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OAU『FOLLOW THE DREAM』 徹底取材:マーティン・ジョンソンの知られざる半生(前編)
9月3日に約5年ぶりとなるフルアルバム『FOLLOW THE DREAM』をリリースした、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND(OAU)。
アルバムのリリースと9月13日、14日に行われる彼ら主催のキャンプ・フェス『NEW ACOUSTIC CAMP 2014』の開催を記念し、TOSHI-LOW(BRAHMAN)と並ぶ、このバンドのもう1人のフロントマン、マーティン・ジョンソンの知られざる半生を徹底的に掘り下げる独占取材を敢行。前編は秘蔵写真とともに綴る回顧録として、後編は超ロングインタビューとして2回に分けてお届けしたい。
TOSHI-LOW(BRAHMAN)と並ぶ、このバンドのもう1人のフロントマン マーティン・ジョンソンという男のことを、多くの人はあまり知らない。
今年で5回目を迎えるOAU主催のキャンプ・フェスティバル『NEW ACOUSTIC CAMP』には、そんなマーティンのルーツを知るための、ひとつのヒントがあるという。それは、幼い頃に両親とともにステージに立った、古き良きアメリカのフォーク・フェスティバルの香り。
マーティン・ジョンソン。1983年、アメリカ・フロリダ州生まれ。父も母もミュージシャン。ステージ・デビューはなんと9か月の頃だったという。
2歳で初めての楽器“おもちゃのバイオリン”を手にした彼は、3歳の時に早くもある決断を迫られる。
「ピアノとバイオリン、どっちをやりたい?」
母親からの質問に、マーティンはこう答えた。
「僕、サクソフォンがやりたい…」
父親がギタリストだったこともあり、親しみのあった弦楽器のバイオリンを選んだマーティン少年だったが、両親は早くも彼の将来を見据え、バイオリンよりもプレイヤーの人数が少ないヴィオラを彼に手渡したのだった。
幼いころから音楽に親しんできた環境と生まれながらのセンスもあって、他の子供たちに比べて上達は早かったものの、幼いころは決して楽器を奏でることが楽しいと思えなかったというマーティン少年。ヴィオラのレッスンを続ける一方、両親とともにバンド活動もスタート。その名も、“ジョンソン・ファミリー・バンド”。彼のパートは小さなフィドルとヴォーカルだった。彼は4歳から8歳までの間、両親とともに地域のフォーク・フェスティバルを中心に演奏を行っていたという。
「当時のバンドの代表曲は、「ザ・チキン・ソング」っていう俺が歌う曲で。笑。 C・H・ I ・C ・K・ E・Nって言葉遊びのような歌詞で、すっごいイヤだったんだよ。お父さんは楽器を持って、カッコよかったのに、なんで俺がって。でも経験から分ってたんだよね、お父さんは。子どもと動物をアクトにいれると売れるって。笑」
父親の傾倒する音楽の方向性にあわせ、奏でる音楽もケルト音楽や中世のヨーロッパの音楽などへと広がり、幅広いジャンルのイベントやフェスティバルなどで演奏を行うようになっていたというジョンソン・ファミリー・バンド。マーティンは当時、まだ10歳にも満たない少年でありながら、音楽フェスティバルの雰囲気はもちろん、演奏をして対価を得るというプロ・ミュージシャン活動を早くも体験することになる。
両親に導かれるままにバンド活動を行ってきたマーティン少年だが、いわゆる一般的な音楽体験…多くの思春期の若者が体験するであろう「音楽との衝撃的な出会い」もきちんと彼の元へやってきた。彼に衝撃と衝動を与えたバンド、それはザ・チーフタンズだ。
地元フロリダで彼らを目撃したマーティン少年は、思わずライブ後にセキュリティをするりとくぐり抜け、楽屋にもぐりこんだという。一気にアイリッシュ・ミュージックの魅力にとりつかれ、自分もこういう音楽をやりたい!という衝動に駆られた彼は、音楽を通じて仲良くなった学校の友人とオレンジ・ストリートというフォーク・デュオを結成した。
こうして、中学生にしてバイオリンとアカペラをメインにフェアポート・コンベンションのナンバーやケルトの楽曲を演奏していたという、なんとも渋すぎる2人組デュオが誕生した。彼らは13歳の頃には、フォーク・フェスティバルやルネッサンス・フェアなどで演奏をしてギャラを稼いでいたという。当時のことをマーティンはこう振り返る。
「ぜんぜんモテないよね。笑 ちょうどその頃は90年代の真ん中。ニルヴァーナやパール・ジャム、それと地元のバンドのレス・ザン・ジェイクなんかも大ブレイクしてて。そんなオルタナティヴな音楽が全盛期を迎えている頃に、「ラララララ?とかやってて。笑 まあバカにはされたけど、仕事は手に入ったからね。」
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND「FOLLOW THE DREAM」Live ver.
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND「Making Time」Music Video
リリース情報
FOLLOW THE DREAM
ライブ情報
Tour 2014 -FOLLOW THE DREAM- Special-Site powered by ASOViEW!
http://www.asoview.com/lp/oau
今年はフジロックでの2ステージ出演を筆頭に全国のフェスを席巻中のOAU。
待望の新作を携えての単独ツアーは絶対必見!
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interview&text:aiko tada
そんな思春期ならではの悩みもあり、フォーク・デュオでの活動に少し物足りなさを感じていたマーティンの「男心」に再び火をつけたのは、地元フロリダでフォークをベースにしたオルタナティヴ・ロック・バンド シスター・ヘイゼルだった。当時のメンバーの男らしいプレイスタイルに惚れ込み、ライブに通ううちに親交が生まれ、メンバーからレスポールのコピーを譲り受ける。はじめてエレキギターを手にしたマーティンは、母親の古いアンプにそれを繋ぎ、友人とロック・バンドを結成。しかし、エレキギターを手にしたマーティンを快く思っていなかった父親から、クリスマスプレゼントに古いギブソンを贈られたという。
「うるさいから、こっちにしなさいって言われて。それでそのバンドは終了。笑」
エレキギターに代わり、ギブソンを手にしたマーティンは、例のフォークデュオ オレンジ・ストリートとバンドを合体、3人組として再始動させた。普通の学生がアルバイトをするように、フェスティバルやイベントでショーをこなし、小遣い稼ぎを始める。さらに、ひょんなことをきっかけに、両親とともに9人編成のクラズマー・バンドも結成。
結果、オレンジ・ストリート、クラズマー・バンド、ジョンソン・ファミリー・バンドと3つのバンドで多くのステージをこなしていたマーティン。そんななかでも、常にヴィオラの練習も毎日1時間欠かさず行い、また、フィドルのコンテストでも12歳から3年連続で優勝するなど、目覚ましい結果を残していたという。それでも、クラシック音楽、とりわけコンテストで勝つために音楽を奏でることから完全に気持ちが離れてしまったマーティンは15歳の時にヴィオラを辞めることを決意したという。
「今振り返ると、クラシックの勉強を続けたことはすごくよかったと思う。その時に教わった知識と技術が、今、自分の音楽の糧になっているからね。」
16歳になると、オレンジ・ストリートも解散、クラズマー・バンド、ジョンソン・ファミリー・バンドの活動をアルバイト代わりに続ける日々となった。そんな彼の音楽の可能性を広げてくれたのが、父が新たにはじめたジャズ・バンドへの参加だった。ウッド・ベースをすぐに弾けるようになったマーティンは、このバンドで結婚式での演奏などを行う。ただ、セレモニーでの演奏時間はあまりにも長く指から血が出ることもあり、決して楽しい思い出とはいえなかった。
もちろん、単なるアルバイトとして演奏していただけでなく、常に人前で演奏することは好きだったというマーティン。この頃、はじめて同世代に向けてスカ・パンク=地元のヒーロー レス・ザン・ジェイクやランシドなどのカバーなどをハウスパーティーでプレイするようになる。すると、オレンジ・ストリート時代には考えられなかった「モテ期」がはじめて訪れたという。さらに、レイヴ・シーンの最盛とともに、マーティンは自身のルーツとなる楽器の演奏から一段と遠ざかることになる。アルバイトとしての演奏以外、ほとんど楽器に触れることがなくなったというこの時期。アルバイト演奏で稼いだ小遣いをほとんどクラブでの夜遊びに費やす日々。家にもろくに帰らず、パーティー三昧の生活を送っていた。
そんなマーティンを再びルーツへと呼び戻してくれたのが、「日本」だった。
転機は突然訪れた。19歳を目前に控えたある日、ルネッサンス・フェスティバルの会場でフィドル奏者の知人に声をかけられる。
「俺、日本のテーマパークで演奏する仕事のオファーを受けたんだけど、家庭の事情で行けなくなってしまったんだ。代わりに君が行った方がいい。セッティングをするから、ぜひオーディションを受けてみたらどうだ?」
オーディションは1週間後…早ければ3週間後には違う国の全く違う町にいるかもしれない。マーティンはその時、こう思った。
「これでこの町から出られる。新しい人生が始まるんだ!」
当時、日本について知っていたのは「ニンジャ・サムライ・スシ」程度。それでもマーティンには一切の迷いや躊躇はなかったという。
見事オーディションにパスして日本行きが決定したのだが…1つだけ誤算があった。なんと父親も一緒に演奏者として日本にやってくることになったのだ。マーティンは、オーディションの時にバックの演奏を父親に頼んだ。すると、マーティンだけでなく、父親までも、そのテーマパークの目に止まってしまったのである。母親は父親の日本行きには反対したそうだが…親子での来日が決定。当初の契約期間は7カ月。マーティンは地元の友人にこう言い残してフロリダから日本へとやってくることになったのだ。
「俺、日本行って、ちょっとお金稼いでくるから。帰ってきたらターンテーブルでも買って、みんなでパーティーしようぜ!」
こうして7か月のつもりでやってきたマーティン・ジョンソンの日本での生活は、すでに今年で12年を迎えている。日本で音楽を続けることになった理由やTOSHI-LOWとの出会い、そして、日本という国への思いと自身のルーツについて…続きはマーティン自身の言葉でお届けしたい。
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND
『FOLLOW THE DREAM』
マーティン・ジョンソン インタビュー 後編
http://www.billboard-japan.com/special/detail/1014
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND「FOLLOW THE DREAM」Live ver.
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND「Making Time」Music Video
リリース情報
FOLLOW THE DREAM
ライブ情報
Tour 2014 -FOLLOW THE DREAM- Special-Site powered by ASOViEW!
http://www.asoview.com/lp/oau
今年はフジロックでの2ステージ出演を筆頭に全国のフェスを席巻中のOAU。
待望の新作を携えての単独ツアーは絶対必見!
関連リンク
interview&text:aiko tada
FOLLOW THE DREAM
2014/09/03 RELEASE
TFCC-86487 ¥ 3,565(税込)
Disc01
- 01.Follow The Dream
- 02.Broken Glass
- 03.夢の跡
- 04.Blind Moonlight
- 05.Making Time
- 06.Pilgrimage~聖地巡礼~
- 07.Ride Today
- 08.N.A.C
- 09.Treason Song
- 10.Clumsy Queen “Isabella”
- 11.朝焼けの歌
- 12.Question
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