2012/11/02
1996年 ジョン・レノンの誕生日にTIMESLIP-RENDEZVOUSのフロントマンとしてデビュー。以降、環境や形態を変えながら何があってもバンドマンで在り続けた近藤金吾が、50歳を迎えたタイミングで胸の内を明かした。
<俺はいつまでも抜け出せないでいるのかな?>
TOY'S FACTORYを代表するロックバンドのひとつとして活動し、聴く者の胸を鋭角に刺すメッセージと、敬愛するビートルズ同様に幅広い音楽性で人気を博したTIMESLIP-RENDEZVOUSだが、2003年のベストアルバム『情熱の星 ~masterpiece chronicle 96-03~』リリースを最後にインディーズへ。2009年には冨澤裕之(dr)が脱退し、4人から3人編成のバンド“TIMESLIP”として活動することになった。
そして近藤金吾(vo,g)は今年で50歳。この道程と状況について「一旗揚げようと思っていたけれど田舎に戻った友達もいれば、別の世界に進んでいった友達もいる訳で。この世界に居残って音楽を続けていくことが果たして良いことなのかどうなのか、というのは最近になって自分も思う。上手く抜け出した、新しい人生を掴んだ、という捉え方もできるんだよ。こっちもいろいろやっていく中で上手くいかないことがあったりすると、逆に彼らがすごく羨ましくなったり、「俺はいつまでも抜け出せないでいるのかな?」と思ったり、そういう意味で寂しくなったりもする」と、赤裸々に語る。
<何があっても音楽を諦めなかった者の生命力>
しかし、それでも音楽を続けた。妻と2人の子供を持つ近藤だが、家族は自身の故郷である青森・深浦に在住。その理由は「子供にも自分と同じように自然の中で育ってほしいなと思っていたんですよ。自分のお故郷言葉、津軽弁で一緒に話し合えたら面白いなとも思ったし。あとね、両親が歳取ってきて、孫と暮らす時間が少しでも長くあったらいいなって」というもの。ただし、彼は単身で今も東京に暮らし続けている。妻が「もうちょっとこっちで頑張れ。夢を諦めないでほしい」という想いから、背中を押した結果だ。
そして2012年10月15日、初のソロアルバム『惑星の日々』を発表。2人の子供のこと、亡くなった父親のこと、かけがえのない親友のこと……自身のパーソナリティを万人が共感し得るであろうポップミュージックにまで昇華した1枚だ。すべてが近藤金吾の50年にとって重要な要素で構成されており、何があっても音楽を諦めなかった者の生命力に溢れている。
<あそこまでバンドのモチベーションを戻したい>
なお、今作には、TIMESLIP-RENDEZVOUSのメジャーデビュー曲にして代表曲「針にかかった魚が自由を求めるように」のセルフカバーも収録されているが、近藤はバンドマンとしてTIMESLIPをこのまま沈ませるつもりはない。最高傑作の呼び声高い「『ELMIRAGE ~HERE TODAY, HERE AGAIN』(2000年発表)みたいなアルバムをもう一度作りたい」と云い、その理由について興奮気味に語った。
「あのアルバムの良さって歌詞とか曲とか以上に、あれを作ったときのパッション。バンドもそうだけど、エンジニアもスタッフもみんながひとつになって「これでもか! これでもか!」って作ってたんだよね。「おまえ、ギター弾けねぇんだったら服脱げ!」みたいな(笑)。それで「分かったよ!」って脱いでギターをバン! って弾いたら、エンジニアが「オッケー!」って叫んで。あそこまでバンドのモチベーションを戻したいな。今はそれが出来なくてもどかしいんだけど、同じ人間なんだから絶対出来る」
なお、近藤金吾 50thアニバーサリースペシャルサイトでは、ここに記した言葉以外の、50歳、バンドマンのリアル。初のソロアルバム『惑星の日々』に込めた想いなどが綴られている。
取材&テキスト:平賀哲雄
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