Special
プリシラ・アーン×二階堂和美 オープンレター・プロジェクト
アーティストやクリエイターがお互いにメッセージを送り合うオープン・レター・プロジェクト。今回は5月にビルボードライブで来日公演を行うプリシラ・アーン、そして日本からは二階堂和美が登場。“ジブリ作品”、そして“広島”という接点を持つ2人のやり取りにぜひ注目して欲しい。
プリシラから二階堂へ 「“いのちの記憶”の大ファンになっちゃった」
二階堂さんへ
あなたとこうして文通できるなんて嬉しい。私、あなたの曲の「いのちの記憶」の大ファンになっちゃった。
『かぐや姫の物語』にとても感動したし、それに特にあなたの曲にも心打たれたわ。繊細で優しい歌声で、それでいて力強くもあって。最初、歌詞の意味は全く分からなかったけど、訳詞を読んでもっと胸がキュンとなった。この曲を書いてくれて、そして、私達みんなと共有してくれてありがとう!高畑監督とのお仕事はかけがえのない経験になったんじゃないかしら!
あなたは今、広島に在住なのね。昨年、NHKミニドラマ『赤レンガ』で主演を務め、その撮影のために1ヶ月広島に滞在したの。初めて広島を訪れたのは、『思い出のマーニー』のプロモーションの時で、あの地にいるだけで何かとインスパイアされ、当時のことや現地で感じたことを曲にできそうな気がするの。でも、ここで色々と話すには長すぎちゃうかも!
学生時代は、ガンズ・アンド・ローゼズのコピーバンドをしていたんですってね!カッコいいわ!!今でも、バンドの曲を歌うの?あなたって幅広い声域の持ち主なのね!
それでは、お体に気をつけて。今後もっとお話出来ることを期待して、楽しみに待っているわ!!
さようなら。
プリシラより
「思い出のマーニー」劇場本予告映像
二階堂からプリシラへ 「海外の友達はみんなNikaって呼ぶから、よかったら気軽にそう呼んでね。」
Dear Priscilla
はじめまして。お手紙ありがとう!「いのちの記憶」を感じ取ってくれてうれしい。 あの曲は、2011年にリリースした『にじみ』という私のアルバムを聴いてくれた高畑監督から、「かぐや姫の物語」のエンディングに「慰めるような歌が欲しい」との依頼を受けて書いた曲なの。
『にじみ』というアルバムは、私が両親やおばあちゃんたちの住む故郷に戻ってからの、いろんなしがらみだらけの生活の中で生まれた曲たちでね、あ、わたしの実家はお寺なの。浄土真宗って知ってるかな~、欧米では仏教っていうと座禅が有名かもしれないけど、それとはまた考え方が少し違って、この世で悟りの境地を得るなんて無理、阿弥陀如来にすべてをお任せする、っていう道でね。つまり執着にまみれたままの自分を、そのまま抱えて生きていく生き方なのね。それって結構もどかしくてね。私も学生の頃に僧侶の資格を取ったんだけど、どう受け止めていいかよくわかんないまま、あまり気にかけずに何年も過ごした。でも音楽の活動や、いくつかの恋、そういうのをあれこれ経た後の実家での生活で、ようやくすこし、この世で生きるってことのぐちゃぐちゃ加減が身に染みてきてね。この話はいきなり長く、ディープになりすぎるな!翻訳してもらって通じるかな~。わはは。
でも老いていく家族とか、その時おなかの中にいた新しい命とか、また、東日本の大震災で大切な方や故郷を亡くされた多くの方々のことを思ってこの曲を書いた。高畑さんとは、キャリアも年齢も頭の良さも、全然違うけど、でもあらゆる点で同志のような感覚を持てて、かけがえのない経験だった。
あなたの歌声はとてもやわらかいね。でも凛としてる。『思い出のマーニー』で流れた「Fine On The Outside」 、物語にピッタリだった。歌集として新たに書き下ろされた曲も聞いた。「Marnie」って曲がひときわ素敵だったな。日本語で歌っている曲も聞いたよ。言葉がとてもきれいで嬉しかった。あなたは幼いころからピアノを学んだりしてたんだよね。わたしは音楽をきちんと学んだことがないし、子どもがなにかを見聞きして真似をするのとほとんど変わっていないの。曲によって声も全然変わっちゃう。そのことに悩んだ時期もあったけど、もう受け入れることにしたんだ。楽器が思うように奏でられたらどんなにいいかなって思う。あなたにとって、演奏することや歌うことって、どういうもの?
あ、みんな私のことを「ニカさん(Nika-san)」って呼んでくれてる。海外の友達はみんな「Nika」って呼ぶから、よかったら気軽にそう呼んでね。アメリカツアーも2度させてもらったよ。オーディエンスがとっても反応が良くって、大きな自信をもらった。続きはまたね。お話しする機会をもらえてうれしいです。
Nikaより
2016.05.12
二階堂和美 - 女はつらいよ
プリシラから二階堂へ
「家族やお腹の中にいる子のことを考えながら『いのちの記憶』を書いたというお話、とても素敵だわ」
ニカさんへ
とても素敵なニックネームね!
実はあなたにお寺について聞こうと思っていたの!そういった環境の中で育つことってとても興味深くてユニークなことよね。“浄土真宗”っていう言葉は今まで聞いたことがなかったけど、素晴らしい言葉のように聞こえるわ。あなたは今もまだお寺に住んでいるの?私は、僧侶になって自らの人生を修業に捧げる人々のことを本当に尊敬するわ。でもそれよりもお寺の外にいながら、宗教上の教えを実践している人たちの方がもっと大変なんじゃないかとも思うの。痛みや心の悲しみと向き合うこと、人はみんな同じように世界を見ているわけではないから……私にとってこれが本当の挑戦のように思うわ!私はPema Chodron(ペマ・チョロドン)の『Comfortable with Uncertainty』という本を読んで、初めて仏教について知ったの。その本は、私がその時に直面していた大きな痛み(問題)から救ってくれたわ。そして今、私はベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンの教えを楽しんでいるのよ。私はこのようにして人生を歩もうとしているの。でもこれは本当に大きな挑戦だわ!あなたは日々、瞑想(メディテーション)はしている?
家族やお腹の中にいる子のことを考えながら『いのちの記憶』を書いたというお話、とても素敵だわ。音楽に対するインスピレーションを見つけるにはなんて良い純粋な環境なのかしら!私は、子供たち(と大人)向けに『La La La』というアルバムを作ったの。私は子供たちが地球上で最も純粋な人間だと思うし、私たち大人も子供の頃のように私たちの中にある本当に自然な内面を取り戻すことができると思っているわ。ちょうどその時、私は赤ちゃんを妊娠していたの。私の中にいる大きく小さい魂と一緒に曲を作って歌ったことは本当に素晴らしいことだった。
あなたのライブ映像をいくつかYouTubeで見させてもらったわ。あなたは魅惑的なパフォーマーね!身体が歌のエネルギーで満ちているようだったわ。そしてその歌のキャラクターになりきっているようにも感じた。もし私があなたと同じ部屋にいて、あなたのパフォーマンスを見ることができたら、とても素晴らしい経験になると思うの!あなたのライブが見てみたいわ!!私はパフォーマンスするとき、同時に内向的でもあり外交的にもなるの。一度、私自身の中に入りこんで、その後に、中に入っていたエネルギーを外に出していくような傾向にあるわ。私はひとりで心の底から観客に向けて歌うことを楽しんでいるの。でも、私が完全にひとりきりでライブをするとつまらないかもしれないと思って、今回の日本公演には私のバンドも連れていくことにしたのよ。
小さい頃、私のお母さんは私にピアノを教えようとしたんだけど、私はダメな生徒だったの!私はまだ7歳だったのに、もう全てのことを分かりきっていると思っていたのよ!だからお母さんは私にピアノを教えることを辞めたわ。それから2、3年後、お母さんがくれたピアノの本を見つけて、音符の読み方を自分自身で勉強し直したの。私は独学でピアノとギターを勉強したから、すごく上手とは言えないの!唯一、歌だけは高校の時に昔ながらの(古典的な)聖歌隊のオーディションをたくさん受けていたから、きちんとしたレッスンを受けたわ。今、私がどうやって自分の歌声を良くするための方法がわかるのはそのレッスンのおかげだから、そのレッスンを受けて本当によかったと思っているの。
私はあなたのアメリカでのツアーについて教えてもらいたいと思っているの!どの都市の観客がお気に入りだった?アメリカを旅してみてどう思った?アメリカってとっても大きいでしょ?移動も多いわよね!実は私は日本も含め他のアジアの国でツアーするのが好きなの。
今、私たちは空港に向けて出発するところなの!私の息子は今回初めて飛行機に乗るのよ!私がとても緊張しているわ!それじゃあお返事楽しみにしているわね!
心から。
プリシラより。
プリシラ・アーン『LA LA LA』トレイラー映像
二階堂からプリシラへ
「ドラマの最後にあなたが本人として出てきて伝えた平和へのメッセージには、私も同じことを思ってる」
Dear プリシラ
幼い子どもを連れてのツアー、楽しんでる?大変だよね!私もジブリの仕事に関わっていたのがちょうど娘が生まれる前後だったから、生まれて2か月目からレコーディングやキャンペーンや、あちこち連れ回してしまって、彼女は生後7か月までに、飛行機に14回、新幹線に16回乗ったよ!なにがなんだかわからないままにこなした、って感じだけど、たくさんの人にお世話になったおかげで、娘はたくましく育って3歳になったところだよ。あなたとあなたのベビーが健やかであることを願っています。
アメリカのツアーは、2003年にMt.Eerieというアーティストといっしょに、西海岸を3週間で往復23か所回ったの。北はAnacotesから南はSan Diegoまで、折り返してLasVegasのレコード屋やSalt Lake Cityも。いわゆるライブハウスだけじゃなくて、Cafeや教会、シェアハウスで、という時もあった。Olympiaでレコーディングもしたよ。2011年にはTara Jane O’neilと1週間、これも西海岸。どちらのツアーも車一台で気軽にね、海や山や、いろいろ寄り道して、自然の美しい場所たくさん見せてもらった。あなたはLAに住んでいるんだっけ?アメリカのオーディエンスは、どの町でも、有名無名にかかわらず、いいパフォーマンスに対して、きちんと反応してくれるのがすごく楽しい。最初はガヤガヤしてたり、誰だこいつ?という顔をしている人たちも、一曲目を歌い終わった時にはすごい歓声と拍手をくれるんだもの。やりがいがある。歌詞は全然わからないはずなのにね。
私はそもそもほかの人の歌を聴くときにも、あまり歌詞を聞かないの。洋楽を聞いていた若いころもずっとそうだった。このごろその感覚は少し変わってきたけど、言葉を乗せるからには、それが言葉としてきちんと聞き取れないと乗せる意味がないとも思っているから、プリシラの歌は、すごくきちんと発音されていて嬉しいの。
ともかく、2003年のアメリカツアーは私に大きな自信をくれた。あの広さに比べたら日本は狭いし近い。広島に帰っても音楽を続けていけるって思わせてくれたのもこのツアーのおかげ。2004年に東京から広島の実家に戻ってからは、ずっとここに住んでる。お寺を継ぐの。だから今後どこかに移り住むことは、子どもが成人するまでは考えられないな。
あなたが主役を務めた広島のドラマ『赤レンガ』、見せてもらったんだ。なんだかもう、とても親しい友人のように思いながら見た。原爆や戦争の問題はほんとに一言では言い表せないね。でもドラマの最後にあなたが本人として出てきて伝えた平和へのメッセージには、私も同じことを思ってる。「これから生まれてくる世界中の子供達が幸せに生きていけるようにベストを尽くしたい。」と。
私が音楽だけじゃなくて、仏教徒であることも同じ気持ち。あなたが“お寺の外で、宗教上の教えを実践することのほうがもっと大変”と想像してくれたこと、とても心に染み入りました。ほんとに私にとってはとても大きな挑戦。でも歌手も僧侶も、どちらも自分自身の心に向き合う仕事だし、聞いてくれる人たちに対しても、そうであってもらいたい。どちらも心を耕す仕事だもんね。聞いてくれる人自身のね。だからやれているのかな。
いつかあなたとお会いできる日があるといいな。できれば広島で。その日を楽しみにしてるよ!
二階堂和美
二階堂和美 with Gentle Forest Jazz Band - お別れの時
関連商品