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三浦祐太朗 山口百恵カバーアルバム『I'm HOME』インタビュー
今年でアーティスト活動10年を迎えたソロシンガー 三浦祐太朗が、7月5日にカバーアルバム『I'm HOME』をリリースした。
「さよならの向う側」「プレイバックpart2」「いい日旅立ち」。本作に収録された8曲は、すべて山口百恵の名曲だ。日本を代表する歌手を母に持つ三浦祐太朗は、なぜ今、自ら“飛び道具”と語る大きな挑戦に身を乗り出したのか。
本作を制作する上で母からもらった言葉や、名曲に臨む決意。そして最後には弟 三浦貴大との対比まで、余すこと無く語ってもらった。
母 山口百恵のカバーを決意した理由と、母からの一言
▲YouTube「三浦祐太朗 - カバーアルバム「I’m HOME」30秒SPOT」
--アーティスト活動10周年を迎えてリリースする今作『I'm HOME』は、母である山口百恵さんのカバーアルバムということで、すでに多くのメディアで取り上げられています。
三浦祐太朗:良い意味でも悪い意味でも、すごく注目されると思っていました。でも、こうして新たな出会いが生まれることもあるので、ありがたいことだと思います。もちろんこの話を最初にいただいた時は、母のファンの人たちにはどう映るんだろう?とか、そういう葛藤はありました。そんな中で去年、母にその話をしたんですけど、単純に喜んでくれたんですよ、「私が生きているうちに自分のカバーを歌ってもらえる。それが息子であることが本当に嬉しい」って。その言葉が、やってみようと思えた一番の要因ですね。
--三浦さんは2年ほど前にも、ラジオ番組で“いつか山口百恵のカバーをやってみたい、誰かがやるくらいなら自分がやりたい”という話をされていましたよね。
三浦祐太朗:そうですね。でも、当時は“今のタイミングでいいのか?”という葛藤もあって、すごく悩んでいた時期でしたね。--2007年に本格始動したPeaky SALTでのデビューからソロ活動まで。三浦さんは一人の人間として、どこまでいけるかを模索し続けてきたように感じていただけに、今回の決断には並々ならぬ覚悟があったのでは?
三浦祐太朗:変な話、飛び道具になる。その自覚はもちろんあって、例えば5年前だったらやってなかったでしょうし、今回歌った8曲を今のように解釈できなかったと思います。僕は今年で33歳になるんですけど、今の歳だからこそ歌える曲もあって、本当に今だから出来たという思いはありますね。--お母様からの後押しが大きかったとのことですが、ご自身の中で決断した一番の理由は?
三浦祐太朗:決断した理由か……。単純にミュージシャンとして生きていくことを続けていくための“飛び道具”を、やってもいい段階にきたと思ったからですかね。バンドを活動休止せざるを得ない状況を経験して、またイチからサポートメンバーを揃えて、お客さんを集めて、ライブハウスでライブをして……。そんな10年間を経て準備が整った、漠然とそう思ったんでしょうね。--ソロミュージシャンとしての三浦祐太朗を真摯に応援してくれているお客さんやファンの方もいる中で、今回の決断が鈍ってしまったことはありませんでしたか?
三浦祐太朗:バンドからソロになって、親のファンだった方々がライブに来てくれる機会が多くなってきて……。そんな中での発表だったので、確かにかなり緊張しました(笑)。でも、みなさんすごく肯定的でいてくれたんです。去年出演させていただいたテレビ番組で「秋桜」と「いい日旅立ち」を歌ったときもすごい反響があって、ファンの方々から「音源化しないのか?」というご要望もいただいて。そういう状況でやらない方が意味ないと感じたりしましたね。
--そういった覚悟があったためか、気合の入った作品に仕上がりました。
三浦祐太朗:まず、気持ちの上で絶対にリスペクトが必要でした。楽曲を選ぶのも非常に気を遣って綿密にやりましたし、今回のアレンジャー 宮永治郎さんと一緒に、1曲ずつ自分のキーに合わせて歌ってみては録音して聴いて、合う合わないの取捨選択をして……。そうやって密な連携を取りながら選曲していったんです。やっぱり今回は、宮永さんが肝だったと思います。正直、僕よりキツかったと思うんですよ、山口百恵の名曲をアレンジするわけですから。 母のファンの方々に納得してもらわないといけないし、その上で今のリスナーには古いと思われてはいけない。そのバランスって非常に難しかったと思うんですけど、見事にクリアしてくれたどころか、はるか上をいってくれた。ラフで聴いた時に「これなら大丈夫だ」と思えましたし、色んなプレッシャーが溶けていった感覚が僕の中でありますね。アレンジャー 宮永様々でした(笑)。
- どの家庭にもある、ありふれた飾らない言葉。その家庭の暖かさ
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どの家庭にもある、ありふれた飾らない言葉。その家庭の暖かさ
--今回のアルバムを制作する段階で、作詞・作曲された方々にご挨拶されたそうですね。
三浦祐太朗:それは礼儀として当たり前だと思っていて、例えば谷村新司さんは幼いころからお世話になっておりますし、宇崎竜童さんも現場などでお会いさせていただいこともありましたので、最初から「これは絶対に挨拶させていただかないと」と決めていましたね。ご挨拶させていただいた時、宇崎竜童さんからは「全然アレンジとか変えちゃっていいからね」と言っていただいて、宮永さんにお伝えしたら少し肩の荷がおりたようでしたよ(笑)。
--奇をてらわずまっすぐに受け止めて、まっすぐ音を作り、まっすぐに歌う。ある意味、最も難しいチャレンジだったように思います。
三浦祐太朗:その曲の良さを忠実に表現しようというところから始まっていたので、三浦祐太朗のオリジナリティはもちろん大事ですけど、それ以上に曲の良さを重んじる取り組み方で臨んでいましたね。--アルバムは1曲目から「さよならの向う側」と、山口百恵さんの代表曲中の代表曲から始める大胆な構成になっています。
三浦祐太朗:「やれるところまでやろう」という意思のもと1曲目に「さよならの向う側」を持ってきました。--三浦さんは、山口百恵さんの輝かしい時代をまったく体験していない世代ですが、だからこその難しさはありましたか?
三浦祐太朗:むしろ、客観的にできたのかもしれないですね。やはり自分の中で神だと思って崇拝している方のことは、触れることすらできないじゃないですか? 僕は母である面しか知らない。だからこそ、僕の知っている母・三浦百恵に対する思いや感謝を、歌に乗せることができたましたし、それは息子である僕にしかできないことだと思っています。タイトル『I'm HOME』にも込めた思いなんですが、親子が交わす「ただいま」「おかえり」という、どの家庭にもある、ありふれた飾らない言葉。その家庭の暖かさを感じていただけたら嬉しいですね。
--また、7曲目「曼珠沙華」のアレンジを聴いて、三浦さんがラジオで「メタリカが好き」と話していたことを思い出しました。
三浦祐太朗:アハハハ! そこまで聞いてくれてるんですね(笑)。 確かにこの曲はメタリカ感がありますよね。ホントによくこのアレンジに踏み切ったなと思いますし、僕は大好きですね。--原曲では冒頭にあるセリフパートを最後に持ってきているのも印象的です。
三浦祐太朗:レコーディングでは両方を録ってみたんですけど、ギターアルペジオをバックに僕のセリフが入る方がしっくりきたので、こうなりましたね。また、元々のセリフはもっと長かったんですけど、内容が女性的だったので、男の僕が言ったら成立しないと思ってカットしました。--それで言うと「イミテイション・ゴールド」は、正しく女性目線の曲です。
三浦祐太朗:カバー曲に限らず女性的な曲を男性が歌う時って、「女性の気持ちを汲んで歌う場合」と「自分が女性になりきって歌う場合」の2パターンあると思っていまして、この曲は後者で歌いました。女性になりきることはできないんですけど、女性だったらどう思うか、情景を作りこんで歌いましたね。ただ、サビの“ア・ア・ア”の吐息は、本当に難しかったです(笑)。--阿木燿子さんの歌詞からは、男性がたじろいでしまうほどの女性の芯の強さを感じます。
三浦祐太朗:芯の強くて、脆さもあるような大人な女性を感じますね。そんな大人な女性的な歌詞を母は10代で歌っていたことが衝撃で、やっぱりハンパないなと思いましたね(笑)。当時、笑顔を見せずに歌うアイドルは他にいなかったと思うんですけど、母は本当に笑わずにビシッとしていた。特殊だったんだろうなと思いますね。--この8曲を歌ってみて気づいた、アーティスト 山口百恵の一番の凄味は?
三浦祐太朗:これは宇崎さんや谷村さんからお訊きしたのですが、母は作り手の想像をはるかに超えてくる歌い手だったんだそうです。普通、作り手は歌い手のイメージを崩さないような楽曲を提供するものだと思うのですが、母が歌うと、作り手の想像よりさらに良くなる。なので「こんな難しい歌は歌えないだろう」とあえて難しいボールを投げるようになっていったそうで、作り手の意欲をかきたてるシンガーだったと。母は0から1を作る人ではなかったのかもしれないですけど、1を100にする人だったんだなって。それは凄いと思いますし、憧れますね。
母 山口百恵のカバーを決意した理由と、母からの一言
--あの年齢で、いまでも第一線で現役バリバリでやられている方々の一番のボールを簡単にホームランにしていったわけですよね。
三浦祐太朗:その凄さを本当につくづく感じましたね。やっぱりこの人すごいなって、自分もそうなっていかなきゃなっていう感情は芽生えました。--本作を完成させたことで、成長できた部分は大きいと思うのですが、逆に歌い手として自分が甘かったと痛感したところもありますか?
三浦祐太朗:キー設定と、言葉とメロディの密接さ、ですね。ちょっと歌いまわしが違っただけで、言葉が入ってこなかったりする。そういうところまで掘り下げて考えてこなかった甘さを凄く感じました。言葉を伝えるためには、そこまでやらなければならなかったのかと思わされましたね。--二世ということで色眼鏡で見られるところもあったと思いますし、こういうインタビューにも答えずらかったりしますよね。
三浦祐太朗:当時は事務所の目が怖かったですね。右も左もわからない状態で世に出たから、周りの人たちがすべてだった。操り人形みたいになってしまったこともあったんですけど、それは本当に自分のせいだと思います。でも、今は昔のような取っつきづらさも無いと思います(笑)。--また、本作の最後に収録されている「いい日旅立ち」は、日本のポップス史に残る大名曲にして、山口百恵を代表する1曲です。ただ、今の三浦祐太朗をそのまま表した歌詞にもなっていることに驚きました。
三浦祐太朗:それは一番ありがたい言葉ですね。確かに歌詞が自分に当てはまるように感じたところは多かったです。--百恵さんのファンに怒られてしまうかもしれませんが、こうして三浦さんに歌われることによって、「いい日旅立ち」は本当に完成したとすら思えました。
三浦祐太朗:客観的にそう言ってもらえるのは本当に嬉しいですし、自分でも身に染みるような感じはあります。歌っていても感情はもの凄く入りますし、やっぱりアルバムの最後だな、とも思いましたね。最近のインストアイベントは、サポートのギターの方と2人でまわっているんですけど、この曲を歌う時はまだ緊張が多いです。--そしてこれからは、この8曲を自分の歌にしなければならない。まだまだ大きな挑戦が続いていきますね。
三浦祐太朗:それは大きな課題ですね。母を知らない世代の方たちには、オリジナル曲に聴こえてくれたら嬉しいなと思いますし、これからもっともっと歌いこんで、ブラッシュアップしていく感覚です。アーティストとして目指していく基本的なベクトルは、以前と変わっていないんですが、今作を通して気付けたことはたくさんあって、中でも詞とメロディの密接さ。日本語の良さを強く感じています。多くを言いすぎない昔の日本語の良さ……。最近の曲って、説明的なものが多いじゃないですか。でも、昔のように日本語の良さを活かしていく方が僕には向いていると気づけましたし、今回の経験を通じてオリジナルの解釈が変わっていく。これから生まれる曲も違ったものになるんじゃないのかなって思いますね。
ですので、これからはカバー曲を聴きたい人たちも、僕のオリジナル曲を聴きたい人たちも、みんなにライブに来てほしいと思います。ライブではどっちもやるからさ、っていう気持ちなので、気軽に足を運んでもらいたい。“母のカバー曲ばかりやらなきゃいけないのかな”とか、そういう気負いも無くなりましたし、覚悟ができたんだと思います。“母を超えなきゃ”とかも考えずに、気張らずにやりたいですね。
--そういえば、これもラジオでのトークでしたが、どちらかというと弟の三浦貴大さんの方が熱いタイプで、祐太朗さんは冷めているタイプらしいですね。
三浦祐太朗:陰と陽でいったら、僕は陰の方ですね。まあ、陰がどれだけ頑張って陽になろうとしても良いことはないなってわかった33年でした。陰は陰らしくいるのが一番(笑)。そういう素の部分も見せられるようになってきたと思います。関連商品