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楽園おんがく Vol.26: YUME インタビュー
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。第26回は、、9年ぶりにニュー・アルバム『なないろピアノ』を発表したシンガー・ソングライター、YUMEのインタビューをお届け!
ピアノを自在に弾きこなしながら歌うシンガー・ソングライターのYUME。2005年にデビューし、テレビや映画などのタイアップがあったこともあって、記憶に残っている方もいるだろう。しかし、しばらくは一線から遠ざかり、ボイス・トレーナーとしての裏方仕事がメインとなっていた。しかし、このたび、9年ぶり2作目のアルバム『なないろピアノ』を発表。4年前に沖縄へと拠点を移し、新たな感性とスキルを駆使して作り上げた力作だ。
ロックやポップスからインストに至るまで、文字通りカラフルなアルバムを作り上げ、ワンマン・ライヴも成功させたYUME。沖縄市でボイス・トレーニング教室を運営しながら、本格的にカムバックした歌い手に、そのすべてを語ってもらった。
自分の曲を人前で出したのは、20代になってから
??千葉県出身なんですよね。小さい頃はどんな子どもだったんですか。
YUME:3歳からピアノを習い始めました。隣の家に住んでいたお姉ちゃんがピアノを弾いていて、私もやりたいといったらしいんです。家では音楽を聴くような環境は全然なかったんですけど、母が付きっ切りでとても厳しく練習させられました。でもそのおかげで、長続きしない性格なんですけど、ピアノだけは続けられました。発表会が好きだったので、とくにそのときは一生懸命練習しましたね。
??ピアノは何歳まで習っていたんですか。
YUME:中学生のときに腱鞘炎になってしまって、ちょっと挫折したんです。それで少し休んで、この後は音大を受けるために再開しました。
??聴く方はどうでしたか。
YUME:最初はやっぱりクラシック。でも、小学校のときにはJ?POPのランキング番組をラジオで聴いていました。歳の離れた兄がいて、兄の部屋からビートルズとかボン・ジョヴィといった洋楽の大きな音が聴こえてきていて、それも体に染み付いていますね。中学生のときに歌を歌いたいなあって思ったんですけど、兄が「歌手になりたいんだったらこれを聴け」っていって、マライア・キャリーとかホイットニー・ヒューストンとか、洋楽女性アーティストのCDをいっぱい貸してくれました。
??とくに影響を受けたのは。
YUME:衝撃を受けたのは、アラニス・モリセットやシェリル・クロウといったロック系のアーティストです。最初はピアニストになるのが夢だったんですけど、小学校や中学校の合唱をやるときって、私はいつも伴奏者だったんですよ(笑)。でも歌いたい願望がどんどん強くなってきたのと、手が小さいからピアニストになるのも厳しいなって考え始めたいうのもあります。
??実際にはバンドをやり始めたんですか。
YUME:そうです。弾き語りをするという発想がまったくなかったんです。中学3年からバンドを始めたんですけど、X JAPANとJUDY AND MARYをやってるバンドに加入したという感じで、そんなに長く続きませんでした。実はその頃、劇団にも入っていたんですよ。ドラマのエキストラに出たりとか。
??それは忙しいですね。
YUME:部活もソフトボール部をやってたんですけど、全然行けなくなっちゃいました。
??高校に入ってから音大に進学しようと思ったんですか。
YUME:入学した当初はまったく思ってもいませんでした。その頃はクラシックということがまず頭になかったので。これからは自分で曲を作って、デビューしてみたいとは思っていました。
??曲を作り始めたのはいつですか。
YUME:高校に入ったくらいからかな。ただ、人に聞かせるようになったのは、もっと後。それまではひっそりと自分ひとりでやっていました。
??詞も曲もですか。
YUME:そうですね。その頃は英語で曲を作りたいっていうのがあって。高校は英語科に入ったんですが、大学受験のための英語ばかりで、英語を覚えたいという気持ちとギャップがかなりありました。
??その頃はバンドはやってたんですか。
YUME:遊びでバンドはやってました。そのときもコピーですね。その頃は何をしたいのか自分でもわからなくて、ひたすらもがいていた時期だったかも。今思えば、いろんなところで歌ったりすればよかったのにと思うんですけど。まだインターネットも発達してなく情報収集や宣伝活動のやり方も分からなくて、周りの人に聞いてもわからないし。
??音楽の道には進みたいと思ってはいたんですよね。
YUME:そう、それは変わらずずっと思っていて、いろんな本を読んだりとかして探してはいたんですけど、何をしていいのかわからなかったですね。でも、中学のときからボイス・トレーニングに通ってはいました。
??ボイス・トレーニングは、歌手になりたいと思って始めたんですか。
YUME:そうです。
??音大受験のきっかけは。
YUME:はい、でも音大を受けようと思ったのは高三の夏なんですよ。それまでは全然考えてなかったし、大学に行くことすら頭になくて、音楽を続けたいというのが一番だったんです。でも自分が今までいちばんやってきた音楽はクラシックだから、まずはそこをちゃんとやろうかなと思って。でも、ピアノ科で受けようと思ったら、もう遅いって言われて声楽科に行ったんです(笑)。で、いざ試験を受けたら、試験官に「なんでピアノで受けなかったの?」って言われたくらい、ピアノも頑張ったんですけどね。
??大学に入ってから自分の曲を歌うようになったんですか。
YUME:いや、まだその後ですね。大学を出てから2年間音楽の専門学校に行って、そこで初めてです。クラス・ライヴやオーディションがあって、そういうので初めて自分の曲を人前で歌いました。それまではたぶん披露していないと思います。だから自分の曲を人前で出したのは、20代になってからですね。
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Interviewer: 栗本 斉
沖縄は好きで何度か遊びに来ていて、
将来こんなところに住めたらいいなと思っていて
??ライヴじゃなくても、デモテープなども作らなかったんですか。
YUME:オリジナルのものは作ってなかったです。その頃は自分で自信のあるものしか聴かせたくないというこだわりがあったんです。今はもう、中途半端でもすぐ聴かせちゃうけど(笑)。20代頭の頃は、ピアノ弾き語りで自分が歌うだけでなく、他の人が歌う曲を作ったりもしました。本格的にバンドを始めたのもその専門学校に行ってから。バンドで2,3年活動をしていたんですよ。そのときはデモテープを作ってライヴハウスに行ったりもしたし。
??その頃はどういう音楽をやってたんですか。
YUME:実は当時の曲がアルバムに一曲入っているんです。「夢」という曲で、バンドのために作った曲なんです。
??ロック・バラードみたいな曲ですね。ちょっとハードめの。学校を卒業してからはどういう活動を行っていたんですか。
YUME:バイトしながらバンド活動をしていました。バイトも、結婚式の聖歌隊で歌ったり、生演奏をするカラオケ・バーでピアノ弾いたり、パチンコ屋で発声練習したりとか(笑)。そんなときに占いに行ったら、「あなた教える仕事が向いているわよ」って言われたんですよ。それまで自分が教えるタイプだとは思ってなくて。たしかに小さい頃は、ピアノの先生もいいなっとは漠然と思ってたんですけど、大人になってからはあり得ないと思ってたんですよ。でも、占い師に言われてハッとして、ちょっとやってみてもいいかもと思っていたら、たまたま求人情報誌にボイス・トレーナーを募集しているところが載っていたんです。
??求人誌に載る職種なんですね。
YUME:私もびっくりしたんですけど「載ってる!」と思って(笑)。それで試しにやってみたら、ハマってしまって。「こんなに楽しい仕事がない、これは自分の一生の仕事にしたい」ってすぐに思って。最初はアルバイトでやってたんですけど、すぐに自分でやりたくなって、フランチャイズのスクールだったんで、自分で教室を開いたんです。
??それはバイトからどれくらいの期間でですか。
YUME:1年経ってないと思います。
??それはすごい行動力ですね。その次の年にオーディションを受けるんですか。
YUME:自分がボイス・トレーナーを始めた頃に、ちょうどバンドも解散したので、ピアノ弾き語りでライヴ活動をしていたんで。いろんなイベントに呼んでいただいていたんですが、あるイベンターさんから「こんなのあるんだけど」といって紹介してくれたオーデションがあって、それを出たら受かってしまったんです。IT企業が音楽事業を立ち上げての第一弾としてのオーディションで、私がデビューすることになったんです。
??オーディションを受けてすぐデビューだったんですか。
YUME:すぐでした。受けたのが夏で、冬にデビューでした。
??早いですね。心構えができないうちに。
YUME:そうなんですよ。一ヶ月新宿のマンスリー・マンションに缶詰にされて、そこでずっと『Dream Star』(2006年)というアルバムのための曲を作ったんです。
??じゃあ、楽曲自体はもともとあったんじゃなくて、そのために作ったんですか。
YUME:もともとあった曲が一曲だけで、あとはデビューのために作りましたた。でも、期間が短かったこともあったし、私の歌詞がまだ未熟だったこともあって、他の作詞家さんに書いていただいて。それもレコーディングの一週間前に書いてもらったりとか。
??メロディは自分ですか。
YUME:そうですね。4曲くらいは歌詞も自分で書いているんですけど、あとは作詞家さんに頼みました。だから、まだ自分の中に歌詞が染み込んでないうちにレコーディングになっちゃたという感じもありました。
??デビュー・シングル「Sound of me」(2005年)のジャケットではギターを持ってますね。
YUME:バンドではギターとヴォーカルを演ってました。
??ギターはいつからですか。
YUME:音大に入ったときに、兄からギターをプレゼントしてもらって。そのときからですね。
??デビューした時点ではピアノじゃなくてギターを弾いていたんですね。
YUME:そう、ピアノはまったく弾いていませんでした。
??実際デビューして何か変わりましたか。
YUME:そうですね。テレビでドラマの主題歌になったりしたので、自分の曲がテレビで流れているということに感動しましたけど。でも何か変わったかというとそれほど変わってないかな(笑)。でもそのときすでに教室を開いていたので、それをやめるように事務所に言われて、でもせっかく開いたから人にお願いして、私は一切レッスンしないで歌に専念していました。でもその当時、会社側が諸事情あって音楽事業から手を引いてしまったんです。それでレーベルとの2年契約を解除してもらいました。
??じゃあそこからまた教える方に戻ったんですか。
YUME:戻りたかったんですけど、すでに他の人にお願いしていたので急に戻る訳にもいかないし。ちょっとニートな時期があったんですよ。でもそのときに、友人で映画を撮っている人がいて、映画出ないかって言っていただいて。
??『ナイランド ~なくし者賛歌~』(2007年公開)という映画ですね。
YUME:ピアニストの役だったんで演奏するシーンがあって、そのときに映画の挿入歌として作った曲が新しいアルバムにも入っている「音の種」という曲なんです。新潟県の粟島という島で撮ったんですけど、そこの島のイメージにぴったりな曲だって言っていただいて、毎年その粟島で島開きというイベントがゴールデンウィークにあるんですけど、そこにいつも呼んでいただいて歌っているんです。最初は歌詞が思いつかなくて、ピアノ曲だしと思って、ラララでいつも歌ってたんですが、沖縄に来てから歌詞を付けました。
??そういうルーツがあるんですね。この曲は少し沖縄っぽいなって思ったんですけど。
YUME:そうなんですよ。いろんな人にそう言っていただいて。たぶん歌詞は沖縄に来てから付けたというのもあるけど、離島というところで沖縄に通じるものがきっとあるんでしょうね。
??そのあとはどういう活動をしていたんですか。
YUME:ボイス・トレーナーの仕事に戻ったんですよ。それをやりながら、音楽活動も細々と続けてはいました。それで結婚して子供が生まれて、2011年に沖縄に来ました。沖縄は好きで何度か遊びに来ていて、将来こんなところに住めたらいいなと思っていて。
??沖縄ではボイス・トレーナーもすぐに始めたんですか。
YUME:そうです。教室ができる場所で物件を探していたんです。でも那覇は家賃が高いし、沖縄市でいい場所がないかなあと思っていたら、離れの小屋がある物件があってそこを借りたんです。でも教室を開いて半年くらいしたら生徒が50人くらいに増えてしまったんですよ。
??すごいですね。そんなに需要があるんですか。
YUME:びっくりしました。千葉にも教室があるから、こっちでは細々とやっていこうと思っていたんですけど、けっこうすぐに集まってしまって。それで一人でやるのは大変だから、近くで他の物件を探して、今の場所でふたつレッスン室を作って、先生も2人体制にしたんです。
??すごいですね。狙っていたわけでもないのにすぐに軌道に乗るなんて。
YUME:そうなんです。私の人生はいつも結果オーライなんです(笑)。しかも沖縄にきてからの方が、教室としての実績が付いてきました。オーディション番組の「X FACTOR OKINAWA JAPAN」で、トップ4に残ったR3というグループの新垣李沙が私の生徒で、他のメンバーもレッスンをすることになりました。
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Interviewer: 栗本 斉
やりたいことがいっぱいだから、
いろんな自分を出そうというのが強かった
??沖縄はボイス・トレーナーって他にもいるんですか。
YUME:いらっしゃるんですけど、個人レッスンをやるところは少ないのかもしれないです。あと、R3をきっかけに音楽業界からすごくオファーが来るようになって。KRAZY BOYZというアイドル・グループや、WBっていうCMにも出ている女の子のグループとかもレッスンに来ています。
??じゃあ教室は順調に運営されているんですね。
YUME:そうですね。それでうちの生徒がいろんなところで歌ったりしているのを見て、「私もそろそろやらないと」って(笑)。それでアルバム制作に取り掛かったんです。
??具体的に強く思ったのはいつ頃ですか。
YUME:去年の秋に、5月に「レコ発ライヴやろう!」と思ってライヴハウスのスケジュールを押さえたんですよ。でも曲を決めたりして具体的に動き始めたのは今年の1月ですね。
??それまでに曲は準備していたんですか。
YUME:曲はつねにずっと作っているんです。CDのために作った曲は、アルバムの半分くらいです。ただ、すでにライヴで歌っていたのは「キミの空」、「夢」、「音の種」だけですね。あとは、デモはあったけど歌詞がないとか。ほとんどの歌詞は、CD作ることを決めてから書きました。あとは、ゼロから作った曲が半分くらいです。
??もともとアルバムのコンセプトは頭に浮かんでいたんですか。
YUME:そうですね。10年間ずっともやもやしていたので、自分の中でいろんな構想はありました。でも、やりたいことがいっぱいだから、いろんな自分を出そうというのが強かったです。だからこの『なないろピアノ』というタイトルがしっくりきました。
??16曲ってかなりのボリュームですよね。
YUME:そうですね。これでも足りないくらいなんだけど(笑)。
そうですね。これでも足りないくらいなんだけど(笑)。
??レコーディングはバンド編成ですね。
YUME:ドン久保田さんなど、バンドのメンバーはイベントで知り合いました。レコーディングをするっていうことを決めてから、ベースのドン久保田さんとドラムの宮田まことさんと3人でライヴはしましたけど、レコーディングはまったく初めてです。
??やっぱりバンドでやりたかったんですか。
YUME:そうですね。その気持ちは強かったです。一番大きかったのは、ファースト・アルバムのドラムが打ち込みだったので、絶対に生音でやりたいと思っていました。
??じゃあまず曲があって、メンバーを決めて、そこからアレンジも固めていったんですか。
YUME:いろんな曲があるから最初はメンバーも分けようかと思ったんですけど、いろんなジャンルに対応できるメンバーなので、曲に合わせて変化を付けてもらいました。
??アレンジはどういう手順で行うんですか。
YUME:ピアノやギターの弾き語りのデモがあって、それを渡してイメージを口頭で伝えるんですけど、そういうの私とても下手なんですよ(笑)。でも、なんとか意図を汲み取ってもらって。
??歌詞はどういう手順で。
YUME:曲が先です。曲からなんとなく歌詞が浮かんでくるというか、曲調から世界観のヒントをもらうという感じですね。自分で決めずに曲からもらったインスピレーションで歌詞を書いていくんですけど、そこからちょっと人に伝わりやすく直したりとか。
??いろんなタイプがありますが、一貫しているのが、自己完結するのではなくきちんと人に向けて歌っているというか。聴く人にとっては自分に向けて歌っていると思える曲が多いと思います。
YUME:それは嬉しいです。実はこの間、レコ発ライヴのときにもお客さんに言ったんですけど。私は沖縄に来るまでは、自分を守るために音楽をやってた気がするんです。もちろん聴く人を喜ばせたいというのもあったけど、それ以前に自分自身のために音楽をやってたというところがあって。でも、沖縄に来てからは純粋に音楽を楽しめるようになって、一緒にいる人と音楽を楽しみたいと思ったし、誰かのために歌いたいって思うようになったんですよ。そこの心境の変化は自分のなかで感じていて、一緒に共有しようというか、感じようという気持ちが出てきたかなと思います。
??それにしても、ピアノを弾く人のわりに、ロックな曲が目立ちますね。
YUME:10年前のデビュー作はJ-POPな感じだったんですけど、その反動で「ロックやりたい!」と思って当時作ったのが「キミの空」や「ミラールージュ」ですね。
??大まかに分けると、そういうロックな感じとメロディがきれいなミディアムやバラードがあるんですが、ロックな部分は結構大きいんですか。
YUME:かなりありますよ。だから、このアルバムではまだまだ全然出してないんです。自分が本当にやりたいロックを(笑)。というのも、ふだんはバンドだけでなくピアノ弾き語りも多いし、ものすごくギャップが出てしまうので。だからロックな部分はあまりたくさん出さない方がいいかなと思っているんですけど、本当は全部ロックにしたいくらいです(笑)。もともとロックが大好きで、バンドのライヴを見るのも好きだったから。
??じゃあ、このアルバムもよく聴き取れば根っこにはロックがあるんですね。
YUME:そうですね。
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Interviewer: 栗本 斉
いろんな人がいて、そういう人たちが
つながっていくことで、楽しくなる
??逆にバラードはどういう自分ですか。
YUME:クラシックをずっとやってきたというところもあるし、母親になってからの変化や影響はあるのかなという気がします。そうそう、4歳の息子がこのアルバムを毎日聴いてくれるんですよ。
??それは嬉しいですね。
YUME:そうなんです。作っている間もずっと完成を楽しみにしてくれていて、ライヴでも一緒にずっと歌ってくれて。あまりにもうるさ過ぎるから、途中で会場から追い出されたこともあります(笑)。
??あと変化球というか、ジャズっぽい「夜光貝」があったり、ヴァイオリンの入った「メレンゲ」があったり、こういう世界観もあるんですね。
YUME:ジャズはそれほど詳しくはないんですけど、ただ好きではありますね。だから「夜光貝」はちょっと挑戦ではありましたけど。「メレンゲ」の方は私っぽいと思います。ジブリの音楽とかゲームのRPGの音楽なんかが好きで、そういう影響が出ているかもしれない。
??ちょっとファンタジックですからね。オープニングとエンディングがインストなんですけど、これはピアノ弾きであることをアピールする意味もあるんでしょうか。
YUME:映画の音楽をやってたときに、ピアノのインストをかなり作ったので、その影響もあってピアノ曲を入れたいなって思いました。周りから「ピアノだけのCDを出したら」なんてことも言われたこともあります。私はもともとメロディ主体なんですよ。一時期は「なんで歌詞つけなきゃいけないの」なんて思ってたこともあるくらいで(笑)。
??そう思っているミュージシャンって結構いますよね。曲は浮かんでも歌詞が作れない人も多いし。
YUME:曲で表現できるんだったら、それはそれで十分ですから。
??他にこの曲はこう聴いてほしいとか、伝えたいメッセージはありますか。
YUME:タイトル曲の「なないろピアノ」は、「いろんなカラーがあるから人生は楽しいよ」っていうメッセージなんです。いろんな人がいて、そういう人たちがつながっていくことで、楽しくなるっていうか。
??やっぱりこの曲が、アルバムを象徴しているんでしょうか。
YUME:そうですね。言いたいことをまとめたという感じです。この曲は実はタイトルを決めてから作ったんですけど、5分くらいで曲を書いて、そのあと10分くらいで歌詞も書いたんです(笑)
??そんなに早いということは、完成形がしっかり見えていたんでしょうね。
YUME:そうですね、きっと。
??アルバム『なないろピアノ』は9年ぶりですが、あらためてどんなことを思いますか。
YUME:すべて自分で作ったという意味では、ファースト・アルバムみたいな感じではありますし、達成感はあります。でも、レコーディングの最中から次の作品のことを考えていました(笑)。
??それはいいことですね。
YUME:実は、生徒たちのプロデュースや育成に力を入れたいというのもあって、最初で最後のアルバムのつもりで取り込んだんですけど、作っている最中に「来年にはもう一枚作れそうだな」って(笑)。
??じゃあ、すでに構想はあるんですか。
YUME:レコーディングしているうちに、次のイメージがどんどん湧いてくるんですよ。もっとあんなこともこんなこともやりたかったなって。
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時間をかけて自分のピアノ・パートを練習して、
ノリのいいピアノの曲もやってみたい
??じゃあ、もし作るとしたらまたいろんな要素が入ってきそうですね。
YUME:そうですね。たぶんここでやってないことにもまた挑戦すると思います。
??じゃあもしかしたら、もっとハードなアルバムになるかもしれない(笑)。
YUME:あまりそれを求められていない気もするんですけど、「ミラールージュ」の評判がよくて驚いています。私のイメージじゃないから、ちょっとびっくりされるかなと思ったんですけど、意外にこの曲がいいと言ってくれる人が多くて。あと、自分の中での一番の大作は「暁」なんですよ。
??たしかに最後にずっしり来る感じがありますね。
YUME:自分にとって一番私らしい曲かなと思います。他の人が見たら私は「なないろピアノ」のイメージかもしれないんだけど、自分の中では「暁」なんです。
??アルバムを作り終えた後の気分は、いったんリセットしたという感じですか。
YUME:どちらかというと、「これから」という感じですね。スタートというか。期間も空いているので、私を知っている人もあまりいないだろうし、たくさんの人に聴いてもらえるようにこれから頑張らなくちゃなって思います。9年前のデビュー・アルバムは作ってもらったという感じだったので、「聴いてください」って心から言えないというか、自分の中で「もっとこうしたかった」とかいうところもたくさんあったんですけど、これはもう完全に自分が作ったものなので、「ぜひ聞いてください!」って大きな声で素直にいえる作品です。
??今後チャレンジしたいことはありますか。
YUME:私はコーラスを作るのが好きななので、コーラスだけの曲とかやりたいなって思っています。声を全部自分で入れてアカペラ・グループ風に作ってみたら面白いかなって。やってないことはいろいろやってみて、それを自分のカラーにしていけたらいいなって思います。あとはやっぱりピアノをもっと弾きたいですね。今回はバンドの方々に手伝ってもらったので、ピアノがおとなしめだったかなとも思っていて。もっとジャカジャカとピアノを弾く曲もほしいです。でも、それをやるには練習が必要なんですよね(笑)。だから時間をかけて自分のピアノ・パートを練習して、ノリのいいピアノの曲もやってみたいなって思います。
??もっと先の目標はどうですか。教える仕事はずっと続けるんですよね。
YUME:そうですね、それはずっと続けたいと思っています。目標としては、自分の生徒をデビューさせること。でもCDを作ってからは、自分自身ももっと頑張りたいなって思うようになりました。ちゃんとCDを作っていろんな人に知ってもらいたい。あと、音楽フェスが大好きなのでフェスに出たいです(笑)。
??ところで、パッと思い浮かぶ“楽園おんがく”ってどんなものですか。
YUME:癒し系のヒーリング・ミュージックというかインストのイメージですね。あまり聴かないんですけど、インストものは好きですね。
??沖縄は楽園ですか。
YUME:沖縄っていろんな音楽や文化があるから、混ざっているのがとても素敵だなあと思います。だから、ライヴハウスに行ってもいろんなジャンルがあって、とても楽しめるんです。だあら、音楽をやる人間にとっては楽園だなと思いますね。沖縄の音楽の環境に心を打たれたし、すごく楽な気持ちで音楽ができるようになりましたね。
??沖縄ならではの音楽も聴くんですか。
YUME:聴きますよ。民謡居酒屋に行ったりとかします。だから、そういうテイストにもトライしたいとは思います。実は、「音の種」はエイサーとコラボしてライヴをやってみたいと思っているんですよ。
??それフェスでやりましょう。
YUME:いいですね!この『なないろピアノ』は、沖縄に来たからこそ生まれた作品なんです。純粋に楽しんで作ることができたのは、沖縄に住んでいるからだと思います。
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ライター
Writer:栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベント、ビルボードライブのブッキング・コーディネーターなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
Interviewer: 栗本 斉
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