやりたいと思ったんだよね。
--なるほど。
玉置浩二:そうやって立ち直ってきたのが大きいんだろうね。みんな「世の中が難しくなってて、誰も助けてくれなくなった」とか言うけど、あれは違う。自分で立ち直るしかないから。みんな手は差し伸べるけど、助けることはできない。自分自身で立ち直らせるしかないからね。だから今の安全地帯を聴いたら「安全地帯の音楽で勇気付けられました」って言ってくれるのも嬉しいんだけど「なんか分かんないんですけど、面白いッスね!安全地帯、良いッスね!」みたいな。それが一番良いかな。
--大体の場合、安全地帯ほどのキャリアがあったら全編ブルースとか、全編バラードとか、渋さオンリーになったり、落ち着いたりするんですよ。もしくはそこに抗おうとしてもパワーが不足してたり。でも安全地帯は今がキャリアハイかと思うぐらい、これはあくまで褒め言葉として使わせて頂くんですが、バケモンの域に入ってきてるなと。
玉置浩二:ちょっと入ってるね。完全に『スリラー』の域に入ってきた。キャリアハイだよね、今ね。で、みんなが相変わらず素朴なのね。つまり“ザ・ミュージシャン”なわけ。メンバーも俺に対して「浩二は会ったときから変わってない」って言う。たまたま有名人になっていろんな人と結婚したりしているけど、俺は昔から変わらない。昔から音楽の話しかしてない。
--あと、今ってこの5人で再び音楽がやれてしまっていること、また安全地帯の曲をでかい声で歌えてしまっていることの喜びがそのまんま歌や音に出てる気がします。
玉置浩二:そうだね。あと『安全地帯 HITS』で選んだ曲は、自分達の中では歌謡曲なわけ。ヒット曲を作った感覚。ところが何十年か経って今歌ってみるとさ、ガキの頃に憧れてた沢田研二さんとかがやっていたことを俺たちもやっていたんだなって気付くのよ。それが嬉しくてしょうがなくて、張り切って歌ってる感じなんだよ、今回のアルバムは。「やったー!これ、俺たちの曲だー!」みたいな。みんな誇りに思いながら作ったんじゃないかな。だから『安全地帯 HITS』は完全なるニューアルバムだよ。
--そんな完全なるニューアルバム『安全地帯 HITS』『安全地帯 XI ☆Starts☆「またね…。」』を引っ提げたツアーが7月よりスタートします。どんな内容にしたいですか?
玉置浩二:簡単に言うと、日常と年齢を忘れさせる。ドゥーン!って音が鳴った瞬間に、自分が何歳であるかも忘れちゃうの。思い出させる暇も与えない。一切話なんかしないでうわぁぁぁぁ!!って音楽を響かせ続ける。それで帰り際に「今日は主人と久々に愛し合おうかな」とか「彼に連絡してみよう」とか、みんなが好きな人に電話したくなるようなライブをやりたい。あと「日々の決め事なんかに負ける必要はないんだ」「いいんだ、それで」って思えるようなものにしたい。
--18年ぶりの日本武道館も決定しましたが。
玉置浩二:武道館は何回もやってるんだけど、昔は音が酷くてどうしようもなかった。でも今はホールより音が良いからね。上にスピーカーを吊るようになって。そうなった武道館でやれるのは嬉しい。ちなみに武道館で360度、裏にもお客さんを入れたのって俺たちが初めてだったんだよ、実は。そのときは15,000人って言ったかな?それが最高だって。
--そんな武道館や海外公演を含んだツアーの先も、安全地帯としての活動を続けていきたい気持ちは強いんでしょうか?
玉置浩二:ずっとやる。誰かが死ぬまで。生きている限りはやる。
--そうなると全員長生きしてもらうしかありませんね。年重ねるごとに良くなるなら、どこまで行くか見てみたいじゃないですか。
玉置浩二:そうだね。あと安全地帯でやりたいことがまだあってさ。俺が子供の頃、飯を食えないで死ぬ人たちが世の中にいるって知って「そんなことあり得るのか、俺はこんなに飯食ってていいのか?」って本当に思ったの。で、そういう人が未だにいるんだよね。だったら安全地帯から生まれるものを全部まとめて物資に変えて、アフリカに送ろうと思って。それで売名行為と言われようが、報道陣の前で敢えて「良いことやってますよ」っていうところを見せる。勝手にやってちゃダメなんだ。俺、勝手に赤十字に10年間ぐらい100万ずつ寄付して表彰されたりしてたんだけど、みんなに見せないとそれで終わっちゃうんだ。「薄汚ねぇな、格好付けやがって」って言われるかもしれないけど、別にいいんだよ。50過ぎてんだから何言われたっていい。とにかく金じゃなくて物資に変えて食べ物が無いところに届ける。毎年届けに行こうと思ってる。なんか、その為の名前って感じがするんだよね、安全地帯って。で、いろんなアーティストを巻き込んでいきたい。もうマイケル死んだしさ、俺たちがやるしかないよね。
Interviewer:平賀哲雄
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