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楽園おんがく Vol.31: caino インタビュー
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、沖縄のロック・シーンで今最も注目され、ブレイク間近との噂も高いcainoのインタビューをお届け!
現在、沖縄のロック・シーンでもっとも注目されているバンドのひとつが、cainoではないだろうか。エモーショナルなギターロック・サウンドに乗せたハイトーン・ヴォイスを聴けば、誰もが気になるに違いない。
2000年に結成されたcainoは、メンバーを変えながら地道に活動してきた。ヴォーカル&ギターの高良豊を中心に、現在のメンバーはドラムスの兼島紳と、ベースの田盛安一という3人。2014年に自主制作で初のアルバム『caino』を発表。そして、2015年の12月には初めての全国流通盤となるミニ・アルバム『mahoroba』をリリースしたばかり。沖縄で共演した水曜日のカンパネラが絶賛し、その縁で東京のライヴ・デビューも果たした。
UKロック、エモ、ポスト・ロックといったエッセンスを巧みに取り入れながら、ポップであることを常に意識したcainoの楽曲群は、緻密に作り込まれているにもかかわらず、キャッチーで耳に残る。『mahoroba』がタワーレコードの推薦するタワレコメンにも選ばれるなど、ブレイク間近との噂も高い彼らの秘密に迫るべく、直撃インタビューを敢行した。
cainoが今みたいにちゃんと評価されるようになったのは、田盛さんが入った2010年からですね
−−みなさん、30代半ばなんですよね。
田盛安一:僕が年長で1980年生まれです。
高良豊:僕は1981年生まれです。
兼島紳:こう見えても僕がいちばん年下で、1983年生まれです。
−−世代的には同じですが、共通の音楽体験ってどのあたりですか。
高良豊:全員がビジュアル系上がり。
兼島紳:LUNA SEAはなんでも弾けるぞ、っていう(笑)
高良豊:スタジオに入って音出しするときに、まず「TRUE BLUE」がかかるんですよ(笑)
田盛安一:誰かがイントロ弾いたら、すぐに合わせられます(笑)
高良豊:DNAに刻まれていますね。
−−3人が出会ったきっかけは。
兼島紳:もともとは全員別のバンドで活動していたんです。12,3年前ですかね、浦添市にGROOVEという小さなライヴハウスがあって、そこで対バンする仲間で。打ち上げで一緒になったりして、仲良くなりました。
高良豊:caino自体は2000年結成なので、すでにあったんですよ。最初は、僕の他に、ギター、ベース、ドラムの4人組でした。それで、ドラムとギターが脱退して、僕とベースの二人になったんですけど、その時に加入したのが紳くん(兼島)です。そして、ベースも「俺、ソムリエやりたい」って言って辞めてから(笑)、サポートしてもらったのが田盛さん。その後、正式にメンバーになってもらいました。
−−じゃあ、今のメンバーが固まったのは最近ということですか。
兼島紳:2010年ですね。僕は2006年に入ったので、今年で加入10周年です。
−−2000年の結成当時はどんな音楽性だったんですか。
高良豊:ナンバーガールに影響を受けて、オルタナティヴ・ロックをやろうと思ったんですよ。でも、オルタナってジャンルじゃないじゃないですか。なんでもありだし。その時に思ったのが、ポップというものも、ジャンルじゃないし、既成概念もないから、自分たちはポップ・ロックと名乗ろうと思って。だから、どんな音楽をやっても、自分たちはポップ・ロックだと思っています。でも、根幹にはナンバーガールがありますね。
兼島紳:僕が当時客としてcainoを観ていた頃も、ナンバーガールやカウパーズの匂いがぷんぷんするバンドでしたね。
−−沖縄にそういうオルタナのシーンはあったんですか。
高良豊:小さいですけどありましたね。今も綿々と続いています。なかなか表層に出てこないんですけど、沖縄のオルタナやポスト・ロックって実は評価が高いんですよ。紳くんがいたunripeっていうバンドも、沖縄で初めてポスト・ロックをやったグループなんです。
兼島紳:沖縄に初めてtoeを呼んで一緒にライヴをやりました。
−−田盛さんはどんな活動をしていたんですか。
田盛安一:僕は当時、ダンボールダンボダンサーズというバンドをやっていました。その後、FUZZY Quartet Rowというバンドに参加したんです。このバンドは、MONGOL800と同じ事務所に所属して、精力的に活動していました。でも、そこも辞めて、今のcainoの3人ともうひとりのギターと4人で、Kier and DeSertというバンドをやっていたんです。
−−なんだか混乱してきましたね(笑)。それは、cainoで一緒にやる前に、すでに3人は別のバンドで活動していたということですね。
兼島紳:そのバンドはヴォーカルが少なめで、インストがメインですね。もうひとりのギターが主役で。
高良豊:Kier and DeSertは、残響レコードっぽいっていわれていましたね。実際、People In The Boxとかmudy on the 昨晩とも、桜坂セントラルなどで対バンしました。で、そのバンドを僕がクビになったんです(笑)。それをきっかけにcainoを頑張ろうと思いました。
−−それはいつ頃ですか。
兼島紳:Kier and DeSertが始まったのは2007年で、豊(高良)が入ったのが、2008年頃かな。
田盛安一:あの頃はメンバーのかぶりがすごかったんですよ。僕もいろんなバンドをぐるぐると回っていて(笑)
−−ファミリーツリーを作りたいですね(笑)
兼島紳:「お前らどのバンドにいるのかわかんない!」って、よくいわれていましたね(笑)
高良豊:cainoが今みたいにちゃんと評価されるようになったのは、田盛さんが入った2010年からですね。その頃に、僕はエフェクターなどの機材にハマったんですよ。それで音楽性の幅が爆発的に広がりました。それまでは、チューナーとチューブスクリマ―を挿してアンプに繋ぐだけで、音がクリーンであればなんでもよかったんです。でも表現の幅がそこだけではないと気づいた瞬間に、空間系や音響系のバンドが身近になりました。紳くんはもともとポスト・ロックをやっていて手数の多いドラマーだったし、田盛さんもほぼプロに近い状態の腕のあるベーシストだったから、彼らが合わさった上で自分がそこに乗っかるという今のスタイルががっちりハマりました。それが、今の評価につながっているんだなと思います。
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Interviewer: 栗本 斉
4年も経ってしまうと、その間に音楽性も変わっているから、
今聴くと「この音楽、俺のじゃない」とか思う曲もありますね(笑)
−−cainoとしてのリリースはこれまでにもあったんですか。
高良豊:自主制作のCD-Rを作ったりはしていました。でも、音源を発表することにあまり興味がなかったんです。田盛さんが入るまでは、紳くんと二人で活動していたんですけど、その時に音源を出したいねっていう話をして、それで作ったのがファースト・フル・アルバムの『caino』です。
兼島紳:2014年の7月にリリースしたんですけど、レコーディングからマスタリングするまでに4年かかりました。2人だけだったので、月に一回スタジオに入ってレコーディングいていくっていう感じ。
−−そのファースト・アルバムに、他のミュージシャンも入っているんですか。
高良豊:ゲストでいろんなミュージシャンに参加してもらって、そのひとりがサポートしてもらっていた田盛さんでした。すべてのベースは田盛さんが弾いているんですが、その時点ではメンバーじゃなかったんですよ。
兼島紳:ギターもいろんな人に参加してもらって、その都度アレンジを「ああしよう、こうしよう」ってやり取りしているうちに、時間だけ経ってしまって(笑)
高良豊:4年も経ってしまうと、その間に音楽性も変わっているから、今聴くと「この音楽、俺のじゃない」とか思う曲もありますね(笑)
兼島紳:リリースした時点では、ライヴでも一切やってないんです。過去の遺物というか、想い出のアルバムみたいなものです(笑)
高良豊:でも、録ってしまった手前、出さないといけないじゃないですか。お金もかなりかかっているし(笑)
−−でも、リリースしたことが大事じゃないですか。
高良豊:ただ、このアルバムは録音時のスタジオの事情で、音質があまりよくないんです。ある人に何曲か聴いてもらったところ、「俺ならこのアルバムは出さない」とまでけちょんけちょんに酷評されました(笑)
−−今回のミニ・アルバム『mahoroba』をリリースするきっかけはなんだったんですか。
高良豊:水曜日のカンパネラと沖縄で何度か対バンさせてもらったんですけど、去年の5月に東京のWWWに呼んでくれることになったんです。それで「ライヴの告知用に映像を撮りたいから、音源もなにか作って」といわれてレコーディングしたのが「Parametric E.Q」です。
−−じゃあ、アルバムというよりは、映像を撮るためにレコーディングしたんですか。
高良豊:そうですね。曲自体はもともとあったんですけど、映像を作るために録音したという流れです。
−−そもそも、水曜日のカンパネラと最初に対バンしたのはいつなんですか。
兼島紳:2014年の4月です。そのときにヴォーカルのコムアイちゃんが僕らのことを気に入ってくれたんです。それで、その年の7月にファースト・アルバム『caino』のレコ発ライヴをやったんですけど、声をかけたらノリノリで来てくれて。その後は、年末ツアーで沖縄に来たんですけど、そのときも呼んでくれて、結局2014年だけで3回も対バンしました。で、最後のツアーの打ち上げの際に、「WWWで一緒にやりませんか」と声をかけてくれたんです。
高良豊:酒の席だったから、酔っ払っていたというのもあったかもしれないけど(笑)、沖縄でいい音楽やっているから、ということで誘ってくれたみたいです。
−−じゃあ、その勢いでレコーディングしたのが「Parametric E.Q」だったんですね。あのビデオクリップはかなりユニークですね。曲はシリアスなのに、ギャップのある内容で(笑)
高良豊:1月にレコーディングして、2月に撮影しました。あの映像を撮ってくれたのが、カンパネラも手がけている藤代雄一朗さんという監督です。藤代さんも12月のライヴに来てくれて、ライヴ映像も撮ってくれているんです。そちらはまだ世に出ていないんですけど。
−−沖縄の観光映像みたいなところもあるし、ほんとうにユニークな作品で、かなりインパクトがありました。
兼島紳:ツイッターとかの反応を見ていても、「どこを見ても抜けない沖縄」とかいわれてました(笑)
高良豊:藤代さんが東京からひとりで来てもらって、僕らも雑用含めて手伝ったので、制作費もあまりかかってないんですけど、あれだけのクオリティの作品を作るってすごいですね。撮っている最中は「大丈夫かな」と思っていたんですけど。
兼島紳:演奏シーンは午前中に撮って、午後からその他のシーンを撮ったんです。その間の昼ごはんの時に、藤代さんがいきなり「ビンタ大丈夫ですか」といってきて、「かまいませんよ」っていったら、あのシーンだけ5,6回撮り直ししました。
−−あと、女の子と浜辺で揉み合っているシーンもありますよね。
兼島紳:あのシーンの撮影の時は、「ラブシーンを撮影してる」ってことで観光客も集まってきたんです。そんな状況で転がりました。
−−兼島さんは役得ですね。
兼島紳:ビンタは何度もやられたんですが、転がるシーンは残念ながら一発OKでした(笑)
−−この曲は評判が良かったんじゃないですか。
高良豊:ちょうどカンパネラ自体の注目度も上がっていた時で、ライヴの告知のタイミングもよかったから、そこからのチケットの伸びは半端無かったですね。結果的に満員になりました。
−−それまで県外でライヴをやったことはあったんですか。
兼島紳:いや、初めてです。しかも大きな会場だったし、どうしていいかわからなかったくらい(笑)。ソールドアウトになりましたし。
−−じゃあ、とてもいい東京デビューになりましたね。
高良豊:カンパネラも初めて沖縄でライヴをやった時は30人も集まらなかったんですよ。でも、年末の3回目ではOutput(沖縄のライヴハウス)が満杯になっていましたから、ちょうどいいタイミングで一緒にできたと思っています。
−−アルバムの話はその前からあったんですか。
高良豊:WWWのライヴの前に、アルバムをプロデュースしてくれた2Side1BrainのMEGさんが「Parametric E.Q」を持って、レーベルのヴィレッジアゲインにプレゼンしてくれたんです。そしたらとても反応がよくて「1枚出してみる?」という話になりました。
−−実際にレコーディングを始めたのはいつですか。
高良豊:WWWのライヴから戻ってすぐですね。せっかく東京のライヴも盛り上がったから、どんどん情報も出していかないとすぐに冷めていくと思ったので。だからミニ・アルバムを全国リリースしようと考えました。
−−楽曲自体はすでにあったんですか。
兼島紳:録音はしていないんですけど、ライヴでは演奏していた曲ばかりですね。全部で8曲録ったんですけど、その中から厳選して6曲選んだのがミニ・アルバム『mahoroba』です。あと、「Landscape」という曲も録ったんですけど、この曲はOTOTOYで配信してもらいました。
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Interviewer: 栗本 斉
世に出て行く楽曲は、すべて自分の想像を超えています
自分の視点以外のものが加わったものが、cainoの音楽だと思いますね
−−プロデューサーに、2Side1BrainのMEGさんを迎えたのはどういう理由なんですか。
高良豊:MEGさんが高良レコード(那覇のレコード店)にあるライヴハウスでPAをやっていたんです。それで、「Parametric E.Q」をライヴで演奏していたのを観て「録音したい」っていってくれたんです。それがきっかけで、一緒に作業することになりました。
兼島紳:年令も近いし、聴いてきた音楽も似ているんですよ。僕らはLUNA SEA派で、彼はGLAY派ではありましたけど(笑)
田盛安一:だからすぐに話も通じるし、とても楽でした。レコーディングも早かったし。
−−MEGさんはギターも弾いているんですか。
田盛安一:「el ray」という曲ではがっつりと弾いてもらっています。
高良豊:今回のアルバムでは、MEGさん含めて6人のギタリストに1曲ずつゲスト参加してもらっているんですよ。音を盛ってよくなるのであれば、どんどんと盛っていきたいというのがあるんです。
−−でも、アルバムを通して聴いても、そんなにゲストを入れたという感覚はないですね。トータリティーがありますし。
兼島紳:どのギタリストも、曲に沿ったイメージで優しくギターを入れてくれたのがよかったのかもしれないですね。後ろから楽曲を支えてくれているというか。でも、いいところでキラキラとさせてくれたりとか。
高良豊:今回は楽曲ごとに直感的に合うと思うギタリストを選んだので、それががっちりハマってよかったですね。
−−曲作りの手順はどうやっているんですか。
兼島紳:基本的には豊が曲を持ってきて、それに合わせてスタジオでドラムとベースを入れていくという感じです。
田盛安一:ジャムって完成していくという感じですね。だから、スタジオでどんどん変わっていくんですよ。
−−ということは、もとのイメージとかなり変わるんでしょうか。
高良豊:毎回相当変わります。まったく同じイメージに落ち着くということは一度もないです。逆に、自分が思った通りにハマってしまった曲は、無かったことにします。自分の想像を超えないものだったら、面白くないじゃないですか。だから、世に出て行く楽曲は、すべて自分の想像を超えています。自分の視点以外のものが加わったものが、cainoの音楽だと思いますね。
兼島紳:予想通りのものになったら、自然に演奏しなくなっていきますね。
高良豊:普通は原曲を固めていくのかもしれないけれど、僕らの場合はあるものを壊すところから始めるという感じですね。だから曲作りが遅くて、半年に1曲できるかどうかです(笑)。cainoとして15年やっていますが、いざ演奏しようとなったときのレパートリーは、20曲もないと思います。
−−それは少ないですね(笑)
高良豊:バンドの変遷でいうと、cainoは3期目なんですよ。1期目はナンバーガール直系のオルタナティヴですが、2期目は紳くんと二人でハナレグミやbonobosみたいなことをやっていたんです。それで、今が3期目なんですが、もう一度初期にやっていたナンバーガール的な初期衝動を入れてみようということで、この形になりました。いずれにしても、ポップであることにはこだわっていますね。ロックでもアイドルでもいいものはいいじゃないですか。
−−じゃあ、最初に曲を作る際には、ポップなものを作ろうと思うんですか。
高良豊:そこまでは意識してはいないですね。自然にポップな形になっていくんです。
兼島紳:彼は最初はギターを弾きながら、めちゃくちゃな言葉で歌っていくんです。そのなかで、いいと思ったメロディを拾っていって、形にしていくという手順ですね。
−−歌詞が独特で、難しい言葉も使っているんですが、影響を受けた文学や作家などいるんですか。
高良豊:とくに特定の作品などはないです。マンガやゲームは好きですけど(笑)。でも、言葉自体は好きですね。知らない言葉があったらすぐに調べるんですよ。その作業がとても好きで。小中学生の頃は、暇な時に辞書を読むのが好きでした(笑)
−−それは面白いですね。
高良豊:歌詞を作るときは言葉遊びをよくするんですよ。「てにをは」を変えるだけでも意味が変わってくるし、そういったことをよく意識します。あと、ストーリーを無理に作らなくても、歌詞って言葉を並べるだけでストーリーになるんですよ。文字をつなげるだけでそうなるから、まるでパズル・ゲームのような感覚ですね。
−−メンバーのみなさんは、高良さんの曲に関してはどういう評価をしているんですか。
田盛安一:初めて彼の曲を聴いた時は衝撃を受けました。めちゃくちゃ声も高いし。初期の頃は、曲を歌う前にポエトリー・リーディングをしていたんですよ。そういうのもインパクトがありました。年齡やルーツも近いから、僕が好きなメロディを書くし、この人の後ろでベースを弾きたいと思えたひとりですね。だから楽しいです。
兼島紳:僕も最初のインパクトは声ですね。対バンした時に初めて聴いて、「何だこの声は?」っていう。メロディと声が耳から離れなかったんです。とにかく、この声は武器だなって思いました。例えば、他のアーティストの曲をコピーしても、この声で歌ったらcainoになっちゃうと思うんですよ。それだけ力を持った声ですね。
−−たしかに、cainoの良さをまず挙げるとするなら、高良さんの声になりますよね。今回のアルバム『mahoroba』の楽曲で、自信作というとどれになりますか。
高良豊:どれも自信はあるんですが、一曲挙げるとなるとやはり「Parametric E.Q」ですね。実験的な面が出ているんですよ。
田盛安一:初めてディレイを駆使した曲ですね。
高良豊:確か最初はドラムンベースみたいな曲を作ろうって話をしていたんですけど、実は誰もドラムンベースについても知識がないんですよ(笑)
兼島紳:みんなが勝手にイメージするドラムンベースです(笑)
高良豊:とりあえず4つ打ちだろうってことで、あのリズムを作って、そのノリに合わせてディレイをかけたギターを乗せていって。Aメロとサビの部分の熱量の差を作ることで、あの勢いが生み出されたんです。リズムが強いけどせつない情景が見えてくるというか。
田盛安一:バンドマジックがある曲ですね。
−−たしかにこの曲が一番耳に残りますね。メロディも強いし、音響的な面白さもあります。実験的といえば「al.ni.co」も変拍子があったりして面白いですね。
高良豊:あの曲は、この3人が揃って初めて出来た曲なんですよ。
兼島紳:オレンジというメーカーのちょっといいギターアンプを買った時に、スタジオに持ってきて「いい音が出るよ」っていってリフを弾き始めたんですよ。それがきっかけであの曲ができたんです。
高良豊:久しぶりに縦ノリの曲ができたという感じでした。ナンバーガールに影響されていた頃のことが戻ってきたっていうか。けっこうすぐにまとまった曲ですね。紳くんはポスト・ロックもやっていたから変拍子も当たり前だし、田盛さんはそれにちゃんと合わせてくる。僕は僕で、勝手にリフを弾いて好きなように歌っていたらあの形になりました。それぞれの得意分野が自然に出た曲ですね。最初のセッションから、歌メロもほぼいじってないですし。
−−作りこんだように思えるんですが、逆にあれがcainoの自然な形なんですね。
兼島紳:あと、「el ray」はいちばん古い曲だと思うんですけど、まだ田盛さんが入る二人だけの時に出来た曲です。アコースティックにちょっと疲れてきた頃で、エレキを持って「ロックしよう」といって作りました。個人的にはいちばん泣けるんです。
高良豊:その頃モグワイを聴いていたんですけど、「パクろう」といって作り始めたんです。でも、パクれるわけがないから全然違う(笑)。よく自分たちがやる手法なんですけど、自分たちができるはずのないアーティストをうろ覚えでやるんです。
田盛安一:そういうことは、けっこうやりますね。「あんな感じで」っていって。
兼島紳:実際に聴いたら、まったく違うんですけど(笑)
高良豊:僕らは再現した気分でいるんですけどね(笑)。そういう作り方はけっこう多いです。だから作曲するペースが安定しないんですけど、その分出来上がったものが面白いという状態を保持していられるんです。
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Interviewer: 栗本 斉
シーンを活性化していきたいし、常に次の刺激を作り続けていきたいし、そういう環境も作っていきたい
−−「君と僕のパラドックス」と「maboroshi」は、ミディアム・テンポのメロディアスな曲ですが、ああいうタイプの曲はバンドではどういう位置付けなんですか。
田盛安一:さっきの話にも繋がるんですけど、「君と僕のパラドックス」はR&Bをやろうっていって作ったんですよ。仮タイトルも「R&B」だったし(笑)。全然違うんだけど。
高良豊:あの歌メロを最初は英語風に歌っていたんですけど、そうするとR&Bっぽいんですよ。いざ歌詞を付けてレコーディングするってなったら、全然R&Bじゃなくなりました。
兼島紳:MEGさんからは「お前らR&Bをなめるな」っていわれたし(笑)
高良豊:でも、結果的に面白い曲になったからよかったですね。「maboroshi」もそうだけど、ミディアムの曲は、ハナレグミっぽいことをやっていた頃のcainoの名残があるかもしれません。でも、あの時に使っていなかった機材の効果もあって、世界観が相当広がっています。スリーピース・バンドの可能性を、自分たちなりに広げられる曲になりました。スリーピースって、技量がないと単調になったりするじゃないですか。
−−スリーピースへのこだわりってあるんですか。
高良豊:実際には特にないんです。ただ、4つ目の音として誰かを入れて固めることも何度か想像してみたんですけど、なかなか落ち着き場所がない。そういう人が見つかれば、4人組になってもいいとは思うんですけど。よくメンバーでも話しているんですよ。「4人目入れたいね」って。
田盛安一:ギターを弾いて歌っているから、彼に比重が大きくなりますよね。あとひとひねり欲しい時には、僕らが後ろで補わないといけないから、ベースは手数も多くなるし、ドラムもおかずが増える。そういうのは知らず知らずのうちに出てきているかもしれない。
高良豊:田盛さんが加入してくれた時に、リード・ギター的な存在になってもらおうって思っていたんですよ。メロディアスに弾いて欲しいっていう注文を付けたりとか。自分がリード・ギターとしてのセンスが無いから(笑)
−−でもそうやって試行錯誤して、3人では初めての作品ですよね。出来上がりはいかがですか。
高良豊:個人的には120点くらいあげたいですね。
田盛安一:メンバー全員満足しています。自信作です。
高良豊:沖縄県内のインディーズの中でも、格段に良く出来ていると自負しています。それには、プロデューサーのMEGさんが、High & Mighty Colorでメジャーを経験しているからというのも大きいですね。録音の技術面やアイデアにおいても良く出来たと思います。例えば、cainoってコーラスをしないバンドだったんですよ。でも、今回はコーラスをMEGさんにアレンジしてもらって、メンバーではなくて僕が多重録音で入れたんです。そういう意味でも、音源としての完成度が高まったんじゃないかなと思いますね。
兼島紳:アレンジもきっちりとまとまった上で録音できたのでよかったです。録った後に、「ここはこうしとけばよかった」ということがないですから。あと、録音もテイク3までしか許されなかったんですよ。それ以上やっても絶対にいいものにならないからって。そのプレッシャーの中でやったからよかったのかも。納得いくまで何度もやっていたら、逆に疲れていたと思いますね。
−−アルバム・タイトルの『mahoroba』というのは、どういう意味が込められているんですか。
高良豊:「まほろば」という言葉がまず好きなんですよ。ひらがなで書くと、ほぼ曲線じゃないですか。すごくかわいいなって思って。あと、アルファベットにしてもかわいい(笑)。そして、とても日本的な響きがありますよね。意味としては、エルドラドとかシャングリラみたいな理想の場所を表しているから、自分たちの住みやすい場所を作るということを込めて、タイトルにしました。
−−cainoとしての次の展開は、どういうイメージですか。
高良豊:フル・アルバムを出そうと考えています。構想段階ではありますけど。
田盛安一:でも、早く作りたいですね。今のcainoなら、『mahoroba』を超える熟成された音楽が作れると思うんですよ。
高良豊:cainoはジャムセッションで曲を作るので、ネタは膨大な数があるんですよ。そのなかには、今この時期に作らないといけない音もあって、最近は徐々にそういう曲が増えています。自分たちが好きなものを作るのはもちろんですが、時代の音も追いかけないといけない。そういったエッセンスを入れていかないと、音楽もダメになってしまうと思うんです。それが今見えているので、『mahoroba』を超えるアルバムができると思います。
−−caino自体の目標はありますか。
高良豊:とにかく全国をライヴで回ってみたいですね。お客さんの反応ってとても大切なので、自分たちがどこのエリアで受け入れられるのかをもっと感じてみたい。
田盛安一:たしかにもっと全国的に認知度を上げたいですね。
−−沖縄では一歩飛び抜けましたもんね。
高良豊:でも正直いうと、沖縄のシーンはちょっと元気がないんですよ。シーンを活性化していきたいし、常に次の刺激を作り続けていきたいし、そういう環境も作っていきたい。それには、隣り合うバンド同士がせめぎ合わないと競争性も生まれないし、高まっていかない。今はライバルみたいな存在もいないですから。みんな仲がよすぎて。
−−cainoにはライバルがいないんですか。
高良豊:うーん、相互的に高め合うという意味でのライバルはいないですね。
兼島紳:がっつりハマるシーンというのはないですね、孤立している訳ではないんですが、浮いている気はします(笑)
高良豊:いずれにせよ、タワレコメンに選ばれたり、カンパネラに気に入ってもらったりしている今って、僕らにとってもチャンスだと思うんです。だから、頑張り時ではありますね。もっと成長したいと思います。
−−最後に、3人にとって“楽園おんがく”ってどういうイメージですか。
田盛安一:イエモン?
兼島紳:それってただの曲名でしょ(笑)
高良豊:僕が16歳で初めてバンドやった時に歌ったのが、ザ・イエロー・モンキーの「楽園」でした(笑)
兼島紳:僕はフォークトロニカですね。高木正勝さんのピアノ曲とか。自然の中でボーッと聴ける音楽ですかね。
高良豊:僕はハワイアンですね。「アロハ・オエ」って感じです。
−−沖縄って本土の人から見れば楽園ですよね。
兼島紳:でも、僕らからしたらただ暑い場所ですし、四季折々の景色が楽しめる本土の方が楽園って思いますよ。
田盛安一:憧れますよね。紅葉とか雪とか。
高良豊:楽園とは、まさに“mahoroba”って感じです。
−−なるほど(笑)
栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベント、ビルボードライブのブッキング・コーディネーターなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
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