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アルバート・ハモンド来日直前インタビュー~ヒット曲からJr.までを語る~&外部ワークス特集

 「カルフォルニアの青い空」や「落ち葉のコンチェルト」のヒットでも知られる英国出身のSSW、アルバート・ハモンド。60年代にはザ・ファミリー・ドッグの一員としても活躍し、70年代からはアメリカに渡ってソロとなりさらにヒット曲を世に送り出した。そんな彼が、2016年年始にビルボードライブ東京および大阪にて来日公演を行う。本人曰くなんと来日公演は43年ぶり。まさに注目のステージとなる。

 Billboard JAPANでは今回そんな彼に来日直前のメール・インタビューを行った。当時、ヒット曲を生み出した背景や自身のキャリアについて。また、豊富なコラボレーション歴や実子、アルバート・ハモンド・Jr.の話題に至るまで、幅広い質問に答えてくれた。

僕の曲はまるで子供が生まれてくるみたいに生まれるんだ。

――来日に向けて、今はどんな気持ちですか?

アルバート・ハモンド(以下AH):久しぶりに日本のファンに会えること、そしてライブが出来ることをとても嬉しく思っているよ。確か最後に日本でツアーを行ったのは1973年だった気がするけど、今でもあの時のことは鮮明に覚えているし、ファンがくれたシルクのスカーフは今もギターネックに付けているんだ。それに、「赤とんぼ」を一緒に歌ったな。僕がギターを弾いてファンがそれに合わせて口ずさんでくれてさ。ツアーで日本を周った経験は僕の音楽キャリアの中でもとびきり大好きな思い出のひとつで、あれ以来、僕はすっかり寿司と刺身の虜になってしまったよ。今では週に4~5日は食べるくらいなんだ。日本に行くのが待ちきれないよ!

――あなたが若い頃、ジブラルタルではどのように活動していたのでしょう?

AH:ジブラルタルで幼少期を過ごしたことが僕のキャリアに大きく影響を与えているね。当時、スペイン語やアラビア語、英語の曲など、ありとあらゆる音楽を聴いてね。とても幼かった頃のことなんだけど、音楽作りが僕のやりたいことなんだって気づいて、「これが僕の夢なんだ。だからどんなに長くかかっても、どんなに上手くいかなくても、目標を成し遂げるまで絶対に止めたりしないぞ」って決心したのを覚えてる。それからというものは、海を越え、山を越え、川を超え、時には腹ペコな時もあったし、寒くて孤独な時もあったけれど、情熱を注げるものに出会えないかと胸を躍らせながら世界中を旅したね。

――楽器やソングライティングの基礎はどのように身につけたのでしょうか? また、特に影響を受けたミュージシャンはいますか?

AH:初めて手にした楽器はギター。父の理髪師が僕に3つのコードを教えてくれて、その教えてもらったコードのおかげで曲作りを始めることが出来たんだ。僕は優れた演奏者になりたいと思ったことは一度もなくて、素晴らしいソングライターになりたいと思っているんだ。ソングライティングは、勉強して身につくものではないと僕は思ってる。僕の経験上はそうではなかったからね。僕は大地からのエネルギーが体の中に入ってくるのを感じ、それを全部吐き出そうと思った時だけ曲を書く。僕の曲はまるで子供が生まれてくるみたいに生まれるんだ。時にはそれが一曲だけでなく、一気に何曲も出来上がる時もあるよ。影響を受けたのはバディ・ホリーさ。

――ザ・ファミリー・ドッグの『ア・ウェイ・オブ・ライフ』には、ジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズ、エルトン・ジョンなど、後に有名になるミュージシャンが数多く参加していますね。


▲The Family Dogg - A Way of Life

AH:1960年代のあの時代は、ジブラルタルみたいな小さな半島からやってきた僕にとって衝撃的だった。大都市ロンドンの生活に身を投じることはワクワクして興深いのと同時に怖くもあったよ。でも、当時のミュージシャンたちはフレンドリーで、良い人達だったし、まるで地元にいるみたいに、一緒にいて心が安らぐ存在だったんだ。ジョン・ポール・ジョーンズはザ・ファミリー・ドッグの作品でベースを弾いてくれただけでなく、アレンジも担当してくれた。ジミー・ペイジやエルトン・ジョンは後に僕の作品に参加してくれたんだけど、彼らのようなミュージシャンと共に活動することは、ジブラルタルからやってきた少年にとってはスリル満点の出来事だったよ。

――イギリスからアメリカに拠点を移し、ソロのキャリアを進み始めたのはなぜですか?

AH:1970年にアメリカへ拠点を移したんだ。というのも、当時、自分の曲がトップ20に3曲同時にチャートインしていて、もう少しチャレンジが必要だと思ってね。それで、アメリカなら良い機会になるだろうと思ってロサンゼルスに引っ越したんだ。あそこは僕が育った地中海と気候がよく似ているし、寒くて憂鬱なイギリスの天気とは全然違ったからね。先の不安や困難なんて全く考えもせずに、西行きの747便に乗り込んだのさ。

この曲が自分の書いた曲だったらなって思うのは
ジョン・レノンの「イマジン」だね。

――「It Never Rains In Southern California」は、「カルフォルニアの青い空」というタイトルで、日本でもとても人気の曲です。あの曲を書いた当時のことを何か覚えていますか?


▲Albert Hammond - It Never Rains In Southern California

AH:そうだな。この曲はLAへ飛び立つ前の1969年のある雨の日にロンドンで書いたものなんだ。実は、何人かのアーティストの前でこの曲を演奏したら、彼らはみな口を揃えてこの曲を酷評してさ。だからそれ以来この曲は封印していたんだよね。で、もう曲を手放そうとしていた頃にクライヴ・デイヴィスと出会って、彼がこの曲は大ヒットするって言ってくれたんだ。アルバムのタイトルを『It Never Rains In Southern California』と名付けてくれたのも彼。ちなみに、この曲は僕のスペインでの苦しい時期を歌った伝記的な歌なんだよね。

――「For The Peace Of All Mankind」も「落ち葉のコンチェルト」というタイトルでとても人気です。少し不思議なタイトルに感じるかも知れませんが。


▲Albert Hammond - For The Peace Of All Mankind

AH:「落ち葉のコンチェルト」なんて、素敵なソングタイトルだね! 情景が思い浮かぶようで感動するよ。個人的にもこの曲が大好きで、今度のビルボード公演でも歌うつもりだよ。

――ソロになってからも、ロイ・オービソンやアレサ・フランクリンなど多くのミュージシャンと共作をされていますが、特に印象的だったコラボレーション相手は誰かいますか?

AH:どのコラボレーションも全て忘れられないものだけれど、その中でもティナ・ターナーやジョニー・キャッシュ、フリオ・イグレシアスやウィリー・ネルソンらとの共演が印象的だな。あと、もちろん忘れていけないのが、あの偉大なジョー・コッカーとの共演だね。

――あなたは自身の曲だけなく、他人に提供した曲でもヒット曲を多数お持ちですが、そういった曲も今回のライブでは演奏されるのでしょうか?

AH:イエス、僕自身のヒットソングの他にも、他のアーティストに提供した曲も歌うつもりさ。普段の公演では演奏時間が2時間30分程あるんだけど、今回のビルボード公演は1ショー70分になるから、かなり多くの歌をセットリストから外さなくてはいけないね。でも、その分も自分の「Songbook」ツアーでまた日本に戻ってきて、披露できれば良いなと思うよ。

――他人に提供した曲で「やっぱり自分のものにしておけば良かった」という曲はありますか? あるいは、他人が書いた曲で「この曲は自分が書きたかった」と思う曲は?


▲John Lennon - Imagine

AH:いや、ないよ。提供したどの曲の出来にも、とても満足しているし、今では彼らとのツアーで一緒に歌う機会まであるんからね。逆に、この曲が自分の書いた曲だったらなって思うのは、ジョン・レノンの「イマジン」だね。

――若い世代にはご子息のアルバート・ハモンド・Jr.さんも有名で、日本でも人気です。彼が音楽家をやっていることや、その音楽についてどう思いますか?

AH:息子と彼の成功を誇りに思うし、鼻が高いよ。彼のバンド、ザ・ストロークスがまだ無名の頃から彼らの活動を見てきたから、最初は彼らの成功に何となく自分が貢献した気がしたんだ。彼の音楽も素晴らしいと思うね。

――今回一緒にライブを行うのはどのようなメンバーでしょうか?

AH:もちろん、彼らは卓越したミュージシャン達で人間的にも素晴らしい人達なんだ。大好きなバンドメンバーだ。ベースはデイヴィッド・ペイトン、ドラムはデイヴィッド・スチュワート、ギターはカライス・ブラウン、そしてピアノはケニー・ハッチソン(※12月10日、アーヴィン・ダギッドへの変更が発表)が務める。ファンも彼らに会えば、僕の言うことがわかるはずだよ。

――最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

DTW:日本ファンの皆さん、I Love You All. 早く皆さんに会いたいです❤❤

アルバート・ハモンドといえば、まずは彼自身が歌ってヒットさせた「カルフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)」や「落ち葉のコンチェルト(For The Peace Of All Mankind)」が有名である。しかしながら、彼はその頃から積極的に外部アーティストへの楽曲提供を行ない、数多くのヒット・メイクに貢献してきた。今度の来日は『ソングブック』と題されたワールド・ツアーの一環で、そのセットリストには彼のペンから生まれた他人名義のヒット曲も多数含まれている。そこでココでは来日公演へ向けて予習として、アルバート・ハモンドの外部ワークスをチェックしておきたい。

リーピー・リー、アート・ガーファンクル、カーペンターズ、レオ・セイヤー

 ロンドンに生まれたアルバート・ハモンドが、スペインのジブラルタルで青春期を迎えてレコード・デビューし、母国イギリスで下積み時代を過ごしたことは、彼自身のインタビューにもある通りだ。そこでもハモンドと、プロデューサー/ソングライターのスティーヴ・ローランドが組んだグループ:ファミリー・ドッグのことが語られているが、彼らはバンドというよりも男女混成のユニットに近かった。しかもソフト・ロック系なのに、ジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズといった後のレッド・ツェッペリンのメンバーが参加しているため、ハード・ロック系のバンドと勘違いされることが多かった。ハモンドはそのファミリー・ドッグと並行する形で、ソングライターとして活動を始めている。

Albert Hammond Works
▲リーピー・リー「Little Arrows」

 ハモンドの当時の曲作りのパートナーは、ファミリー・ドッグでも一緒にメンバーを務めたマイク・ヘイゼルウッド。そんな彼らの最初のヒットが、歌手兼俳優であるリーピー・リーの「Little Arrows」で、これは68年に英2位/米16位を記録した。次いで2人はアイルランドのエンタテイナー:ジョー・ドーランに、英3位となる「Make Me An Island」を提供。70年になると、ロジャー・グリーナウェイとトニー・バロウズのユニット:ピプキンズに「Gimme Dat Ding」を書いてヒットさせ(英6位/米9位)、コーラス・グループのフォーチューンズにも「Freedom Come, Freedom Go」(英6位/米72位)を提供。ロジャー・クックと黒人女性のマデリン・ベルという男女シンガーを擁した人気バンド:ブルー・ミンクには、「Good Morning Freedom」(英10位)を書いた。またマジック・ランタンに贈った「One Night Stand」は、英米ではスマッシュ・ヒットに留まったものの、ここ日本では「孤独の夜明け」なる邦題で独自ヒットを記録。この時ハモンドは、60年代初めから活動してジリ貧に喘いでいたグループの内部へ深く分け入り、メンバー的な立場で彼らを建て直そうとしたそうだ。

Albert Hammond Works
▲アート・ガーファンクル「一人ぼっちのメリー(Mary Was An Only Child)」

 そのハモンドがL.A.へ渡り、米国でシンガー・ソングライターとしてデビューする準備を始めたのが、ほぼ同じタイミングの70年。そして72年に米国でのデビュー・アルバムが出て、2枚目のシングル「カルフォルニアの青い空」がトップ5入りを果たした。その頃、真っ先に彼の曲を歌ったのが、サイモン&ガーファンクル解散後でソロ活動を始めるところだったアート・ガーファンクルである。曲は「一人ぼっちのメリー(Mary Was An Only Child)」。「カリフォルニアの青い空」の大ヒットにより、ソニー&シェールやレターメン、クラシックスIVらが続々それをカヴァーする中、ホリーズはハモンドの1stアルバムから「安らぎの世界(The Air That I Breathe)」をチョイス。それが全米チャート6位まで上昇し、ハモンドのソングライターとしての実力が広く認められるようになった。この曲はのちにオリヴィア・・ニュートン・ジョン、ホセ・フェリシアーノ、シンプリー・レッドらも歌っている。

Albert Hammond Works
▲カーペンターズ「青春の輝き(I Need To Be In Love)」

 ハモンドの曲を気に入ったガ−ファンクルは、75年の名盤『愛への旅立ち(BREAKAWAY)』でも、彼の「L.A.より99マイル (99 Miles From L.A.)」をセレクト。この曲は、バート・バカラックのパートナーとして知られるハル・デヴィッドと共作したものだ。 翌76年にチャートを賑わしたのは、カーペンターズの「青春の輝き(I Need To Be In Love)」。リチャード・カーペンター、ジョン・ベティスというお抱えチームとのコラボレーションで、83年に急死したカレン・カーペンターが生前に最も気に入っていた曲と言われるが、当時は米25位と振るわなかった。ところが日本では95年にTVドラマのエンディング・テーマに使われ、オリコン5位をマーク。今では日本で最もよく知られるカーペンターズの名曲のひとつになっているから面白い。

Albert Hammond Works
▲レオ・セイヤー「はるかなる想い(When I Need You)」

 そして77年には、初めての英/米No.1ソングが誕生する。作詞家キャロル・ベイヤー・セイガーとの共作で、レオ・セイヤーに書き下ろした「はるかなる想い(When I Need You)」だ。このキャスティングが大きな成果を上げたことから、プロデューサーのリチャード・ペリーは78年のアルバム『サンダー・イン・マイ・ハート』でもハモンドを重用。曲作りにも定評のあったレオ自身と、「イージー・トゥ・ラヴ」(全米36位)など2曲で一緒に曲を書かせてさいる。この名曲は近年もロッド・スチュワートやバリー・マニロウ、ルーサー・ヴァンドロスらが好んで取り上げているほどだ。

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  2. かつての名曲が、今も世代を超えた多くのアーティストに歌い継がれている。
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フリオ・イグレシアス、スターシップ、シカゴ、ウエストライフ

Albert Hammond Works
▲フリオ・イグレシアス&ウィリー・ネルソン「かつて愛した女性へ(To All The Girls I've Loved Before)」

 このように、一度気に入られると、何度もオファーが来る傾向にあるハモンド楽曲。例えばジョニー・マティスなどは、いま挙げた「L.A.より99マイル」、「はるかなる想い」、「青春の輝き」すべてを歌っているほどだ。それはすなわち彼の書くメロディ・ラインが、ちょっと地中海的な哀愁感が漂う、ユニークな味わいを持つからである。フリオ・イグレシアスやカミロ・セストなど、ワールドワイドに活躍するスペイン人シンガーに愛されるのも、それが原因だろう。ジブラルタル育ちという珍しい生い立ちが、彼の唯一無二の才能を育んだわけだ。フリオの全米進出第1弾シングルに選ばれた「かつて愛した女性へ(To All The Girls I've Loved Before)」も、アルバートとハル・デヴィッドの共作曲。カントリーの大御所ウィリー・ネルソンとの異色デュエットで歌われたこの曲は、目論見通り米5位(84年)の大ヒットになった。

 その他、ちょっと意外なところでは、映画『イージー・ライダー』の「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」で有名なステッペンウルフ、カントリーの大御所ジョニー・キャッシュ、フォー・シーズンズのリード・シンガーとしてお馴染みフランキー・ヴァリーのソロ・アルバム、それにジャニス・イアンやテリー・デザリオ、作詞家フラニー・ゴールドのリーダー作などで、ハモンドの名を発見できる。

Albert Hammond Works
▲スターシップ「愛は止まらない(Nothing's Gonna Stop Us Now)」

 とはいえ70年代末~80年代前半の彼は、ソロ・アルバム『風のララバイ(YOUR WORLD AND MY WORLD)』や『アメリカの何処かで(SOMEWHERE IN AMERICA)』をリリースしたためか、米英のヒット・チャートの表舞台からは少々遠ざかり気味に。それが80年代半ばを過ぎて突如、作曲家活動にカムバック。ジョー・コッカーやティナ・ターナー、エア・サプライ、エル・デバージ、そして元アバのアグネッタなどへ精力的なコンポーズを行っている。だがよく見ると、そのほとんどが作曲家ダイアン・ウォーレンとのタッグに拠るマテリアルばかり。当時のハモンドが、女流新人ライターとしてメキメキ売り出し中だったダイアンに刺激を受けたのは疑いようもなく、映画『マネキン』の主題歌となったスターシップ「愛は止まらない(Nothing's Gonna Stop Us Now)」で10年ぶりの全米首位に返り咲くと、そこから再びチャート最前線、ビッグ・ネームへの楽曲提供が増えていった。この頃にはディオンヌ・ワーウィック、ハーブ・アルパートへの書き下ろしに加え、オランダでは若手シンガーであるアルバート・ウエストとのデュオ“ハモンド&ウエスト”を組み、「Give A Little Love」をリリース。この曲はボブ・マーリィーの愛息ジギー・マリー、ポスト・アバ的なUKグループ:バックス・フィズらが取り上げている。

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▲シカゴ「リヴ・ウィズアウト・ユア・ラヴ(I Don't Wanna Live Without Your Love)」

 88年には、シカゴの「リヴ・ウィズアウト・ユア・ラヴ(I Don't Wanna Live Without Your Love)」、ホイットニー・ヒューストンが歌ったソウル五輪の全米TV中継のテーマ曲「ワン・モーメント・イン・タイム」が、ぞれぞれ全米3位/5位を獲得。スターシップやホイットニーを手掛けた敏腕プロデューサー:ナラダ・マイケル・ウォルデンとの仕事は、更にフォー・トップス、アレサ・フランクリンと続き、アレサとエルトン・ジョンの共演曲「愛の嵐(Through The Storm)」の全米ヒット(16位)を産み落とした。

 この時期のハモンド・ワークスで興味をソソられるのは、ダイアンと連れ立ってポップス界の伝説:ロイ・オービソンの元へ馳せ参じ、「ケアレス・ハート」を書き下ろしたこと。またダン・ハートマン(元エドガー・ウインター・グループ)制作のニュー・ウェイヴ系バンド:リヴィング・イン・ザ・ボックスに楽曲提供したのも珍しい。更にレゲエの人気バンド:アスワドが、ボニー・テイラーに書いた「Don't Turn Around」とハモンド&ウエスト「Give A Little Love」をラヴァーズ・ロック・スタイルでカヴァーしていることから、ハモンド作品が活躍の場を広げつつ再びニーズを高めている、そんな状況が見て取れる。前者はニール・ダイアモンドのカヴァーの後、スウェーデンのグループ:エイス・オブ・ベースが94年に再々リメイク。米4位のヒットに仕立て直した。

Albert Hammond Works
▲ウエストライフ「恋のプレリュード(When You Tell Me That You Love Me)」

 90年代以降も、引き続きティナ・ターナー、ハート、ダイアナ・ロス、R&Bヴォーカル・グループ:リフ、カーティス・スタイガース、トム・ジョーンズ、セリーヌ・ディオン、クリス・デ・バー、ジョシュ・グローバンらに曲を書く一方、以前ダイアナ・ロスに書いた「恋のプレリュード(When You Tell Me That You Love Me)」が解散したウエストライフに取り上げられたり、アメリカン・アイドル名義でもトップ40入り。かつての名曲が、今も世代を超えた多くのアーティストに歌い継がれている。

 海外のソロ・ツアーでは、一回2時間30分のショウでこれら外部提供曲がたっぷり披露されるが、ビルボード・スタイルのステージでは、もっと濃縮されたセットリストになるはず。用意される楽曲も、1st Showと2nd Showで変わってくるかもしれない。また来日メンバーには、元パイロットでアラン・パーソンズ・プロジェクトでも活躍しているデヴィッド・ペイトン(bass)が帯同予定。これは何とも、見どころ聴きどころの多いライブになりそうだ。

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アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」

カリフォルニアの青い空

2015/06/10 RELEASE
SICP-4451 ¥ 1,430(税込)

詳細・購入はこちら

Disc01
  1. 01.世界に平和を
  2. 02.気儘な女
  3. 03.カリフォルニアへ愛をこめて
  4. 04.新たなる日
  5. 05.哀しみのミュージシャン
  6. 06.カリフォルニアの青い空
  7. 07.ネームズ・タッグズ・ナンバーズ・アンド・レベルズ
  8. 08.ダウン・バイ・ザ・リバー
  9. 09.和解への道程
  10. 10.安らぎの世界へ
  11. 11.落葉のコンチェルト (ボーナス・トラック)

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