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Raphael 解散インタビュー
僕は、以後一切「Raphael」を口にしないと思う。
Raphaelのリーダー代理として、約20年間に及ぶ音楽人生の大半を生きてきたYUKI(vo)。あまりにも長い時間を費やした解散決断までの日々と、解散へ向けたファイナルミッションへ懸ける想いを語ってもらった。来る2016年10月31日と11月1日 Zepp Tokyoにて開催されるラストライブ【Raphael Live 2016「悠久の檜舞台」】へ向けて、そして彼が「Raphael」を口にしなくなった後も未来永劫「Raphael」を伝え継ぐべく、ここに残してくれたひとつひとつのメッセージを受け止めてもらいたい。
華月の音をちゃんと届けてあげられる方法をずっと探していた
--4月7日、華月(g)さんの誕生日に渋谷TSUTAYA O-EASTで行われた【Raphael KAZUKI 17th memorial「蒼の邂逅」】。様々な意味で記念碑的な公演になったと思うんですが、あの日はどんな想いで1日を過ごされていましたか?
YUKI:思ったよりリラックスしてましたね。舞台の上では役割的にボーカルで、他の楽器も触ったりするんですけど、プロジェクト全体としては運営的な部分も責任として担っているので、いろいろしていたらあっという間に本番を迎えた感がありました。だから逆に本番が一番リラックスできて。あと、あの日のコンサートを成功させる為にいろんな人たちが知恵や技術を結集してくれたんだなって、舞台のセットに対してもそうですし、会場入りした瞬間から感じ取れてグッと来るものがありました。--そもそもなんであの日にあの公演をやろうと思ったんでしょう?
YUKI:このプロジェクトを「もう一度動かそう」となった一番根底にある理由は、YUKITO(b)が今回限りで音楽から全面的に引退というか、卒業する。それがあって、最後にもう一度自分たちが出逢った原点である“Raphaelの音楽”と共にステージに立とうと思ったんです。だからイメージは足並み揃ってるんですけど、「じゃあ、具体的にいつからそれをスタートさせようか?」ってなったときに、メンバーであり、リーダーであり、今は他界してしまっているんですけど、別れてしまった華月(※1)の誕生日。1年の中でどんな人にもやってくるハッピーな1日である誕生日から始めようと。そこで決意表明や自分たちの想いを、音を介してファンの方々に届けるのがベストだと思ったんですよね。正直言ってツアーは何月何日から始まってもよかったんですけど、何かを誓ったり、前回の再演(※2)から3年半経った今でも「これだけ色褪せないで、いろいろやれるんですよ」という場に立ち会ってもらうには、4月7日しかなかったのかなって。※1.Raphaelの楽曲の多くを手掛けていたリーダー。2000年10月31日、19歳という若さで他界している。
※2.Raphaelは、2012年10月31日、11月1日に12年振りの復活ライブをZepp Tokyoにて敢行している。
--他界した華月さんの誕生日ということで、もしかしたら重い気持ちを背負って来場していた方もいたかもしれないですけど、YUKIさんは序盤からひたすら笑いを取りに行っていたというか、笑顔の絶えないアットホームな空間作りに努めていた印象も受けました。
YUKI:僕、記憶力があまりよろしいほうではないので、何かを事前に決めていっても憶えられないんですよ。なので、どこでMCをするのか、どんな話をするのか、そこは全部任せてもらっちゃってるんです。だからあの日あの場所でそういう空気感になったというのは、おそらく僕が促したというよりは、それが瞬間的にぴったりハマったからなのかなって。ポンと口を衝いて出てきたのが、そういう笑いが起きるような言葉だったんですよ。それにお客さんがただただ盛り上がってくれただけで、別に努力も意識もしてないんです。気が付いたらああいうテンションになっていたという。--めちゃくちゃ面白かったですし、何か構えて観なきゃいけないと思い込んでいた人たちの気持ちを軽くしてくれた展開だったと思います。
YUKI:だとしたら良かったです。と言うのも、3年半前の再演のときってどんな顔でステージに立てばいいのか全く分からなかったんです。でも1曲目からきちんと会場全体を観なきゃって見渡したら、お客さんが全員笑顔なんですよ。そこにちょっと答えが見えた気がして。舞台の上にいる側が畏まってたら何も始まらないなって。というのが前回あったので、そういうことも心に据えての今回、2016年4月7日のライブだったんです。--また、華月さんのギターを持って演奏するシーンもありましたよね。
YUKI:あれは公演の5週間前に決めました。--「ギター歴5週間、櫻井有紀です」と自己紹介されていましたね。
YUKI:(笑)--どんな気分でした?
YUKI:指先は震えるし、勝手が分からないので、プロのギタリストの方々にも力を借りて(※3)。まぁだから「冷静じゃないし、有り得ない」っていう判断をされてもおかしくなかったんですけど、思いの外って言ったらアレですけど、チームのみんなも「応援する」っていうリアクションをくれたので…… ※3.同公演には、ゲストギタリストとして盟友であるANCHANG(SEX MACHINEGUNS)や咲人(ナイトメア)も登場した。--そもそも何で弾こうと思ったんでしょうか?
YUKI:当時、華月が弾いていたテイクって時代が時代なんでほとんどデジタルデータとして保管されてないんですよ。それで華月の音をちゃんと届けてあげられる方法をずっと探していたんです。それで、本人のテイクではもちろんないんですけど、でも本人が弾いていたギターを鳴らせば、ファンの方にとってもどこかしら聴いたことがある音色を感じられるんじゃないかと思って。で、現存のメンバーを見渡すと、YUKITOはベースですし、HIROはドラムなんで、2人とも両手両足が塞がってるんですよ。その消去法と、今出来うる最善の“華月の音色をみんなに届ける方法”を考えた結果、「じゃあ、僕が弾くしかないな」って確信したんです。--とは言え、ギター歴5週間でライブに臨むって凄いことですよね。
YUKI:無謀だなとは自覚してました。ただ、選択肢を作ると判断が鈍るし、上達もないだろうと思ったんで、「果たして出来るんだろうか?」ではなくて「やる」と約束してしまったんです。そしたらもう「やる」しか選択肢がない。そういう感じで自分の中で意識整理をして。まぁ指ももつれるし、弾きたかった弦のひとつ隣を弾いてるとかあったんですけど、一流のギタリストの方々に名実共にサポートもしてもらえたので、それでも弾いて良かったなって思います。自分で言うのもアレなんですけど、ちょっとチョーキングが甘かったとか、1,2ヶ所音がズレたりはしたものの、想定していたよりは全然良く弾けたので。あと、後悔したのは、華月の他界以来ずっとギターから目を背けてきていたんですけど、「あ、これは世の中にたくさんギタリストがいる訳だ。これは面白いし、気持ちの良い楽器なんだな」ということを知れた。だからもっと早く向き合えば良かったと思ったし、同時に思い切って今回向き合って良かったなって思いました。--全国ツアー【Raphael Live Tour 2016「癒し小屋」】でも弾いていくんですよね?
YUKI:そうですね。あの日のO-EASTと同じぐらいの物量だと思うんですけど、出来る限りは弾きたいなって。地方の規模が小さいライブ会場とかも行くので、O-EASTのような環境が他の土地でも整えられるかって言うと、ちょっと難しい場所もあるんですよ。そうなると華月の映像すら見せてあげられない会場も出てくるので、そういうことを考えるとやっぱり音色だけでもつれていきたいなって。あとは、実際に本人が使っていたギターなんで、そういうものがひとつあるだけでも全くないよりは良いのかなって思うから。言葉をどう整えるのが適切なのか分からないですけど……死んでしまった人をつれていくって非常に難しいんです。正解が分からないので。でも正解が分からないながらもそこに可能性があるなら、可能性があると分かっていながら置いていくのが一番不正解な気がするんですよ。賛否が分かれることが解っている上でまたプロジェクトが動いている訳ですから、否定が大なり小なりあるにせよ、後悔したくないから思ったことは実行していく。だから映像という武器が使えない地方ではなおさらギターは弾きたいなって。繰り返して演奏していくうちに、逆にそれが心の支えになる気はしてるんですよ。--華月さんのギターを弾く。それもO-EASTで仰っていた「華月さんが残した楽曲の可能性を見せたい」という想いの具現化だと想うんですが、どのような気持ちの変遷があってその想いに至ったんでしょう?
YUKI:単純にオリジナルメンバーは4人じゃないですか。でも2012年からの編成は3/4なんですよね。これっていくら技術が向上しようが、いくら語彙力が増えて巧みなMCをやろうが勝てないんですよ。物理的な人数で軍事力が違うというか、瞬発的な攻撃力が違うというか、聴く人の心に刺さるものが全然違うので、どう足掻いても勝てないんですよね。じゃあ、勝てないなら勝てないなりにただ降伏するのではなく、「足りてないんです」っていうものをステージの上から届けるのではなく、っていうところですね。--そこで何をするか?っていう。
Raphael - 「天使の桧舞台 第一夜~白中夢~」2012.12.26発売
--元々の形やアレンジのほうが良いとか。
YUKI:そう。それもそれで正解だと思うんですよね。聴いてくれる、応援してくれるファンやお客さんの方々には、ひとつでも多くの選択肢があってほしい……という願いで今回のそういうアレンジとか企画を提案させてもらって、僕が陣頭指揮を執らせてもらいました。- 「解散」僕のリーダー代理は終わるんですよね。これでようやく
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:外林健太
「解散」僕のリーダー代理は終わるんですよね。これでようやく
--「こういう形もあるのか、面白い」と思ったり、逆に「オリジナルのバージョンのほうがいい」と思ったり、そういういろんな想いが受け手の中で生まれた時点で可能性は広がってる訳じゃないですか。そういう意味では、正しい、新しいアプローチだと思いますよ。
YUKI:そう言ってもらえると本当に救われますね。その部分が上手く、言葉だけでなく、感覚としてお客さんひとりひとりの体に入っていってくれたら良いなと思ってまして。そういった意味では、過酷なツアーになると思うんですよ。楽曲によって、パフォーマンスによって、もっと言ったら会場によっては、ファンの方々の痒かったところに手が届かないで終わっちゃう可能性もあるので。ただ、トータルで考えれば、みんな欲しかったものが必ず手に入るような形には出来ると思います。というのが、可能性、選択肢を広げるっていう、現存するメンバー3人が3人で互いに誓い合った努力目標なんですよね。--その誓いが交わされたきっかけでもある、Raphael解散。あの日のO-EASTで、YUKITOさんが手紙を読まれる形で発表されました。
YUKI:YUKITOは数日前からあの手紙の構想、たたき台って言うんですかね。それを考えながら僕にもすごく相談を持ちかけてくれたりしてたんです。それで、自分の願いとかではなくて、彼の中のものを引き出すことにとどめる努力はしまして。僕が文章を書いてあげちゃうと僕の言葉になっちゃうので、言ってはならない方向の線だとか、自分だけでも他の人だけでも誰かだけが印象悪くなるような形は避けようとか、そういうアドバイスだけしたんですけど、本番で涙を堪えながら読んでいる姿を斜め後ろから見ていたときは……ちょっと感極まるものがありました。--解散の告げ方ってとても難しいと思うんですが、その中でYUKITOさんが手紙で終幕を伝えるのがベストだと、YUKIさんも感じていたんでしょうか?
YUKI:YUKITOは元々「自分の心の中で言葉をまとめて、みんなの顔を見ながらそれを伝えたい」って言ってたんですけど、僕はムリだと思っていたんですよ。それは何故かって言うと、YUKITO自身にその能力がないということではなくて、万が一、感極まって俯いてしまったら、その瞬間に「がんばれー」っていう声援に負けちゃう予感がしたんですよ。そしたら伝えようとしていたことが伝えられなくなっちゃうなと思ったので。でも目の前に手紙があれば読み終わるまでみんなが静聴してくれると思って、そこに懸けてみたんです。で、YUKITOは自分のお役目を完遂した。あれはすごく良かったと思います。--Raphaelの活動終了を明確にしてしまう。そのこと自体についてはどんなことを思ったり考えたりしましたか?
YUKI:2012年の再演が事実上最後のステージだろうって、言葉には出さずともチームもファンの方々もちょっと引いた位置にいる方々も、みんながそう思っていたので、僕が最後に「解散! じゃあね!」って帰れればよかったんですけど、最後になんか喉が詰まってしまって「以上、Raphaelでした!」って何とも取れない言葉で終わってるんですよ。それが淡い後悔として残っていて。あと、ライブが終わった後って反省点が残るじゃないですか。本来ならその反省点を次回のステージに生かすことが出来るからバンドは成長していけるのに、次がないって儚いし、やっぱり「何にこの気持ちをぶつけよう?」ってなるんですよね。感情の整理が難しかった。そんな中、今回、YUKITOが音楽を辞めてしまうことになって、それ自体は寂しいんですけど、結果的にリベンジできることになったので、より明確な決着というか、答えにチームをつれていける気がして。だから今回は「解散」というキーワードを最初から据えて、出来る限り報じてもらえるメディアさんのところでもそれを話せるようにしてきてるんです。--ただ、あの発表に号泣しているファンもたくさんいました。
YUKI:舞台の上から見てると、凄い人数の方が号泣してました。--そうしたみんなの反応にはどんな気持ちになりました?
YUKI:でもなんか……これは見た感じでしかないし、自分の心境都合だと思うんですけど、ちょっとホッとしてる人が多いなと思いまして。何より僕もそうなんですけど、「やっとこれで華月を解放してあげられるな」って思いました。これは葛藤なんですけどね、一番強がって一番キレイにいつでも訴えたいのは……「本当の死って忘れられたときかな」ということで。忘れなければ、永遠に曲は輝きを放ち続けると僕は思うし、それを生み出したアーティスト自体も素晴らしい評価を維持できると思うんです。ただ、その反面、こんな時代なので、やはりどこかでアピールを続けなければ忘れ去られてしまったり、偏った何かだけが残ることになる可能性もあると思ってて。最後の最後までそこは葛藤すると思うんですけど……終わりゆくものをキレイに、より鮮やかに光を放てるように見せてあげたいなとは思ってます。--「偏った何かだけが残ること」具体的に言うとどういったものですか?
YUKI:前回復活したときも思ったんですけど、「壮絶な死を遂げたリーダー」なんかその部分だけが前に出る。方や「いや、あれは薬物中毒だ」……もっと悲しかったのは、おそらく10代とか若い子たちだと思うんですけど、「若くして死ぬって神だよね」みたいな。神格化されるって言うんですかね。それは止めなきゃイカンなって。本質はそんなところではないし、「華月は悟りを啓いた仏でも何でもなくって、ただの19歳の男の子だったよ」「そんな男の子だけど、こんな音楽的なこともやれる才能があったよ」「尖がったり偏ったりしてる内容の歌詞もいくつもあったけど、こんな魅力的な言葉を散りばめた楽曲も作れた奴なんだよ」っていう本質の部分を見せてあげたかったんですよ。2012年の、2日間限りでしたけど、そのアピールがすごく良いものを残せた実感があったんで、主語・述語がようやくそこで定まって、ここから同じ言語環境でファンの方々とやっと対峙できるんだなって感じられたんです。その上で解散が待ってるし、楽曲も様々な振れ幅のアレンジで披露できるし、あとは当時のアレンジを踏襲しつつも僕がギターを弾いてみるとか、いろんな部分でようやく打ち出す側と受け取る側のキャッチボールの環境が整ったっていう。--そもそもRaphaelは華月さんが亡くなってしまった時点で解散していてもおかしくなかったと思うんです。でも、その後もツアーを予定通り敢行したり、12年にもわたる活動休止から復活したりと、ここまで続けてきたのは今仰っていた部分を結実させる為だったのか、それとも他に理由があったのか。自分では何でだと思いますか?
YUKI:華月が死んじゃった瞬間、もちろん僕も19歳だったんで、身も心も脳みそも19歳の中卒のちょっとやんちゃな男の子のキャパシティしかないんですよ。そんな中で、その頃はしんどすぎて記憶も微妙なんですけど、誰に言われたかも思い出せないんですけど、一番苦しかったのが「こんな状況だから、今日から君がリーダーなんだ」って言われたことで。それがすごく苦しくて、苦しいんですけど、ずーっとそれが頭の片隅どころか視界の中から消えないんですよね。それで言ってみれば“リーダー代理”になった訳なんですけど、あくまでリーダー代理だから解散していいか分からなかったんです。思うことは出来て、提案する事も出来るんですけど、決定権を誰も持っていない。というのがこれだけの年月に至った理由の落としどころ。あとは、単純に終わりたくなかっただけです。納得いくまでやりたかったし。--なるほど。
YUKI:あとは、憔悴って言うんですかね。みんな、もう心が折れちゃってたんで。メンバーだけじゃなくて、関わっている人たちも。もう一思いに終わるだけの気力も残ってなかったんです。もう忘れてほしいし、触れないでほしいし、そういう時間の中で次第にひとりずつ、ひとりずつ、それぞれの人生の行き先を見つけていった。そうやって過ぎ去っていった十数年。僕もリーダー代理というものがずっと頭から離れなくて、答えが分からないのでずっと音楽を続けていたんですけど、その中でずっと予想だにしなかったのは、生きているうちにメンバーが音楽を辞めるということ。YUKITOはマルチなんで、音楽自体が鳴かず飛ばずだったとしても飲食関係だったり、近年では骨董品の販売だったり、いろんなことが器用にやれるタイプなんですよ。だから逆にYUKITOが音楽を辞める必要性は見出してなかったんですけど、だから余計に「解散」っていうキーワードは程遠いものだと思っていたんです。動きもしないけど、眠りもしないし、ただその品質で維持できているものが続いていく。で、また、万が一、誰かの何かがきっかけで「死に方がどうだった」とか「楽曲が実はこうだった」とか根も葉もない、あることの間にないことないことが挟まってくるようなことがあれば、また自分が動けばいいぐらいにしか思ってなかったんです。--その状態が続く可能性もあった訳ですよね。
YUKI:今回、ゆっくりYUKITOとも話し込んでみて思ったんですけど、YUKITOはYUKITOなりに音楽が上手く出来ないと思っていて、方やYUKIとHIRO(dr)はriceというバンドをやっていて、どんな規模でもどんな環境でもずっと音楽を諦めないでやっている。その2人と「一緒に肩を並べている」という評価になることが苦しかったって言うんですよ。YUKIもHIROも音楽を頑張っている、俺も同じ音楽をやっている、そんな大それたことを言える自信がもうないと。あいつはもう結婚して家族もいて、音楽とは掛け離れた新たな仕事があって、いろんなものが充実してきたからこそ、考えれば考えるほどYUKIやHIROに申し訳ない気持ちになってきたし、きっちり自分はケジメをつけたい。っていう申し出をもらったところから今回のプロジェクトは始まってるんです。それだけかつての仲間が覚悟を決めたんなら、我々も覚悟を決めて……もっと言えば僕自身ですよね。何がしかの理由をつけてここまで伸ばしてきた「解散」、そこからもう目を背けてはならないんだなって思って。これでようやく一連の流れが終わると、自分のお役目も果たせるというか、僕のリーダー代理は終わるんですよね。これでようやくなんですよね。--長い時間がかかりましたね。
YUKI:ただ、元々わりと凝り性だったり、好きなものは突き詰めていきたくなるタイプだったりするんで、かかった時間=苦労をした時間の分だけ出来ることがすごく増えたと思ってます。あとは数え切れないぐらいの仲間との出逢いがあったので、ただ苦労しただけの、苦しかっただけの、長かっただけの時間じゃないんですよ。ただ、思いっきりスッキリするんじゃないかなとは思ってて。やり切った最後のステージの上では。--今から約20年前、バンドを結成したときの事は今でもよく覚えてますか?
YUKI:結構覚えてますよ。華月が一番よく一緒にいたんですよ。華月のお母さんもすごく可愛がってくれて。僕は横浜で華月は東京だったんですけど、中3で出逢ってるんで当然学校も違うじゃないですか。だからお互いのコミュニティがあるはずなんですけど、よくよく蓋を開けてみたらどちらも地元のコミュニティに属してない、孤高の存在同士みたいな。それで妙に意気投合しちゃって、僕からしたら同じ歳の人間が巧みにギターを弾くなんて半ば憧れなんですけど、華月は華月で音痴にコンプレックスを持っていて、それでも音楽がやりたくて手に取ったのがギターだったんですよ。だから僕の歌をすごくリスペクトしてくれていて、すごく居心地の良い相手だったんですよね。あまりに仲が良すぎて、華月はカゴのめちゃくちゃ大きい不思議な形をした自転車に乗っていたんですけど、僕がそのカゴにこう……--マンガじゃないですか(笑)。
YUKI:そのカゴと運転を交代しながら自転車を走らせたりしてました。学校のない日は華月の家に平気で二連泊とかさせてもらったり、そういうことはやっぱりよく覚えてますね。僕は悪ガキだったんで当時からお酒もタバコも普通に手を出していたんですけど、向こうは至ってクリーンでそんなのもないし、お互いファッションの好みも違いますし、向こうは暇さえあれば幻想文学って言うんですか。天使が出てくるような小説ばっかり読んでたりして。実は何も噛み合う部分ってなかったはずなんですけど、それでもいつも一緒にいた。リズム隊の2人にしてもそうですけど、YUKITOはパッと見大人しいんですけどお祭り好きだったりすので、賑やかな何かがあればいつも一緒にドンチャンしてたし……ただ、僕らは出逢ったのが15,6歳で、決別、華月が他界したのは19歳だったんで、4人で過ごした時間は3年半しかないんですよ。しかもその半分はみんなまだ学生だったんで、週に一度会えばいいほうだって考えれば、年間に40日ぐらいしか会ってない。だから共に過ごした日にちってプロになってからの時間を合わせても200日ぐらいしかないんですよね。だから大概のことは覚えてます。リリース情報
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「辞めさせてくれ!」でしたね。
自分も後を追って死にたかったから
--当時のメンバーはそれぞれYUKIさんから見てどんな存在だったんですか?
YUKI:当時16,7歳の僕はみんな同じ歳なので何も違和感を覚えてなかったんですけど、今思えばみんな普通の16歳や17歳じゃなかったなって。今思うとちょっと怖いぐらいネジ飛んでるんですよね。自分で言うのもなんですけど、僕が一番健全な部類だったのかなって思うぐらい。それなりに悪さしたり恋愛したり見た目もツッパってみたりしてましたけど、華月なんて次元が違いましたからね。15歳で出逢った時点でぶわってピアスの穴開いてるし、こっちはなけなしの小遣いでジーンズメイトとかで服買って、こっそり親の良さそうなシャツを着てるぐらいの段階だったのに、アイツは初めて逢ったときからモード系のスーツ着てやがって、「なんかなぁ~」って思ってましたよ。--HIROさんはどんな存在だったんでしょう?
YUKI:HIROは笑わなかったです、当時は。--そうなんですか? 今はすごくポップなイメージですけど。
YUKI:朗らかですね、今は。でもあの頃は一切笑わなかったですね。受け入れてくれないというか、「じゃあ、なんでここにいるの?」って思っていたし、何を考えているのか全く分からないし……だから最初は嫌いでした。--(笑)
YUKI:YUKITOに全員紹介されたんですけど、華月は見た目のインパクトもそうですし、何より僕がそれまで触れたことのないギターやシーケンサーを扱えて、オリジナルの曲や詞も書いていると言われたときに「なんだ! コイツは!」って感じだったんですよ。YUKITOはそんな華月と同じ価値観を共有できていて、昔からオシャレだったし、「あのバンドのこの前のライブ面白かったよな!」みたいな話をしていて、僕の知らない世界を知っている2人って感じだったんです。HIROは至って当時から野暮ったくてですね、なぜか「B」って書いてある普通のジージャンを上まで締めて着てて、「変なダッサイ格好の奴が来たなー」と思っていたら「これが前に言ってたドラムのHIROだよ」って紹介されて。「え、これ!? やだなー。野暮ったい奴嫌いなんだよなー」って思いながらも「はじめまして、YUKIだよ」って手を差し伸べたら、アイツは手を出さなかったんですよ! すぐ「コイツ、嫌いだな!」って、「コイツ、嫌いだし、そもそもこういうタイプ嫌いだな!」って。--そこまで嫌いな相手とどうやって打ち解けたんですか(笑)?
YUKI:夏休みを利用して4人で作曲がてら強化合宿に行ったんですよ。リハーサルスタジオ付きの民宿みたいな、大浴場があって、部屋の鍵が壊れてて、その部屋で4人で雑魚寝みたいなところへ。で、2人ずつ分かれて留守番しつつお風呂へ行くことになって、メンバー4人でいる分にはいいんですけど、誰もHIROと2人になりたくないんですよ。何を話していいか分からないんで。YUKITOも「俺が紹介したけど、本当はどんな奴かよく分かってない」って言ってて、そのYUKITOと華月が無責任に結託して「俺ら先に行ってくるね」って行っちゃったんですよ。そうなると、HIROと部屋でも2人だし、お風呂でも2人になるから、これは良い関係性を築きあげないと合宿自体つまんなくなっちゃうなって思って。そんなときに20分100円とかで遊べるテレビに直結してるゲームに気付いて、苦し紛れに100円入れてスウィッチを押したら『ドラゴンボール 神龍の謎』の画面になって。--めちゃくちゃ難易度の高かったファミコンソフトですね。
YUKI:そう! あれが出てきて「あんまり得意じゃないけど、これで何とか時間潰せるか」ぐらいに思ってたら、HIROがめちゃくちゃ得意で! あんなの通説で行ったら4面か5面までしか行けないはずなのに、すいすい1回も死なないで13面まで進んでいって、「このあと兎で宇宙に行くんだよ」とか訳わかんないこと言ってて(笑)。それで「うわ、スゴっ!」とか言いながら何度かHIROの顔を見てみたら「笑うとこんな顔すんだ、コイツ」って気付いて。それで一気に打ち解けました。よくよく考えて思い返してみると、アイツに対して僕も笑いかけてなかったんですよね。でもそれで気が付いたらどっちも笑ってて、そこからは共に過ごす時間が何も苦しくなくて、いつの間にか今のポップな、朗らかなHIROになってましたね。--そんな4人で様々なストーリーを歩んでいく訳ですが、先ほど撮影で立ち寄った鹿鳴館はRaphaelにとってどんな思い出が詰まった場所ですか?
YUKI:人生初めてのバンドツアーがスリーマンで、ILLUMINAとJanne Da Arcと全国を駆け回るっていうツアーでも立ったステージですし、人生10回目にして2回目のワンマンライブも鹿鳴館だったんです。そのときはすごく良いライブが出来て、当時『HOTWAVE』っていうテレビ埼玉の番組もバックアップしてくれたり、『SHOXX』っていう雑誌に載せてもらったりもして、300人オーバーの大盛況で終わったんですよ。で、それぞれがそれぞれなりの自信を胸に全国ツアーに臨むんですけど、その先で華月の情緒不安定な部分が全面的に出ちゃうんですよね。いわゆるリストカットとか、発作的に呼吸が荒くなったり会話が出来なくなったりとか、部屋から出てきてくれなくなったりとか、そういうことを旅の最中ずっと繰り返しながら、周りのスタッフ陣は当然ながら華月にステージに立ってもらわなきゃ困る訳じゃないですか。だけど、これはそんじょそこらのワガママとは違って、首根っこ掴んででも引っ張り出したとしても無理だろうってみんな分かってて。だから「苦しいけど、堪えてくれ」っていうのが、当時のプロデューサーやプロダクションの社長含め満場一致の指示だったんです。でも僕は堪りかねて1回蹴っ飛ばしたんですよ。「お前のそれは間違ったヴィジュアル系だよ! 腕切るわ、ヨダレ垂らして笑ってるわ、アホか! 目覚ませ!」と思って。そしたら余計ダメになっちゃって。今でも忘れない、仙台公演の後なんですけど。そういうこともあって、鹿鳴館での対バンがツアーファイナルだったんですけど、これはもうエントリーは無理だろうと思ったし、「自分がリーダーを絶対やるんだ」って言ってる奴がこんな状態だからバンドも終わるだろうと。でもツアーファイナルまでの数日間のあいだに「自分で何とか頑張れる道を見つけたい、みんなとステージに立ちたい」って華月本人が言ったんですよ。それで周りも全面的にサポートアップするからと云うことで「メンバーも何とか一緒に温度感を合わせてもう一度足並み揃えてくれないか」っていう提案があったんで、「じゃあ、頑張ってみようか」ってもう1回立ったステージが鹿鳴館。だから鹿鳴館は最初に光を見せてくれた舞台であり、絶望のピークに立った舞台でもある。だから光と闇がすごく混在している、僕にとっては特別な場所なんです。--初めて鹿鳴館のステージに立った頃、YUKIさんがこのバンドで描いていた夢や目標ってどんなものだったんでしょう?
YUKI:僕は元々は音楽をやりたかった訳ではなくてですね、幼いながらの淡い夢ですけど……僕、ホストになりたかったんです(笑)。幼い頃からお酒にすごく興味があって、あとはお酒についくてるフード関係ですかね。父親がフレンチのコックというのもあるんですけど、飲食にすごく興味があったんです。歌も元々好きだったんですけど、自分がバンドマンになるという考えには結びつかなかったんで、まぁ10代の知恵なんで、僕が想い描いていたものとホストの実態は違ったんですけど、そういう飲食と歌とか音楽が融合したダイニングバーみたいな、ジャズバーみたいなものをいつかは営みたいと思ってたんです。--では、バンドマンとしての夢を抱いていた訳じゃなかったんですね。
YUKI:そうなんです、元々は。なんですけど歌うことになって、歌を褒めてもらえるようになって、少々なりともボーカリストとしての自覚が出てくるじゃないですか。そこから先はとにかく人気を集めなきゃと思ってましたけどね。初めての鹿鳴館でのワンマンのときにすごく違和感があったんですよ。舞台監督の方がフジロックの運営指揮を執っていたりして、「規模があまりにも大きな人がなんでこんなところに来てくれるんだろう?」って。それは誰かの知人伝いのよしみかもしれないけど、それにしてもなぁって思ってたし、こんな狭いライブハウスなのに照明さんが2人も入ってる。会場の人じゃなくてチームの乗り込みで入ってるし、メイクさんも付いてるし、すごく違和感があったんですよ。身の丈に合ってない環境の中でチヤホヤされることに。その頃になればライブも10本もやってるんで、どの曲のどの部分の歌がどれぐらい良かったか悪かったかぐらい自分で分かってんですよ。それもすべて「良かったよ」って言われ方をするし、気が付きゃ知らない人が増えてるし、身の丈と見合わない環境にすごく違和感があったので「とにかく大きくなりたい」って思ってました。この人員、陣形に見合う規模に自分らが行かないと、逆にこの幸せに潰される。みたいなことを思っていたんですが、それらをきちんと言葉に出来るようになったのは十数年後ですよね。まさに今なんですけど。--4月7日のライブで、本編終盤に「lost graduation」を歌い終えたあと、華月さんについて「16歳ぐらいでこの曲を書いたんだよね。大した才能だと思う、本当に凄いなと思う」と仰っていましたが、今、自分の中で華月さんはどんな存在になってるんでしょう?
YUKI:当時からリスペクトしているというか、認めている部分はたくさんあったんですけど、それと同じ数ぐらい「嫌いだな」って思う部分もあったりして。作風にしてもそうですし、性格のここの部分がいけすかないなと思ってたり、常に対等に向き合っていたつもりだったんで……でも今になって振り返って自分に置き換えると、「10代の頃からそんなにメーターを振り切ったことは自分にはなかったな」って思うんですよ。で、どこかずっと勝ちたいって……それはお互いだったと思うんですけど、「負けたくない」って言ったほうが正しいのかな。そういう想いの中で僕だけまだ戦わなきゃいけないので、天国があるのかないのか分からないですけど、どこかでまだ何かを想えるのかどうかも分からないですけど、とりあえずこちらの世界から見ると勝手に戦線離脱されたんで「何の決着もついてないのにな」みたいなことを思いながら、なんだかんだでriceというプロジェクトの中でも100数曲もう書いちゃってたりするんですけど、詞を書いてみたり、曲を書いてみたり、アレンジをしてみたり、日に日にやれることは増えるんですけど、でも一度もメーターを振り切ったことはないっていう自覚もあって。そういう部分で言うと「一生勝てないものを残していきやがって!」とは思いますけどね。ご理解頂けると思うんですけど、愛情ゆえの、そういった想いがあった上でこういう言い方しか出来ないんですけど、そこの悔しさはずっとあります。--では、極論を言えば、彼がいなかったらここまで音楽を続けてなかった?
YUKI:そうじゃないですか。ただ、他界された瞬間に1回心は決まってたんですけどね。「辞めよう」って。辞めようというか、辞めたい、辞めるべきだ……「辞めさせてくれ!」でしたね。自分も後を追って死にたかったから、やっぱり。でもすごく救いになったというか、逆に言えばここまで音楽をやるハメになってしまったきっかけのひとつに、HIROとのやり取りがあって。当時、華月が亡くなる手前半年~1年ぐらいってメンバーそれぞれに売れてる自覚が出てきちゃってたんで、特にYUKITOなんて天狗だったんですよ(笑)。芸能人かぶれのお友達から電話があったりすると、リハーサルをババって切り上げちゃったりして、「ちょっと用事出来たから!」って帰っちゃう。それがすごく嫌いで。そういう中でもリハーサルスタジオの時間がもったいないからって黙々とずっと練習を続けているHIROがいて、だんだん好感を持つようになっていったんですよ。一緒に『ドラゴンボール 神龍の謎』をやった時点でマインド的には友達だったんですけど、「より近づいてみよう」という心の移ろいがもう始まっていて、そのときからですかね。YUKITOが帰っちゃうんで、空いてるベースを見よう見まねで弾き出したんです。リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:外林健太
後悔のないRaphaelとの
向き合い方をしてもらいたい
--なるほど。
YUKI:その頃になると華月もかなり不安定でスタジオにいないことが多くて。その中で「やれることをやろうよ」ってベースを触っていく中で、HIROとだんだん距離が縮まっていくんですよ。で、いつしか仕事の後にご飯を食べるにも僕とHIROの2人ということが増えていって。その最中で華月が他界して、僕も憔悴して落ち込んで絶望している中で「音楽を辞めようと思う」って話したときに、「なんだかんだで華月のことを一番そばで見てきて、いろんな想いを届けようって最後まで諦めなかったのはYUKIだよ」ってHIROが言ったんです。それで「こんだけ頑張ってきたんだから、今度はおまえが好きなことをやったらいいじゃないか!」「そうだよ。だから苦しいから音楽なんて辞めるんだよ。音楽を辞めて好きなことをこれから探すんだ」「いや、違うだろ。おまえが好きな音楽をやったらいいじゃないか! 俺はおまえがこれまで作った曲も大好きだし、これから生まれてくるであろうおまえの曲も全部好きなはずだから、おまえと一緒にもう一回だけバンドをやりたい」っていうやり取りがあって……「なんて迷惑な奴なんだ!」って。 一同:(笑) YUKI:嬉しいのと、複雑に悔しいのと、でも嬉しいが遥かに勝ったんでしょうね。泣けてきちゃって。HIROは普段は寡黙なタイプなんですよ。ほとんど言葉を発さない。そんな奴がこんなに苦手なトークしてるんだから本心だと思って。これを裏切ったらコイツのことも一生傷つけるし、一生後悔すると思った。それがriceのはじまりなんですけど。「しょうがないから踏ん張るか」ってところでここまで続いてしまって、その中でどんどんいろんな曲が生まれ、いろんな思い出も2人で重ねていくうちに当然無くてはならないものになるじゃないですか。そうやって踏ん張ってきた中で、2012年、大半の決着をつけられた再演があって、今回に至る感じなんです。--Raphaelは約20年のときを経て、自分にとってどんな場所になったなと思いますか?
YUKI:場所ですか? うーん……僕は場所を作る側の立場ですから難しい質問ですね。ただ、プロジェクトを一緒に背負ってくれているみんなにとってのホームにしてもらえるような努力は日々しているつもりです。ただ、難しい話ですよね。終わってしまうけど、無くならない。無くならないんだけど、その日が来たら場所ではなくなってしまう……そこは正直言ってまだ整頓できてないですね。多分、実際に終わってみないと分からないかもしれない。--その20年間の想いを反映させたものが新アルバムであり、全国ツアー【Raphael Live Tour 2016「癒し小屋」】になると思うんですが、この最後のアルバムと最後のツアーはRaphaelにとってどんな意味を持つものになりそうですか?
YUKI:ツアータイトルの【癒し小屋】っていうのは、4人でまわった最後のツアーのタイトルなんですよ。だから出来うる限りその当時まわった全国のライブ会場、あとはノリというか、コンセプトと呼ぶほどのものではないんですけど、それらを踏襲したものにしたいなって。あと、アルバムは3枚出させてもらえるチャンスをエイベックスさんから頂けたので、ジャケットひとつ取っても3枚が絵続きになるものだったり、3つのタイトルでひとつの言葉になるものを目指してるんですけど、その3枚のアルバムと今回のツアーでひとつになる感じですかね。今日の最初のほうの話に戻りますけど、3人で出来ることの更新というか、選択肢を増やすってことと、必ずそこに表裏一体でついてくるのがオリジナルに対する評価じゃないですか。そんな部分が、ツアーは公演を重ねるごとに、アルバムは作品を発表するごとにどんどん表現できたらなって。--このインタビュー掲載時点では発表されてると思うんですけど、10月31日と11月1日のZepp Tokyo公演【Raphael Live 2016「悠久の檜舞台」】でRaphaelは解散します。どんなステージになりそうですか?
YUKI:「全曲やりたいね」っていう話から派生して、リテイクしてアレンジがガラって変わってる曲も入れると70数曲になるんですよ。それで「全曲ってこの70数曲のこと? それともこのこと? もしくはこっちのこと?」っていう話で今盛り上がってますね。Raphaelコンプリートっていう大義名分、決意のもとに最後の2ステージがあるんで、そこに向けて「全曲」っていう言語の意味の統一、共有が今回のツアーで出来たらいいのかなって。そんな感じでやりたいことはどんどん出てきてる。「あの衣装着てみたくないか?」とか「最後だし、メイクをあの感じにしてみないか?」みたいな意見がポンポン出てますよ。--言うならば、Raphaelは今ファイナルミッションに突入していると思うんですが、そこでYUKIさんが成し遂げたいと思っていることがあれば聞かせて下さい。
YUKI:わりと今始めてしまったものが全てなのかなとは思っているんですけど、その中のひとつとしてデジタル補完がしたかったんですね。保管ではなく補完。当時足りなかったものを補ってこその補完を。これまで何度か苦い想いをしたのが、曲の権利的な部分をいろんな人が持っていることもあって、知らないところでRaphaelの曲が使われていたりして、そういうのって声明を出す人がいないと物議を醸しだすじゃないですか。人によっては何でも僕がやってると思う人も居るから「なんでこれを許したんだ?」って言われてしまう。その根本を叩きたかったんですよね。だからすべてをメンバーたちのもとに戻して、それこそレコーディングのテイクにしても、衣装にしても、ライブの映像にしても、僕らメンバーがきちんと回収・補完することが出来れば、何かこの先も綺麗に残していけるんじゃないかなと思って。ただ、当時のものをいくら探っても出てこないものは出てこないんですよね。だったら新しく生み出すしかない。新しいけど、昔から確かに在るもの。そんな感覚で今はレコーディングもやってますね。--11月1日でRaphaelの活動は終わりますが、そのとき自分はどんな境地に立ってると思いますか?
YUKI:どうなんですかね? 2012年のときは……半分冗談に近い感じだったと思うんですけど、終わったら死んでやろうと思ってたんですよ。でも死ねなかったんですよ、怖くて。真剣に考えたけど、結局無理だった。--でもそこで使命を終えるぐらいの感覚でいたんですね。
YUKI:そうですね。覚悟は今回にも劣らないぐらいきちんとあったんですけど、覚悟に力が及ばないというか、知識も気力も体力も……人間的なスコアが満たされてないというか、スペックが追いついてない感じはあって。舞台の上では誰にも歌は負けないつもりでうたいきって意地は張り通せたんですけど、だからなおさら「死んでやろう」と思いながら歌ってたんですよ。今回はどうでしょうね? あの時死ねなかったんでもちろん死なないんですけど……死なないというか、絶対死ねないんですけど。まぁ少し休みたいかな。曲を作りたいですね。--その終えた先に何が生まれるかは興味深いです。
YUKI:痛みとか悲しみとか苦しみとかだけじゃなくって、今回のプロジェクトも過酷と言えどその中で笑顔がたくさんあったりとかする訳なんで、それらを今度は楽曲としてまた自分で形に残していかないといけないのかなとは……ただ、わりと燃え尽き症候群な癖(へき)もあるので。自分の音楽人生の大半ですからね。20年にわたる音楽人生のうちの16年ぐらいはリーダー代理なんで、自分の音楽人生の3/4を占めるような、今まで自分なりに背負ってきた役割を失ったらどこへ行くのか分かんないですよね。……まぁ分かんないなんて言ってるうちにこうやってチームが構成されてしまって、今の自分の立場にも責任がついてまわっている以上、そんな甘えたことを言っていい歳でもないのかなとも思いますし、何よりもう覚悟が決まってるのは、僕は音楽に向いてるってことなんですよね。僕は歌に向いてるし、作詞にも作曲にもアレンジにも向いてる。だから結局何かしら同じことをやるのかなって。あとは、多分ですけど、今回のステージが終わったら僕は、応援してくれているファンの方々やチームの大切な仲間たちを信じて、以後一切「Raphael」を口にしないと思う。--本当に完全にケジメをつけるんですね。
YUKI:だから誰もが忘れないで済むようにこのプロジェクトを頑張って完成させて、あとはネットでもいいですし、他の誰かが紡いでいってくれるってことだけを信じる。そこに向けて不足のないようにやり切ります。--そのRaphaelの最後を見守ってほしいみんなへメッセージをお願いします。
YUKI:あっと言う間に終わっちゃうと思うんで……言うなれば今はマリオがスターを取って光ってる状態ですからね。本当に限りがあるものに向かって全力を出してるんで、後悔をしないでほしいですね。リベンジはもうないので、「やっぱりあのとき観ておけばよかったなー」とか「やっぱりあのとき「良いんじゃない?」っていう評価や反応で終わらないで「気に入らねぇ!」って言ってやればよかったな」とか、そういう感じで後悔しないでほしい。現実に対して心がボンヤリしない様にというか、曖昧にならないように、こちらも限られた時間の中で出来うる限りのアクションを起こしていくので、それに対して是だろうが非だろうが、後悔のないRaphaelとの向き合い方をしてもらいたいなと思います。Interviewer:平賀哲雄
Photo:外林健太
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:外林健太
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