2018/08/04
ビールの美味しい季節がやってきた。私には、どうしても忘れられない一杯がある。
1979年、私の父が団長を務めていた市民オケで、服部良一さんがタクトを振った。自ら作曲した「交響詩富士」というオーケストラ曲を指揮するためだ。服部さんは、クラシックの作曲家になるという夢を生涯抱き、いくつかの作品をお書きになった。そのうちの一曲が、この日、初演されたのだ。
終演後の打ち上げ会場。満面の笑みを浮かべた大音楽家は、私のグラスにビールを注いだ。まだ小学生だった私は驚いた。マエストロはさらに大きく笑い、こう私に告げた。「今日は乾杯だけ。君が大人になったら、中身を一緒に飲みましょう」。その時は、服部さんが、日本に「世界中の最新流行音楽」を導入したハイセンスな作曲家など、知る由もなかった。
それから、十余年の時が流れた。1993年、服部さんが永逝された年に番組制作者となった私は、生涯の作品が保管されているご自宅の譜面庫で、ある曲のスコアを探していた。「夜来香幻想曲」。1945年6月、終戦間際の上海で、李香蘭と上海交響楽団によって初演された曲だ。譜面を持っていると軍楽隊と疑われる恐れがあったため、原譜は現地で焼却。帰国後、1947年に記憶を頼りに書き起こしたものが、現存していたのだ。
当時の上司は、番組の作り方さえわからない社会人一年生の情熱に応えてくれた。取材にも同行して、さまざまなアドバイスをしてくださり、FMでの特番が実現した。その頃、私はテレビで「エド・サリバンショー」を担当していた。経験を積ませてくれる目的だったのだろう、クリスマス・スペシャルと題された特別編で、初めてメイン・ディレクターを務めた。大晦日に、最も下っ端として、平均睡眠3時間で関わった紅白歌合戦が終わると、正月返上で準備を進めた。一番大きな録音スタジオ。オーケストラは、東京フィルハーモニー交響楽団。指揮はご長男である服部克久さん、ソプラノは斉田正子さん。戦時下の中国に響いた音色が、平和な日本で蘇った。それが、私が最初に作ったラジオ番組だった。不思議なことに、その時に力を貸してくれた大先輩のアナウンサーと、いま、一緒に仕事をしている。
放送は無事に終わった。安堵した顔の上司と、握手を交わした。帰宅すると、天に献杯し、約束のビールを喉に流し込んだ。服部さんの笑顔が、輝く星となって、漆黒の夜空に浮かび上がった気がした。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明大・武蔵大講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
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