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アーケイド・ファイア『エヴリシング・ナウ』発売記念特集
カナダ出身のロック・バンド、アーケイド・ファイアの新作5thアルバム『エヴリシング・ナウ』がいよいよ発売となる。前作「リフレクター」から四年ぶり。グラミー賞の受賞歴もあり、いまや大型フェスティバルのトリを務めるまでに成長した、21世紀最高峰のロック・バンド。その待望の新作について、本人たちのインタビューでの発言も交えつつ、迫ってみたい。
今は何もかもが「すべて、今すぐ」の世の中のような気がする
アルバムからの先行曲となる「エヴリシング・ナウ」がリリースされたのが今年の6月。「すべて、今すぐ」というタイトルは、全てのものがインスタントに手に入ることが圧倒的な是とされている現代社会のあり方を象徴するフレーズだ。バンドのフロントマンであるウィン・バトラーは、アルバム全体も含めた本作のテーマについて以下のように語る。
今は何もかもが「すべて、今すぐ」の世の中のような気がするんだ。すべての出来事にあらゆる面で包囲されてしまうというか。その中にはフェイクのものもあればリアルなものもあるし、こっちに何かを売りつけようとしているものもあれば、核心を突くものもある。そして何もかもが、刻々と何千もの異なるものに屈折して見えるような感じなんだ。その欠点も栄光も全部ひっくるめて、今を生きるという経験を掴もうとする内容だね。(ウィン・バトラー)
実際にその歌詞に耳を傾ければ、この「すべて、今すぐ」というフレーズが、必ずしも時代の良い面ばかりを強調するために選ばれた言葉ではないことが分かる。むしろ、現代への警鐘としてのメッセージの方が強い。インターネット、SNS、サブスクリプション・サービス…… どれも人類の生活スタイルを一変させてきた便利な代物だが、一方でフェイク・ニュースのような問題もあり、“未来はバラ色”とは、今や誰にも言えないだろう。
だが、この「エヴリシング・ナウ」という曲がおもしろいは、そうしたテーマやメッセージのディープさにも関わらず、楽曲のサウンドやメロディは、むしろ祝祭的に響くからだ。そのポップな曲調はアバ(ABBA)をも引き合いに出したくなる。間奏に置かれたフルートのメロディは、カメルーンの伝説的ミュージシャン、フランシス・ベベイの「The Coffee-Cola Song」からの引用。しかも、フランシスの息子であるフィリップス・ベベイが父親のフレーズを吹き直したものだ。
彼(フランシス・ベベイ)の息子のパトリックがパリに住んでいることが分かったから、彼に吹いてもらった。父親の曲を息子がパリのスタジオで僕たちと一緒に生で演奏したんだ。すてきな形で歴史が一巡したね。(ウィン・バトラー)
この先行曲に導かれてリリースされたアルバム『エヴリシング・ナウ』は “(ある意味では)悲惨なほどに息苦しい今の時代を、ポップでカラフルなサウンドを通して表現する”というコンセプトの元に、アルバム全体が成立している作品なのだ。
▲Arcade Fire - Everything Now (Official Video) Performance
最もソフィスティケートされたポップなアルバム×摩訶不思議でSF的な世界観
アーケイド・ファイアはデビュー・アルバム『フューネラル』(2004年)以来、これまでに4枚のアルバムをリリース。それぞれの作品毎にコンセプトやメッセージを明確に掲げ、それに伴ってバンドのサウンドを更新し続けてきた。デビュー初期からデヴィッド・ボウイやU2からのリスペクトを受け、3rdアルバムの『サバーブス』(2010年)では全米・全英1位とグラミー賞の【最優秀アルバム賞】を獲得。2014年には【FUJI ROCK FESTIVAL】のトリもつとめた。アーティストとしての評価も商業的な成功も両立する、現代屈指のロック・バンドの一つだ。
新作『エヴリシング・ナウ』は、そんな彼らのディスコグラフィーの中でも、最もソフィスティケートされたポップなアルバムになった。サウンド的には彼らの音楽の特徴であった、ノイジーだったりアーシーだったりする独特の音の“汚し”は抑えられ、その分、メロディやビート、緻密なオーケストレーションやSEが鮮明に聴こえる。クリアで存在感のあるサウンドは、ドレイクやウィーケンドなどの現代のポップス・クリエイター達が世に送り出しているサウンドとも、どこかでシンクロするよう。そんな新たなバンドのサウンドの誕生には、彼らがニューオーリンズにしつらえたという新スタジオでの作業の影響もあるようだ。ソロでも活躍するバンドのマルチ・インストゥルメンタリストで中心人物、リチャード・パリーは以下のように語る。
今回は多くの曲がシンセサイザーで形作られたってことも、アルバムの方向性に影響を与えている。スタジオのスペースが限られていたから、シンセサイザーを重点的に使ったんだ。本当に小さな小さなスタジオで、そこにみんなでひしめき合っていたから(笑)、シンセサイザーを使うしかなかったのさ。(略)そんなわけで、多くの曲がエレクトロニックなビートを起点に形作られたんだ。もちろん、相変わらずたくさんの音を生楽器で鳴らしてはいるけど、みんなが最初にまずキーボードを手にしたってことさ。それって、今までは無かったことだよ。よって過去の作品と比較すると、圧倒的に、シンセサイザーで構築したテクスチュアやドラムマシーンのサウンドを多用しているんだ。(リチャード・パリー)
アルバムは、1曲目の「エヴリシング_ナウ(コンティニュード)」から2曲目の「エヴリシング・ナウ」へ、そしてその後の収録曲へと、何らかの効果音が接着剤のように曲と曲とをシームレスに繋いでいく。例えば「エヴリシング・ナウ」のラストと3曲目の「サインズ・オブ・ライフ」の冒頭では、日本の救急車の音が使われている。もしかしたら『エヴリシング・ナウ』的なイメージの源泉には、現代の日本の姿が少なからずあるのかも知れない。
『インフィニット_コンテント』は、ニューオーリンズのカジノで録音したサンプルを使っていて、それを聴いた時、「日本のパチンコ屋っぽい!」ってみんなで話したんだよね。そこから、いかにもカウボーイ風の格好をしたカントリー・ミュージシャンが、日本のカジノで、バンド代わりにコンピューターでエレクトロニックな音を鳴らしながら独りで歌っている――というヘンテコなイメージが生まれた。実際そのイメージをある程度意識して曲を作ったよ。あと、『クリーチャー・コンフォート』で聴こえる風鈴の音も、日本っぽいなあと感じたっけ。これもまた、ニューオーリンズで録音したんだけど。(リチャード・パリー)
曲と曲とがシームレスに繋がった結果、アルバムを聴いている間リスナーは『エヴリシング・ナウ』のポップな音の旅にどんどん引き込まれていく。アルバム前半は特にグルーヴィ。その中で「サインズ・オブ・ライフ」の主人公である「クールなキッズ」たちは「生きている証」を探して当て所もなく彷徨う。あるいは、「クリーチャー・コンフォート」の主人公は「私を有名にしてください/もしそれが叶わないなら/とにかく苦しくないようにしてください」と自殺願望さえ仄めかすのだ。そんな悲劇的な情景とポップなサウンドの“アンバランスさ”がアルバムを唯一無二のものにしている。この上なく美しいものとヘンテコなものが同時に共存する、摩訶不思議でSF的な世界観こそが『エヴリシング・ナウ』のベースになっているのだ。
▲Arcade Fire - Signs of Life (Official Video)
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ダフトパンク/パルプ/ポーティスヘッドのキーマンが揃ったプロデューサー陣
ここで一歩視点を引いてアルバムの制作陣にも目を向けてみよう。本作にプロデューサーとして参加したのは、ダフトパンクのトーマ・バンガルテル、パルプのスティーヴ・マッキー、ポーティスヘッドのジェフ・バーロウ、そしてアーケイド・ファイアの過去作にも深く関わってきたマーカス・ドラヴスという面々。前者の3名は、これまでのアーケイド・ファイアの音楽的な志向性――レフトフィールドな、広い意味でのダンス・ロック――を思えば納得の人選だと言える。アルバムとの関わり方は、プロデューサー毎に異なるようだが、リチャードいわく「みんなバンドの一員になってくれたようなもの」で、バンドと共に作曲の創作に深く携わったようだ。例えば、トーマは「エヴリシング・ナウ」「プット・ユア・マネー・オン・ミー」あたりの曲に、プログラミングも含めて関わっているそう。
彼(トーマ)が付きっ切りで助けてくれたからこそ、あの曲(エヴリシング・ナウ)はちゃんとした“曲”になった。本当にたくさんのスタイルを試したんだ。(略)最初はガレージロック風にプレイして、それから初期のデヴィッド・ボウイみたいなグラムロック風、南アフリカのタウンシップ・ポップのスタイル、90年代のダンス・ミュージックとゴスペルをミックスしたヴァイブ……。(略)トーマはほぼずっと現場で立ち会ってくれた。スティーヴ・マッキーの貢献も大きいんだけど、トーマはこう、哲学的なアプローチをとって、曲が言わんとしていることを掘り下げて、本当に深いレベルまで関わっているんだ。最終的にはシンセサイザーのプログラミングも手掛けてくれた。(リチャード・パリー)
スティーヴ・マッキーは、ジャーヴィス・コッカーと並んでパルプのサウンドを担ってきたミュージシャンで、これまでにM.I.Aやフローレンス・アンド・ザ・マシーンのプロデュースも手掛けている。現時点で、彼が具体的にどの曲のどの部分のプロデュースに関わったかまでは断定できない(スペースたっぷりなディスコ・ロック「グッド・ゴッド・ダム」等は如何にもパルプっぽい)が、過去にジャーヴィス・コッカー&スティーヴ・マッキー名義で『The Trip』というセレクト・アルバムもリリースしている彼は、アーケイド・ファイアとの間にも深い音楽的な関係性を築いているようだ。
パルプは僕にとってオールタイム・フェイバリットのブリティッシュ・バンドなんだ。彼(スティーヴ)はとにかく本当にいい友人だよ。うちのツアーDJみたいな感じ。彼とはよく一緒にDJをやるんだ。音楽のテイストが素晴らしい。スティーヴは戦友みたいなものだよ。ニューオーリンズで1年半戦闘態勢だったからね。(ウィン・バトラー)
“トリップホップ”と形容されるダークなブレイクビーツ・サウンドで広く知られるポーティスヘッド。その頭脳であるジェフ・バーロウは、ダークでヴィンテージ感のあるシンセ・ワークにも定評があり、ポーティスヘッドの最新アルバムである『サード』(2008年)はその代表作の一つだと言えるだろう。そんな彼のサウンドは、『エヴリシング・ナウ』でも「クリーチャー・コンフォート」や「ピーター・パン」あたりの曲で聴くことが出来る。
ジェフとは長年の間でフェスで一緒になって知り合いになったんだ。ポーティスヘッドは大好きなバンドだよ。10年に1回しかアルバムを出さないけどいつも素晴らしい。(映画監督の)テレンス・マリックのバンド版みたいなバンドだよね。10年かけて作ることが、これだけクールだって意味でね。(ウィン・バトラー)
▲Arcade Fire - Creature Comfort (Official Video)
ニューオーリンズ、デヴィッド・ボウイから“受け継ぐ者”としてのアーケイド・ファイア
それにしても、本作がバンドにとって、そのキャリアで初めて、主にアメリカでレコーディングした作品となったこと。そして、その中心地がニューオーリンズであったことには運命的なものを感じてしまう(カナダ出身の彼らは、これまではモントリオールを中心にレコーディングをすることが多かった)。
具体的な意図があってそうしたわけじゃないし、アメリカで作ることでインスピレーションを得ようと考えていたわけでもないけど、結果的には、アメリカで長い時間を一緒に過ごしたことで、多くのアイデアが引き出されたと思う。(リチャード・パリー)
数年前のことだけど、ニューオーリンズで沢山時間を過ごした時期があったんだ。(新作は)ニューオーリンズ音楽っぽくはないから直接的な関係があるとは思えないけど…(ウィン・バトラー)
ニューオーリンズは、ジャズをはじめとしたアメリカ音楽の発祥の地の一つとしても知られる。特に“ジャズ・フューネラル”と呼ばれる独特の葬儀パレードは、ニューオーリンズを語る時に欠かせない。自らの1stアルバムに『フューネラル』と名付け、その作品の中で何度も“死”について語ってきたアーケイド・ファイアがこの地に引き寄せられたのは当然の流れだと言える(ちなみに、ウィルの祖父はジャズ・ミュージシャンでもある)。
そもそもニューオーリンズって、偉大なる音楽の町だよね。年がら年中ひたすらミュージック!ミュージック!ミュージック!っていう感じで、実に多様な音楽に溢れている。(略)直接曲につながったわけじゃないけど、たくさんの古い音楽とたくさんの新しい音楽が入り混じって鳴っているニューオーリンズらしいフィーリングが、このアルバムには染み渡っていると思うよ。ニューオーリンズって、伝統的な地元の音楽と、若い世代が作る新しくてエッジーな音楽が、まさに渾然一体となっているんだ。(リチャード・パリー)
ニューオーリンズとアーケイド・ファイアの結びつきという点で、やはり忘れがたいのは2016年、デヴィッド・ボウイの死に際して行われた“追悼パレード”だ。デヴィッド・ボウイはアーケイド・ファイアにとってデビュー当時から縁の深いアーティスト。2005年には【Fashion Rocks】でステージ共演を果たし、まだ数ある新人バンドの一つでしかなかったバンドに大きな名誉を与えた。また、2013年の『リフレクター』にはヴォーカルで参加。コンセプチュアルな作品を次々とリリースし、音楽的にも冒険心に満ちてきたボウイのキャリアは、アーケイド・ファイアにとって誰よりも理想的な先達となっている。
▲Arcade Fire & David Bowie - Wake Up | HQ | Fashion Rocks 2005
追悼パレードは2016年、アーケイド・ファイアと、現地の老舗クラブ・バンド、プリザヴェーション・ホール・ジャズ・バンド――リチャードの言葉にならえば、彼らこそニューオーリンズ音楽の象徴だろう!――との共同作業によって行われた。軽快かつパワフルに演奏しながら市街地を練り歩き、ボウイの曲を響かせる楽団。思い思いの衣装やコスプレに身を包み、パレードに加わる参加者たち。後日公開されたビデオでは、ボウイの「ヒーロー」がフィーチャーされている。「誰だって一日だけ/ヒーローになることが出来る」。そんなアンセムの根底にある、人間の多様性や人生そのものを肯定するスピリットは、現代のややこしさをテーマにした『エヴリシング・ナウ』の根底にも受け継がれているのだ。
▲Arcade Fire - David Bowie Tribute Parade
かつてのボウイと同じように、時代そのものと向き合いながら、優れたアート/ポップスを生み出しているアーケイド・ファイア。『エヴリシング・ナウ』は、最後に再び「エヴリシング・ナウ(コンティニュード)」を通過して、アルバムの冒頭に繋がる円環性を示して終わる。その最終曲では、こう歌われている。「僕たちは帰るべきところに/また辿り着けるということにしておけばいい/すべて、今から」。バンド史上、最もディープでヘンテコでポップなアルバムには、繰り返されるもの、受け継がれるものへの希望が託されているのだ。
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