2020/07/06
デイヴ・グロールがApple Musicのマット・ウィルキンソンとのリモート・インタビューで、ニルヴァーナに加入した当初の心情や解散直後の苦悩、そしてフー・ファイターズを結成した当時の思いなどを明かした。このインタビューは、フー・ファイターズのセルフタイトル・デビュー・アルバムがリリースされてからちょうど25周年となる2020年7月4日に公開された。
グロールの加入後程なくして世界的に大ブレイクしたニルヴァーナについて、ブレイク後も自分がバンドのドラマーとしてふさわしいのか自信がなく不安だったと彼は語っている。加入時について彼は、「ニルヴァーナに加入したわけだけど、自分は5番目のドラマーだったのかな?自分の前にドラマーがたくさんいて、中にはもっと、何て言うか、他よりバンドとの付き合いが深い奴らもいたんだ。俺がバンドに加入した当初は、クリス(・ノヴォセリック)もカート(・コバーン)も全然知らなかった。ただ、出会ってバンドとして集まって一緒に演奏すれば、明らかにすごくしっくりきていたし、ほとんどの人が現在ニルヴァーナのサウンドとして認識しているあの音になっていた。あんなサウンドだった。でも、まだ出会ったばかりだったのに、そこから(ブレイクまで)あまり時間がなかった」と振り返っている。
「自分が加入してからほぼ一年後に“ネヴァーマインド”がリリースされたんだ。あれがリリースされてからは何もかもがすごく早かった。バンドは巨大になった。でも、それまで俺は、昔から知っている友人としかバンドを組んだことがなかったんだよ。その場合はある程度安心感があった」と彼は続け、「ところが知り合いが一人もいないバンドに入って、まだお互いのことを理解し始めているところで、音楽を演奏すれば最高なんだけど、まだあまり個人的なつながりが深くない。そこへ来てバンドがすごい勢いですごくデカくなった。そうなると、クビにされるんじゃないかとか、(勢いが)止まってしまうんじゃないかとか、すごく不安になるんだよね。要はクビになりたくなかった。だから、(この好機が)去ってしまわないように必死だった。“俺はまだまだだ、あいつらは他の(ドラマーを)見つけてしまう”ってずっと不安だった」と、当時の心情を吐露している。
故カート・コバーンが1994年に自殺したあと、しばらくは何をする気も起きなかったと彼は話している。「“俺らと一緒にドラムを叩く気はないか”とか、別のバンドに入らないかって電話をもらうようになったけれど、当時は全くそういうことをする気になれなかった。以前はツアーから帰ったら自分だけで曲をレコーディングしたりもしていたんだけど、そういう気持ちも消えていた。音楽を書くどころか聴くことすら嫌だったし、ましてやバンドに入って演奏するなんて考えられなかった。変な感じだったよ、あんな風に生活が根底から覆されてしまうのは。次に何が来るかなんて誰だって考えられないもんなんじゃないかな。その瞬間から抜け出せなくなってしまう」と彼は振り返り、「ただ、しばらくすると、ソファから起き上がって、“OK、俺はずっと音楽を演奏することが大好きだったし、自分のために曲を書いたりレコーディングしたりするのも大好きだった。だからそれを自分のためだけにしなければならない気がする”って思ったんだ」と語っている。
こうしてグロールがほぼ全てを独力で完成させたフー・ファイターズのデビュー作を、誰かに捧げるとしたら、という質問に対し、彼は、「あれはクリスとカートに捧げるね」と答えている。「だって今でもニルヴァーナでの経験は……自分には子どもがいるから、生涯で最も重要なイベントだったとは言えないまでも、ニルヴァーナでの時間がなかったら、今ここでこうして俺たちが話すことだってなかったと言っても過言じゃない。カートから多くを学ばせてもらったし、クリスからも多くを学ばせてもらった。あのバンドにいれたことは本当に光栄だったし、終わった時は打ちのめされた。でも、一緒に作った音楽のカタログはあるし、あの経験は俺たちだけでなく、当時暮らしていた世界のかなりの部分も変えた。だから、あの頃が自分の人生で一番の形成期だったんじゃないかな。10代の厄介な若造だった俺が、すごくデカいあるバンドのメンバーになった。そしてそれが全部終わって、それら全ての経験から学んだことを生かしながら、また人生を立て直そうとしたんだ」と彼は語っている。
フー・ファイターズについて彼は、「ジャーナリストの中には、“ニルヴァーナのあとに音楽をやるなんて、何考えてるんだ”って言う奴らもいた。でも俺からしてみれば、“どうすりゃいいんだよ?”って感じでさ。(フー・ファイターズのメンバーたちは)ちゃんとしようとすごく努力したんだ。当時のアリーナ級のデカいバンドの前座としてツアーに帯同するとかじゃなくて、“OK、じゃあ、バンに乗り込んで、これまでやってきたようにやろうぜ。これまでと同じようにスタートしようぜ”ってなって、それが俺たちにとってしっくりきた。プロモーションとか取材とかをやる際も……ミュージック・ビデオだってすぐには作らなかったし、そういった全てのことを加減しようとした。ある意味で怖かったからね。危険は承知だった。批判されるだろう、比較とかだってされるだろうってことくらい分かっていた。そうだね、それなりにきつかったけど、そんなにきつくもなかったね。誰かにくだらないことを言われたら、“ファックユー、マザファッカー”って言えばよかっただけの話だよ」と振り返っている。
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