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ザ・ナショナル 『スリープ・ウェル・ビースト』インタビュー~マットが語る最新作&アートと政治
1999年にNYブルックリンで結成され、名実とともにアメリカを代表するインディー・ロック・バンドとなったザ・ナショナル(The National)。そんな彼らの7枚目となるスタジオ・アルバム『スリープ・ウェル・ビースト』(Sleep Well Beast)は、これまで以上にバンドとしての一体感が感じられる、過去最高に実験的かつ揺るぎないアルバムと言えるだろう。不安定な世界情勢や自身の結婚生活に苦悶する姿を情緒豊かに綴るフロントマンのマット・バーニンガーの詞、ここ数年のメンバー個々のプロジェクトも反映され、スケール感の増したアレンジやプロダクションは、彼らのバンドしてのポテンシャルをさらに押し上げるものとなっている。プロデュースは、メンバーのアーロン・デスナーを中心に、ブライス・デスナー、そしてマットによって行われ、アーロンが新たにニューヨーク州ハドソン・バレーに建設した<ロング・ポンド・スタジオ>で主に制作された。
今回はマットが最新作をはじめ、ツアー生活や彼らのカタログの中でも人気が高く今年リリー10周年を迎えた『ボクサー』について語ってくれた。また、インタビューが行われた日は、米シャーロッツビルで極右派と反対派との衝突が起きた直後ということもあり、政治とアートの関係性、そして現代においてのアーティストとしてのあり方についても自らの見解を示してくれた。
TOP Photo: Graham MacIndoe
グレイトフル・デッドの向見ずさというのは、今作に反映されている
――週末にデンマークで行われていた【Haven Festival】からアメリカに戻ってきたばかりだと思うですが、フェスはどうでしたか?
マット・バーニンガー:グレイトだったよ。記憶しているだけで、1回はステージ上で素っ転んだ…もしかしたら2回だったかもしれない(笑)。あいにくの雨模様でね。リハーサルや他のアーティストとのコラボのために丸1週間コペンハーゲンにいて、Ragnar Kjartanssonと一緒にミュージック・ビデオも撮影したんだ。
――このフェスをはじめ、メンバーのブライスとアーロンは、キュレーションや他のアーティストとのコラボを通じて、新たなフェスの形を提示しようとしていますよね。
マット:あぁ、あの二人はものすごく野心的なアーティストで、「フェスとは何か」というのを再定義しようと試みている。ジャスティン・ヴァ―ノン(ボン・イヴェール)についても同じことが言えるね。色々な形で開催して、何が上手くいって、何が上手くいかなったか、というのを模索しているんだ。【Eaux Claires】はいい成功例だし、ベルリンではもっと実験的な催しを行っている。今回の【Haven Festival】もその一環。ボストンでは、よりコマーシャルなフェスをやっているし。いい仕事をしてると思うね。特にアーティスト同士のコラボを重視している部分が、すごくクールだ。
▲ 「HAVEN Festival Copenhagen」
――アメリカのフェスに顕著だと思うのですが、ラインアップのマンネリ化や環境だったり、パフォーマンスしている側としても新鮮味がなくなりますか?
マット:俺の場合は、野外、マーキュリー・ラウンジ、グラストンベリー、会場は関係なく、自分だけの場所にいるって感じなんだ。周りの環境を完璧に締め出すというわけではないんだけれど、多少は遮ってる。パフォーマー、シンガーとして20年近くやってきているけど、どのように恐怖を克服するか、というのをいまだに探ってる。大体の場合、ステージ上では不安に押しつぶされそうなんだ。だんだん楽しめるようになってきてるけど。でも、決して退屈することはないね。パフォーマンス以外の部分―移動、空港、バックステージとかは、自分なりに変えようとしてる。最近はアフターパーティーにも行かないし、ショーの前後もあまり社交的じゃない。
――それはなぜですか?
マット:きちんとパフォーマンスできるかが不安で、それどころじゃないんだ…うまく受け答えができない。何か話かけられても上の空になってしまうから、気まずい空気になり、いつも相手に悪いって思う。自分の振る舞いが原因でね。なんというか、俺って人に対して温かくないんだ(笑)。
――そんな感じはしないですが(笑)。
マット:すごく嫌な奴とかではないんだけど…。自分にとってハードなんだ…喋ると疲れるし。だから、その部分はシャットアウトした。ツアー中の俺は、やることをやって、すぐに扉を閉めてしまう。社交的なパーティーという感覚ではなくて、俺個人のパーティーだな。ホテルの部屋で、さほど酒を飲むこともできない…既にステージ上で大いに飲んで、多少ハッパも吸ってるから、それでストップしないと。これが俺のパーティーなんだ。こんなこと言ったら、すげえつまんない奴って思われるかもしれないけど(笑)。ツアーは楽しいし、ステージ上でも楽しいけど、いわゆるロックスター的なバックステージでの楽しさではないんだ。俺は大体ホテルの部屋にいるから。
――そういう時は曲作りをしているんですか?
マット:あぁ、EL VY(マットとラモナ・フォールズのブレントによるプロジェクト)のアルバム収録曲は、ほとんど前作『トラブル・ウィル・ファインド・ミー』のツアーをやっていた時に書かれたもので、新作『スリープ・ウェル・ビースト』の多くの曲はEL VYのツアー中に書かれたもの。弟や妻ともいくつかプロジェクトを進めていて、他にもちょこちょこ取り掛かっているものがある。ホテルに戻って時間を有効に使うことで、気分が落ち込むのを少しばかり防げる。妻や娘と頻繁に連絡をとって、作業するのみ。そうしないと、ツアー中はひどく落ち込みがちなんだ。寝る時間も不規則で、3時間寝て、3時間起きてを夜昼問わずに繰り返す。時差もあるし、すごく特殊な環境で、順応性がないとやっていけないね。あとは、目立たないように静かにして、酒の飲み過ぎで死なないようにするのみだな。
――他のメンバーはどうでしょう?
マット:みんな自分のペースでやってるよ。他のメンバーは、オフがあると近隣の美術館や地元のレストランに足を運んだりしている。俺もたまには行くけど、そういうアーバンな環境より自然の方が好きでね。野原や海辺とか。でもライブ会場の近くに自然があるのは稀だな。一人の時間がないとやっていけないんだ。身体的にも、特に精神的にハードだからね。
▲ 「Guilty Party」(Live)
――最新作『スリープ・ウェル・ビースト』は、これまで以上にエレクトロニックスの要素が色濃く、バンドのサウンドスケープを押し広げるのに一役買っていると感じたのですが、これは意識したことの一つでしたか?
マット:確かに今作は、エレクトロニックスが多用されている―ノイズやビートなどの電子的なサウンド、ドラム・マシーンとか。でも、特にそこにフォーカスしたわけでもなくて、そういう話を事前にしていたわけでもない。むしろ俺たち自身もこんなにもエレクトロニックスに焦点をおくことになるとは思っていなかった。これまでもそういった要素はあったけれど、今作ではそのヴァイブがより強い曲を一つに集めたという印象で、“エレクトロニックス”という言葉は一度も上がらなかったし、アルバム制作において、一つのツールでしかない、という感じだな。
――なるほど。
マット:それよりも時間をかけ、個人的なことでお互いにいがみ合わないことにフォーカスした。もちろんクリエイティヴ面においての対立は必要。メンバーが5人いるからアイディアが対立することは当たり前。けれど、いずれどこか中間で落ち着くから、喧嘩するほどのことでもない。そこが一番の変化だと思う。締切のプレッシャーや誰がクリエイティヴ面をコントロールするのか、これは誰のアイディアなんだ、俺たちはどんなバンドになるべきなんだ、とか話しても最終的に結論がでないようなことに時間をかけるのを止めた。これが結構大きいと思う。
――加えて、この3~4年の間にメンバーが参加してきた他のプロジェクトからの影響が、過去の作品以上に反映されているのも、作品の幅を広げたような気がしました。
マット:具体的にこれが誰のアイディアとかはわからないと思うけど…5人のアーティストが文字通りコラボレーションをして作り出している音というのは間違いない。例えると、今の俺たちは、お互いの強みが分かっていて、フィールド上で正確に動ける野球のチームみたいなものだと思う。そこから必ずいいアイディアが生まれるかは別だけど、上手くいってなかったら、即座に旋回して新しいアイディアを考えつくことができる。一つのアイディアに執着しなくなったのも大きいね。
――今まではそれがネックになっていた部分もあるんですか?
マット:あぁ、アートを世に出すという行為は、他人にジャッジされることを求めているわけで、それを拒んではいけないと思う。
自分がアーティストで、アートで生計を立てていきたいと言うのは、自分をマジシャンだと言っているのと同じこと。そう謳うんだったら、マジックができて、それを人々に見せられなければ、意味がない。それは俺たちも同じで、自分たちのことをロック・バンドと呼ぶんだったら、それを人々に提供できなければ、価値がない。自分たちのことを「ロック・バンドだ」と言うことはシリアスなことで、ロックは重要なアートフォームだと感じている。とはいえ、ロック・バンドでい続けることが大切だとは思ってない。ギター、ベース、ドラム、シンガーがいるというのは、時にジャズが型にはめられるのと同様に単なるフォーマットであって、そこにこだわるつもりはない。
――ただの形式だということですね。
マット:弟が撮ったドキュメンタリー(『ミステイクン・フォー・ストレンジャーズ』)で描かれている姿も、自分の大きな役割の一つだと思う。でも、自分たちがロック・ミュージシャンだなんて思っていないんだ。傍から見ると、そう認識されることが多いだろうけど。ボーイスカウト的な例えをすると、俺の場合はロック・バンドのリード・シンガーと書かれたワッペンで形容されるんだろうけど、自分にとってはやはり父親というワッペンが最も大切だ―娘の父親、妻の夫、母と父の息子というワッペンが。ステージ上でどんなヘマをしても構わないけれど、いい父親、そしていい夫でありたい。ロック・バンドのシンガーや弟と映画やTV番組を制作している自分は、その次なんだ。ブライスのことをロック・ギタリストと形容するのは…間違ってはいないけれど、彼は優れた作曲家でもあるし、アーロンは素晴らしいプロデューサーだ。そのおかげでバンドに柔軟性が生まれる。もしこのバンドが結婚だとしたら、オープンなもので、他のメンバーが外でシリアスな関係を築いても、クールなんだ。その方がバンドにとって健康的で、お互いに嫉妬することもない。
――それらの“関係”の中でも、『デイ・オブ・ザ・デッド』のプロジェクトから培った実験的な部分や曲やアイディアとの向き合い方というのは大きかったように思います。
マット:グレイトフル・デッドの“スピリット”は、このアルバムに紛れもなく影響を与えたと思う。音楽的な部分もあるけれど、とりわけアティチュードの部分はそうだね。急に方向転換することが許されたり、細部までコントロールしなかった。デッドの場合は、社会政治学的な面、セックス、クスリの部分とか―多少単純化して話してるけど、とにかく何もコントロールしなかったから物凄いカオスに陥った感もあるけど(笑)。パフォーマンスなどクリエイティブ面においての彼らの向見ずさというのは、参加していた他のメンバーたちが持ち帰ってきて、今作に反映されていると感じる。
俺は「Peggy-O」や「Morning Dew」をレコーディングで歌っていて、ライブで披露する程度しか関わっていなかったけれど、他のメンバーはボブ・ウィアーとツアーをしたことで、音楽に対して新たなアティチュードを持つようになった。すごく健全なアティチュードを。ボブは「細かいことにこだわるな」ってよく言うんだけれど、その言葉は特にアーロンに大きな影響を及ぼした、と思うんだ。これまでアーロンは、何もかも手を抜かずにやらなければ気が済まないタイプだったんだけど、今は大分その気質が和らいだ。ここ数年間で、彼はアーティスト、コラボレーター、そして友達として、興味深い成長をしたと感じる。他のメンバーも常に成長しているしね。
▲ 「Peggy-O」(Live)
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詞を書くときは、音楽に反応している
憂鬱で気が滅入るものが多いってよく言われるけど、半分はアーロンとブライスのせい
――今作は、アルバム・ジャケットにもなっているアーロンの新しいスタジオで制作された初の作品ですよね。
マット:レコーディングはいくつかのスタジオで行った。アーロンの新しいスタジオは、約1年ほど前に完成したんだけれど、その翌日…文字通りペンキを塗り終わった次の日には、俺は到着していた。スタジオが完成する前にLAやニューヨーク州北部の教会とか、様々な場所でレコーディングされた音源を持ち寄って、彼のスタジオで“調理”したんだ。けれどその後ほぼボツにして、真っ新な状態からスタートした。あそこは俺たちの新たな本部ってとこだな。これまでもアーロンが所有していたスタジオでレコーディングしてきているし、彼はまるで俺たちの世話係。そしてアーロンが拠点を移す場所に機材もすべていく…なぜかね。
――スタジオの環境がマット自身に与えた影響はありますか?
マット:スタジオは、素晴らしく美しい場所にあって、池に面している。この池がアルバム制作中の俺のクリエイティブ面に大きな影響を与えたのは明らかだ。黒や赤の野鳥、亀や蛙もいて、彼らが動くの観察していると、そのうちとても音楽的に見えてきた。機嫌が悪い時や頭を冷やすためにひと泳ぎするのにも最適なんだ。スッポンにかまれないようにしながらだけど(笑)。そうすると気分が落ち着いて、リフレッシュするから、かなり役だった。健全な環境で、アルバム作りに最適だったね。
――ここ数年間で、ソングライティングのプロセスに変化はありましたか?
マット:昔は、何かを聴いたりした時に、ノートへアイディアを頻繁に書き留めていた。でもそのうち、ノートが山積みになっていくのを見ると気が滅入るようになって…蛍光色のポストイットがあっちこっちからはみ出ていて、多分25冊はあると思うんだけど…。後から「あのいいアイディアはどこに書いたんだっけ?」と思って、探すんだけれど、見つからないこともまたストレスになったから、今はパソコンのWordで書くようにしてる。アーロンとブライスが送ってきてくれたアイディアやスケッチを聴きながら、自由連想してブツブツ言いながら言葉を書き留めていく。何か月も何か月も、その繰り返し。そして、その中からしっくりくるものや自分が気に入ったものを見つけて、形にしていく。妻にもアイディアを聞いてもらって、詞を直してもらうこともある。すごく時間がかかる、奇妙なプロセスなんだ。詞を書くときは、音楽に反応している。俺が書く詞は、憂鬱で気が滅入るものが多い、ってよく言われるけれど、半分はアーロンとブライスのせいでもある。彼らが送ってきた音楽にリアクションしてるだけだから。その点は、俺ばかり責めないでほしいね(笑)。
――新作に多少外向きであったり、一人称で書かれていない詞があるのは、奥様カリンさんの存在が大きいのでしょうか?昔からコーラスや、ライティングの部分にも携わっていると思うのですが。
マット:確かに、彼女の存在はこれまで以上に新作へ影響を与えているんじゃないかな。彼女は『ボクサー』の頃から俺の詞やライティングのプロセスに重要な存在なんだ。カリンとは『アリゲーター』の制作中に出会ったんだけれど…あの作品にはまったく関わっていないな。その次の『ボクサー』の制作からは、アイディアが浮かぶたびに、スケッチやデモが出来上がるたびに、彼女に聴いてもらっている。ライターとエディターの仕事していて、聡明でユーモアのある女性なんだ。彼女のメインの役割は聴いたものに対して、「イエス」か「ノー」と言うこと。そこから詞を磨くのを手伝ってくれている。
トム・ウェイツも妻のキャスリーンと曲を書くから、その関係性について「彼女が洗濯をして、俺がたたむ」って言っていたけど、うちの場合はその反対だね。彼女がアイロンをして、磨きをかけてくれる。俺たちのレコードで「いい詞だ」と評価されてるものは大体彼女が手掛けたものなんだ。どれかは一生明かさないつもりだけど…というか、どれか忘れてしまっていて、そのまま俺の手柄になっている感じなんだ(笑)。
――(笑)。仕事、そして私生活両方を自分のミューズと分かち合うことは、時に困難でもありますか?新作には、結婚生活の破綻についての曲もいくつかありますが、曲に書かれていることすべてが実際に起こったことは限りませんし。
マット:これまで俺たちは何度も修羅場を経験してきている。さっき話したように彼女もアーティストなんだけれど、お互い惹かれあったのは、相手の頭脳、芸術家気質、肉体もそうだけど…2人ともエモーショナルなアーティストだから、お互いの作品に関与しないわけにはいかない。やはりそこから問題や摩擦は生じるけれど、みんなが思っているものとは少し異なるんだ。そういった問題について話し、掘り下げていかなければならないのは、彼女も承知している。結婚生活の破綻についてと見せかけて、実はアーロンについて歌ってる曲だったりもする。俺と他の何かの関係性が壊れていっていることについての曲や詞―それはお互い結婚生活が良好だと分かってるからこそ可能なんだ。
問題はそこじゃなくて、パートナーと一緒に仕事をすること…特にアート関係は推奨できない。なぜかってとてもエモーショナルなものだから。バンドのメンバーとの関係性も、エモーショナルで密接なもので、今にも爆発しそうなことがあるけれど、だったら距離をおけばいい。けれど夫婦だとそれができない。それ以前に、子供、そして結婚生活という最大のアート・プロジェクトに取り掛かっているわけだから。その上に、ロック・アルバム、TV番組や映画を作ろうとするのは妙なのは確かだけど、同時にアメイジングでもある。
彼女は俺にとって最も重要なクリエイティブ・コラボレーター…多分出会って1週間後ぐらいから今までずっと。どうやればうまくやっていけるか分かってるんだ。みんなが想像してるほどにドラマチックな関係じゃないんだよ(笑)。仮に俺にとってグサリと突き刺さるような詞を彼女が考えついたとしても、俺は彼女にそれを言ってほしいし、彼女もそれがいくらハードでも俺に歌ってほしいと願っている。そうやって曲を作りながら、ある種の対話をする。あとでプライベートで自分たちの問題に取り組むきっかけにもなるしね。かなりトリッキーだけど、俺たちはうまくやりのけていると思う。
――なるほど。そんな彼女の名前をタイトルにした「Carin At The Liquor Store」は、前作収録の「Pink Rabbits」を彷彿させる、美しく物憂げなピアノ・バラードに仕上がっています。
マット:アーロンのピアノの弾き方は独特で、彼のように弾く人には今まで出会ったことがない。言葉で説明するのが難しいんだけれど…彼自身の心臓の音やDNAに自然とマッチするようなパーカッシブな奏法パターンとアクセントで、自然とプレイするんだ。君が上げた2曲は、アーロン特有のピアノの感触があるよね。「Carin~」は、彼が送ってきてくれたスケッチの時点で90%ぐらい完成していた。音楽に必要なエモーションはすでに完璧だったから、俺にとってのチャレンジはそれと同じレベルのエモーションを持つ詞を書くことだった。彼にとってこの曲は、アルバムの制作中に癌で亡くなった義理の母の死と深く結びついている。だから俺もそれと同じぐらいパーソナルなものにしなきゃ、と思っててね。それが物事の仕組みということ。それもあって今回は妻の名前を正しい綴りで使ってる。
――“Karen”ではなくてですね。
マット:そうそう(笑)。「Karen」は、紛れもなく彼女についての曲。彼女の母親がマリン・カウンティ(Marin County)に似せてCarinと名付けたんだけど、発音はカリンだ。でも小さい頃から周りにずっとキャレンって呼ばれてて、あの曲を書いたことで、みんなをさらに混乱させてしまったようだ。元々妻は“At The Liquor Store”というタイトルにしないでくれ、って言っていたんだけれど、俺はその必要性を感じていた。最終的には理解してくれたけどね。
▲ 「Carin at the Liquor Store」
――マット自身、自分が誤解されている、と感じる部分はありますか?
マット:惨めで憂鬱な奴だと思われていること。これはバンド全体に関して言えるんじゃないかな(笑)。俺が歌ってることが、メンバー全員にも当てはまると思われてるから。その真逆だとは言わない。ちょうど中間ぐらいで、そこそこハッピーだよ。これまで得てきたものには感謝してる。落ち込みがちな時もある。それはちゃんと食べてないとか、ハッパの吸いすぎ、ドナルド・トランプ、ただただ気力がないとか、理由は様々だけど…そのおかげで曲が書けている部分もある。よく「死について頻繁に歌っているよね?」って質問されるけれど、死なんて毎日頭をよぎるものだ―自分の死であれ、家族の死であれ。
――年齢を重ねていくと、特にそうですしね。
マット:関心を持っているかどうかの問題。でなきゃ、自分の時間、人生、ソウルで何をするんだ?人生はたった一つしか与えられないもの。映画のように続編があるわけじゃない。だから曲の中に…女の子、酒を飲むこと、セックスや結婚生活についての楽しげな曲も多少はあるけど…運が良ければ、これからずっと、一生歌っていくものなわけだから、内容の稀薄なものだったら仕方がない。せめて何かヘヴィな題材を紐解くのを試みるような曲でなきゃ。仮にそういったことに触れていない曲だからといって、アルバムに収録されないわけではないけれど、多分収録されないだろうね。
▲ 「Day I Die」
――ヘヴィな題材といえば、「Walk It Back」では、ブッシュ政権で大統領補佐官を務めたカール・ローヴの発言が引用されていますが、これはやはりアメリカ政治の現状を踏まえた上でのことでしょうか?
マット:たしか2000年台中盤だったよね。でも公には自分の発言だといまだに認めてない。あのサンプルを加えたのは、トランプが大統領選に勝利したことが関係していて…勝者が確定して何日か経ったらすべてを締め出したくなった。その数日前に状況を理解しようとして色々読んでいる時に、例のカール・ローヴの発言にまた直面した。あれは、偽りの事実であっても、それが本当だと人々に信じさせることができれば、何をやっても構わないって、大声で言っているのと同じだ。彼は、人々は“現実に根ざしたコミュニティ”に住んでいると話し、なぜそれが 現実性に欠けるか説いている。すごく恐ろしいことだと思う。なぜ、これほど醜くて、恐ろしいことを口にできるんだ?そして人種差別やナチズムを掲げた人々が現代のアメリカで普通に暮らしているという事実。こんなことを公の場で言った人がいる、ということに焦点を当てたかった、というと大げさだけれど、みんなに知って欲しかった。いまだに自分が言ったことを認めていないし。とてもダークで邪悪な発言だけど、そこから何か面白くて変で…かつ人を考えさせるものを作ろうとしたんだ。レコーディングで実際に言っているのはリサ・ハニガンで、その上から俺が同じ文を復唱している。恐怖と一部ハッパの力から生まれたパートなんだ(笑)。それにリサは、(アニメ・シリーズの)『Steven Universe』でブルー・ダイアモンドの声を演じているから、ピッタリだと思って。
――ちなみに、「The System Only Dreams in Total Darkness」の冒頭のヴォーカルもリサですか?
マット:いや、リサのヴォーカルはアルバムの色んなところで使われてるけど、あれはビューク・アンド・ゲイスのアロン・ダイヤーだよ。彼女も何曲かで歌ってる。
――加えて「Walk It Back」や「Turtleneck」など数年前からライブでプレイしていた曲は、アルバム・ヴァージョンに落ち着くまで、何度か変化を遂げています。特に「Turtleneck」は、初期の楽曲の衝迫性やラフさに通ずるものがあって、どうアルバムにフィットするのが気になっていたのですが、テーマ的にも案外しっくりきていて。
マット:ライブで演奏するほど荒々しくなるのは確かだし、俺もいつもより高い声で歌ってて…あれが限界。今はハーモニーも加えているから、アルバムのバージョンからも更新されてる。制作プロセスの終盤に出来上がった曲で、混乱、恐怖、怒り、フラストレーションなどの感情をむき出しにした叫びという感じだね。この曲と「The System Only Dreams in Total Darkness」は同じスケッチから派生したもので、「Turtleneck」は俺…むしろこれは妻のアイディアだったかな…一番ラウドな部分とカフカっぽいギター・パートやドラムをループにしてる。だから曲がスタートしてすぐにフルエネルギーに到達していて、切迫感がある。俺にとってカタルシス効果があった曲。詞についてはあまり深く考えたくなくて…政治、セックス…とにかく怒りを表現してるんだ。
▲ 「The System Only Dreams in Total Darkness」
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アーティストが政治を作品に持ち込みたくないと言うのは理解できない
――今年リリース10周年を迎えた『ボクサー』についても伺いたいのですが、今振り返ってみてバンドにとってどのような意味がある作品だと感じますか?
マット:『アリゲーター』でいい評価を得ることができて…あのアルバムは俺がわめきまくる曲が多かった(笑)。自分たちの中でややプレッシャーもあって、う~ん、レーベルからも少しばかりはあったか。「君たちの強みをさらに引き出した作品にしよう」って…たとえば俺が叫びまくる「Mr. November」とかがバンドの強みだと思われていたようだった。でも、実際のところバンドとしてはそこまで強みだとは思っていなくて…個性の一つと言ったらそうなんだろうけど。だから、『ボクサー』では、これまで作ってきたレコードと同じような作品にしないようにし、必死に自分たちの可能性を広げようと試みた。そこが肝だった。『アリゲーター』とはまた違う作品だったけれど、それがうまくいったことによって、今後はどんなことをやっても大丈夫だ、という可能性を示してくれた。自分の直観、ハート、勘だけを頼りに作り、成功を収めたことで、何かが証明されたような気がした。
完成した時、俺はいい作品ができたと確信していた。ところがアーロンは少々神経がやられていて…それは俺と彼の間で意見が合わなかったからではなく、一晩でバンドが消えてしまうのではないかという恐れが常にあったから。一緒にツアーしてきたり、友人だったバンドにそれが起こってきたのを目の当りにしてきたから、アーロンは自分たちにも同じことが起きるのではないかと恐れていたんだ。アーロンはあの時正気を失っていた。ところが結果的にうまくいったことで、少し経ったらアーロン自身の考えや自信、そして彼のバンドに対する理解まで変えることとなった。それは、他のメンバーも同じだ。その次の作品(『ハイ・ヴァイオレット』)の制作もとてもハードだったけれど、既に『ボクサー』で大きな山を越え、向こう岸へ渡っていたから、窮地には追い込まれなかった。その後は困った状況に陥るのをなるべく避けるように制作に取り組むようになった。
▲ 「Fake Empire」(Live)
――同じくこの頃、「Fake Empire」がオバマ元大統領のキャンペーン・ソングに起用され、“Mr. November”Tシャツを発売したりなどで、バンドの政治に対する姿勢が公知されることとなりました。マット個人にって、アートと政治は切り離せないものですか?
マット:確かに、『ボクサー』にはブッシュ政権へのレスポンスとして書かれた「Fake Empire」などの政治的な曲がある。レべラルや左翼のアメリカ人にとって、この時の大統領選の結果は大ショックだった。俺はずっと左翼で、政治に意識的で、リべラルのために戦う姿勢を見せてきた。家族全員が感謝祭で集まった時、政治の話でみんなをうんざりさせるのが俺だ(笑)。ブッシュが勝利したことはやはり衝撃的で、それがきっかけでアメリカという国について深く考えるようになった。「Fake Empire」では、初めて個人と政治の結びつきについて触れ、パーソナルな曲とポリティカルな曲の境界線が曖昧になった。そして今では、全くと言っていいほど曖昧だ。
――どのアートにも、影響を受けている、または与えているなど、ある程度社会と繋がりがありますし。
マット:うん。小説家、映像作家、劇作家…振付師もそうだな、彼らが政治とアートを棲み分けているという話は聞いたことがない。けれど何故だかアーティストは別々にしたがる。俺にとってそこの区別はない。政治とは、とてもパーソナルなものだ。アメリカのカレッジ・タウンにネオナチが集まっていると聞くと、それはパーソナルだ。なぜなら彼らによって自分の家族や親友たちが痛めつけられる可能性だってありえるから。そして女性たちが自身の自律への権利を拒否されることは、彼女たちを弾圧しているの同じで、それもパーソナルだ。なぜなら俺には娘がいるからだ。アーティストが政治を作品に持ち込みたくないと言うのは理解できないし、そんな連中が本当のアーティストなのか自分にはわからない。そんなのアートじゃないと思うから。自分のアートから愛やセックスは省くのと同じで、俺はそんなアートには興味がない。
――ザ・ナショナルは、ラヴ・ソングにも難なく政治やユーモアを織り交ぜることができる稀有なバンドの一つだと思います。
マット:ラヴ・ソングは、とてもポリティカルなものだ。自分、そして他の人間に対しての感情について敬意をもって書くこと…自分の性的願望、そして恐れ…それがたとえ人種についてでも。そうしなければならないんだ。(「All The Wine」の)“I'm a birthday candle in a circle of black girls”(俺は黒人の女子の輪に囲まれたバースデー・キャンドル)という詞についてよく聞かれるんだけど、曲の中で自分が人種隔離や差別が色濃く残る(米オハイオ州)シンシナティ出身の白人の男だというのを認めている。高校も白人しかいなかったし、友達もほとんど白人だった。その環境からブルックリンの白人が一人もいないような地域に引っ越したから、そのコントラストにすごく自覚的で意識的になった。俺にとって大きな変化で、啓発的なことだったから、そのフィーリングを曲に注入しなければと思った。そうしないと聴き手にとって意味のある、興味深いテーマやアイディアを逃すことになると思う。
――一理ありますね。
マット:ニーナ・シモンほど、クールなアメリカを代表するアーティストはいないよね。彼女はクレイジーで、痛みを知っていて、彼女こそ真のアーティストだ。同時にとても政治的で、それをアートと区分することがなかった。だから、現代のアーティストが、自分のアートと政治的見解を切り離すトレンドがどこから生まれたものなのか、不思議で仕方がない。これから作品をリリースするアーティストたちがこの問題を避けようとする場合、その作品について話す人はあまりいないんじゃないかな。もちろん俺もいいポップ・ソングは好きだけど…。
――ガツンと響くものがない。
マット:そんな作品を聴いてる時間がもったいないって思うんだ。何かもっと中身があるものを望んでいる。現実逃避できるものは必要と言われるかもしれないけど、でもそんな作品ばっかりになったら世の中どうなるんだ。誰の得にもならない。
――ということは、最近のヒット曲などは全く聞かないですか?娘さんもそろそろポップ・カルチャーに興味を持ってくる年頃だと思うので、訊きたかったのですが。
マット:あ~、ごくまれに最新曲のプレイリストは聴くけれど…ほとんど聴かないね。別にそういう曲を非難しているとかではないんだ。音楽を作るのに多くの時間を費やしていて、大体ヘッドフォンをして作業をしている。2つのバンドに所属し、大好きな音楽を一生懸命作り続けることができる反面、純粋に音楽を楽しむ時間が昔のようにない。今やっと時間ができ始めてるところで、ちょっと前にリリースされたビッグ・シーフのアルバムはよく聴いてる。あと、ヒット曲かどうかは知らないけど、あのマウント・キンビーとキング・クルーエルの新曲は、俺に言わせてみれば今一番ビッグなレコードであるべきだね。今最も満足感とカタルシス効果がある曲なんだ。一言も詞を知らないけど、すごくポリティカルな感じがする。だから、言葉や詞で政治を謳えばいいというものでもないんだよね。
――分かりました。今後行われる新作を引っさげたツアーは楽しみですか?
マット:イエス!とても。
――この曲をプレイするのを楽しみにしているなどありますか?
マット:あ~、どれもすごく楽しいよ。今回から、詞が表示されるプロンプターを導入してるから、もしそれがなかったプレイすることに「ノー」と言っていた結構古い曲も演奏してる。でないと、詞が思い出せないから…。
――確か、数週間前のライブで「Wasp Nest」と「Son」をプレイしてましたよね。ということは、レアな曲がもっと観れるということですか?
マット: 俺が思うに…各ショーで何でもありなセクションを設けて、しばらく演奏していない曲を2~4曲をやろうと考えている。で、ツアーが終わる頃には、これまでリリースしてきた作品の収録曲を全部コンプリートできたらいいな、って。曲が沢山ありすぎて、どっちみち詞を覚えていられないからプロンプターがあるおかげで、たとえば「Son」みたいな曲をやって…うまくいったかよくわからないけど、プレイし始めたらニュー・オーダーっぽくなって…久しぶりに歌ってみたら、「デビュー作にもいい曲あるじゃん」って思った(笑)。それは結構楽しみにしてるんだ。これは、さっき話したデッドのプロジェクトに参加したことの恩恵だね。心配しなくていい、完璧じゃなくていい。なんらかの理由で、うまくいかなくて途中で曲をストップしなくてはならなくても、それはそれでグレイトだ。ボブ・ウィアーなんて1分ぐらい演奏して急に演奏を中断して、「やっぱり止めた」って気がのらないから次の曲をプレイし始めることもあるし。何もかもがパーフェクトじゃなくてもいい。多少メロディックで、ラウドであれば(笑)。
――そういえば冒頭で【Haven Festival】でミュージック・ビデオの撮影をしたと話していましたが、マットは以前ミュージック・ビデオを作るのがあまり好きでないと言っていたと思うのですが…。
マット:物語から構成されるミュージック・ビデオが嫌いなんだ。作るのが不可能だからというわけではないんだけど、俺たちは得意じゃない。だから俺にとってストレスの元なんだ。これまでに公開されているニュー・アルバムからの楽曲のビデオを手掛けているのは、俺の古くからの友人で、俺たちの最初のバンド、ナンシーのドラマーでもあったケイシー・リース。NYに最初に引っ越した時は、彼もまだ音楽をやってて、その後MITで博士号取って、UCLAの教授になったんだ。このシリーズは、物語がないからすごく気に入ってる。個人的に俺たちが作ったビデオの中で一番出来がいいと思うし、今の俺たちにすごく合っている。で、そのコペンハーゲンで撮った例のビデオなんだけど…今の俺たちに全く不適切(笑)。Ragnar Kjartanssonというコラボレーターで、俺たちのインスピレーションであるアーティストと一緒にめちゃめちゃくだらないことを何時間かにわたって行ったビデオなんだ。彼がフェスの会場にバーを似せたセットを建てて、バンドは生で演奏していて…「Apartment Story」のビデオに通ずる、むしろそれを進化させたヴァージョンってとこだな。最終的にどんな作品になるか全く見当がつかない。しかも途中フェスのセキュリティに中断させられてね(笑)。
▲ 「Apartment Story」
――今日はありがとうございました。日本でしばらくライブを行っていないので、来日公演を期待しています。
マット:うんうん、気持ちはよくわかる。可笑しなことに、俺たちは“ビッグ・イン・ジャパン”の正反対で、こんなこと言いたくないけれど、日本であまり知名度がないだろ?言葉のバリアや難解な詞とか、理由はよくわからないけれど…。日本は大好きだし、必ず行くよ。日本に大きなファンベースがいるっていう理由だけで成り立ってるバンドもいるけれど、俺たちはそうじゃない。このバンドが好きな日本のファンは、様々な音楽の中から俺たちのことを探し当ててくれたというのは、分かっている。巨大ビルボードとかで告知されているわけじゃないからね。だから、この場で全部で7人しかいない日本のファン一人一人に感謝の気持ちを伝えたいよ(笑)。
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Sleep Well Beast
2017/09/08 RELEASE
4AD-20CDJP ¥ 2,750(税込)
Disc01
- 01.Nobody Else Will Be There
- 02.Day I Die
- 03.Walk It Back
- 04.The System Only Dreams in Total Darkness
- 05.Born to Beg
- 06.Turtleneck
- 07.Empire Line
- 08.I’ll Still Destroy You
- 09.Guilty Party
- 10.Carin at the Liquor Store
- 11.Dark Side of the Gym
- 12.Sleep Well Beast
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