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特集:日本のポップス界における革命児、小西康陽

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 渋谷系と呼ばれる音楽ムーヴメントが最盛期を迎えたのは、1990年代初頭。フリッパーズ・ギターやオリジナル・ラヴといったアーティストが脚光を浴びたが、その頂点に位置するのがピチカート・ファイヴだと断言することに異論を挟む者はいないだろう。そして、その中心人物の小西康陽こそ、渋谷系という小宇宙の中心に位置する太陽のような存在である。デビューして30周年となった今年、ソロ・プロジェクトであるPIZZICATO ONE名義での新作をリリース。そして、ソロ・プロジェクトとして初のスペシャル・ライヴも決定した。ここでは、日本のポップス界における革命児、小西康陽の世界にスポットを当ててみよう。

CD
▲『couples』

 1959年、札幌生まれの小西は、大学進学を機に上京。サザンオールスターズを輩出した青山学院大学の名物音楽サークル「ベターデイズ」に所属。そこで高浪慶太郎、鴨宮涼らと知り合い、佐々木麻美子をヴォーカルに据えて、1984年にピチカート・ファイヴを結成。翌年には、細野晴臣が主宰するノン・スタンダード・レーベルから12インチ・シングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でメジャー・デビューする。当時はテクノ・ポップの延長線上だったが、1986年にはCBSソニーに移籍し、スタジオ・ミュージシャンを多数起用してソフトロックの名盤と名高い『couples』を発表。1988年には田島貴男(オリジナル・ラヴ)、小西、高浪の3人編成となり、ニュー・ソウルや往年のサウンドトラックをモチーフにした作品で話題を呼び、じわじわと人気を高めていった。

CD
▲『さ・え・ら
ジャポン』

 1990年になると田島が脱退し、ソロやポータブル・ロックなどで活躍していた野宮真貴が正式に参加。レーベルも日本コロムビアに移籍し、渋谷系ムーヴメントの盛り上がりとともに音楽シーンの牽引役として、膨大なリリース攻勢が始まる。ポップスとしての楽曲造りを意識した『SWEET PIZZICATO FIVE』(1992年)、小山田圭吾を共同プロデューサーに迎えた『ボサ・ノヴァ2001』(1993年)、高浪が脱退して二人組になった『Overdose』(1994年)、レディメイド・レコーズ・トーキョーを立ち上げての第一弾『HAPPY END OF THE WORLD』(1997年)など、続々と話題作を発表。また、米国のマタドール・レコードと契約し、海外でも知名度を高めていった。しかし、2001年の元旦にリリースした最後のオリジナル・アルバム『さ・え・ら ジャポン』の完成度が高すぎたことを理由に、その年の3月に解散を発表。グループの終焉と同時に、渋谷系にも終止符を打った。

Negicco
▲ 「アイドルばかり聴かないで」 / Negicco

 ピチカート・ファイヴでの活動中から、ソングライターやプロデューサーとしても頭角を現していた小西は、引き続きその才能を発揮する。ピチカート解散直前の2000年に話題を呼んだ「慎吾ママのおはロック」やジャクソン5のリミックスのヒットを筆頭に、小泉今日子、クレイジーケンバンド、曽我部恵一、ムッシュかまやつ、夏木マリ、コーネリアス、キリンジ、和田アキ子、globe、ももいろクローバーZ、Negiccoまで、世代やジャンルを超越し、小西康陽の名前を刻み続けている。

東京の街に雪が降る日、ふたりの恋は終わった。
▲ 「東京の街に雪が降る日、ふたりの恋は終わった。」 / 前園直樹グループ

 リミックス仕事の印象が強いせいか、小西はアッパーなサウンド指向というイメージが強いかもしれない。たしかに“お仕事”としてはその方がキャッチーなため、松平健「マツケンサンバ」や深田恭子「キミノヒトミニコイシテル」といったヒットも数多い。しかし、その一方で、小西のパーソナルの部分が露呈した静謐な世界も特徴的。近年では、前園直樹グループのメンバーとして、ピアノやウッドベースを基調にした音数の少ないアコースティック・アレンジも評価が高い。

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『11のとても悲しい歌』

CD
▲『11のとても悲しい歌』

 そんな小西の特性が強く現れたのが、2011年に最初にPIZZICATO ONE名義で発表したソロ・アルバム『11のとても悲しい歌』。すべて洋楽カヴァーであり、しかもマリーナ・ショウ、ロジャー・ニコルズ、マルコス・ヴァーリ、ウーター・ヘメルなど各国のシンガーたちがヴォーカル参加したという異色作だ。小西本人はあくまでもプロデュースという立ち位置であり、歌も演奏もソングライティングにも参加していない。しかし、まるで70年代のシンガー・ソングライターのようなたたずまいを持ち、穏やかで孤独で、とても個人的な雰囲気に包まれている。これほどまでにソロ・アルバムを意識させられるとは、まさに目からウロコの傑作だった。

 そして、あれから4年後の今年。PIZZICATO ONE名義での2作目が発表された。タイトルは『わたくしの二十世紀』。前作と同じように雪景色の写真を使用したジャケットが印象的だが、内容は前作のような複雑な構造ではない。ピチカート・ファイヴを含めて、これまでに小西が手掛けてきた楽曲をセルフ・カヴァーするというものだ。

 もちろん、プロデューサーという立ち位置は崩さず、様々なヴォーカリストが参加している。市川実和子、UA、enaha、おおたえみり、小泉今日子、甲田益也子、西寺郷太、ミズノマリ、ムッシュかまやつ、YOU、吉川智子。そして今回は、小西自身も1曲ヴォーカリストとして参加。軽やかでカラフルだった渋谷系の名曲群が、ピアノ、ハープ、オルガン、ウッドベース、ストリングスといったアコースティック楽器中心に、ミニマムで室内楽のような静謐なアレンジが施されている。まさに、小西が二十世紀に残した音楽遺産を振り返るような、一歩間違えればただの懐古趣味にもとらえられかねない内容だ。

CD
▲『わたくしの二十世紀』

 しかし、“死”の香りをほんのりと漂わせた絶妙な選曲と、それぞれのバラエティ豊かながらどこか匿名的な歌声のマッチングは、これまで以上に小西のソングライティング能力を浮き彫りにすることに成功している。現代日本の不穏な世相ともどこかリンクするような空気感は、ある種の社会批評といってもいいだろう。いずれにせよ、歌、メロディ、歌詞、アレンジが一体となった独自の世界観は、小西康陽という芸術家をくっきりと浮かび上がらせた代表作と断言しておきたい。

 さて、そんな傑作を引っ提げて、まもなくPIZZICATO ONEとしての初ライヴが行われる。どんなステージングになるのかは、まだ彼の頭の中だけにしかないはず。ただ、渋谷系をリアルタイムで体験した者も後追いのファンも、すべての音楽フリーク必見のライヴであることは間違いないだろう。

PIZZICATO ONE「わたくしの二十世紀」

わたくしの二十世紀

2015/06/24 RELEASE
UCCJ-2125 ¥ 3,300(税込)

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Disc01
  1. 01.聴こえる?
  2. 02.私が死んでも
  3. 03.東京の街に雪が降る日、ふたりの恋は終わった。
  4. 04.恋のテレビジョン・エイジ
  5. 05.戦争は終わった
  6. 06.あなたのいない世界で
  7. 07.ゴンドラの歌
  8. 08.かなしいうわさ
  9. 09.フラワー・ドラム・ソング
  10. 10.日曜日
  11. 11.きみになりたい
  12. 12.昨日のつづき
  13. 13.12月24日
  14. 14.私の人生、人生の夏
  15. 15.美しい星
  16. 16.マジック・カーペット・ライド

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