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ACIDMAN 『ある証明』 インタビュー
鬱屈した何かを徹底的に放出していくエネルギー。もっとギリギリなところまで自分たちの音楽を持っていこうとする意思、そこに生まれる緊張感。ACIDMANの音楽を簡単に表現してしまうのであれば、そんな感じだろう。それらの要素は彼らが痛々しいほどにリアリティを追求していく故に生まれ、そのスタイル、姿が楽曲にいつでも明らかに反映されていたからこそ、彼らの音楽はロックファンに高く評価され続けてきた。その図式は今後も変わることはないかと思うが、今ACIDMANは“ある証明”を機に、これまで悩みに悩み続けて辿り着いた答え(それは“答え”ではなく“答えみたいなもの”なのかもしれないが、決して間違ってはいない確かなもの)を外の世界にメッセージしていこうとしている。表現者としての究極の願い、それを形にしようとする今のACIDMANはとても眩い。
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--まだACIDMANの音楽を知らないという勿体無い音楽ファンのためにも色々と昔の話からお伺いしていきたいのですが、メンバーそれぞれの音楽への目覚めから聞かせていただきたいんですけど。
大木伸夫:最初に「良いな、バンド」って思ったのはJUN SKY WALKER(S)とTHE BLUE HEARTSなんですよ、中学校の時に周りがBOOWYを聴いている中。それでバンド・スコアとかいっぱい買って。あと、兄貴がギターやってたんでその影響でギターを買って、それが音楽との出会いですね。
浦山一悟:自分は、親がピアノをやっていて、楽器とかに興味が沸くじゃないですか。それで中学校の時に「ギターやりたい」と思って、親にギター買ってもらったんですけど、そのちょっと後に普通に歌番組とか見ていて「ドラム格好良いな、ドラムやりたい」って思って。そしたら家の物置みたいなところにドラムの練習パッドがあったんですよ、それからですね、ドラムをやりだしたのは。
佐藤雅俊:俺は普通に歌謡曲の番組とか小さい時から好きで、中学の時にBOOWYが流行ってたんですよ、それでバンドやりたいと思い始めて。ウチの学年はBOOWY派かX派しかいなかったんですよ、ヤンキーが多かったので(笑)。で、高校行ったら軽音部に入って。最後までサッカー部とどっちにしようか迷っていたんですけど、最後はアサミ君が(笑)。「サッカー部なんて無理だよ、バンドやろうよ」っていう感じで言ってくれて。なので、ターニングポイントだなって、アサミが(笑)。
--3人は高校で出会ったそうですが、ACIDMAN結成までの経緯を聞かせてもらえますか。
大木伸夫:最初は3人バラバラにバンドをやっていたんですけど、しばらくしてサトマ(佐藤雅俊)と俺が一緒にやるようになって、イチゴが入ったのは高校卒業してからなんですよ。その時にはメンバーとしてもう一人タケシっていうヴォーカルがいて、その4人でACIDMANやってて。で、一年ぐらいやって、そいつが「建築家になりたい」ってことで、「ちゃんと大学に行きたい、資格をとる」って辞めてから3人になったんですね。それが2000年ぐらいなんですけど、大体。
--LSDっていうバンドは?
大木伸夫:よく知ってますね~!高校の時はLSDでした。ACIDMANの前身で、タケシがかなり夢見がちな少年だったんですよ、それでLSD。ACIDMANもそいつが名付けたんですけどね。
--ACIDMANはどういう意味で付けたんですか?
大木伸夫:意味はそんなにないんですよね、響きが良かったのと、何か色々調べたら面白かったし、ACIDの意味が。なんか変なクスリとか思われちゃうんですけど、そういうのじゃないんですよ。ちょっと気難しい人達みたいな感じのイメージもあって、その頃は「カッケぇ」って。今はあんまり意味は問わない(笑)。
--メンバーが4人いた頃のACIDMANはどんな音楽をやっていたんでしょう?
大木伸夫:もうね、今とは全然違ってましたね。タケシが詞も書いてたし、ボーカルだったし、僕も半分ぐらい書いてたんですけど、もうポップソングですね。高校の時はヘヴィロック、ヘヴィメタル、その辺ばっかり聴いてて、あとパンク、メロコア、そういうのだったんだけど、オリジナルを卒業してやりだしてからはポップソングですね。今思えば「なんでそんなのやっていたんだろう?」っていうひどい曲作ってましたね、衝撃的な。
--強いて言うなら何っぽい感じですか?
大木伸夫:強いて言うならダサイ感じですね(笑)。
--その頃のタケシさんの歌詞はどんな内容のものが多かったんですか?
大木伸夫:もうね、最初の頃は恋愛ばっかでした、フラれたとか(笑)。いっつもフラれてばっかりだったんで、アイツにフラれてどーのこーの、プラダのバッグがどーのこーの(笑)。読んでもなかったしね、その頃俺らは、詞を。で、そいつも後半になってからどんどん重い感じのものになっていったんだけど、それで辞めちゃったから。
--その頃のACIDMANの流れみたいなものは多少は汲んでます?
大木伸夫:そいつが書いてた世界は全くないですね。3人になってからバンドが変わったと同じぐらいに曲が変わったんで、全部俺が詩書いて、曲もほとんど俺が書いてるから、それからはもう全然ガラッと変わった。
--3人になった当初は戸惑いとかは?
大木伸夫:ありましたね、すっげー不安だったんで、3人でなんてやれるとは思わなかったんで。でも一回ウチの大学のスタジオで合わせてみて、俺が歌いながら弾いてみて、「意外といけるな」と思ったんですよ。それで初めてライヴやった時に意外とテンションが上がって、「良かったな~」って。で、2度目のライヴぐらいで「CD出そうよ」って話がきたんで、「これは行けるわ」と思って。
--じゃあ、建築家になった彼には悪いけれども。
大木伸夫:そうですね、今だにグジュグジュ言ってますよ、そいつ(笑)。「あの時辞めてなかったら、言いたくはないんだけれども」とかって。
--大木さんがボーカルになるのは自然の流れだったんですか?
大木伸夫:そうっスね、高校の時にボーカルだけやるバンドも掛け持ちでやってたんで。ただギター弾きながら歌うのはなかなか難しかったですね。それ以外は大丈夫でしたけど。
--で、2000年11月にノーマディックレコードからマキシシングル『赤橙』をリリースするわけなんですけど、これは後にメジャーから出すやつとは違ったんですか?
大木伸夫:そうですね、メジャーのやつは録り直してるし、アレンジもちょっと違うし、歌い方も違うし、だいぶ大人っぽくなって。
--この曲が有線チャートで上位になったりとか、メジャー後もACIDMANの名前を広めるキッカケになったわけですよね。
大木伸夫:これ、3人になって初めて作った曲なんですよ。一悟が作ってきたんですけど。
--その曲が後にACIDMANにとってこんなスペシャルな曲になるとは想像してました?
大木伸夫:いや、全然想像してなかったです。だけど、「すっげー良い曲だな」とは思って。聴いた瞬間、「良いな~」って。その頃俺はあんまり詩を書いてないから、一悟も詞を書いてたんですよ。で、一悟に任せようと思ったんだけど、「テーマはダイオキシンでいこう」とか言い出して(笑)。それじゃあちょっとなんか嫌だなって(笑)。「それじゃあ、俺ちょっと案があるから書くわ」ってなって。
--それがダイオキシンだったら完全に違うバンドになってましたよね(笑)。
大木伸夫:なってましたね。
浦山一悟:ありがとうね、止めてくれて(笑)。
--今改めて『赤橙』を聴くと、どんな曲だと思います?
大木伸夫:あの曲はやっぱ、すごくシンプルだけど良いですね。暖かいし。色々な想いもあってね、最初はああいうのはポップ過ぎてやりたくなかったりとか、メジャーになってからああいう色に見られるのは嫌だなとか。「イカツクいたいな」って思ってたんですよ。でも、どんどんライヴでやることによって受け入れられて、自分も好きになっていって、素敵な位置にいますね、彼は。
--その後、ミニアルバムのリリースだったりとか、ファーストツアーがあったりしたと思うんですけど、その頃のACIDMANって客観視すると、どんなバンドだったと思います?
Interviewer:平賀哲雄
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大木伸夫:その時期はあんまり色んなこと考えてなかったんですよね。やりたいようにやってて、メジャーとかもそんなに考えてなかったし、地方に行くのも初めてだったから、「これで良いのかな」みたいのもあったし。北海道なのに、インディーズなのに、たった4人しか俺らのファン来ないんだけど、「4人いるんだ!?」っていうのにメチャメチャびっくりしたし、「下北沢でしかやってないのに何で知ってんの?」みたいな。それで「ずっと好きだったんですよ」とか言われると、「うわぁ~、すっげ~」って。
佐藤雅俊:チラシ配りとかやってたよね。アンケート回収とか。
大木伸夫:そう、なので、今とは違う頑張り方をしていましたね。ものすごく分かりやすい頑張り方をしていた。精神的に入るっていうところでただ走ってた。みんなバイトして。
--どんなバイトとかしてたんですか?
大木伸夫:俺はあれですよ、国民ドラッグって渋谷にある、あそこでレジ打ってました。
佐藤雅俊:俺は居酒屋を学生時代からずっとやっていて、それとインディーズやってフリーターみたいな状況になった時には昼もTSUTAYAのバイトを掛け持ちして。居酒屋のまかないを夜に食って食費浮かして生活してましたね。12時間働いてました。
浦山一悟:自分はデリバリーとか。
--そういうバイト時代って精神的に厳しくありませんでした?
大木伸夫:もちろん貧乏でしたけど、全然苦じゃなかった。ライヴの時とかも貧乏だったけど。俺、米しか食わない時が一週間ぐらいあって、米だけですよ?米と塩しかなくて、それを普通に食って、3日ぐらいで飽きるからオニギリにしちゃって「全然違う!!」とか思いながら、「いけるわ、これで後3日ぐらいなら」って(笑)。でも全然苦しいとか思わなかった。「金欲しい~」とかも思わなかったしね。ただ、「バイトは辞めたい、朝起きんのが嫌だ」とかそっちの方があって。今の時代はね、バイト頑張ればある程度は収入あるしね、俺の場合は薬剤師だったから金は良かったし、卒業してからは。
佐藤雅俊:俺も実家だったから、大丈夫でしたね。3万円のアパートだった時もありましたけど。つい2年前かな?風呂なしでトイレ共同で。
--そんな時代もありつつ、下北沢のガレージで初ワンマンライヴを行うわけですけど、こちらはどんな心境で挑んだライヴだったか憶えていますか?
大木伸夫:メチャクチャ憶えてる。ガレージはいっつもやっていてすごくお世話になっていて、初ワンマンは絶対ガレージでやりたかったんですけど、2階なんですよ、楽屋が。で、1階にお客さんが並ぶんです、地下に入るために。で、その2階の楽屋から入り口を見た時に人が並んでいる、あの映像はすっごく嬉しくって。それまですごく不安だったのに、あのキャパ何人だっけ?
佐藤雅俊:キャパ200人。
大木伸夫:そうだ。で、「200人も入んないよ、50人ぐらいしか入んないよ~」とか言ってて、でも当日バッて見たら並んでるから、「うわ~、これは嬉しいな」って。しかもそれまではずっと対バンだったんでお客さんが誰を見に来たのかは正直全部わからない。でもその日に限っては、「この並んでいる人達は全部俺達を見に来てくれているんだ」って思って、かなり嬉しかったですね。
佐藤雅俊:メッチャクチャ緊張したけどね。
--ライヴ自体はどうだったんですか?
大木伸夫:ライヴはね、良かったっすね。セットもすげ~凝ったし。まだ全然、今の良かったとは比べものになんない程ひどいとは思うんだけど、その時にしてみれば嬉しかったから、やっぱ。目の前のお客さんがみんな聴いてくれているのが、すげ~嬉しかったし、楽しくできたし。確かに緊張しましたけどね。
--今でも忘れられないスペシャルなライヴだったと?
大木伸夫:そうですね、多分今までのワンマンのなかで一番忘れられないような気がする。
--ライヴイベント『Cinema vol.0』もその時期に開催していましたけど、このイベントはそもそもどういった趣旨でやろうと思ってやったものなんですか?
大木伸夫:サトマがよく単館映画に行くんですよ、「あの雰囲気が好きだ」って言って。それに比べてライヴハウスの雰囲気ってちょっと退廃的でなんか入りづらくて、ダサいダークなイメージがあるみたいな。それは俺も「分かるな」と思って。「何とかそれをもうちょっと入りやすい空間で、映画をフラっと観に入るような感覚でライヴも楽しめないか」みたいなことを言ってて、それでみんなで盛り上がって、「じゃあ映画と一緒にライヴをやって、自分らの企画としてやろうか」ってことになって始まったんです。
--実際に一回目をやってみて手応えはどうだったんですか?
佐藤雅俊:評判は確か良かったんですよ。あ、そういう反応するんだお客さん」みたいな、そういう色々と発見できることもあって面白いなと。
--毎回対バン相手を見つけてやってると思うんですけど、いつもこっちサイドで「良いな」と思うバンドを?
大木伸夫:シンプルに好きなバンドに「出てください!」って言って。ハスキンとかブッチャーズとか出てくれた時は嬉しかった。ブッチャーズは出てくれるとは思わなかったし。
--元々交流はあったりしたんですか?
大木伸夫:ハスキンは全然ない。ブッチャーズも全然会ってなくて、ただエンジニアが一緒なんですよ、ウチの。それで知っててくれて、すごい嬉しかった。
--THE BACK HORNとかは?
大木伸夫:THE BACK HORNは交流ありましたね、ドラムの松田晋二がワンマン観に来てくれてて、それで何度か対バンして仲良くなって、すごく仲いいバンドですね。
--ちなみに今年は全国7ヶ所で『Cinema vol.3』を開催。今までで一番多いと思うんですけど、今回はどんな内容になりそうですか?
大木伸夫:前回と形式は一緒なんですけど、今回は椅子がある。それが初めてなんで、どんな反応があるか楽しみなんですよ、不安でもあるけど。俺らもやった時ないから椅子ありっていうのは。あとはすごく面白い映画を一本見つけたし、もう一本、自分らのインストの曲に合わせて作ったショートフィルムがあるんですけど、それもすごく面白いと思うので。
--さて、今回はメインの話がトリプルA面シングル『ある証明』になるんですけど、そこに行く前に過去にリリースした3枚のフルアルバムについてもちょっと振り返らせて下さい。まずメジャー一発目のファースト『創』、このアルバムは今振り返るとどんなアルバムだったと感じますか?
大木伸夫:う~ん、やっぱり、時間がすげ~かけられた作品だったので、だけど、ものすごく初期衝動的な、あんまり深くに行き過ぎずに「行ったれ!!」っていう空気が流れている、若々しいエネルギーが。そんな一枚ですね。
--あのアルバムを作って『ゴールドディスク大賞』の“ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー”に輝くぐらい“ACIDMAN”の名前がメジャーになっていくわけなんですけど、あの時期のメンバーの心境っていうのはどんな感じだったんですか?
大木伸夫:10万ぐらい売れたっていうのがなんかよく分からなくて、最初。相当すごいっていう風には盛り上がっていたんですけど、そこが全然理解できなくて、「そんなに売れちゃってるんなら、なんかちょっと居心地よくないな」とか思っちゃって、最初の頃は。だけど今となってはもっと売りたいんですけど(笑)。その時はちょっと急に評価されたんで戸惑った感もあって、嬉しい反面、不安がすごくいっぱいありましたね、正直。
--この時期、「今、目の前にあるものにリアリティがない」みたいな感じには陥ったりはしなかったんですか?
大木伸夫:あ~、結構そんな感じでしたね、最初。発売の時の打ち上げとかも楽しくなかったし。本当に一瞬だけだったけど、なぜか落ちちゃって、精神的に。
--バンドがそういう状況に陥って、そのどうしようもない現実みたいなものから一気に突き抜けようとしたのがセカンドアルバム『Loop』だったのかな?っていうイメージがあるんですけど。
大木伸夫:そうですね、その謎のモヤモヤしたフラストレーションを放出して、「一気に自分が納得したい」っていうのが『Loop』でしたね。
--感情的にはどんなものだったんですか?怒りとか?
大木伸夫:怒りっていうよりは、もっと音楽の本質的な物を追求したくて。『創』はなんかキャッチー過ぎちゃって、耳には良いんだけど俺の中ではもっと行けると思ってたんですよね。もっとヒリヒリしたもの。怒りっていうよりもなんて言うんだろう・・・言葉ではあんまり上手くいえないけど、もっとドロっとしたヒリっとした切れ味がすんげー良いようなのがやりたくて、それが『Loop』でしたね。
--僕、『Loop』を聴いた時に、「ここまで爆発しちゃったら次どうするんだろう?」みたいな(笑)。そう思うぐらいのエネルギーの放出を感じたんですけど、そこまで行ってしまったことによって「次どうしよう?」っていう危惧とか不安は生まれなかったんですか?
大木伸夫:不安ね・・・どうだったかな、不安あったな、多分。何も出来なくなったから、「次どうすればいいんだろう?」って。だから、次のアルバムの『equal』のときは、今思えば、「もっと追求したい」っていう反面、「それをもっと上手く聴かせたい」っていう両方があったっていうか、「もっとひとつの世界を見つけたい自分と、それをなんとか提示したい自分と揺れてた」っていうか、楽しく美しい音楽を奏でたいなっていうのと、もっと切れ味いいのを・・・っていう。揺れてましたね。
--『Loop』の頃の某誌のインタビューで、「エネルギーが出尽くしちゃって堕落した感じになっちゃうかも知れない」みたいなことを言っていたじゃないですか。でも、今回のシングルに至るまで「どこがじゃ!?」みたいなところがずっとあって(笑)、揺れていた時期も含め、思いのほかエネルギーが出続けてる感じはあります?
大木伸夫:そうですね。『Loop』が終わって『equal』に至るまでの段階では、もう何も出来ないし、曲も出来ないし、やりたいこともあんまりないし・・・っていう感じで、ずっと戦ってて、でも『equal』がだんだん出来上がってきて、自然と「もっとやりたい」って、視野がちょっと変わったんですよ。ひとつのもの見つけようとしてたんですよ、今まで。で、何かちょっとだけ見つかったような気がして、「あ、ここにあるものはものすごく間違ってなくて大切なものだな」って思えて。それが『equal』の時にちょっと見えたら結構楽に音楽やりたくなって、それでまたエネルギーは出てきて。俺、異常なほどそういう起伏が激しいんで、「もうダメだな~」って思っても、それを一回通り越すと一気に駆け上るので、「この野郎!」っていう底力が出るんですよ。まだまだそれは“尽きてない”ってことだと思うので。
--そういった葛藤の一部分として、『ミュージックステーション』への出演があったと思うんですが。
大木伸夫:出る前は相当悩みましたね、「大丈夫なのかな?」とか。かなりそれはファンと同じような気持ちだったと思う。でも打ち合わせしたり、実際に番組に出てからは、「ものすごくああいう番組に対しての偏見がありすぎたな」と、俺らが。彼らは彼らでプロとして生の番組でアイドルいっぱい出ようが何だろうがすごくアーティストのことをちゃんと想ってくれてるんですよ。で、「ひとつのいいものを作ろう」っていうスタッフの意思がそこにはしっかりあって。そこは全然見当違いだったから、「出てよかったな」と思うし、だから、次はもうあんま出たいとは思わないです。逆に「もういいな」って。でも、良いもの見れて、「スタッフが素晴らしいな」と思ったから、そういう偏見はみんな無くしてくれたら嬉しいですね。
Interviewer:平賀哲雄
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--そして、新作『ある証明』。あらゆる不安要素を取り除いてくれた一枚という印象が僕の中にはあるんですが、『ある証明』という曲自体はいつ頃作られたものなんですか?
大木伸夫:元ネタは『equal』を作っている段階であったんですけど、ちゃんと作り出したのはツアー終わってからですね。そこからちゃんと取り組み出して。
--このタイミングでこの曲を打ち出したいと思った理由ってあるんですか?
大木伸夫:とりあえず「激しいのがやりたいな、激しい曲作りたいな」と思って。で、今までより、ちょっと開けてる、外に向かっているような。ポーンっていう感じの。まぁ具体的に言うとメジャーコードが頭にくる感じの曲がやりたくて、で、メロディーもよかったし、「これやろう」っていう。
--「すげぇ光の射す方に向かっているな」っていうのを詩や音から感じたんですけど、その辺は意識的にやって生まれたものなの?
大木伸夫:そうですね、本当に“ある証明”がしたかったと言うか。ひとつの証明、自分達の証明でもあるし、一人一人の人がそこに生きている意味っていうのが、そこにいるだけでひとつの証だっていうのがあるし、そういった考えを「外に提示できるようにしていきたいな」と思って、これからは。そういった決意表明というか、ここまで3年やってきて自信がついてきて、そういったものを差し出していきたくて。テーマは昔からずっとあるもので、“人間が生きる意味”っていう誰もが考えるけど答えがないようなものに絶対向かっていきたい感じなんですけど、それを悩んでいるのではなくて力強く提示できるようになってきたなって。自分の中で。
--そういう進化というか変化の背景には何があるんですか?
大木伸夫:色々考えてるから、ものすごく物事について考えちゃうんで、自分は。ちょっとした困難も乗り越えないと気が済まないし、自分がフラッグを思い切り振らないと気が済まない。あとバンドの中でも、これを作って、ものすごく変な空気にもなっていたのを乗り越えられたっていうのもあるし。それを乗り越えたから「ひとつの証明だな」って。「“この3人でやっていく”という、ひとつの提示できるものができたな」っていう。だからもう、カオスですよね、カオスを一回くぐり抜けた感じ。
--なんで、その変な空気のところまでバンドが一回落ちてしまったんですか?
大木伸夫:やっぱもうずーっと一緒にいるし、スタジオでも毎日一緒だしね。で、二人はシャイなところがあるんだけど、俺はガンガン行くんで、「それに連いてくるか、連いてこないか」っていう話もあるし、曲を作っているのはほとんど俺なんで。「最初はそうじゃなかったのに、なんで俺だけになってんだ?」みたいな、そこでアレンジを託すこともできないし、二人に対して全然信頼感がなくなっちゃった時もあるし。それを今回一回ゼロにして「イチから組み立て直していこう」って思えたから、「もう一度3人でやっていこう」っていう感じにね。
--僕らが知らない内に一度分解してたんですね。
大木伸夫:そうですね、一度「もう何でもいいや!」ってなって、それから「さぁ、みんなで何が出来る?それぞれがどんな仕事をちゃんとして作品を作るためにどこまで自分を削ってやっていく?」っていうのを、もっともっと詰めていって。だから、もっとシビアになったけど、イラッとしなくなった。例えば、イチゴが何も出来なかったら「最低だな~、お前」ってムカついてたのが、今はサラっとしてるっていうか。
--今作はある意味ターニングポイントになったわけですね。
大木伸夫:そうですね。
--あと、今作はトリプルAサイドシングルということで、『human traffic』と『SOL』についても触れていきたいんですが、まず『human traffic』はどんなイメージを膨らませて作っていったんですか?
大木伸夫:これはもうね、音楽を楽しむというか、本当に純粋になっている感じが良いと思って、だからメロディーも鼻歌で作ったんですよ。いつもならそんなの歌にはなんないんだけど、たまたまこれで曲を合わせてみたらすげ~合って。ハモリも合うし、あんまり煮詰めなくても「良いメロディーができたな」っていう。サラッと作れた。で、ちょっと新しくもあるし。
--この曲って抽象的というよりは退屈な日常をそのまんま提示された感じがすごくして。でも曲はオシャレで、そこが何か妙に皮肉っぽく聴こえたりして、「そこがいい!」と思ったりもしたんですが。
大木伸夫:なるほどね、なるほど。
--あと、3曲目の『SOL』、これは例の『Cinema』の?
大木伸夫:うん、『Cinema』で流す映画の後ろに流れているバックトラックみたいなものが作りたいと思って。これはジャムで作ったんですけど、スタジオでサトマに「何か良い案ないか?」って言ったら、そこでベース弾いてくれて、それを聴きながらギターのフレーズを本当にその場で作って、すごくシンプルで良いものができて。
--歴代のACIDMANのインスト曲の中でも新鮮な感じですもんね、『SOL』は。
浦山一悟:今までのACIDMANのインストってすごく展開していくのが多いんだけど、『SOL』はそんなに変化があるわけじゃないんだけど、流れている空気感がすごく良いですよね。
佐藤雅俊:インストは本当に好きで、作ってはいたんですけど、今回は本当に「良いのができたな」って。
--で、この曲で浮かんだ映像が今度フィルムになって流れると。
大木伸夫:そう!もうね、今回のストーリーはね、俺が考えてるんですよ、原作者なんですよ。だからこの曲で浮かんだ映像が本当にベースになっていて。楽しみにしてて下さい。これ聴いたら絶対観てほしいですね。
--そんな3曲入りのACIDMAN2005年第一弾シングルですが、これは次のアルバムを予感させる3曲と感じていていいんでしょうか?
大木伸夫:あんまりアルバムを意識しては作ってはいないんですけど、結局は繋がっていく部分だと思いますね。空気感だったり、ちょっと開けた感じだったり、もう少し聴き易くなって、暖かさも増して。今もそういう曲が着々と出来上がってますし。
--今こうしてスタジオにいるっていうことはもう次の曲を?
大木伸夫:はい、レコーディング中。
--今自分たちの中である、次のアルバムのイメージがあったらもうちょっと深く聞かせてもらえますか?
大木伸夫:今までは探求していた。次はその探求して見つかったものを外にどんどん投げていきたい。「こんなもんがとれたぞ~、みんな見てくれ」って。だからほんと、世界に向かっていくっていうか、“自分の世界”対“外の世界”、それを繋ぐひとつのものでありたいかなって。だから今回ね、詩にも世界っていう言葉が多くて。意識的に使うようにしていて。世界って言ってもワールドとかそういうことじゃなくて、アメリカだとかそういうことじゃなくて、対人間に対してのその人の世界、自分の世界、ちょっと見方を変えたら自分の世界もガラっと変わる世界だったりするってことをね伝えたい。「必ず生まれるその世界に対して訴えていきたい」っていうか、「提示していきたいな」って。そんなアルバムになればいいと思ってます。すんません、抽象的で。
--そこは、さっき言っていた「今は売れたい」という部分にもリンクするところなんですか?
大木伸夫:なんか、爆発的に売れるのはちょっと嫌なんですけど、もっと自分たちの音楽を聴いてほしいし、聴いてもらわないと勿体無いと思ってるし。間違ってるのは何もないからもっと聴いてほしい、ライヴにも来てほしいし、もっと音楽の部分、ロックの部分もみんなに感じてもらいたい。「色々な人に聴いてほしいな」っていうのがありますね。
--そういう想いっていうのは今までの活動の中で一番大きい?
大木伸夫:大きいと思う。それはね、多分変な邪念もきっとあるんだと思うんですよ。
--それは?
大木伸夫:他のバンドに対して首を傾げてしまう俺らの気持ちもあるし、自分らがある程度の評価を受けていたにも関わらず、目指していたものには達していないというのもあって、「もっと評価受けたいな」っていう、ちょっとしたそういうのもあるし。今までは「好きなやつはとことん聴いてくれ」って感じだったけど、嫌いな人でも、無理やり振り向かせるんじゃなくて、嫌いな人でもチラ見するぐらいにはしたくて。「どうぞ、どうぞ」っていう。シェフのオススメサラダみたいな感じ(笑)。
(一同爆笑)
--いい意味で貪欲になっている感じ?
大木伸夫:そうですね。
--そこに辿り着くのは健全な気がしますけどね。
大木伸夫:確かにそう思いますね。聴いてもらいたいですよ、やっぱり。聴いてもらってナンボだから。色々な人に「良いわ~」って言ってもらいたいし。それは誰でも良いんですけどね、主婦の人でも良いし、中学生でも良いし。
--公園でおばさんが「ACIDMANの新曲いいのよ」って言ってるの聞きたいですもんね(笑)。
(一同爆笑)
--最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
佐藤雅俊:「聴いてもらいたい」しか本当にないんですけど、3つそれぞれ個性のある曲があるんで、楽しんでほしいですね。
浦山一悟:一度でいいからACIDMANの音楽に触れてみてほしい。そしたら何か変わってくると思うし。
大木伸夫:すごい開けてる作品だからそれを聴いてほしいし、開け具合を一緒に味わえたら嬉しいなと思います。
Interviewer:平賀哲雄
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