2016/12/31
2016年がまもなく終わろうとしている。今年もまた、多くのミュージシャンが帰らぬ人となってしまった。この1年で旅立った音楽界のレジェンドたちを、改めてここに書き記しておきたい。
お正月ムードが僅かに残る1月10日、突如飛び込んできたデヴィッド・ボウイ死去のニュースは、世界中のファンに大きな衝撃を与えた。なぜならボウイは、そのわずか2日前に28枚目のスタジオアルバム『ブラックスター(★)』をリリースしたばかりだったのだから。音楽界において唯一無二の存在感を誇るカリスマ、ボウイを失った悲しみのなか、遺作となった『ブラックスター(★)』は世界中で大ヒットを記録、ボウイのアルバム史上初の全米ビルボードNo.1にも輝いた。
そして、ボウイ喪失のショックから立ち直る間もなく、ふたたびロック界からの訃報が飛び込んできたのは、1月18日のこと。イーグルスのリーダー、グレン・フライが67歳で死去。フライの体調を考慮し、近年はイーグルスとしての活動はおこなっていなかったが、残されたメンバーたちはそれぞれ愛のこもったメッセージを公開し、盟友を追悼した。さらに3月には、エマーソン・レイク&パーマーのキーボーディストとして活躍したキース・エマーソンが死去。エマーソンは来日公演を1か月後に控えていたが、残念ながらそれは永遠に叶わぬものとなった。
また、ソウル・ミュージック界からの訃報も。2月5日、「宇宙のファンタジー」や「セプテンバー」などのヒット曲で知られるアース・ウィンド&ファイアーのリーダー、モーリス・ホワイトがロサンゼルスの自宅で死去。20年にわたるパーキンソン病との闘いを終え、ホワイトは74歳で帰らぬ人となった。さらに衝撃は続く。「パープル・レイン」「ビートに抱かれて」などのヒット曲で、アメリカの音楽史を代表するスーパースターとなったプリンスが4月21日に急逝。マイケル・ジャクソン同様“伝説”となるには早すぎる50代での突然の死を受け、アメリカ中が悲しみの紫に染まった。ほかにも、4月24日に70年代に全米ビルボードNo.1を記録した“元祖・不倫ソング”「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」で知られる、ソウル・シンガーのビリー・ポールが81歳で死去。その2か月後の6月24日には、Pファンクのキーボーディストとして活躍したバーニー・ウォーレルが、がんのため72歳で亡くなっている。
そして、日本の音楽界における偉人もまた1人、帰らぬ人に。シンセサイザーの第一人者で、世界的に活躍した作曲家の冨田勲が5月5日、慢性心不全のため84歳で死去。これを受け、日本国内では『月の光』など、冨田勲作品が軒並み高セールスを記録、改めてその功績にスポットライトが当てられた。
下半期は早すぎる死も続いてしまった。8月、ナイン・インチ・ネイルズ絶頂期の90年代前半にキーボーディストを務めていたジェームズ・ウーリーが50歳の若さで死去。そして、10月には妖艶なルックスと相反するパンチのきいた歌声で80年代を駆け抜けた、デッド・オア・アライヴのシンガー、ピート・バーンズも亡くなった。
さらに、アメリカのロック&ポップス界の礎を築いたレジェンドも。11月13日、「ア・ソング・フォー・ユー」や「マスカレード」などのヒット曲で知られるレオン・ラッセルが71歳で死去。世界中のアーティストに歌い継がれる名曲を残し、また1人、レジェンドが旅立った。そして12月7日には、キース・エマーソンに続きグレッグ・レイクが69歳で死去。プログレッシヴ・ロック界を牽引してきた2人の功労者は、今年ともに帰らぬ人となってしまった。そして、12月25日。クリスマスのこの日、ジョージ・マイケルが53歳で死去。煌びやかに80年代を担ったポップスターがまた、50代にして突然この世を去ってしまった。
彼らの偉大な功績と名曲の数々は、永遠に失われることはない。それらを讃えるとともに、謹んで哀悼の意を捧げたい。
関連記事
最新News
関連商品
アクセスランキング
インタビュー・タイムマシン
注目の画像